IDEスクエア

コラム

途上国研究の最先端

第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051533

2020年1月

(3,168字)

今回紹介する研究

Robert Jensen and Nolan H. Miller, "Market Integration, Demand, and the Growth of Firms: Evidence from a Natural Experiment in India," American Economic Review, 2018, 108(12): 3583-3625.

企業の成長を決めるものは何か。何が企業成長を阻害するのか。これは経済発展の根本に関わるテーマで、数多くの検証が行われてきた。本研究は、漁に使う木製小舟製造業に注目するという独創的な設定で企業成長の要因を解明した。結論を先取りすれば、企業成長を左右するものは消費市場の規模と競争である。小舟製造業で市場統合が起き、それが競争を生み、低生産性企業の退出と生産性の高い船大工企業の成長が起きた。短期間に企業数が半減するという恐ろしい結末の裏側で、漁師は耐久性に優れた小舟を比較的低価格で買えるようになった。このきっかけは漁師の間で普及した携帯電話だったという。従来、小舟製造業は親から子へ継承され参入退出も少なく、市場シェアも小さかった。静かだった海が携帯電話の普及とともに荒れたのだ。

基地局開設で漁師の販路が拡大し、遠隔地の船大工を知る

発展途上国と呼ばれる国々では、平均的な企業規模は小さく、生産性は概ね低く、成長も遅いと言われている。生産性格差も大きい。企業成長を阻害する要因を突き止めようとする研究群は、信用が制約されている、輸送に障害がある、経営能力が低い等、企業の供給環境に焦点を当てていた。既存の説明に対し、本研究は全く別の観点からの説明を用意した。需要の大きさが企業成長を左右するという仮説だ。発展途上国においては、消費者が製品価格、質、魅力を知るのは一部の生産者についてだけで、市場が分断されているため、企業にとっては自社の製品需要が大きくならず、成長が促されない。極めてストレートな仮説だ。しかし、どう検証したらよいのか。

舞台は南インド。長い海岸線でアラビア海に面するケーララ州だ。ケーララ州では漁業が重要な産業で、州のGDPの約3パーセントが漁業から生まれる。州の最北部カンヌールとカサラゴードの2県にまたがる約160キロにも及ぶ長い海岸線沿いの村々がこの物語の舞台だ。これらの地域では1990年代後半から2000年代半ばにかけ、南から北上する格好で通信基地局が徐々に開設され、漁師の間に携帯電話が普及していった。

先に基地局が開設された付近の海で漁を行う漁師は、海上にいながら地元以外の漁港での鮮魚の買取価格も刻一刻と分かるようになった。このため、ほぼ地元漁港に直帰していた漁師も、漁場から遠隔地漁港に直行できるようになった。開設以降、鮮魚の販路が拡大し、地元漁港に直帰する漁師は6割まで急落した。こうして鮮魚の取引価格のばらつきが劇的に縮小した。著者の1人、ジェンセンは2007年に公表した研究において、これらを発見していた。

話はここで終わらない。ここから海が荒れ狂う。携帯電話を手にした漁師は遠隔地で水揚げすることが増え、そこで地元以外の船大工が作る木製小舟の耐久性(企業の質)を知るようになった。それが長い海岸線のあちこちの漁港でみられるようになった。

写真1 小舟の製造現場

写真1 小舟の製造現場

写真2 製造された小舟

写真2 製造された小舟

写真3 小舟の船底(部分)

写真3 小舟の船底(部分)
息の長い調査

本研究は基地局開設時期の違いを活用し、携帯電話が先に普及した地域ほど、漁師の遠隔地での水揚げが増え、浸水や波に耐える接着の良し悪し等、船大工の技能情報を多く収集できるようになり、小舟製造業の市場統合が進んだと仮定した。さらに沿岸部のどの村でも木製小舟の需要やその成長率は同じと仮定した。漁業が盛んといっても、将来の漁獲や小舟需要の成長率の高い地域を選んで基地局が開設されたという可能性は低く、逆因果関係も考えにくい。こうして本研究が注目する基地局開設後の小舟製造業からの企業退出と企業成長は、携帯電話がもたらした市場統合効果によるものだと解釈し、基地局開設後、小舟の耐久性が勝る企業は需要を集めて成長し、劣る企業は退出するという仮説を立て、それを検証した。

驚くべきことに、著者らは携帯電話の普及以前から村々で船大工と漁師を相手に調査を始めていたのだ。小舟製造業についての公式統計は存在しないため、NGOの助けを借りて自分たちで漁港を訪ね小舟をいちいち識別し、どこの誰がその小舟を作ったか、船大工の連絡先まで漁師に尋ね、そこから船大工のリストを作成した。こうして船大工−小舟−漁師がすべて同定できる木製小舟製造業のデータベースを作成したところ、全部で143「社」あった。こうして判明した企業に悉皆調査を仕掛け、生産性の高低を小舟の耐久性で分け、船大工を半年に1度、6年間追跡した。

市場統合により遠隔地の良質な船大工が選ばれる
基地局開設前は、小舟の97パーセントが村内で取引されていたが、開設後6年が経ち、約25パーセントまで激減した。市場が統合されたといってよい。小舟の総需要は変わらない形での市場統合となれば、もはや自分の小舟が地元の漁師に選ばれず淘汰される船大工も出てくる。一方、長持ちする小舟を製造できる企業は遠隔地の多くの漁師に選ばれ市場シェアを増やし成長する。事実、先の143社のうち、107社は携帯電話が普及した地域に存在したが、開設後、42社まで減った。低生産性企業に比べて高生産性企業は約5パーセントポイント退出しにくく、また開設前の平均市場シェアは0.7パーセントだったのが、高生産性企業はそこから約0.5パーセントポイント増えた。高生産性企業では雇う労働者も約7割増えた。開設前は年平均で14艘程度を生産するのみであったが、競争に生き残った企業は年平均で34艘製造していた。なかには100艘以上製造する企業も生まれた。生産規模増に伴う雇用増と並行して、企業内の分業も進み、生産性が増した。同時に、この小舟製造業全体では、良質な小舟への需要が集まったため製品価格は平均で4パーセント上昇したものの耐用年数も平均1年以上増加したため、品質調整済み価格は約2割低下した。
消費者の選択肢拡大が高生産性企業の成長を促す
まとめよう。携帯電話基地局の開設という情報通信環境の変化が、良質な小舟を求める消費者(漁師)の行動範囲を変化させ、小舟市場が統合され小舟製造業の競争を引き起こした。低生産企業には退出圧力が強まり、もともと能力の高い船大工に需要シフトが起き、市場全体の小舟の質も向上した。本研究は南インドの小舟製造業という一つの小さな事例だが、市場統合による競争激化の結果、企業が選別され生存企業の操業規模が拡大し、市場全体の製品の質が高まるという仮説を明快に検証し、高い普遍性を有する。市場統合は多くの屍を生む酷薄さを有するものの、生産性の高い企業と消費者にとって朗報であることを極めてドラマチックに示した緊張感ある傑作だ。
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著者プロフィール

町北朋洋(まちきたともひろ) 京都大学東南アジア地域研究研究所准教授。2006年4月から2019年5月までアジア経済研究所研究員。編集委員の一人として「IDEスクエア」の創刊に携わる。博士(経済学)。専門分野は労働経済学。2019年6月から現職。関連解説記事に「途上国の産業発展を理解する新視点――生産資源の再配分と経営慣行」(『アジ研ワールド・トレンド』246号[分析リポート]、2016年4月号)。「企業の規模を決めるもの――最近の経済学研究の展望」(『アジ研ワールド・トレンド』207号[特集 世界の中小企業]、2012年12月号)。

【特集目次】

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