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コラム
第12回 長期志向の起源は農業にあり
PDF版ダウンロードページ: http://hdl.handle.net/2344/00050658
會田 剛史
2019年1月
今回紹介する研究
Oded Galor and Ömer Özak. (2016) "The Agricultural Origins of Time Preference."
American Economic Review, 106(10): 3064–3103.
将来のために、今我慢する。今回紹介する論文は、こんな考え方の起源を農業に求めるという壮大な研究である。
この研究を理解するにあたって、狩猟採集と農業の2つだけの選択肢があるとしよう。狩猟採集では今期も次期も同じだけの所得が得られる。農業の場合には、今期は少ない所得で我慢する分、次期にはより多くの所得が得られると想定しよう。こうすると、次期に得られる所得が多くなるほど農業を選択する人が増える。このような次期の所得を重視する度合いが、経済学で言う時間選好である。また、農業を選択する方が多くの子供を養えるとすると、長期的には人口の圧倒的多数が農業従事者となる。さらに、時間選好は親から子供へと伝えられていくとする。つまり、親の時間選好が強ければ、子供の時間選好も強くなる。以上の想定と理論モデルから導かれる仮説は、「農業生産性が上がれば、(子孫の)長期志向が高まる」というものである。
「コロンブス交換」と長期志向
上述の仮説を検証するために鍵となるのは、農業生産性の計測である。本研究では、国連食糧農業機関(FAO)のGlobal Agro-Ecological Zoneプロジェクトが構築したデータセットを用いる。これにより、地図上のセル(約100km2)ごとに各作物の潜在的な収量を計算できる。ただし、収量の高い地域に長期志向の人が集まっているなどの可能性があるために、この収量と長期志向に相関があったとしても、それは因果関係ではないかもしれない。そこで、本研究では15世紀末に起きたユーラシア・アフリカ大陸と南北アメリカ大陸との交易、つまり「コロンブス交換」により、収量の高い新作物がもたらされたことに注目する。この「コロンブス交換」を通じた生産性の向上は、上記の可能性とは独立であると考えられ、その因果関係をより厳密に検証することが可能となる。
まず、Hofstede, Hofstede, and Minkov (2010)が世界中のIBM社員を対象に集めた長期志向のデータを分析し、国際比較した結果を見てみよう。国ごとの地理的属性や農耕開始のタイミングの違いをコントロールした上でも、「コロンブス交換」による収量の増加が大きい地域ほど、社員のもつ長期志向の指標が高まることが示される。歴史的な人口移動を考慮して、祖先の住んでいた地域の収量を用いたり、旧大陸のサンプルに限って分析してもこの関係性は変わらない。また、過去の人口密度・都市化率・一人当たりGDPといった変数をコントロールしても、結果は頑健である。
次に、European Social SurveyとGeneral Social Surveyのデータを用いたヨーロッパ・アメリカの第2世代移民の長期志向についての分析結果を見てみよう。やはり祖先の住んでいた地域の農業生産性が高いほど、彼ら自身の長期志向も高まるという結果が得られる。また、貯蓄や喫煙などの時間選好と関係性が強いことが知られている行動に対しても、長期志向の変化を通じて祖先の住んでいた地域の農業生産性が影響を与えていることが示される。
さらに、World Value Surveyを用いた個人レベルのデータ分析においても、やはり長期志向と祖先の農業生産性との間にプラスの関係が示される。地域ごとに集計したデータを使って分析してもこの結果は変わらない。最後に、Standard Cross Cultural Sampleのデータを用いて、祖先の農業生産性が主要な技術の導入にプラスの影響を与えていることも示される。
以上の様々な分析によって示されるように、農業生産性の高い地域ほど、より多くの人口を支えられるために、長期志向を持った人口の割合が高くなるという仮説が支持される。時間選好という経済学モデルの基本パラメータの起源を探る、狭義の経済学の枠に収まらないスケールの大きな研究であるといえよう。
著者プロフィール
會田 剛史(あいだたけし)。アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は開発経済学。最近の論文に、"Social Capital as an Instrument for Common Pool Resource Management: A Case Study of Irrigation Management in Sri Lanka," Oxford Economic Papers, forthcomingや、"Is Farmer-to-Farmer Extension Effective? The Impact of Training on Technology Adoption and Rice Farming Productivity in Tanzania," World Development, Volume 105, pp. 336–351.(共著)など。
参照文献
- Geert Hofstede, Gert Jan Hofstede, and Michael Minkov. 2010. Cultures and Organizations: Software of the Mind: Intercultural Cooperation and Its Importance for Survival (Third Edition). McGraw-Hill.
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
- 第42回 安く買って、高く売れ!
- 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき
- 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史
- 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から
- 第46回 暑すぎると働けない!? 気温が労働生産性に及ぼす影響
- 第47回 最低賃金引き上げの影響(その3)アメリカでは(皮肉にも)人種分断が人種間所得格差の解消に役立ったらしい
- 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動
- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
- 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
- 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない
- 第52回 競争は誰を利するのか? 大企業だけが成長し、労働分配率は下がった
- 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」
- 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響
- 第55回 マクロ・ショックの測り方――バーティクのインスピレーションの完成形
- 第56回 女性の学歴と結婚――大卒女性ほど結婚し子どもを産む⁉
- 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか
- 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性
- 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響
- 第60回 貧すれば鋭する?
- 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か
- 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい
- 第63回 貧困からの脱出――はじめの一歩を大きく
- 第64回 大学進学には数学よりも国語の学力が役立つ――50万人のデータから分かったこと
- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
- 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合
- 第67回 男女の賃金格差の要因 その1──女性は賃金交渉が好きでない
- 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる
- 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
- 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信
- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
- 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石
- 第74回 チーフは救世主? コンゴ民主共和国での徴税実験と歳入への効果
- 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新
- 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか?
- 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが……
- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
- 第79回 国際的な監視圧力は製造業の労働環境を改善するか? バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後
- 第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化
- 第81回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(2)――事故に見舞われた工場に発注をかけていたアパレル小売企業は、事故とどう向き合ったのか?
- 第82回 児童婚撲滅プログラムの効果
- 第83回 公的初等教育の普及、それは国民を飼い慣らす道具──内戦による権力者の認識変化と政策転換
- 第84回 先生それPハクです──なぜ実証研究の結果はいつも「効果あり」なのか?
- 第85回 教育の役割──教科書は国籍アイデンティティ形成に寄与するのか
- 第86回 解放の甘い一歩