IDEスクエア
コラム
第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051614
2020年4月
(4,665字)
今回紹介する研究
Tanisha M. Fazal and Paul Poast (2019), "War Is Not Over: What the Optimists Get Wrong About Conflict," Foreign Affairs, 98(6), November/December 2019.
今回紹介するのは、国際関係論の主要テーマの一つである、戦争・紛争は増えているのか・減っているのかという問題を扱う論文である。このような根源的なテーマは、学者、政策関係者のみならず、一般人の素朴な関心も引き付けよう(武内 2019)。この問題の答えは結局のところ、基本概念の定義・定め方次第ということになる。第一に戦争の定義、第二に戦争の趨勢を判断するデータ、第三に考察期間の定め方の妥当性が検討課題となる。
「あたりまえ」の定義批判
著者らは冒頭、ハーバード大学ピンカー教授の著書(Pinker 2012)やオバマ前大統領の国連演説(2016年)を引用し、戦争が減少傾向にあるという楽観論が支配的になっていることを指摘する。そして、それら楽観論に警鐘を鳴らす。
第一に、多くの場合、一定数以上(例えば千人)の死者数を伴う紛争を戦争と定義することが多い。閾値を設けてそれを上回る紛争のみを戦争として考察対象とすることが多いのは、すべての紛争を把握することは困難だからである。死者数が閾値を下回る紛争は戦争と見なされないことになる。したがって、何らかの理由により紛争による死者が出にくくなった場合、紛争の数は一定でも、戦争の数は減少することになる。
第二に、戦争が減少傾向にあることを示すデータとしては、戦争における「死者数」の長期的推移が用いられることが多い。これはおそらく、戦争の規模には著しい差があるため、その数をカウントすることの意味が乏しいためであろう。しかし著者らは、死者数のデータは誤解を招くものであり、戦争の増加・減少傾向を判断するには不適切だとする。近年の戦争における「死者数」の減少は戦場における医療体制の改善によってもたらされているのであり、死者数によって戦争の増減を把握するのはおかしいとする。このことから著者らは、戦争が減少しているのでなく、戦争の「致死性」が低下しただけだと主張する。戦争の致死性低下は、それにより死者数が閾値を下回ることで紛争が戦争と見なされなくなる状況を作り出すだけでなく、戦争に分類された紛争(=閾値を超えた紛争)による死者数も少なくする。
第三に、著者らは第三次世界大戦が起きていないことを理由に戦争が減少していると結論付ける議論を批判する。戦争の増加・減少傾向は考察期間の取り方に依存するからである。特に著者らは、第一次世界大戦後(1918年以降)あるいは、第二次世界大戦後(1945年以降)の趨勢に大きな関心が払われることに対して異を唱える。著者らによれば、両大戦は多くの戦争のなかで規模において孤立値(outlier)であり(表1)、それらは比較のベンチマークになりえない。両大戦を除けば、それなりに激しい戦争はたびたび起きているため、戦争が明らかな減少傾向を辿っていると簡単に結論付けることはできないとする。さらに、朝鮮戦争やベトナム戦争等の「小さい大戦」(small great wars)は、第二次世界大戦後も多く存在するという。
表1 戦争における死者数
定義論争はやはり重要だ
著者らは、適用しやすい定義、入手しやすいデータに基づいて戦争が減少していると短絡的に結論づけることに警鐘を鳴らす一方で、自分たちの定義、データを用いて戦争が増加しているのか・減少しているのかを検討する作業は行わない。戦争の傾向が変化していることを新たなデータで示し、その変化を今まで検討されてこなかった変数によって説明するのがいわゆる実証研究の「王道」であろうが、そのようなことは少なくとも本論文では行っていない。その理由はおそらく、そのような新たなデータを構築するのは極めて困難であるうえ、構築したところで批判されるのが目に見えているからであろう。
しかし、彼らの既存定義の批判は十分な意味を持っていると評者は見る。入手しやすいデータを念頭において戦争の定義づけを行い分析することには大きな問題があるからである。これはもちろん実証研究が定義・データについて一定の仮定を置くことを否定するわけではないが、特定の仮定に基づいた実証研究が膨大に蓄積することで、それら特定の仮定が所与のものとして受け入れられてしまうことがあれば、危険である。ちなみに、著者らは実証研究に懐疑的な学者というわけではない。両者とも定量研究論文をトップ・ジャーナルに量産する、バリバリの実証政治科学者である。だからこそ、特に戦争という国際関係論の根本概念に関する議論において、データありきで議論を組み立てる学者、それを都合よく使う政策関係者に警鐘を鳴らしたい気持ちを有することは容易に想像できる。
より「科学的」な建設的批判ができたのでないか
それでもなお、既存定義・データの問題点の指摘というだけでは議論として物足りない。やはり後世の人々の批判に晒されるような形で将来についての議論を提示するべきだったのでないか。著者らは将来予測を否定しているのではなく、将来に関する楽観的予測を否定しているのであるから、楽観的でない予測を自ら提示することで、「科学的」により健全かつ説得的な議論を展開することができたのでないかと思う。具体的に将来予測を語れば、論点が明確になるうえ、将来その妥当性について批判的に検証することが可能になる。
著者らによる楽観論戒めが妥当であることを示すのに都合の良い将来の「イベント」の一つは、アメリカから中国への覇権の移行であろう。過去の覇権移行は、必ず大規模な世界戦争の後に実現された(表2)。楽観論者は世界戦争なしに、あるいは「小規模な戦争」の後に中国はアメリカから覇権を奪うことができると考えているのであろう。一方著者らは、次の覇権移行も世界戦争を伴うと考えているのだろうか。アメリカから中国への覇権移行に伴う世界大戦は必ずおこるというなら潔いし、容易に検証できる命題の提示となったはずだ。それでもなお「世界大戦」の定義の問題は残るので、さらに踏み込み、どの程度の死者数が出る戦争が米中間で発生すると著者らは考えており(例えば10万人の戦死者1)、仮にそのような規模の戦争が起きた場合どうしてそれが戦争の減少傾向を否定することになるのかについて積極的に考えを提示していれば、論争が建設的に行われる下地をより確かなものにしたはずだ。
表2 覇権移行と世界戦争
(注)非正統的覇権期とは、覇権国の国力が低下するなかで、当該国の国際的リーダーシップおよび樹立した秩序の正統性の浸食が起こる期間。なお、Modelski(1987)は、モデルスキーがアメリカの非正統的覇権期だとみなす期間に執筆された。
Foreign Affairsは学者のみならず政策関係者にも広く読まれるジャーナルである。(一部の)学者は、当該誌は理論的・実証的な厳密性に欠ける「非学術的」な論考を掲載する傾向にあるとみる。しかし、Foreign Affairsは「学術誌」の引用によって決まるジャーナルランキングでも常に上位に来るジャーナルである(浜中 2019)。戦争の趨勢に関して概念的観点から批判的に考察する著者らによる本論文は、他のトップ・ジャーナルに掲載される論文とは質を異にするが、学者のみならず政策関係者に対しても警鐘を鳴らすことを企図するForeign Affairs好みの、長期的に多方面にインパクトを与えることが予想される論文といえよう。
参考文献
- Modelski, George (1987) Long Cycles in World Politics, Houndmills: Macmillan.
- Pinker, Steven (2012) The Better Angels of Our Nature: Why violence has declined, Penguin Group.
- 武内進一(2019)「おしえて!知りたい! 途上国と社会 第8回 なぜアフリカでは紛争が多いんですか?」『IDEスクエア』。
- 浜中慎太郎(2019)「国際関係論ジャーナルの盛衰――米国系の覇権凋落(?)と欧州系・中国系の台頭――」『IDEスクエア』。
著者プロフィール
浜中慎太郎(はまなかしんたろう) アジア経済研究所海外研究員(在ワシントンDC)。専門は国際関係論、国際政治経済学、自由貿易協定(FTA)。最近の論文に"The future impact of Trans‐Pacific Partnership’s rule‐making achievements: The case study of e‐commerce", World Economy 42(2), 2019 や "Why breakup? Looking into unsuccessful free trade agreement negotiations", International Politics (forthcoming)など。
注
- 実際に10万人の死者数を伴う戦争が起きた場合でも、楽観論者は戦争の減少傾向が確認された(第二次世界大戦よりは少ない死者数)、非楽観論者は戦場医療体制の改善に鑑みると戦争の増加傾向が支持されたと主張するであろう。しかし、具体的な数字とともに予測を行うことで、現在の読者が議論の妥当性を判断することが容易になるだけでなく(例えば、「10万人の死者数ならかなり小規模といえるのでないか」等)、事後的(覇権移行後)に予測を事実と突き合わせて検証することもできるようになる(もっとも著者らが、数字の「一人歩き」を懸念していることは理解できる)。
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