IDEスクエア
コラム
第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
The legacy of social exclusion: Descendants of leprosy patients in Columbia and their tendency toward parochial altruism
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000009
2023年8月
(2,676字)
今回紹介する研究
Diego Ramos-Toro, “Social Exclusion and Social Preferences: Evidence from Colombia’s Leper Colony,” American Economic Review, Vol. 113, No. 5, May 2023: 1294-1333.
昭和の卒業式の定番ソングの一つに「人は悲しみが多いほど人には優しくできる」という一節がある。それでは、多くの悲しみを経験した人の子どもたちもまた他人に優しいのだろうか。1871年から1961年にかけて南米コロンビアで強制隔離されたハンセン病患者の子孫を分析する本論文によれば、条件つきではあるものの確かにその傾向はあるようだ。
ハンセン病患者に対する強制隔離政策──コロンビアの事例
ハンセン病は、らい菌によって主に皮膚と神経が侵される慢性の感染症である。感染力は弱く、また感染後の発症もまれであり、現代では適切な治療により完治する。しかしながら、正しい知識や治療法がない時代には、患者の外見と感染への恐れから、世界のさまざまな場所で差別や偏見の対象となった病でもある。
本論文が扱うコロンビアもその例外ではなく、1871年以降ハンセン病患者はアグア・デ・ディオスというコロニー(患者村)に強制隔離され、結婚や出産などの行動を厳しく制限された。誤った医療知識に基づくこの政策は、政府に対する患者らの不満を招くこととなる。特に、コロニー内で活動する政府担当者は政府が派遣した医師が中心であり、また実験的治療が施されることもあったため、その不満の矛先は主に医師に向かった。一方で、患者らはお互いの生活を助け合うことで、絆や他者を思いやる心を育んだようだ。
この隔離政策や行動制限は、医療知識の蓄積や治療法の確立に伴い徐々に緩和され、1961年に正式に廃止された。その後、アグア・デ・ディオスは一つの地方自治体となっている。現在、強制隔離された人々の子孫の多くはアグア・デ・ディオスやその周辺地域で暮らしている。特筆すべきこととして、強制隔離された人々の子孫のなかにハンセン病患者は存在しなかったため、ハンセン病患者の子孫は、特段の差別や偏見を経験することなく、他のコロンビア市民と同様の生活環境で生まれ育っている。にもかかわらず、これらの子孫とそうでない人々との間で向社会性(本論文では、利他性と他者を信用する傾向)に違いが見られるだろうか。これが本論文の問いだ。
調査やフィールド実験を通じた向社会性の測定
著者は、2018年、2019年、2021年にアグア・デ・ディオスおよび隣接する周辺自治体の住民を対象に調査を実施する。被調査者は皆、同じような生活環境で育ち、特徴も似ている。また、強制隔離されていた当時も、行動制限があったか否かという点を除けば、コロニー内外の住民の特徴や生活環境に大きな違いはなかった。そのため、被調査者に含まれるハンセン病患者の子孫(以下、子孫と略記)とそうでない人々(同、非子孫)との間に向社会性の違いが見られるとすれば、その違いは強制隔離された先祖をもつかどうかの違いによるものであろうと著者は考える。
利他性については、著者は調査での自己申告情報に加え、独裁者ゲームとよばれるフィールド実験を行い、より客観的な指標も分析する。独裁者ゲームは、被調査者に一定の金銭を渡し、自分とゲーム相手(匿名の第三者)との間でその金銭を分配するように依頼する(だけの)ものだ。被調査者は自分への分配額を実際に受け取ることができ、第三者への分配額が多いほど利他性が高いとみなされる。なお、一人の被調査者に対し、ゲーム相手が異なる独裁者ゲームが二回実施された。一回目のゲーム相手は自分と同じ自治体の住民(内集団)、二回目の相手は被調査地から若干離れた自治体の住民(外集団)だ。この配慮は、ゲーム相手を変えることで、内集団びいきの傾向を分析するためになされた。また、他者を信用する傾向の分析は、調査での自己申告情報のみに基づき行われる。
「身内」に対する高い向社会性。近代医療への不信感は強い。
独裁者ゲームでは、子孫は非子孫よりも平均的に多くの金銭を相手に渡した。加えて、外集団よりも内集団のゲーム相手に渡した金額のほうが多かった。そのため、子孫は自分に近い「身内」に対して高い利他性を示すことがわかった。なお、「身内」と認識する境界線はやや流動的なようだ。例えば、コロンビアでは隣国ベネズエラからの難民の受け入れが政策課題の一つだ。また、新型コロナの影響で経営難に陥った大企業の経営者も多い。調査情報の分析結果によると、子孫は非子孫に比べ、こういった困難な状況にある人々を税金で救済する政策を支持する傾向が強かった。さらに、子孫は地元民を信用する傾向も強い。この傾向は、(地元民ではない)一般のコロンビア市民や政府に対する信用については子孫と非子孫との間で有意な違いが存在しないにもかかわらず確認された。
一方で、子孫は近代医療に対して高い不信感ももっていた。まず、子孫は非子孫よりも医者や、子宮頸がんおよび新型コロナワクチンの安全性を信用する傾向が低かった。また、著者は、非飲料水を飲むことによる健康被害を防ぐため、近くの薬局で抗寄生虫薬と交換できるクーポン券を被調査者に無料で配った。しかし、子孫は非子孫に比べ、このクーポン券を利用したがらなかった。
調査情報を使った別分析によると、子孫は非子孫よりも強制隔離されたハンセン病患者らの経験をよく知っており、また、そういった経験を自分の先祖から伝え聞いていた。また、自由回答方式で収集した情報をテキスト分析してみると、そういった経験を負の感情をもって(つまり、つらい経験として)語る傾向も強い。これらの結果から、先祖から鮮明に語り継がれる強制隔離の経験が、子孫が示す身内への高い向社会性や医療不信の一因となっていることが推測される。
「身内」への高い利他性がもたらす社会
著者は、コロンビアにおけるハンセン病患者の子孫が示す身内への高い利他性を「狭い利他性(parochial altruism)」と評する。一般的にこのような利他性は、政治的連携を含めた社会集団の結びつきに影響を与え、人々や社会の多様性に多大な影響を及ぼす可能性がある。ロヒンギャ難民問題など社会的排除を伴う政策課題は現代でも多く存在する。本論文は、このような社会的排除が後世の社会をどのように変えていくのかを考えるうえで重要な一面を示している。
著者プロフィール
工藤友哉(くどうゆうや) アジア経済研究所開発研究センター主任研究員。博士(経済学)。専門分野は開発経済学、応用ミクロ計量経済学。著作に“Eradicating Female Genital Cutting: Implications from Political Efforts in Burkina Faso” (Oxford Economic Papers, 2023), “Maintaining Law and Order: Welfare Implications from Village Vigilante Groups in Northern Tanzania” (Journal of Economic Behavior and Organization, 2020), “Can Solar Lanterns Improve Youth Academic Performance? Experimental Evidence from Bangladesh” (共著 The World Bank Economic Review, 2019) 等。
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
- 第42回 安く買って、高く売れ!
- 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき
- 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史
- 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から
- 第46回 暑すぎると働けない!? 気温が労働生産性に及ぼす影響
- 第47回 最低賃金引き上げの影響(その3)アメリカでは(皮肉にも)人種分断が人種間所得格差の解消に役立ったらしい
- 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動
- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
- 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
- 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない
- 第52回 競争は誰を利するのか? 大企業だけが成長し、労働分配率は下がった
- 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」
- 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響
- 第55回 マクロ・ショックの測り方――バーティクのインスピレーションの完成形
- 第56回 女性の学歴と結婚――大卒女性ほど結婚し子どもを産む⁉
- 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか
- 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性
- 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響
- 第60回 貧すれば鋭する?
- 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か
- 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい
- 第63回 貧困からの脱出――はじめの一歩を大きく
- 第64回 大学進学には数学よりも国語の学力が役立つ――50万人のデータから分かったこと
- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
- 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合
- 第67回 男女の賃金格差の要因 その1──女性は賃金交渉が好きでない
- 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる
- 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
- 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信
- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
- 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石
- 第74回 チーフは救世主? コンゴ民主共和国での徴税実験と歳入への効果
- 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新
- 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか?
- 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが……
- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
- 第79回 国際的な監視圧力は製造業の労働環境を改善するか? バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後
- 第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化
- 第81回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(2)――事故に見舞われた工場に発注をかけていたアパレル小売企業は、事故とどう向き合ったのか?
- 第82回 児童婚撲滅プログラムの効果
- 第83回 公的初等教育の普及、それは国民を飼い慣らす道具──内戦による権力者の認識変化と政策転換
- 第84回 先生それPハクです──なぜ実証研究の結果はいつも「効果あり」なのか?
- 第85回 教育の役割──教科書は国籍アイデンティティ形成に寄与するのか
- 第86回 解放の甘い一歩
- 第87回 途上国の医療・健康の改善のカギは「量」か「質」か
- 第88回 人種扇動的レトリックの使用と国家の安定性──ドナルド・トランプの政治集会が黒人差別に与えた影響