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コラム
第88回 人種扇動的レトリックの使用と国家の安定性──ドナルド・トランプの政治集会が黒人差別に与えた影響
The use of racially provocative rhetoric and the stability of the nation: The impact of Donald Trump’s political rallies on anti-black discrimination
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001132
2024年10月
(3,188字)
今回紹介する研究
Pauline Grosjean, Federico Masera, and Hasin Yousaf. 2023. “Inflammatory Political Campaigns and Racial Bias in Policing.” The Quarterly Journal of Economics, 138(1), February: 413-463.
2016年米国大統領選挙におけるドナルド・トランプ
トランプの政治集会により黒人運転手を警察官が取り締まる確率が上昇した
分析に利用する主なデータは二つだ。一つは、2015年から2017年にかけて州や市の警察官が取り締まった車両データである。米国総人口の約66%が居住する地域(1474郡)を網羅する3000万件超の車両取り締まりデータである。一部不完全な情報があるものの、このデータから取り締まりの日時、その場所(郡)、運転手の人種(アジア・太平洋諸島系、黒人、ヒスパニック、白人)、および警察官が運転手に下した処分内容(警告、違反切符、法廷への召喚状、逮捕)がわかる。もう一つは、トランプが2015年から2016年にかけて開催した政治集会の開催日時および場所(郡)がわかるデータだ。著者らはこれら二つのデータを結合し、黒人運転手を警察官が取り締まる確率が政治集会前後でどう変化したかを、その集会が開催された郡と開催されなかった郡との間で比較する(差分の差分法)。
分析結果によるとトランプの政治集会により黒人運転手を警察官が取り締まる確率は上昇した。この効果は集会後60日程度続き、集会後30日以内で見るとその上昇率は5.74%であった。一方でアジア・太平洋諸島系、およびヒスパニックの運転者に対する取り締まり確率に変化はなかった。また著者らは同様の方法で、民主党候補者のヒラリー・クリントンや共和党予備選挙でトランプと争ったテッド・クルーズ、さらに2008年の米国大統領選挙の際のバラク・オバマが開催した政治集会の効果も分析する。トランプの政治集会と異なり、黒人運転手を警察官が取り締まる確率はこれらの集会の影響を受けていなかった。
トランプの政治集会の効果は、黒人運転手による危険運転が集会後に増えたからと考える人もいるかもしれない。しかし他のデータを使った著者らの分析によると、黒人運転手による交通事故件数や黒人運転手が関与した交通事故死亡者数は、トランプの政治集会により上昇していなかった。これらの結果から、黒人運転手に対する取り締まり確率の上昇は、運転手側ではなく警察官側の行動変化によるものであることがわかる。
なぜ警察官の行動が変わったか? 人種扇動的なレトリックの影響
なぜトランプの政治集会により、警察官は黒人運転手を以前よりも積極的に(おそらく過剰に)取り締まるようになったのだろうか。上述したように、人々の対立を煽るトランプの発言の中心は必ずしも黒人ではなかったにもかかわらずだ。
一つの可能性として著者らは、トランプの人種扇動的なレトリック(言葉使いや表現法)の使用により、人々が人種差別や外国人嫌悪などの感情や態度を公の場で示すことが以前よりも社会的に受け入れられるようになったと考える1。特にレトリックに関する既存研究によると、特定の集団に対して強い偏見を持つ人ほどレトリックの影響を受けやすいといわれている。そのため著者らは、市民がもつ黒人に対する偏見の強さによってトランプの政治集会の影響がどう異なっていたかを分析した。
まず著者らは、警察官が運転手に下した処分内容の軽重を利用し、黒人に対する警察官一人一人のもともとの偏見の強さを推計した。詳細は省くが、上述の車両取り締まりデータには、それぞれの取り締まりを行った警察官の特定が可能な情報が含まれている。この情報を用い、白人運転手よりも黒人運転手に対してより重い処分を下す傾向があるかどうかを(トランプの政治集会の影響を受けていないデータを用いて)警察官一人一人に対して見積もり指標化したのだ。この指標を用いた分析から、黒人に対する偏見が強い警察官ほどそうでない警察官に比べ、トランプの政治集会の結果、黒人運転手をより活発に取り締まっていたことがわかった。さらにこの効果は、トランプが人種問題に関連した発言を多くした政治集会後により顕著に見られた。
次に著者らは、黒人に対する偏見の強さを郡別に指標化する。例えば2012年および2014年に実施された議会選挙調査で、黒人に対する反感や不満を示した郡内の白人の割合はその指標の一つだ。また、南北戦争直前の1860年における黒人奴隷の存在、(黒人奴隷が主に従事した)綿花栽培の土壌適性、および南部諸州で人種隔離法(ジム・クロウ法)が施行されていた時代(1870年代から1960年代)の黒人に対するリンチや処刑の件数なども、郡における黒人に対する偏見の強さをあらわす指標として用いた。これらの指標を用いた分析によると、トランプの政治集会により警察官は、現代的にも歴史的にも黒人への偏見が強い郡で、そうでない郡に比べ、より意欲的に黒人運転手を取り締まっていたことがわかった。
国家の安定性への示唆
米国大統領選挙、トランプの政治集会、および黒人運転手に対する交通取り締まりといった独特な状況を扱っているが、この論文は、少数派の人種や民族に対する偏見が存在する社会では、政治家による人種的あるいは民族的レトリックの使用は(その機序については不明なままだが)法の執行機関による少数派への差別を助長する可能性があることを示唆する。
これは法の執行機関に対する少数派の信用を損なうため、それにより少数派の人々は非公式な暴力や報復に頼るようになるかもしれない。そしてそれは長期的に見ると、(警察や軍隊を通じて)合法的かつ独占的に暴力を行使する権限を持つ「国家」の安定性を毀損することにつながりかねない。これは政治家による人種扇動的レトリックの使用が増えている先進国のみならず、民族問題を抱える途上国にも共通する懸念と言える。
政治家はなぜそのようなレトリックを使用するのか(つまり、政治家にとってそのようなレトリックの使用が効果的になるのはどのような時か)、その使用を法律で制限すべきか、制限した場合に望まない影響が意図せず生じる可能性はないか、少数派に対する人々の偏見をなくすためにはどうしたらよいかなど、考えるべきことは多くある。
著者プロフィール
工藤友哉(くどうゆうや) アジア経済研究所開発研究センター主任研究員。博士(経済学)。専門分野は開発経済学、応用ミクロ計量経済学。著作に“Eradicating Female Genital Cutting: Implications from Political Efforts in Burkina Faso” (Oxford Economic Papers, 2023), “Maintaining Law and Order: Welfare Implications from Village Vigilante Groups in Northern Tanzania” (Journal of Economic Behavior and Organization, 2020), “Can Solar Lanterns Improve Youth Academic Performance? Experimental Evidence from Bangladesh” (共著The World Bank Economic Review, 2019)‟ 等。
注
- 以下の論文も、2016年米国大統領選挙におけるトランプの勝利により、外国人を嫌悪する態度を人々がより率直にとるようになったことを示している。
Leonardo Bursztyn, Georgy Egorov, and Stefano Fiorin. 2020. “From Extreme to Mainstream: The Erosion of Social Norms.” American Economic Review, 110 (11): 3522-3548.
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