IDEスクエア
コラム
第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051473
2019年10月
(2,707字)
今回紹介する研究
Jonas Hjort and Jonas Poulsen, "The Arrival of Fast Internet and Employment in Africa," American Economic Review, 2019, 109(3): 1032-1079.
宿のロビーで空港までのバスを待ちながら、ぼんやり周囲を眺めていると、ヘッドホンの若者が一人、ノートパソコンで作業をしている。ここはエチオピアの首都アディスアベバだ。しばらくしてスーツを着た人がやってきて挨拶を交わした後、若者がスーツに画面を見せる。筆者も画面を盗み見る。カフェのホームページだ。ヒジャブにヘッドホンの彼女は自信たっぷりに、スーツの女に説明を行う。スーツはどうやらカフェの店主で、ホームページ作りを請け負った若者と仕上がりを確認していたのだろう。スーツは満足だろうか。バスが迎えに来た。
海底ケーブルと共にブロードバンドがやってくる
本論文は発展途上国・新興国と呼ばれる国々での情報通信技術の向上が、雇用創出に結びつくかという問いに対して初めて厳密に答えたもので、世界銀行の『世界開発報告2016――デジタル化がもたらす恩恵』の問題意識に直結している。本論文は最近10年間にアフリカ大陸外からアフリカ大陸沿岸に敷設されてきた海底ケーブルに注目した。海底ケーブルの中には、外国にあるサーバとアフリカ諸国間の高速通信を可能にする大容量通信回線(以下、ブロードバンド)が収まっているからだ。海底ケーブルが敷設されて着岸し、地上基幹回線(以下、バックボーン)に接続されると、通信が高速化する。本論文はその敷設時期の違いを活用し、海底ケーブル着岸10年以上前から主に電話回線として敷設されていた旧来のバックボーンに近いほどブロードバンドへのアクセスは良好だが、潜在的な成長率はバックボーンの近くも遠くも同じと仮定した。この仮定は現実的で、将来の成長率の高い地域を選んでブロードバンドが導入されたという逆因果の可能性は低い。こうして実際に海底ケーブルが着岸した後の雇用成長はブロードバンドの効果によるものだと解釈し、バックボーンの近隣地域の方が雇用は伸びやすいという仮説をアフリカ諸国で検証した。
これまでの米国や欧州の実証研究によれば、情報通信技術の向上は教育年数の長い者の雇用と賃金を増やすが、短い者に不利に働く。特にノルウェー統計局の行政データを用いた研究では、ブロードバンドの敷設は非定型業務の熟練雇用を増やしたが、定型業務に従事する未熟練雇用を代替した。こうした証拠によれば、通信の高速化は技能偏向的技術進歩とみなすべき、となる。
ブロードバンドの登場が雇用を増やす
著者らはどのような作業を行ったのだろう。まず大陸を10キロ四方の区画に分割し、海底ケーブルの着岸地点とバックボーンの地図を使って、各地の実際の通信環境を把握した。このため、世界中でサーバ・サービスを提供するアカマイ社から、大陸900地点における2007年から14年まで四半期ごとの平均通信速度の情報を入手し、バックボーンの近くでは海底ケーブルが敷設された後にインターネットが高速化するとともに、インターネット利用率が高まったことを示した。
そのうえで、複数の家計調査を用いて雇用への影響をみた。アフリカ大陸5億人分に相当する計12カ国(ベナン、コンゴ民主共和国、ガーナ、ケニア、マダガスカル、モザンビーク、ナミビア、ナイジェリア、セネガル、南アフリカ、タンザニア、トーゴ)の人口統計・健康調査(DHS)やアフロバロメーターといった家計調査を用い、そこに南アフリカの労働力調査(QLFS)を加えた。地上バックボーンから遠い家計に比べて、500メートル以内の家計では、海底ケーブル敷設年に雇用率が最大で13.2%、最小でも3.1%伸びた。労働時間も伸び、フォーマル雇用が増え、未熟練職よりも熟練職をより増やす。全く学歴の無い人のみがブロードバンドの影響を受けないが、短くとも教育を受けた人は雇用が伸びた。特に、教育年数の長い者が熟練労働に就きやすくなった。
なぜ雇用が増えるのか――企業参入の増加・生産性の上昇・輸出の増加
最後に、南アフリカとエチオピアの企業調査および、世界銀行による調査(ガーナ、ケニア、モーリタニア、ナイジェリア、セネガル、タンザニア)を用いて、雇用創出経路を明らかにした。ブロードバンドの登場により(1)高速通信による利益が大きいと考えられる企業の参入が増え、(2)生産性が上昇し、(3)輸出が増加するという3つの経路を考察した。これらを順に検証したところ、海底ケーブル着岸後、バックボーンへのアクセスが良い地域の方が、サービス・金融業を中心に企業参入が大きく増え(南アフリカ)、企業生産性と熟練労働の付加価値が高まり、その結果として熟練労働需要が増加し(エチオピア)、職場訓練も増え、輸出額も増加した(上記6カ国の世界銀行調査)。これらが労働需要を増やし、大きな雇用の伸びにつながったと解釈できる。さらに衛星画像から入手した夜間光を所得水準の代理変数として分析したところ、ブロードバンドへのアクセスが良くなった地域では所得も伸びた。
まとめよう。通信の高速化で熟練・未熟練労働者の生産性が変わり、個別企業内で労働需要が変化し、内部で構造変化が起きた。しかし技能偏向性は大きくなかった。なぜなら教育年数の長い者の業務内容が変わり、それを補完する労働需要が教育年数の短い労働者に生まれ、結果として多様な労働者の雇用機会を創出したからだ。このように海底ケーブルの敷設前後を比較することで、誰もが知りたい技術環境変化の影響を経済学の言葉で明確に再定義し、多彩な個票と仮定を組み合わせて統計的に答えを出している。本論文は技術と雇用の関係について思考を刺激するという意味でも、産業構造変化のための制度設計の基盤としても、極めて高い水準に到達した作品だ。
著者プロフィール
町北朋洋(まちきたともひろ)。京都大学東南アジア地域研究研究所准教授。博士(経済学)。専門分野は労働経済学。2006年4月から2019年5月までアジア経済研究所研究員。編集委員の一人として「IDEスクエア」の創刊に携わる。2019年6月から現職。関連解説記事に「途上国の産業発展を理解する新視点――生産資源の再配分と経営慣行」(『アジ研ワールド・トレンド』246号[分析リポート]、2016年4月号)。
【連載目次】
途上国研究の最先端
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
- 第42回 安く買って、高く売れ!
- 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき
- 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史
- 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から