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第96回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(3)――途上国で労働法制の実効性を高めるには?

Post-Rana Plaza Collapse (3)—How can labour laws be enforced in developing countries?

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001422

2025年6月

(5,269字)

今回紹介する研究

国際労働機関によると、毎年、世界の死亡者数の5〜7%は労働が原因であり、9人に1人の労働者が死亡に至らない労働災害を経験すると推計されている。2013年にバングラデシュで発生したラナ・プラザの崩壊は、1,134名の死亡者と数千人の怪我人を出した大惨事であり、これが例外的な出来事であるのは間違いないが、アパレル業界全体としても労働災害が少ないとは言えないこともまた事実である。本コラムでは、この事故の後、コストが増加してもレピュテーションリスクを回避しようとしてバングラデシュ以外の国に取引先を切り替えるような先進国アパレル企業の動きがあった(第81回)一方、輸出志向のバングラデシュ縫製業において労働環境が改善したと見られる時期に賃金率も改善した(第79回)ことなどを明らかにした研究を紹介した。今回紹介する研究は、労働環境の改善に労働安全衛生(Occupational Safety and Health)委員会が果たす役割に着目し、その実効性を高めるためのステークホルダーは誰なのかを解明する試みである。そして、この重要な問いに答えるため、最も信頼性の高い因果推論手法と考えられているランダム化比較試験を行い、可能な限り正確な回答に肉薄しようとする意欲作である。

労働安全衛生委員会とは?本来の姿と、バングラデシュの実態

国際労働機関によれば、労働安全衛生委員会は、安全な職場を実現し、使用者にその責務を全うさせることを基本的な目的とする組織と定義されており、労使双方の代表者が同数で構成することや、労働者代表は労働者による民主的な選挙で選出することなどがガイドラインにまとめられている。しかし、中国に次ぐ世界2位の輸出を誇るバングラデシュのアパレル産業では、産業の急速な発展や行政による監督体制の不備などを背景に、労働者の安全確保が不十分であることが長年指摘されており、ラナ・プラザの崩壊を含む多くの産業事故の一因となったと考えられている。国内外からの圧力によって、2013年7月にバングラデシュ政府は労働者の安全確保のための法制度を整備したが、実効性に乏しく、あまり順守されなかったという。

バングラデシュの縫製工場と取引する多国籍企業は、消費者や人権団体をはじめとする国際社会の圧力を前に、行動を起こした。ヨーロッパを中心とする企業は労働組合と協定(Accord on Fire and Building Safety in Bangladesh)を結び、アメリカの29の企業は独自に提携(Alliance for Bangladesh Worker Safety、以下アライアンス)を結んで、それぞれ監査や研修などを行い、工場の労働環境の改善と維持に努めた。本研究が協働したアライアンスは、信頼に足る労働安全衛生委員会が労働者のエンパワメントや労使の対話を実現できるように、5つのフェーズからなるプログラムを構成した。

  1. 労働者によって民主的に選出された代表機関の存在の確認
  2. 労使双方の代表によって組織される労働安全衛生委員会の存在と適法性の確認
  3. 再度の委員会の存在・適法性の確認と、労使2名ずつに対する研修
  4. 労働安全衛生委員会による行動計画の作成
  5. アライアンスによる行動計画の承認と、実施工程のモニタリング

行動計画では詳細なスケジュールを立てることが求められており、使用者による報告の遅滞が続いたり、計画開始後6か月のレビューで進捗不十分と判断されたりする場合、プログラムのやり直しや取引停止などの措置が取られる可能性もあった。このように、労働安全衛生環境の改善に向けて実効性を高められるようなプログラムとなっていた。なお、アライアンスは5年間の行動計画であり、2018年に解散しているが、29社のうち22社がNiraponという機関を設立して類似の活動を継続している。

実験の設計とデータ

Boudreau論文では、上記の5フェーズのうち(iii)-(v)を提示するかどうかを実験の処置として利用した。(i)-(ii)で実施されるべき労働者の代表者の選出や、労働安全衛生委員会の設立自体には、アライアンスの権限が及ばないことや、民主的な選挙には数か月を要することもあったことが背景にあるという。つまり、実験によって明らかになるのは、労働者の代表を選出することや労働安全衛生委員会を設立すること自体がもたらす変化ではなく、設立済みの労働安全衛生委員会がアライアンスの関与によって機能強化したり、その結果労働環境が変化したりするかどうか、ということである。

この実験では、2017年中にアライアンスが労働者代表の選出を確認した工場のうち、ランダムに抽出した約半数(41工場)が処置群に、残り(43工場)が統制群に割り当てられた。処置群工場に対しては上記の労働安全衛生委員会プログラムを実施し、統制群工場に対しては実施しないという、極めてシンプルな設計の実験である。

分析に用いるデータは4種類である。第一に、介入前・介入約5か月後・介入約10か月後に実施した訪問調査によって集めた情報である。訪問調査では労働安全衛生委員会の委員長やランダムに選んだ労働者などへの聞き取り、法令やアライアンスが求める文書の確認と検証、そしてチェックリストに基づく安全状況の実地検証などが行われた。介入後の2回の訪問調査は、それぞれ短期・長期における効果の検証に用いている。第二に、毎月の生産活動や人事評価などの記録、第三に、アライアンスが保有する事務記録、そして第四に、各工場の生産物の価格や数量を含む輸出記録である。

こうして集めたデータのうち、報告バイアスについて著者は特段の注意を払っている。特に、労働安全衛生委員会が機能するようになることで、労働災害が増加するか、減少するかは、本研究の重要な評価指標である。しかし、労働安全衛生委員会の機能強化の計測方法によって、様々な結論があり得ると論じている。例えば、勤務時間中に怪我をしたとき、報告による不利益を防ぐ機能が委員会にあれば報告数は増えるだろう。一方で、職場を安全にする機能が委員会にあれば、怪我自体が減少し、報告数は減少するかもしれない。また、綿密な事故調査機能が委員会にあれば、職場の安全性に何ら変化がなかったとしても怪我の発見報告件数は増える可能性がある。

そのため、著者はこれらの報告バイアスの程度が異なると考えられる3つの指標を使って、全体像をつかもうと考えた。一つ目は職場の安全性に関するチェックリストに基づく実地調査(報告バイアスはなく、労働安全衛生委員会の機能により安全性が高まると考えられる)、二つ目は職場の医務室の訪問記録(職場での傷病に対して第一にアクセスする施設であり、法令やアライアンスへの報告義務はないため、ある程度信憑性があると考えられる)、そして三つ目は政府への傷病報告記録(職場における労働安全衛生の考え方の変化を最も受けやすいと考えられる)である。

結果

それでは、実験の結果を確認していこう。まず確認したのは、アライアンスのプログラムが、労働安全衛生委員会の機能強化をもたらしたかどうかである。データによれば、委員会は、会合やリスク評価の頻度を高めるなど、活発な活動を行うようになり、活動を多角的に評価するために作成したインデックスは0.22標準偏差(偏差値に換算して2.2)の改善を見せた。これと対応するように、労働者への聞き取り調査からも、労働安全衛生委員会の活動の認知や評価が改善したことが示されている。

続いて、委員会の機能強化によって実際に労働安全衛生環境が改善したかを確認している。上で論じた通り、チェックリスト項目に基づく実地調査からは、0.16標準偏差(偏差値1.6)の改善が見られた。具体的には、製造工程における安全装置の使用の増加などが含まれており、劇的とはいえずとも確実な改善が起きたといえるだろう。他方、医務室の訪問記録からは、処置群の工場において15%程度の医務室利用の減少を発見した。医務室利用が増える可能性もあったなかで、全体としては減少傾向が見られたということだが、記録が得られたのは約4分の3の工場だけであり、断定的なエビデンスではないとしている。さらに、公式な傷病報告記録に基づくと、傷病件数は25%増加していたことがわかった。特に、重大な傷病は変化しないまま、軽微な傷病の報告が増加していたという。

3種類の指標を用いた結果は、一見まとまりがないようにも見えるが、著者は一貫した解釈が可能であると論じている。すなわち、委員会の強化によって職場の安全衛生環境は改善し、その結果医務室を訪れる傷病者が減少した一方で、これまで報告されてこなかった軽微な傷病が、委員会の調査機能強化によって発見されやすくなったと考えられるという。かくして、安全性の向上と報告文化の醸成という2つの変化が同時に表れたと結論づけている。

こうして職場の安全・衛生環境が改善したことで、労働賃金や雇用に対して負の結果がもたらされる可能性を危惧する読者もあるかもしれないが、そのようなことは実際には起きなかったことを著者は確認している。この結果は本コラムの第79回で紹介したBossavieらの研究でも確認されている。その理由としてBossavieらが指摘していたのは、ラナ・プラザ崩壊以前の既製服縫製産業において、雇用者が市場支配力を保持しており、労働市場が競争的でなかった可能性である。そのため、事故後に労働環境が改善したことに伴って、補償賃金仮説が想定するような賃金率の低下が見られないどころか、むしろ上昇したのだろうと論じていた。このメカニズムが働いた可能性をBoudreau論文も同様に指摘しており、先行研究との整合性も確認できる。

労働安全衛生委員会の導入が職場の安全性を高めたメカニズムは、労使間のコミュニケーションの改善であるとBoudreau論文は主張している。実際、統制群の工場に比べて、処置群の工場では、委員会の会合が頻繁に開催され、議事録の記述も具体的な行動やそれに直結する内容が増加したことを突き止めている(例えば、火災の際の安全とは、といった抽象的な議論が減り、実際のリスク評価の実施や具体的な改善策の決定が増える、など)。そして、このような変化はすべての工場で一様に見られたわけではなく、日頃から経営管理が行き届いている工場、すなわち定期的な生産会議を開くなど、労働者とのコミュニケーションを重視している工場において、顕著であったことも発見した。つまり、委員会という制度を効果的に運用するには、それを支える経営管理の基盤が重要だという。

そして、労働安全衛生委員会の機能強化は、長期的な職場環境の改善につながる可能性も示唆された。例えば、委員会の法令順守度を示す指標や、職場の安全性のチェック項目に基づく指標は、介入後約10か月後の時点でも改善が持続しており、労働者の仕事満足度も改善していた。さらに、経営管理の優れた工場ではこうした改善が大きいことも引き続き確認され、賃金や雇用、生産性の面での悪影響がみられないことも変わらずであった。つまり、委員会の機能強化は、持続可能な改革となりえることが示されたわけである。

示唆

今回紹介したBoudreau論文では、職場の安全性に関するチェックリスト項目や傷病件数が分析対象であった。しかし、委員会の機能強化によって労働安全衛生が改善を続ける結果、職場の安全をないがしろにしない企業文化が醸成され、小さなデータでは分析しにくい死亡などの重大な帰結の改善にもつながる可能性はある、と論じられている。

本論文が立てた問いに対しては、どのような回答があったか、そこからどのような示唆が得られるか、今一度振り返ろう。分析からは、国家の行政機能が不十分であるような途上国において、多国籍企業による労働法規の監督が、現地サプライヤーの法令順守機能を強化し、労働安全衛生環境を改善しうることがわかった。同時に、この効果は工場の経営管理能力に依存することも明らかになった。つまり、Boudreau論文は、途上国における労働法規の実効性向上に対して、多国籍企業が重要な役割を果たす可能性があることを示すと同時に、その効果を引き出すために現地企業の経営管理能力が不可欠である可能性を示唆している。どのような経営管理能力をどのように向上させるべきかという問題が、次なる研究課題といえるだろう。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
著者プロフィール

永島優(ながしままさる) アジア経済研究所 開発研究センター、ミクロ経済分析グループ研究員。博士(開発経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ計量経済学、人的資本投資。主な著作に”Female Education and Brideprice: Evidence from Primary Education Reform in Uganda.”(山内慎子氏と共著、The World Bank Economic Review, 37(4), 2023)、”Pregnant in Haste? The Impact of Foetus Loss on Birth Spacing and the Role of Subjective Probabilistic Beliefs.”(山内慎子氏と共著、The Review of Economics of the Household, 21, 2023)など。

【特集目次】

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