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コラム
第102回 組織の成果を最大化する報酬体系をシエラレオネのコミュニティ保健プログラムから考える
Exploring Incentive Systems That Maximise Organisational Performance through the Community Health Programme in Sierra Leone
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001559
2025年12月
(4,614字)
今回紹介する研究
Deserranno, Erica, A. Stefano Caria, Philipp Kastrau, and Gianmarco León-Ciliotta. 2025. “The Allocation of Incentives in Multilayered Organizations: Evidence from a Community Health Program in Sierra Leone.” Journal of Political Economy 133 (8): 2506-2562.
組織の成果を高めるうえで、インセンティブをどのように配分するかは、企業経営から公共政策まで幅広い分野で重要な課題である。従来の研究では、平社員と管理者のどちらにインセンティブを出せばより効果が得られるかが主に検討されてきたが、現実の組織では複数の階層が存在する。それらの間でどのようにインセンティブを配分するかも、組織の成果を左右する重要な視点だろう。特に途上国の公共サービス提供においては、限られた予算をいかに効果的に配分するかは切実な課題である。本研究は、シエラレオネのコミュニティ保健プログラムで社会実験をすることで、この根本的な問いへの包括的な答えを提示している。医療・保健に関して深刻な問題を抱える同国において、約3000人のコミュニティ保健員(Community Health Worker、以下CHW)とその監督者を対象に実施された実験から、組織内インセンティブ配分に関してもたらされた興味深い発見を、以下で見ていくことにしよう。
社会実験
シエラレオネは西アフリカに位置する低所得国で、世界で3番目に高い妊産婦死亡率と4番目に高い小児死亡率を抱えている。このような深刻な保健状況を改善するため、同国保健省はCHW制度を全国規模で導入している。この制度では、各村に配置されるCHWが、定期的な家庭訪問を通じて、妊産婦ケアや小児保健サービス、医療保険に関する知識や簡易的な検査・治療サービスを提供する。7~10人程度のCHWを1人のスーパーバイザー(以下、管理職)が監督する階層構造が取られている。管理職は単なる監視役ではなく、月次研修や現場同行を通じてCHWの訓練や技術指導、地域住民との信頼関係構築支援なども行っており、CHWの作業効率を高める役割を担っている。
実験では、全国372の管理職の管轄地域を4つの異なる報酬配分グループに無作為に割り当てている。固定給(管理職は25万シエラレオネレオン(SLL、約29USD)、CHWは15万SLL(約18USD))に加えて、処置群の管轄地域においては家庭訪問1軒ごとに2,000SLL(約25セント)のインセンティブを新たに導入し、その配分方法を変えた。具体的には、(1)CHWに全額支給する群、(2)管理職のみに全額支給する群、(3)CHWと管理職で均等(1,000レオンずつ)に分配する群、(4)インセンティブなしの比較統制群、の4つである。重要なのは、インセンティブの総額は(1)~(3)群間で一定に保ちながら、組織内での配分方法を変えている点である。これにより、配分方法の違いがもたらす効果を識別できるようになっている。
実験の結果は、多くの読者の予想を裏切るものかもしれない。すなわち、3種類の支給方法のうち、最も多くの家庭訪問数をもたらしたのは、(3)の分配型インセンティブだった。比較統制群に比べて、訪問回数が約63%も増加したのである(半年間の合計で1家計当たり平均5.3回から8.7回への増加)。一方、CHWのみ、または管理職のみへのインセンティブ群は、訪問回数を増加したものの、いずれも約40%程度となり、分配型インセンティブには及ばなかった。直感的には、実際に家庭を訪問するCHWにすべて渡すのが最も効果的と思われた読者もいるだろうが、実際はそうではなかったのである。
本研究の実験においては、訪問数の増加に伴って訪問の質が低下するというような、マルチタスク問題として危惧されるような状況は見られなかった。具体的には、訪問1回あたりの滞在時間や、訪問した際に家計に伝えられた情報が減少したような結果は出ておらず、むしろ、住民のCHWへの信頼度は向上したという結果も一部では得られている。さらに、妊産婦や新生児のいる女性の産前・産後健診の頻度が向上し、発熱の報告数が低下したという結果も得られた。CHWの家の近くの家庭ばかり訪問して訪問数を稼ぎ、遠くの家庭への訪問を減らしたというようなこともなく、様々な指標を総合的に並べてみても、分配型インセンティブがCHWの働きを最も改善したという結果になった。
理論モデル
CHWが成果連動型報酬をすべて受け取るのではなく、管理職と分け合った場合に最も訪問家庭数が増えるのはなぜか。この実証結果を経済学理論で説明することは、シエラレオネの保健分野だけではなく、様々な企業や組織における報酬体系を考える上でも重要な意味を持つ。コースの定理に基づく伝統的な組織論では、誰に報酬を渡したとしても、経済主体間で自由に私的な取引が可能な限り、最適な報酬配分が実現し、組織の成果も最適化されるので、初期配分は最終的な成果に影響しないとされてきた。しかし、そうであるならば、CHWか管理職のいずれかが全額を受け取る場合でも最適な配分と成果が実現するはずなのだが、本研究の結果はこの予測と異なる。著者らは、組織内の複雑な相互作用を捉えることのできる理論モデルを立てて、この点を考察した。
モデルの核心は、管理職とCHWのエフォートの間にある補完性と、両者間の金銭の私的なやり取りには追加的な費用を生じさせる契約摩擦の2つの要素を導入した点にある。エフォートの補完性とは、一方のエフォートが他方のエフォートの限界生産性を高める関係を指す。具体的には、管理職が訓練や指導に多くのエフォートを投入することで、CHWの家庭訪問の生産性が向上する、と仮定している。逆に、CHWが意欲的に活動することで、管理職の指導の成果も高まることになる。一方、契約摩擦は、経済主体間の自発的な金銭移転を制限する要因と呼ぶのが適切だろう。これには、約束を実際に履行することの困難さ、社会規範による制約、情報の非対称性などが含まれ、こうした要因が強ければ強いほど、契約を履行するコストを上昇させる性質を持っている。契約摩擦が大きいときには、望む金額の移転がより困難になる、というような状況を著者たちは考えた。
このような設定に基づくモデル分析の結果、管理職とCHWのエフォートの補完性と、両者間での私的契約に基づく金銭授受の契約摩擦のいずれもが高い場合が、実験データと整合的であることを、著者たちは発見した。まず、エフォートの補完性により、管理職のエフォートは、受け取るインセンティブの直接的な大きさと必ずしも比例しないはずだが、実験の結果もまさにこれと整合的であった。具体的には、分配型インセンティブと管理職のみに全額支給する群の間で、管理職のエフォート(研究では、管理職によるCHWの同行訪問率を代理指標として用いている)が統計的に区別できないことが示されている。これは、分配型において管理職が受け取る額は半分であるにもかかわらず、CHWのエフォート向上を通じた間接的なインセンティブ効果が働き、管理職のエフォートを誘発したと解釈できる。また、契約摩擦の存在も、金銭移転が限定的である観察事実と一致している。著者たちはこうしたエビデンスを積み重ねて、シエラレオネのコミュニティ保健プログラムを用いた実験結果は、エフォートの補完性も契約摩擦も高いことに起因している可能性を指摘する。
政策シミュレーション
理論モデルとの整合性を確認した上で、著者らはモデルを特徴づけるパラメータ値をデータから推定し、実験では検証できない様々な政策シナリオのシミュレーションを行っている。この分析により、異なる組織特性や環境条件下での最適なインセンティブ配分を予測することが可能となる。技術的な詳細は割愛するが、構造推定と呼ばれるこの分析を通して、CHWと管理職のエフォートがどの程度補完的なのかを示すパラメータや、契約摩擦の大きさを表すパラメータを推定し、これらの値をもとに反実仮想的なシミュレーションを行っている。
このシミュレーション分析の結果は実に興味深いものである。特に、エフォートの補完性や契約摩擦の大きさを所与として、CHWと管理職の間での配分率をいくつにすれば、家計訪問数が最大になるのかを計算すると、最適配分はCHWに56%、管理職に44%という配分だったという。つまり、実験で採用した均等分配(50%ずつ)は、実はほぼ最適水準だったというのである。これは、実験設計の優秀さを示すと同時に、研究結果が頑健である理由でもあるだろう。さらに重要なのは、補完性の強度が変化した場合の最適配分の変化である。CHWが経験を積み、一人でも十分に仕事ができるようになると、エフォートの補完性は低下すると考えられるが、これに伴って管理職への最適配分率は低下し、CHWへの最適配分率が最大80%程度まで高まるという。逆に、経験の浅いCHWなど、補完性がより高い場合には、管理職への配分率を高めることが最適となる。これは、組織の発展段階や業務特性に応じてインセンティブ制度を動的に調整する重要性を示すといえる。
示唆
この研究は複数の次元で重要な経済学的貢献を果たしている。第一に、階層的な組織におけるインセンティブ配分が組織成果に与える影響を実証した点である。従来の研究は主に単一層へのインセンティブ効果に焦点を当てていたが、本研究は階層間での配分方法が重要であることを示している。第二に、エフォートの補完性と契約摩擦という2つのメカニズムを理論的に統合し、実証的に検証した点も画期的である。第三に、構造推定を用いた政策シミュレーションにより、実験では検証困難な幅広い政策オプションの効果予測を可能にしている。これらの貢献は、組織の経済学と開発経済学の両分野における本研究の理論的・実証的重要性を示すものといえるだろう。
本研究が途上国のCHWの制度設計にもたらす示唆も重要である。世界保健機関の調査によると、CHWプログラムの98.3%がCHWのみにインセンティブを提供しており、管理職を含む多層的報酬設計は稀である。しかし本研究の結果は、コミュニティ保健プログラムのように、技術指導を通じて前線の職員の生産性を向上させることが管理職に期待される環境では、分配型インセンティブの導入が成果を改善する可能性があることを示している。この示唆は、より広い文脈でも重要な意味を持つだろう。なぜなら、デジタル技術の発展により成果測定と不正防止が容易になると、管理職の補佐・育成機能の重要性は相対的に高まると考えられるからである。この意味で、本研究の示唆は途上国のCHW制度に限らず、管理職が部下の生産性向上を直接支援する役割を担う組織において広く当てはまるだろう。業務における補佐・育成の必要性や、組織内での資源再配分の難しさなどの組織特性に応じて、適切なインセンティブを設計することが、組織の効率性を高める上で今後ますます重要となるだろう。
永島優(ながしままさる) アジア経済研究所 開発研究センター、ミクロ経済分析グループ研究員。博士(開発経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ計量経済学、人的資本投資。主な著作に”Female Education and Brideprice: Evidence from Primary Education Reform in Uganda.”(山内慎子氏と共著、The World Bank Economic Review, 37(4), 2023)、”Pregnant in Haste? The Impact of Foetus Loss on Birth Spacing and the Role of Subjective Probabilistic Beliefs.”(山内慎子氏と共著、The Review of Economics of the Household, 21, 2023)など。
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