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コラム

途上国研究の最先端

第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範

Enhancing Female Labor Force Participation in India: Financial Agency and Gender Norms

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053512

2022年10月

(3,497字)

今回紹介する研究

Erica Field, Rohini Pande, Natalia Rigol, Simone Schaner, and Charity Troyer Moore. 2021. “On Her Own Account: How Strengthening Women’s Financial Control Impacts Labor Supply and Gender NormsAmerican Economic Review, 111(7): 2342–2375.

多くの国では、経済成長するにつれて女性の教育水準は上がり、女性の労働参加率も同様に上昇する傾向がある。その例外は南アジアであり、経済成長しても女性の労働参加率が低いままか、むしろ減少している。インドは1991年の経済改革以降、目覚ましい経済成長を遂げたが、女性の労働参加率は逆に低下しており(図1)、ILOは「謎」な現象と認識している。なぜ、インドでは女性の労働参加率が低いままなのか。紹介する研究では、「女性が外で働くべきでない」というジェンダー規範にその理由を探る。

図1 インドの経済成長と女性の労働参加率の推移図1 インドの経済成長と女性の労働参加率の推移

(出典)World Development Indicatorより筆者作成。
貧困層向け雇用政策を利用したランダム化比較試験

インドでは2006年、農村の各世帯に、年に100日までの単純労働を保証する貧困層向け雇用政策(Mahatma Gandhi National Rural Employment Guarantee Scheme: MGNREGS)が始まった。灌漑施設や道路などのインフラ整備に関する作業が主なもので、本研究の舞台であるマディヤ・プラデーシュ(MP)州における現在の日当は200ルピーに満たない。2008年にMGNREGSの給料の支払い方法が改革され、それまで現金支払いだったものが、銀行口座への振り込みとなった。2011年にはMP州において、農村世帯でも居住地から5km圏内のキオスク銀行へのアクセスが可能となった。これにより、末端の世帯までMGNREGS給与の銀行口座への振り込み――実質的には世帯主である夫の口座への振り込み――が実現した。2012年には農村開発相が、MGNREGS労働に従事している女性の給料は、夫ではなく女性個人の口座に振り込まれなければならないと発言した。しかしながら、実施は遅れ、2016年時点のMP州では、自身の口座にMGNREGSの給料を振り込んでもらっていた女性は20%に満たなかった。

本研究は、途上国でしばしばありがちのように、実際の政策実施が遅いことを利用して、ランダム化比較試験(RCT)を実施した。介入対象は、過去に一度はMGNREGSの労働に従事したことがある貧困世帯(夫婦)で、妻が個人の口座をもっていないことが条件である。197グラム・パンチャーヤット(GP:数村からなる地方自治機関)を、ランダムに5つのグループに分けた。RCTのデザインが少々複雑であるので、エッセンスだけ取り出すと、1グループ(GP数32)に対して妻がキオスク銀行に口座を開くことを手助けする介入を行い、別の1グループ(GP数34)に対して上記の口座を開く手助けに加え、MGNREGSの労働に従事した妻の給料を本人の口座に直接振り込むための手続きを手助けする介入のほか、簡単な金融リテラシーに関するトレーニングも行った。本コラムでは、分かりやすくするために、前者の口座のみの介入を対照群、後者の口座+直接振り込み+トレーニングの介入を処置群としよう。ほかの3グループについては割愛する。著者たちがこの2つの比較に重きをおいた理由は、金融インクルージョン、つまり、銀行サービスへのアクセスという条件は同じにしたうえで、資金を管理できることによる影響をみたかったからである。

もちろん、対照群の妻であっても、手助けなしに自分の口座に振り込まれるようにした女性はいただろう。同様に、手助けがあっても強制ではないので、処置群の妻であっても何らかの理由で夫の口座に自分の給料が振り込まれるままにしていた女性もいただろう。いずれにしても、2つのグループはランダムに分けられているので、そのような女性はどちらのグループでも同じくらいの割合でいたと考えられる。したがって、2つのグループの結果に何らかの違いがあれば、もともと同じようなグループであったわけなので、介入の効果であると推論することができる。このように介入の効果を測る方法は、「治療の意図」(Intention-to-Treat: ITT)による分析とよばれ、被験者の選択バイアスを防ぐことができるために広く使われている。

実証結果

実証結果によると、対照群に比べて、処置群の妻たちは、短期(1年半後)と長期(3年半後)いずれでみても、より労働参加していた。MGNREGSの対象とする公共事業だけではなく、民間セクターにおける就業にも効果がみられた。直接給与支払いの介入そのものはMGNREGS労働だけであったところ、民間セクターにおける就業も促進されたのはなぜだろうか。

著者たちは、その理由を、妻が資金を直接管理できるようになったことで、家庭内バーゲニング力に変化が起こり、妻の就業をよく思わない夫の意向に反して労働参加が可能となったのではないか、と考えた。一方で、バーゲニング力の向上は、所得効果を通じて労働参加を妨げる可能性もあるため、プラスの効果は、もともと夫の反対が強くて労働参加が妨げられていた妻にのみみられるだろう、というのが理論モデルの予想である。さらに、長期的には、「女性が外で働くべきでない」というジェンダー規範も変化しただろうと考えた。

本研究では、これらの仮説について、もともとの夫の反対の強さによる効果の違いをみるほか、妻の労働参加以外のさまざまなアウトカム変数を用いて実証している。これらのアウトカム変数は、夫の労働参加、金融インクルージョンと自律性(他者からの支配を受けず、自己の立てた規律に従って意思決定・行動すること)、行動の自由(自己の行動を自由に決め実行に移せること)、妻や夫個人のジェンダー規範や社会規範に関する思い込みなどである。前者のジェンダー規範は、妻や夫自身が「女性が外で働くべきでない」と思っているかどうか、後者の社会規範に関する思い込みは、妻が働くことについて周りがどのように自分たちを評価すると思うか、という問いによって測っている。

実証結果によると、もともと妻の就業に関する夫の反対が強かった妻の方が、より労働参加した。また妻が資金を直接管理できるようになったことで、より直接的なアウトカムといえる金融インクルージョンと自律性は向上した。行動の自由については、サンプル全体でみると変化はみられなかった一方で、もともと夫の反対が強かった妻に限っては、大きな改善がみられた。また、長期的には、妻個人のジェンダー規範や、妻と夫両者の社会規範に関する思い込みにも大きな変化がみられた。

ジェンダー規範が変化するには?

個人のジェンダー規範や、社会規範に対する思い込みは、なぜ変化したのだろうか。妻個人のジェンダー規範については、自身が実際に働くことでメリットを認識したことがあるだろう。「女性が外で働くべきでない」というジェンダー規範は、妻より夫の方が強いことが知られている。家族を養えない自分は恥ずかしいというある意味身勝手な理由であり、中東および北アフリカ(MENA)諸国、南アジア諸国で根強いことは筆者の過去のコラム(「第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りが反対だろうから働かせない」)でもふれた。実際に自分の妻が働いてみて、意外とそれほど恥ずかしくないことを認識したかもしれないし、周りでもより多くの妻が働くようになったことで、社会に外で働く女性を許容するような雰囲気が生まれたのかもしれない。

筆者が、パキスタンの女性の就業機会が豊富にある地域で、働いていない女性になぜ働いていないのか聞いたときも、男性の家族が許さないからというのが一番大きな理由であった(Makino, forthcoming)。一般的に女性の労働参加は好ましいと答える男性であっても、自分の妻や娘が外で働くとなったら猛反対、というのがよくあるパターンである。

このような根強いジェンダー規範はどうしたら変化するのか、は最近研究者の関心を集めている。本研究は、女性が資金を管理できるようになったというちょっとした介入によって、規範が変わりうることを示した。規範そのものに啓発して働きかけるよりも、こういった実際の変化やメリットを体感してもらう方が、根強い規範の変化には有効なのかもしれない。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
参考文献
  • Makino, Momoe. forthcoming. “Labor Market Information and Parental Attitudes toward Women Working Outside the Home: Experimental Evidence from Rural Pakistan.” Economic Development and Cultural Change.

著者プロフィール

牧野百恵(まきのももえ) アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は開発経済学、家族の経済学。著作に ‟Dowry in the Absence of the Legal Protection of Women’s Inheritance Rights”(Review of Economics of the Household, 2019)‟Marriage, Dowry, and Women’s Status in Rural Punjab, Pakistan”(Journal of Population Economics, 2019)‟Female Labour Force Participation and Dowries in Pakistan”(Journal of International Development, 2021)等。

【特集目次】

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