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コラム

途上国研究の最先端

第94回 売買春市場から人身売買をなくすことのできる規制とは?

What regulation can eliminate human trafficking from the prostitution market?

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001380

2025年4月

(5,831字)

今回紹介する研究

Samuel Lee and Petra Persson. 2022. “Human Trafficking and Regulating Prostitution." American Economic Journal: Economic Policy, 14(3): 87–127.

経済学研究において、政府による市場介入が正当化される場面はいくつかある。自然独占や情報の非対称性、外部性などにより、価格メカニズムでは効率的な資源配分が達成されない、いわゆる「市場の失敗」が生じる場合や、均衡において実現する資源配分が著しく公平性を欠く場合などがそれにあたるだろう。しかし売買春市場では、さらなる問題が指摘されている──人身売買あるいは強制労働といった人権にまつわる問題である。Lee & Persson研究は、これらをなくすにはどのような規制が望ましいのか、理論的に分析している。この分析では、性的サービスの供給者には、強制的に使役させられる人身売買被害者だけではなく、自発的に労働供給する人もいることに注意している。そのうえで、自発的な性的サービス供給は損ねることなく、強制労働による性的サービス供給、ひいては人身売買を根絶するような市場規制は何か、を考察する。

Lee & Persson研究ではまず、性的サービスの供給者は女性、需要者は男性として、ベースとなる理論モデルを設定し、人身売買がないと仮定した売買春市場の均衡を特徴づけたのち、人身売買があることでどのように市場均衡が変化するかを分析する。続いて、世界各地でみられる代表的な規制として、(1)売春の取り締まり、(2)買春の取り締まり、(3)売春の許可制が、市場均衡における人身売買をどう変化させるかを分析する。最後に、自発的な性的サービス供給は許容しつつ強制労働を根絶する規制として、買春取り締まりと売春許可制のハイブリッドを提案する。以下、この順に沿って、研究の概要を確認しよう。

理論モデルの設定と市場均衡

まずは人身売買がなく、すべての性的サービス供給が自発的に行われる場合を考える。供給者となりえる女性は、「通常」の労働市場と売買春市場のどちらに参加するかを、各市場での労働の対価や、労働に伴う不効用を勘案して選択する。各人が二つの市場において自身が得るものを比較して相対的によいほうを選ぶため、積極的に売春を選択することもあれば、通常の労働市場での対価が低いために消極的に売春を選択することもある。著者たちは、両者を「自発的」と呼ぶことに難しさがあることを指摘し、文脈に応じて「非強制的」と言い換えている。一方、需要者となりえる男性は、婚姻関係か、買春市場における取引のいずれかから性的サービスを購入して効用を得る。

現実社会を考えると、男性が性的サービスを供給することもあるし、婚姻の目的が性的サービスの消費だけというのは浮世離れした感覚だと批判したくなる読者もいるだろう。しかし、現実のありとあらゆる側面を理論に取り込もうとすると、モデルが複雑になり、解けなくなったり、考察対象を見失ってしまったりするため、このような単純化は経済学研究においてはしばしば行われる。Lee & Persson研究のモデル設定はそれほど突飛なものとは思われず、後述する多様な示唆を得ることができる点で、モデルの目的を十分に果たしているといえよう。

さて、婚姻も買春も、それぞれの選択はそれぞれの価格に依存して意思決定が行われ、自発的な売買春市場の均衡価格と均衡取引量が決まるわけだが、取引量は男性の所得が上がるにつれて上昇し、女性の通常の労働市場で得られる実効賃金が上がるにつれて減少する。実効賃金とは、労働の対価としての賃金と、売春の不効用を合わせたもので、いずれが上がっても売買春市場が通常の労働市場よりも相対的に見劣りする方向に働く。そのような場合に売買春市場への参加者が減るというのは、直感的にも何らおかしいところはないだろう。

Lee & Persson研究では、この市場均衡――つまり、性的サービスの供給はすべて自発労働のみで、強制労働は存在しない――をベンチマークとする。つまり、以下で考察するような強制労働が市場に存在しうる場合に、どのような規制ならば強制労働のみを根絶してベンチマーク状態の市場均衡を回復できるか、を考察の最終到達点としている。

人身売買がある場合、市場均衡はどのように変化するか?

では、人身売買があり得る場合、市場均衡における売春の強制労働と自発労働の水準はどのように変化するだろうか?これを考えるため、Lee & Persson研究では、自発的な意思決定に基づけば通常の労働市場に参加することを望むのに、売春市場への参加と性的サービスの供給を使役させられることを、人身売買による強制労働と定義している。そして、強制労働によって供給される性的サービスは自発労働によるそれと同質ではあるが、その供給量は使役者が自身の利得を最大化するように決定され、売り上げは使役者が奪取すると仮定している。

上記といくつかの技術的な仮定のもとでは、強制的な売春に対する規制がない場合、人身売買の被害女性は常に存在することがわかった。自発的に売買春市場に参入する女性は、通常の労働市場における実効賃金が高ければ売買春市場から退出する点は同じだが、重要な違いもあることがわかった。特に、自発的な売春がなくなって強制的な使役しか残らないほどに通常の労働市場における実効賃金が高い場合には、人身売買がないときに比べて売買春市場は大きく、性的サービス価格は低くなることが導かれた。

売春を取り締まるとき、市場均衡はどのように変化するか?

ここまで準備を整えたところで、Lee & Persson論文はいよいよ法規制の影響を分析する。まず分析対象とするのは、売春、つまり性的サービスの供給者に対して罰則を設ける規制の効果である。モデルにおいては、性的サービスを供給する女性が摘発対象となり、摘発されれば処罰されてコストを負うこと、一方で人身売買のブローカーは、規制の手をかいくぐる手間は増えるものの摘発対象とはならないこと、などの前提の下で市場均衡がどのように変化するかを分析した。

すると、売春自体の取り締まりは一定の効果をもたらしつつも、強制的な売春は根絶できないどころか、増加させてしまう場合すらあることがわかった。具体的には、処罰が重いほど、自発的な売春は減少するのだが、性的サービスの価格は上昇し、人身売買が経済的に魅力度を高めるため、強制労働が増える。処罰が一定以上の水準になると、自発的な売春がすべて市場から退出してしまい、こうした変化が起きなくなるため、人身売買による強制的な売春も一定以上に増加こそしないものの、なくなりもしない、という結果になった。

買春を取り締まるとき、市場均衡はどのように変化するか?

次に分析する規制は、性的サービスの需要者、つまり買春の摘発という市場介入である。これをLee & Persson研究ではスウェーデン・モデルと呼んでいる。この規制のもとでは、摘発対象となるのは性的サービスを購入する男性であり、彼らは摘発されれば処罰を受けてコストを支払う。性的サービスの供給者に対しては摘発や処罰は及ばないが、全く処罰がない場合に比べれば追加的なコストが存在すると仮定している。

スウェーデン・モデルが導入されると、需要が抑制されるため、市場全体が縮小する。Lee & Persson研究が特に着目する強制労働は、摘発される買春者への処罰の厳罰化に伴って、ある程度は増加傾向を示しつつも、最終的には減少し始め、十分な程度の厳罰化によって根絶も可能であることが示される。注意すべきなのは、強制的な売春よりも自発的な売春が先に市場から退出してしまうため、強制的な売春を根絶できる「十分な程度の(買春者への)厳罰化」は自発的な売春も根絶してしまっており、その意味でベンチマークを回復できていない点である。

許可制を導入するとき、市場均衡はどのように変化するか?

もう一つLee & Persson研究が分析する規制の枠組みは、オランダ・モデルと呼ばれる、性的サービス供給者の許可制である。この規制のもとでは、許可を得れば売春が可能で、許可は自発的な供給者に対しては発給されるが、使役される供給者に対しては下りない。無許可の地下営業はあり得るが、そのような性的サービス供給は摘発対象となり、摘発されると一定の処罰を受ける。一方で、需要者は摘発されない状況を考える。

この設定では、自発的な売春女性は摘発逃れの負担が伴う地下営業ではなく、許可を受けて正規の営業をすると考えられる一方、地下営業に従事せざるを得ない強制的な売春女性は、摘発逃れのための負担も、摘発された場合の処罰も抱えることになる。結果として実現する市場均衡においては、ベンチマークに比べて自発的な売春が増加すること、強制的な売春は減少するが、どれだけ厳罰化を進めたとしても、強制労働を根絶することはできないことも明らかになった。

罰則化と許可制の違いとは?

3種類の規制が売買春市場にどのような影響を与えるのか、罰則化に関する2つの規制と許可制の効果の違いを整理しよう。まずは売春の取り締まりと許可制の比較である。Lee & Persson研究によれば、売春の摘発よりも、許可制の方が、自発的な売春を増加させる一方で、強制的な売春は減少させることを示している。取り締まりが全くない場合と比べても、強制的な売春を減少させることや、自発的な売春という職業選択の自由を確保することなどを合わせると、許可制は売春の犯罪化と完全な無犯罪化のいずれよりも優れている、と論じている。

買春の取り締まりと許可制では、どのような違いがあるだろうか?Lee & Persson研究は、許可制で無許可営業をどれだけ厳罰化したとしても、買春取り締まりによってそれよりも強制的な売春を減らすことのできるペナルティが存在することを示している。つまり、買春の取り締まりの方が強制的な売春の減少には効果的ということだ。この違いは、売買春市場の非対称性──供給側には自発的な参加者と強制的な参加者が混在するのに対し、需要側はすべて自発的な参加者であること──に由来する。この非対称性のため、供給者全体への処罰が特に強制的な労働者に及ぼす効果は希釈されてしまう一方、需要者への処罰はすべての取引に影響を及ぼすという違いが生まれる。しかし同時に、買春取り締まりはあらゆる性的サービス需要を抑制するので、自発的な性的サービスの均衡取引量も減少させる結果、ベンチマークを回復できない点には注意が必要である。

スウェーデン・モデルとオランダ・モデルのハイブリッド・モデル

犯罪化、あるいは許可制のような制度はいずれも一長一短であることがわかった。それでは、ベンチマークを回復することはできないのだろうか?Lee & Persson研究では、買春の取り締まりと許可制を組み合わせたハイブリッド制度なら、互いの長所を引き出してベンチマークを回復できる、と論じている。

その仕組みはこうだ。まず、売春に対しては許可制を導入し、自発的な売春は可能とする。地下営業による無許可の性的サービスは、その提供者であるところの女性ではなく、購入者であるところの男性を摘発するかたち、つまり買春の取り締まりを導入する。この制度なら、ベンチマークを回復──すなわち、自発的な売春も一つの職業選択の可能性としつつ、強制労働は根絶──することが可能だと示している。

この制度の利点はいくつかある。例えば、許可制が事前に正しく機能せず、強制売春が許可営業に紛れ込む余地が残ったとする。しかし、虚偽の申請により許可を得ていても、強制売春による性的サービスの購入者は依然として捜査の摘発対象であるから、ペナルティが上がることは男性の確認コストを増加させ、その結果強制的な性的サービスの需要を抑制する。こうして、許可営業が強制売春の隠れ蓑になるという、不完全な許可制の弱点を、補完できる可能性がある。また、オランダ・モデルのもとで地下営業を強制される女性は、摘発逃れのためのコストと、摘発されたときの処罰をどちらも被ることになる(そもそも人身売買の被害者なのに!である)のだが、ハイブリッド・モデルではこれらの負担を買春男性が負うため、女性の多重苦を回避できる点も重要だ。こうした性質もあわせて、Lee & Persson研究ではハイブリッド・モデルが好ましい、と結論づけている。

Lee & Persson研究から何を学ぶか?

詳細には立ち入らないが、この研究のモデル分析からは他にも、売春の取り締まりをやめて無犯罪化することが、人身売買を減少させる場合もそうでない場合もあり得ることや、売春の取り締まり制度の有無と強制的な売春の多寡を単純に国家間比較すると、売春の取り締まりがあたかも強制的な売春を減らすかのような結論に至ってしまうおそれがあること、なども明らかになる。この事実は、制度がもたらす多様な影響を、一つ一つ紐解いていく理論分析の重要性を何よりも際立たせているといえるだろう。

Lee & Persson研究のような理論分析は実証研究にも重要な意味を持っている。近年の実証開発経済学研究においては、分析の信ぴょう性を高めるため、実験的・準実験的なデータ分析手法が多用される。これは、単なる相関関係を超えて、因果関係に少しでも肉薄するため、研究者自ら実験を計画・実行したり、実験的状況とみなせる事象を利用したりする分析手法である。ただ、因果関係に肉薄するという利点に対して、ある時ある場所で得られた結果が別の時点や場所でも同じとは限らないという弱点もある。そしてLee & Persson研究は、まさにその「同じ結果が出るとは限らない」理由を示している。例えば、前段落で短く述べたように、売春の取り締まりのような政策が人身売買を増加、あるいは減少させるかは、各国・各時点の状況に依存するため、対立して見えるような様々な実証研究の知見を統一的に理解するために、理論分析は欠かせない。こと人身売買や売買春規制はセンシティブな話題であり、その意味でも知見を正しく統合して冷静な政策議論を積み重ねることが重要だろう。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
著者プロフィール

永島優(ながしままさる) アジア経済研究所 開発研究センター、ミクロ経済分析グループ研究員。博士(開発経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ計量経済学、人的資本投資。主な著作に"Female Education and Brideprice: Evidence from Primary Education Reform in Uganda."(山内慎子氏と共著、The World Bank Economic Review, 37(4), 2023)、"Pregnant in Haste? The Impact of Foetus Loss on Birth Spacing and the Role of Subjective Probabilistic Beliefs."(山内慎子氏と共著、The Review of Economics of the Household, 21, 2023)など。

【特集目次】

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