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コラム
第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050845
2019年4月
(2,258字)
今回紹介する研究
Neva Ashraf, Natalie Bau, Nathan Nunn, and Alessandra Voena. "Bride Price and Female Education," Journal of Political Economy, forthcoming.
サブサハラアフリカや東南アジアの一部では、婚姻時に花婿側が花嫁側に送る婚資の慣習がみられる。婚資とは、結婚市場で決定される花嫁の価格であり、それは女性に対する不当な扱いを助長させるとして、廃止すべきという政策論争がある。実際、ケニアやウガンダではそれぞれ2012年、2015年に、婚資は法律で禁止された。
婚資の具体的な弊害として、高い婚資を受け取るために娘の結婚を早めたり、離婚して実家に戻れば婚資を返金しなくてはならないことから、結婚生活における女性の交渉力を引き下げることが挙げられてきた。一方で本研究は、婚資には女性の教育水準を引き上げる可能性があることをインドネシアとザンビアのデータを用いて示し、本論争に一石を投じる。本研究の核となる発想は、親は娘の教育投資を婚資という形で将来回収できるため、婚資の慣習がある社会では女子の教育水準が上昇するというものである。
婚資慣習を持つ社会の方が、教育コストが低下した時の教育水準上昇効果が大きい
本研究ではまず結婚市場のマッチングモデルに依拠しつつ、婚資を伝統的に実践してきた民族か否かによって娘の教育に関する親の意思決定が異なるという理論的枠組みを構築し、次の仮説を提示した。女性の教育水準が低い社会においては、教育コストの低下が女子の教育水準を引き上げる効果は婚資の慣習がある民族の方が大きいという仮説だ。
上記仮説の検証において注目する教育水準のアウトカムは、インドネシアについては初等教育修了率で、ザンビアについては初等教育就学率である。教育投資の意思決定の内生性に対処するため、Duflo (2001)の分析手法にならい、国レベルの大規模な小学校建設プロジェクトという、教育コストが外生的に低下するような自然実験的状況に着目した。具体的には、インドネシアでは1973年から1978年にかけて、ザンビアでは1994年から2007年にかけて大規模な小学校建設プロジェクトが進められたため、地域および生まれ年によって、最寄りの小学校までの距離が異なってくる。それを教育コスト低下の自然実験として利用し、仮説検証を行うという分析手法だ。より具体的には、インドネシアでは建設プロジェクトの前後による教育水準の違いをみる。ザンビアでは調査年における行政区面積当たり学校数による教育水準の違いをみる。
次に、婚資慣習の内生性も気がかりだ。これについては、現実に婚資を実践しているかどうかでなく、伝統的に婚資を実践してきた民族か否かという民族レベルの変数を用いて対処している。文化人類学の先行研究に依拠し、伝統的な婚資の実践はイスラーム改宗以前の土着の慣習であることにも触れ、教育投資に対して外生的であることを強調している。
分析の結果、小学校が近くにできて教育コストが低下すると、婚資を伝統的に実践してきた民族では女子の教育水準が有意に引き上げられるが、そのような慣習がない民族では同様の効果がみられない、という実証結果が示され、仮説は棄却されなかった。
本研究の意義
近年、途上国の経済成長や援助の効果を考えるうえで、文化的な背景が無視できないことが示されてきたが、本研究もその一つに位置づけられる。婚資はダウリー(結婚持参金)同様、女性の差別的な扱いにつながる悪習のようにみられることが多い。本研究の最大の意義は、一見したところの悪習も背景によってはプラスの側面があり得ることを示した点だろう。
さらに、途上国の親は女子への教育投資のインセンティブに欠けるとされる。インドネシアの小学校建設プロジェクトの効果が、平均してみると男子にしかみられないことはその一例であり、その原因として、これまでの研究は男系社会における老後保障などを示してきた。しかし、婚資によって女子への教育投資の収益率が高まれば、親の教育投資を妨げている障害を一つ解消することにもなり得る。経済成長や援助の効果をみる際、文化的背景も含めて総合的に研究することの重要性を示唆する論文といえよう。
著者プロフィール
牧野百恵(まきのももえ)。アジア経済研究所地域研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は家族経済学、人口経済学。著作に"Dowry in the Absence of the Legal Protection of Women's Inheritance Rights"(Review of Economics of the Household, 2019)、"Marriage, Dowry, and Women's Status in Rural Punjab, Pakistan"(Journal of Population Economics, 2018)等。
参考文献
- Duflo, Esther, "Schooling and Labor Market Consequences of School Construction in Indonesia: Evidence from an Unusual Policy Experiment," American Economic Review, 2001, 91(4): 795–813.
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
- 第42回 安く買って、高く売れ!
- 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき
- 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史
- 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から
- 第46回 暑すぎると働けない!? 気温が労働生産性に及ぼす影響
- 第47回 最低賃金引き上げの影響(その3)アメリカでは(皮肉にも)人種分断が人種間所得格差の解消に役立ったらしい
- 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動
- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
- 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
- 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない
- 第52回 競争は誰を利するのか? 大企業だけが成長し、労働分配率は下がった
- 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」
- 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響
- 第55回 マクロ・ショックの測り方――バーティクのインスピレーションの完成形
- 第56回 女性の学歴と結婚――大卒女性ほど結婚し子どもを産む⁉
- 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか
- 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性
- 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響
- 第60回 貧すれば鋭する?
- 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か
- 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい
- 第63回 貧困からの脱出――はじめの一歩を大きく
- 第64回 大学進学には数学よりも国語の学力が役立つ――50万人のデータから分かったこと
- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
- 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合
- 第67回 男女の賃金格差の要因 その1──女性は賃金交渉が好きでない
- 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる
- 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
- 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信
- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
- 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石
- 第74回 チーフは救世主? コンゴ民主共和国での徴税実験と歳入への効果
- 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新
- 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか?
- 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが……
- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
- 第79回 国際的な監視圧力は製造業の労働環境を改善するか? バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後
- 第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化
- 第81回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(2)――事故に見舞われた工場に発注をかけていたアパレル小売企業は、事故とどう向き合ったのか?
- 第82回 児童婚撲滅プログラムの効果
- 第83回 公的初等教育の普及、それは国民を飼い慣らす道具──内戦による権力者の認識変化と政策転換
- 第84回 先生それPハクです──なぜ実証研究の結果はいつも「効果あり」なのか?
- 第85回 教育の役割──教科書は国籍アイデンティティ形成に寄与するのか
- 第86回 解放の甘い一歩
- 第87回 途上国の医療・健康の改善のカギは「量」か「質」か
- 第88回 人種扇動的レトリックの使用と国家の安定性──ドナルド・トランプの政治集会が黒人差別に与えた影響
- 第89回 都合が良ければ「民主的」、そうでなければ「非民主的」──政治的行動に対する知覚バイアスを探る