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コラム
第100回 統治できない地方議員たち―― インドの小規模都市に見る手続き知識の重要性
Local Officials Who Cannot Govern: The Importance of Procedural Knowledge through in Small Towns in India
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001543
2025年10月
(3,472字)
今回紹介する研究
Auerbach, Adam Michael, Shikhar Singh, and Tariq Thachil. 2025. "Who Knows How to Govern? Procedural Knowledge in India’s Small-Town Councils." American Political Science Review 119 (2):708-726.
地方統治の不全をどう説明するか
民主主義と地方自治は密接に関わっている。20世紀後半からの民主化の第三の波以降、多くの発展途上国で地方分権改革が進められてきた。地方に権限が移譲されることで、地域の事情に即して、住民のさまざまな必要性に対応できる行政が実現すると考えられてきたし、住民が行政サービスの提供主体を特定し、選挙を通じて統制することも容易になると考えられてきた。つまり、政治の応答性とアカウンタビリティが向上するという理解である。
しかし、多くの国々で地方分権改革が期待された成果を上げられない現実に直面してきた。地方での統治がうまくいかない原因としては、需要面からの説明と供給面からの説明が想定される。需要面からの説明としては、住民が行政サービスに関する情報や知識を持てないため有効な統制ができないというのが主なものである。一方、供給面からの説明では、地方に行政サービスを行うための資源・人員が地方政府に十分に与えられていないという議論が一般的である。加えて、地方権力が地方エリートに牛耳られているから、という説明もよく見られる。
本研究は、こうした地方統治の問題に関して、今までそれほど顧みられなかった点を指摘する。それは地方議会や地方行政の手続きに関する地方議員の知識の重要性である。情報・知識という論点は、これまでもっぱら需要側の住民側の抱える課題として指摘されてきたが、本研究は、住民に注目するだけでは不十分であり、行政サービスを供給する側である地方議員の情報・知識の水準が低いことが地方統治の機能不全の一因となっていると考える。この主張を検証するために、本論文は、インドのラジャスタン州にある60の小規模都市(人口規模が10,000〜165,294人)を対象として取り上げている。これら小規模都市の市議会議員1,142人、また選挙で敗れた次点候補者923人を対象としたサーベイ調査(2021年実施)と、対象小規模都市のうち特に8市で実施した質的調査(インタビュー調査など、2019年〜2022年実施)に基づき、定性的情報・定量的情報の双方を使って、地方議員の手続き知識の状況、それが地方統治に与える影響について検証している。
検証の結果、以下の四つの知見が示されている。第一に、対象となった小規模都市の市議会議員たちの手続き知識の水準が低いこと、第二に、議員たちはこうした知識の有用性を認識していること、第三に、市議会議員の中でも特に社会的に周縁化されている集団に属している議員に手続き知識の欠落が見られること、そして、最後に、議員としての在職経験はこうした知識の獲得にそれほどつながっていないことである。
手続き知識の欠落と統治の問題
手続き知識とは、地方政府の収入確保、予算策定、その他の制度的手続きを含む統治の中核的な活動に関連するルールや手続きについての情報である。こうした手続き知識を地方政府の運営に関わる地方議員が持っていなければ、住民のニーズに対処することができず、地方の開発を進めることもままならないというのは容易に推測できる。土地規制、インフラ建設、市議会の運営、決議の提案、予算策定、支出の精査などを実施するのが困難となるからである。
著者たちは、まず、この手続き知識がインドの小規模都市の地方議員たちにどれほど共有されているかを測るため、ごく基本的な手続き知識について三つの領域(支出ルール、収入権限、地方政府運営の法的知識)に関わる10項目を、調査対象となった市議会議員たちに質問した。全体として市議会議員たちはこの質問に対し平均40%程度しか正確に回答することができず、特に支出に関しては平均で16%の正答率となり、極めて知識水準が低いことが明らかになった。
次に、市議会議員たちの日常業務に対する手続き知識の有用性が検証されている。まず、インタビュー調査ではこうした手続き知識の重要性を市議会議員たちが認識していることが確認された。その上で、サーベイ調査のデータに基づき、各議員の手続き知識の水準が、予算策定への参加、政治的に能動的な行動を取る活発さ、上級官吏との密接な関係、住民からの支援要請を受ける頻度に、統計的に有意な正の相関関係があることが示されている。ここでは、年齢、性別、宗教、カースト、教育、所得、政治家としての経験、所属政党などが与える影響は統制されている。効果的な地方統治が実現するかが直接測られているわけではないが、少なくとも、市議会議員の活動が手続き知識の有無によって影響を受けることがわかる。
三つ目の検証は、市議会議員の属性と手続き知識の関係についてである。サーベイ調査のデータに基づいた回帰分析で、女性、不利な立場にある民族(被差別カースト、先住民、イスラーム教徒)、政治活動未経験者は、手続き知識の水準が低いことが示された。この結果が示唆するのは、記述的代表性が確保されても、つまり、社会的に周縁化された集団に属する人々が市議会に議員として参加し、それぞれの集団の利益を代表するとしても、実際に地方統治に影響を与えることが難しいということである。その結果、社会的に劣位な地位に置かれた人々へのサービスは滞ることになり、社会的不公正、不平等の改善が進まないことが予想される。選挙制度の改革だけでは不十分であるという重い含意がここにある。
最後に検証されたのは、市議会議員に就任することによって手続き知識が増大するか否かである。言い換えれば、実際に市議会の活動にさらされることによる学習効果を測っている。検証の方法としては回帰不連続デザインが用いられている。すなわち、接戦の末当選した市議会議員と、接戦の末落選した次点候補者の間で、サーベイ調査で確認した手続き知識の水準に断絶が生じるかを確認するのである。接戦の末の選挙結果であれば、当選者、落選者は政治家としてほぼ同じ程度の能力やアピール力を有しているだろうし、そうであれば選挙時において両者の手続き知識の水準もほぼ同じであろうという仮定に基づいた検証である。この研究では、市議就任から18カ月後の時点での両者の知識水準を比較しているが、市議在職による学習効果があれば、当選者と次点候補者の間には顕著な違いが生まれるはずである。結果は、全体として当選者の方が知識の水準が3%ほど高く、特に支出ルールに関しては7%ほど高いことが確認された。ただし、これらの効果は統計的有意性が限定的であり、実質的な効果もそれほど大きくない。
より良き統治へ向けて
発展途上国における地方分権改革の限定的な成果について、従来の研究が示してきた住民の知識や情報の欠如、あるいは、地方政府における人員と資源の不足という議論に対し、そうした議論で見落とされてきた地方行政サービスの供給者側の手続き知識の重要性を実証的に明らかにした点で、本研究には重要な貢献があると言えよう。
本研究の結果から導き出される示唆は、地方統治の改善に向けて、地方議員たちに対する手続き知識を獲得するための研修の制度化である。これは本研究のサーベイ調査の対象の中で、こうした研修を受けたことのない市議会議員と次点候補者の実に96%が、手続き知識に関する研修を州が実施すべきだと訴えていることからも裏付けられる。
そうした研修を進める上では、手続き知識の効果に関してさらなる実証作業も必要であろう。本研究の検証は、市議会議員たちの基礎的な手続き知識について測定し、議員の活動との相関関係を示したが、手続き知識の有無が統治の向上に実際に影響を与えているかを直接的に確認できているわけではない。今後の課題としては、手続き知識の水準と上下水道の普及率や保健衛生状況など客観的な指標で測られた統治の質との関係を検証することが考えられる。例えば、無作為に抽出した地方議員たちに手続き知識について研修を施し、その地方政府のパフォーマンスと、研修を受けていない地方議員の地方政府のパフォーマンスを比較して検証するランダム化比較試験などの可能性が考えられよう。
著者プロフィール
川中豪(かわなかたけし) 亜細亜大学国際関係学部教授・アジア経済研究所連携研究員。博士(政治学)。専門分野は比較政治学。主要な著作として『競争と秩序――東南アジアにみる民主主義のジレンマ』白水社、2022年、『後退する民主主義、強化される権威主義――最良の政治制度とは何か』ミネルヴァ書房、2018年(編著)、翻訳としてサミュエル・P・ハンティントン『第三の波――二〇世紀後半の民主化』白水社、2023年など。
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