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コラム

途上国研究の最先端

第93回 産まれたらすぐ現金給付を

A case for an immediate cash transfer to low income households with a newborn

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001299

2025年3月

(5,203字)

今回紹介する研究

Andrew Barr, Jonathan Eggleston, and Alexander A Smith. 2022. “Investing in Infants: the Lasting Effects of Cash Transfers to New Families.” Quarterly Journal of Economics, 137(4) : 2539–2583.

現金よりも現物の方が良い?

子どもの脳や身体は、2~3歳までにその後の人生にとって重要な発達を遂げます1。このため、乳幼児のいる困窮家庭に保健や教育の支援をすると、短期的な健康状態や知的発達だけでなく、成人期の所得増加など長期的な経済効果ももたらすことがこれまでの研究で明らかにされてきました。

育児エキスパート訪問、少人数学級への編入など、これら支援の多くは「現物支給」です。政府の選んだサービスを無償・割引で利用する権利を政府が与え、そのサービスを受けるかどうか家庭が決めます。一方、「現金支給」であれば、家庭が好みの財・サービスを選んで利用を決める自由があります。たとえば、一見無関係な財(自動車部品)を購入しても、その家庭特有の方法で育児の役に立つもしれません。一般に、経済学では、現物支給よりも同額の現金支給の方が受領側の効用を高める余地が高いと考えられています。簡単にその理由を言えば、不要なサービスを現物支給されても、家庭は嬉しくないからです。現金支給であれば、好みのものを買えるので、どんな額でも家庭は嬉しく感じるでしょう。

それでも現物支給が保育政策で重視されるのは、現金を与えても親が子どものために使わないのでは、親は最善のサービスを選ぶ力がないのでは、という政策担当者の不信感があるためです。ずいぶんとお節介な不信感ですが、過去にはそうした事例があったことも確かです。そうした事例は目立つので不信感の原因となりますが、実際にどれだけ多いのか、科学的に検討した研究は多くありません。今回紹介するBarr, Eggelston, and Smithの研究は、現金支給で長期の効果を見出したので、そうした不信感を和らげるきっかけになることが期待できます。

この研究では、アメリカにおける乳児期(満1歳まで)の現金支給の長期的効果を計測しました。アメリカでは、第一子が産まれた家計は所得税還付(Earned Income Tax Credit, EITC)を受ける権利を得ます。著者らはこれを利用し、生まれてすぐ還付を受ける子どもと1年程度待ってから還付を受ける子どもを比較しました。

還付を受け始めるまでの期間がこのように違うのは、アメリカのEITCは1月1日から始まる会計年度ごとの政策だからです。12月31日に生まれると、翌会計年度は翌日の1月1日からなので、翌日から還付を受けられます。一方、1月1日に生まれると、翌会計年度は翌年1月1日からなので、還付開始まで1年待たねばならないのです。12月31日生まれと1月1日生まれの子どもに平均して違いはありません。1日生まれた日が違うだけなので、平均すれば、誕生時の体重や親の収入なども似通っているはずです。もしも、成人時の所得などに違いがあらわれるとすれば、税還付給付までの待ち期間の違いが原因、という推論が成り立つのです。EITCの税還付額が年収の10%や20%にも及ぶ手厚い支援策であるため、効果があれば長期に及んでも不思議ではないと考えられることも、こうした推論の現実味が増す根拠になっています。

図 RDD 推計のアイディア

図 RDD推計のアイディア

(出所)筆者作成

推計方法──ドーナッツRDD

12月31日(生まれ)と1月1日(生まれ)の間に(還付給付開始時期の)はっきりした差があることを利用し、その効果を計測する手法が回帰不連続デザイン(RDD)です。給付まで待つ期間が短いほど効果があるならば、待ちが最短の12月31日から過去に遡るほど効果が小さくなります。逆方向で将来に進むと1月1日は効果が最小で、それ以降は(365日、364日、と遡ることになるので)ゆっくり増えていくことが期待できます(図)。12月31日と1月1日で結果変数(成人時の所得など)にジャンプがある関係を統計学的に推計し、ジャンプ幅(図では赤矢印の幅)がゼロよりも大きいか統計学的に検定するのです。つまり、1年間の待ち期間がもたらすインパクトがゼロかを検定します。政策の切り替え・変化が発生する時期・年齢・地理的境界などを利用するRDDは、多くの研究で因果関係を推測する手段として利用されています。EITCの12月31日区切りも、出産を早めるために帝王切開が増えることを示した研究に使われています。

RDDでは、境界線(12月31日と1月1日の間)の前後で越境行為が頻発していないことが必要です。育児熱心な親が給付開始を早めるために帝王切開をして12月31日以前に出産すると、早期給付の効果なのか、熱心さの効果なのか、分からなくなるためです。一方、越境行為がない場合は、早期給付の効果だと結論できます。

著者たちは、越境行為のある標本を除くために、12月24日~12月31日、1月1日~1月8日の各8日間を除いた12月生まれと1月生まれの差を計測しています2。境界線を挟んだすぐ隣のデータを使わないので、ドーナッツRDDと著者たちは呼んでいます。

EITCは資格のある全員が使うわけではありません。周知が徹底されていないためです。ヒスパニック系などはEITCを知らない人が多く、今回の研究でも、利用が乏しいヒスパニック系への効果はほぼゼロでした。このように、権利を付与してもその行使は個人に任せる政策であるため、推計されるのは権利非行使も含んだ治療意図による効果(intention-to-treat effect)推計値です3

越境行為があるかは、生まれた人の数を境界線の両側で比較すれば分かります。どちらかが極端に多かったり少なかったりすると、越境が疑われます。そのための統計学的検定方法(McCrary test)もありますが、この論文では目視に頼るだけで使っていないようです。理由は分かりませんが不可解です。また、境界線の両側の人の特徴が違えば、越境が示唆されます。統計学のt検定によると特徴に統計学的な差はないという結果でした。こうして著者たちは、越境行為は推計を歪めるほど存在しないと結論付けています。

データ

RDDは優れた方法ですが、境界線付近で多くのデータを要するので、大標本が必要です。本研究では、所得税還付に使う歳入庁IRS1040申告書のデータを全米全申告者について1979年から2018年まで、さらに、社会保障データから1969年以降に生まれた全米全個人を使っています。歳入庁データからは申請者と扶養家族についての各種所得、社会保障データからは生年月日と性別を使っています。これらを組み合わせると、還付額と還付開始時期を推計できます。

さらに、著者たちは、1992年~1999年のノース・カロライナ(NC)州の小学3年生から中学2年生の全生徒データ(1979年~1990年生まれ)を使い、現金給付の教育への効果も計測しています。扱う項目は試験点数、停学履歴、高校卒業・中退の別などです。なぜNC州なのかは分かりませんが、NC州政府が研究目的の行政データ使用に寛容なのは分かります。行政データを研究目的に使うことを米連邦政府、NC州政府が許容しているために、私たちが現金給付の長期的効果を知ることができるのです。

結果

生まれてすぐに税還付を受けると、1年程度待った人たちよりも、23~25歳の所得が1.2%、26~28歳の所得が1.6%多くなることが分かりました。29~31歳、32~34歳では、より大きな増加率であることも示されました。現金給付を投資と考えると、成人期所得を毎年1%~2%増やすリターンは高いといえます。実際に、増加した所得から得られる税収の割引現在価値の合計は、給付された額よりも大きくなるので、財政としても収支は黒字です。

子どもに起こる変化を知るために、成績などへの効果を計測しました。すると、1000ドルの現金給付につき試験点数が標準偏差の3.7%上昇し、高校卒業率も上昇し、停学確率は下がることが分かりました。先行研究によれば、高校の試験点数が1標準偏差上昇すると、28歳時の年収が2500ドル増えることが示されています。これに準じると、1000ドルの現金給付によって28歳時の年収は92ドル増えます。

メカニズム──子どもの人的資本が増えるから

なぜかを知るために、著者たちは最初に親の状態に着目します。すると、還付を産後すぐに受けると、1年後に受ける人たちと比べて、3~4年後の所得が増えること、扶養家族人数が増えること、貧困状態からより抜け出しやすくなること、その後も税還付申告をする(=雇用の代理変数)比率が増えること、が分かりました。親の雇用が安定して収入が増えて家族も増え、貧困ではなくなるという効果です。統計学的にはゼロでしたが、婚姻状態を維持しやすい傾向も示唆されました。要約すれば、経済的にも、心理的にも、育児環境が改善するのです。

先行研究を引用しながら、著者たちは、税還付を受けた人たちは、自動車を買ったり、自動車部品や修理に支出したりする傾向が強まることを指摘しています。これを所得の増加や雇用の安定と結びつけると、地理的な可動性が高まることで失職期間が減り、収入が増えるという解釈が成り立ちます。さらに、これも先行研究を引きながら、シングルマザーへの現金給付が母親のメンタルヘルスを改善すること、ストレスが減った親は子どもとの交流の仕方を変えることを挙げて、親のストレス低減が子どもの成育を健やかにする効果があるとも議論しています。確かに、産後すぐは物入りで支出が増えるのに、就労可能な時間は減って収入が減りがちです。産後直後の収支赤字化による経済的、心理的な負のインパクトを現金移転が減らすのは想像できます。ただし、これらは先行研究に頼った解釈であり、今回のデータから得られるエビデンスではありません。

現金給付によって親の経済的心理的状態が改善することで育児環境が整備され、子どもの人的資本が増え、成績や進学を伸ばし、問題行動も低下させ、最終的には成人期の所得を増やす、というのが著者たちの解釈です。幼少期の人的資本とは基礎的な知的能力なので減ることはほぼありません。実際に、試験点数への効果は小学3年生時点から中学2年生時点まで持続し、人的資本という資産が子どもに形成されていることを窺わせます。

途上国ではどうか

今回の研究結果から考えると、所得の10%程度の現金を生まれてすぐの子どもに給付すれば、子どもの人的資本を介して成人期の所得を増やす効果が見込めそうです。しかも、その政策の収支は黒字です。誰もが知りたかった現金給付の長期効果を示したので、本研究は画期的です。親への不信感から現物給付を選びがちな政策担当者に再考を促すことになりそうです。

しかし、これはアメリカでの結果です。多くの親は相応の学歴を持ち、インターネットなどを介して新たな知識を得る機会も豊富です。育児について親が正しい選択をする環境を社会が整えています。その他のセーフティネットも途上国より整っているので、偶発的な負のショックにも対処しやすい環境です。さらに言うと、幼少期を健康に過ごせば、貧しくても質の高い教育を受ける機会も少しはあります。

途上国で新生児のいる家庭に無条件に現金給付したらどうなるでしょうか。育児環境が整っていないだけに、現金給付のインパクトは先進国よりも大きいことが想像できます。親が正しく支出すれば、もっと重大な結末、たとえば、子どもの生存率などに影響しそうです。一方で、親が正しい選択をする条件はより厳しいといえます。平均すれば、アメリカと比べて親の知識は少なく、現金で購入できる財・サービスは限られ、質も高くないでしょう。幼少期を大過なく過ごしても、質の高い教育機会はより限られています。就労機会も同様でしょう。ですから、より長期の成果につながる人的資本を増やしたり、活かしたりする機会が限られるので、成人期の所得への効果を考える段階ではないように思えます。それよりも、長期的な成果が実現する前の、短期中期の落とし穴を埋めていく段階ではないでしょうか。そのためには、現金給付が乳幼児の健康や知的発達に与える効果といった短期、中期の研究成果、その時期に親が正しい選択をするための支援に関する研究などが求められます。そして、効果が見出されたら、子どもたちの成長に歩を合わせて、小学校以降の既存の支援策を強化していくことが求められるのではないでしょうか。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
著者プロフィール

伊藤成朗(いとうせいろう) アジア経済研究所 開発研究センター、ミクロ経済分析グループ長。博士(経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ経済学、応用時系列分析。最近の著作に「南アフリカにおける最低賃金規制と農業生産」(『アジア経済』 2021年6月号)、主な著作に“The effect of sex work regulation on health and well-being of sex workers: Evidence from Senegal.” (Aurélia Lépine, Carole Treibichと共著、Health Economics, 2018, 27(11): 1627-1652)など。

書籍:南アフリカにおける最低賃金規制と農業生産

書籍:The effect of sex work regulation on health and well-being of sex workers: Evidence from Senegal

  1. たとえば、Black et al. (2015, p.5)などは2歳(1000日)までが栄養等の脳神経発達への効果が大きな感受期(sensitive period)としています。感受期についてはZeanah et al. (2010)も参照のこと。
  2. 1月1日以降に出産日を移そう(予定日を延ばそう)という人は少ないため、1月1日~1月8日の8日間を除く必要はないはずです。筆者には1月初頭を除いた理由を理解できないですが、恣意性を排除するために、境界線前後で対称的な標本選抜をしたかったのかもしれません。
  3. なお、本研究ではおもに第1子誕生における税還付の効果を扱い、第2子以降の税還付の効果は副次的に推計しているのみです。理由は、第2子は第1子よりも少ないのに加え、還付額も少ないので、効果計測の精度が落ちるためでしょう。
【特集目次】

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