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コラム

途上国研究の最先端

第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051712

2020年5月

(3,178字)

今回紹介する研究

Fadlon, Itzik and Torben Heien Nielsen. "Family health behaviors." American Economic Review, 109.9 (2019): 3162-3191.

習慣を変えることの難しさは数多の研究で指摘されている。心理学者によれば、長期に慣れ親しんだ行動を変えるには、合理性に基づく意思の強さでなく、心理的仕掛け(ナッジ)でもなく、習慣(という無意識の行動)を難しくするのが有効だ。習慣の多くは環境や文脈に依存するため、これらが変わると無意識の行動も難しくなり、習慣を変えるきっかけになる1

禁煙や予防薬の日常的服用もそうだ。頭では分かっていても、きっかけ無しには難しい。そのきっかけには、家族が身を以てリスクを示すのが効果的かもしれない。ファドロンとニールセンは、近親者が病を患ったり病死したりしたときに、配偶者や子どもが検査や予防を始めるか推計した。推計結果によれば、近親者への健康ショックは、その配偶者や子どもの健康行動を変えるきっかけとなり、なかには数年持続することもある。

著者たちが注目したのは心血管疾患である。予防薬のスタチンは高脂血症患者に予防的な常用が勧められている。近親者が突然心血管疾患を患うと、それがきっかけとなって配偶者や子どもがコレステロール値の検査をして、スタチンを服用するかもしれない。心血管疾患はいつ発症するのか予期できないので、数年のスパンでの発症のタイミングはほぼランダムと考えてよい。ならば、発症リスクが似ていて実際に近親者が発症した人と発症していない人の比較は、ランダム化比較試験(RCT)と同等の比較と考えられる。

著者たちは、疾患を発症した家計に対し、その翌年から数えて4年以内(=発症年を入れて5年以内)に発症する家計を比較している。発症家計を治療群とすると、5年以内に発症する家計は同等のリスクを抱える統御群になると考え、両者は発症のタイミングがランダムに変わっているだけというのが効果識別の仮定である。さらに、時系列的な変化を見るために、二重差分(DID)推計値によって(発症年を入れた)5年先までの効果を計測している。二重差分推計に必要な共通トレンドの仮定は、発症以前については成立することを確認している(頑健性チェックの一環として、5年以内という範囲を3年から7年に変えても、結果が変わらないことを確認している。どうせなら治療群と統御群が最も同質と期待できる2年も検討してほしいが、結果が大きく変わることはないのであろう)。

研究対象となったデンマークは国民皆保険であるため、心血管疾患を含む多くの医療行為が政府の行政データに記録される。著者たちの用いたデータはデンマーク全国民を対象にした6つの行政データである。処方箋データベース、医療保険記録、来院・入院患者記録、死亡登録に加え、労働研究統合データで、いずれも1980年代から2011年までの全国民全件を総覧できる。以前にも、胎内ショックにより成人時の精神疾患が増えるというスウェーデンの行政データを使った研究を紹介した(途上国研究の最先端 第20回「産まれる前からの格差」)が、本論文も福祉国家が研究向けに行政データを提供すると、驚異的な情報源となることを体現する研究である。

近親者が心血管疾患を発症すると、その配偶者がコレステロール量検査をする確率が増え、さらに、配偶者や子ども(25歳以上)がスタチン服用を開始する確率が高まる。職場における関係性が近い同僚も、スタチン服用を開始する確率が高まる。心血管疾患に限られず近親者が病死する場合には、配偶者は医療サービスを受ける頻度を増やし、禁煙補助薬の処方を受け中毒性のある鎮痛剤処方量を減らすが、これらは数年のスパンで持続するために健康習慣が変わったことが示唆される。

興味深いことに、行動変化の内容は合理的なものだけでなく非合理的なものも含む。よって、行動変化の原因としては、合理的な「学習」に限定されない、「目立った事象(saliency)への感覚的な対応」という解釈が成り立つ。このため、学習は限定的だと著者たちは述べる(細かな点だが、合理的な反応をしている人と非合理的な反応をしている人は同じとは限らないので、合理的な反応をする人と非合理的な反応をする人が混在していると解釈すべきかもしれない)。

合理的な行動変化とは具体的には以下である。心血管疾患を発症すると、患者の子どもは、疾患を発症した親の年齢が若いほど、自分の年齢が高いほど、スタチン服用確率が高まる。心血管疾患が死亡に至ると、配偶者も子どももスタチン服用確率が高まる。癌による死亡では、配偶者は放射線科を受診する確率が高まる。これらはすべて近親者への健康ショックによって自らの健康リスクの認識を改めた行動、つまり、学習の結果と解釈できる。

なお、心血管疾患がスタチン服用、癌死亡が放射線科受診というように、学習は疾患と同じ診療科でのみ発揮されたという意味で領域限定的であり、診療科を越えた行動変化はなかった。お見舞いなどで病院が身近になったという環境変化が原因ではない。このため、環境変化によって習慣が変わるという、冒頭の心理学者の考えた経路が今回は働かなかったと示唆される。診療科を越えた反応(が無いこと)は、すべての症例が記録された膨大な行政データを活用したからこそ確認できた。特定の結果を追究するRCTからは得られないタイプの知見といえる。

非合理的な行動変化とは以下である。婦人科系癌による死亡で夫の放射線科受診確率が増えたり、コレステロール量検査済みで自らのリスクを知っている人が配偶者の心血管疾患発症後にスタチン服用を開始したり、自己免疫疾患による死亡後に配偶者が免疫系疾患と無縁な禁煙補助薬の処方を受けたり、癌による死亡が配偶者のスタチン服用を減らしたり、などである。これらは健康ショックから論理的に導かれる予防行動ではなく、むしろ、非合理的な反応である。

健康習慣は非合理的なまでに変更されないもので、変更されるのは周囲の誰かが実際に病気になったときだ、という知見は、政策立案の仕方に重くのしかかる。高リスク・グループに危険性を数字で示してもダメで、近しい誰かが病を患うという、いつ起こるか分からない「冷や水」の利用が導かれるためである。著者たちは、患者だけでなくその近親者にも検査や治療を推奨し、拒否するにはオプト・アウトしなくてはいけない制度設計を提案している。

行動変化を促すのは難しい。その行動が病気の恐怖や検査・治療の負担を伴うならば尚更である。本論文で示された目立った事象への感覚的反応は、目的意識を伴った合理的行動ではなく、非合理的な反応である。行動開始に役立つならば、非合理的な反応を利用することも現実的な対策なのかもしれない。

写真:論文の概要1

写真:論文の概要2

論文の概要
著者プロフィール

伊藤成朗(いとうせいろう) アジア経済研究所 開発研究センター、ミクロ経済分析グループ長。博士(経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ経済学、応用時系列分析。最近の著作に"The effect of sex work regulation on health and well-being of sex workers: Evidence from Senegal." (Aurélia Lépine, Carole Treibichと共著、Health Economics, 2018, 27(11): 1627-1652)、主な著作に「開発ミクロ経済学」(『進化する経済学の実証分析』 経済セミナー増刊、日本評論社、2016年)など。

書籍:The effect of sex work regulation on health and well‐being of sex workers: Evidence from Senegal

  1. Wendy Wood, Good habits, bad habits: The science of making positive changes that stick, Farrar, Straus and Giroux, 2019.
【特集目次】

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