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コラム
第87回 途上国の医療・健康の改善のカギは「量」か「質」か
Is the key to improving health in developing countries the quantity or quality?
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001129
2024年10月
(5,329字)
今回紹介する研究
Edward N. Okeke. 2023. “When a Doctor Falls from the Sky: The Impact of Easing Doctor Supply Constraints on Mortality.” American Economic Review, 113(3): 585–627.
途上国における医療・健康の改善はどのように図るとよいだろうか? 1978年に世界保健機関(WHO)と国連児童基金(UNICEF)が共催した国際会議において採択されたアルマ・アタ宣言は、すべての人々が基礎的な保健医療サービスを享受できる社会を目指し、「プライマリ・ヘルスケア(PHC)」という概念を確立したターニングポイントであった。PHCは、地域住民のニーズに基づいた包括的なサービスを、身近な場所で、経済的に負担可能な形で提供することを目指すもので、それまでの病院中心の医療から、地域に根ざした医療への転換を促した。さらに、健康の社会的な決定要因にも着目し、貧困、教育、環境などが健康に影響を与えるという考え方は、その後の国際保健政策に大きな影響を与えた。
PHC実現のために広く展開されたのは、医療のアクセスを改善するために、医療施設を各地に設置し、医療サービスの提供を量的に増加させることだった。しかしその後の研究で、医療サービスの提供拡大だけでは健康状態は必ずしも改善しないことが指摘された。こうした結果を踏まえて、医療提供における量と質の役割に着眼したのが、今回紹介する研究である。これまでの研究では、医療従事者の数や医療施設の数を増やすといった量的拡大政策の効果検証が中心であった。しかしOkeke論文は、どのような医療従事者であっても配置すればよいのか、あるいは十分な教育を受けた医師でないといけないのか、という質的側面がもたらす効果の検証を通して、途上国における医療・健康の改善に必要な条件は何か考えようというのだ。
政策実験
ナイジェリアは人口2億人を超える世界第7位の人口大国だが、1人当たりの国民総所得は約2000ドルであり、世界銀行によって低中所得国に分類されている。妊産婦死亡率をはじめ、多くの指標が低水準にとどまっている。例えば、5歳未満児死亡率は1000人中132人と、より貧しい国よりも高く、平均寿命も54歳とサハラ以南のアフリカの平均61歳を下回っている。その背景には医療へのアクセス不足と深刻な医師不足があると考えられており、実際人口1000人当たりの医師数はWHO推奨の1人を大きく下回るわずか0.4人となっている。多くの医療機関には医師が常駐しておらず、加えて都市部と農村部における医療格差も深刻であることが指摘されている。
Okeke論文は、ナイジェリアにおける医療従事者の配置に関するランダム化比較試験を報告した研究である。実験では農村地域における医療機関とその管轄区域(以下コミュニティ)を3つの群に割り付けた。医師を追加配置する群、医師ではなく中級医療従事者(midlevel health provider、以下MLP)を追加配置する群、既存の医療機関とその人員のままの比較対照群である。介入期間は約1年間で、主要アウトカムを新生児死亡率と定めた。
この政策実験の白眉は、医師派遣群だけでなく、医師ではないMLPを派遣する群が準備されている点だ。仮に、医師派遣群と比較対照群しかなく、医師派遣群において健康指標が改善したとして、それが医師という人材がもたらした医療サービスの質的改善によるのか、それとも単に人員が増えたことでもたらされた量的改善によるのか、判断することは難しい。そこで実験では、現実的に農村部の医療サービス提供を担っているMLPの派遣群を用意した。もし人員増加による量的改善が効果的であるなら、MLP派遣群と医師派遣群のいずれでも新生児死亡率が改善するはずだ。しかし、医師が持つ高度な医療知識という質的改善こそがナイジェリア農村の健康指標改善に重要なら、MLP派遣群ではなく医師派遣群に割り付けられたコミュニティでのみ健康指標が改善するはずだ。
ところで、派遣される医師やMLPはどのような人材だろうか。派遣対象となる医師は、ナイジェリアの医科大学を卒業したばかりの新卒で、National Youth Service Corps (NYSC)という制度を通じてリクルートされる。NYSCはナイジェリア国内での就職を希望する大学卒業生全員が参加を義務付けられている地域奉仕プログラムで、参加者は国内の様々な州に1年間派遣され、その地域での就労に1年間従事するという。MLPには2つの資格取得者が含まれており、3年の研修プログラムを修了したCommunity Health Officerと、さらに5年以上の実務経験と2年間の研修を修了したCommunity Health Extension Workerである。MLPは実験対象コミュニティのある州が1年契約で募集した。こうしてリクルートされた医師やMLPが、実験対象コミュニティを管轄区域とする医療機関に派遣され、1年間業務を行った、というのが実験の骨子である。
実験結果
異なる資格取得者が派遣された医療機関やその管轄区域コミュニティでは、比較対照群のコミュニティと比べて、どのような変化があったのだろうか。Okeke論文は多くの結果を報告しているが、そのうち特に重要な内容を確認していこう。
(1)医療従事者、特に医師の供給と、彼らへのアクセスは改善したか?
医師やMLPを追加的に医療機関に配置したのだから、供給やアクセスが改善したことは自明なはずで、わざわざ検証する必要はないのでは?と考える読者もいるかもしれない。しかし、こうした基本の検証は、学術研究ではとても重要だ。もし政策実験がうまくいっておらず、派遣した医療従事者が指示に従わずに異なる任地に赴いていたり、追加的な従事者の派遣を受けて既存の従事者が解雇されたりしていたら、実験の正当性・妥当性が毀損し、その検証結果は信ぴょう性に乏しいということになる。
しかしデータは、こうした不安が杞憂であったことを示している。具体的には、医師やMLPを派遣したコミュニティにおいては、派遣がなかった比較対照群のコミュニティに比べて、医療従事者の数が増加した。さらに、単に医療従事者というのではなく、医師の資格を持つ従事者の数は、医師を派遣したコミュニティにおいてのみ増加した。また、医師による診察や治療を受けた人の割合を対照群と比較すると、医師派遣群のコミュニティでは増加した一方、MLP派遣群のコミュニティでは変化がみられなかった。これらは、政策実験が想定どおりに実行された蓋然性が高いことを示している。
(2)健康指標として選択した新生児死亡率は改善したか?
さて、医師やMLPの供給やアクセスが改善したとして、それが実際に健康指標を改善したのだろうか? データによれば、比較対照群とMLP派遣群のコミュニティの新生児死亡率にはほとんど違いがみられなかった一方で、医師派遣群のコミュニティにおいては新生児死亡が改善した。さらにその傾向は派遣後時間を追うごとに大きくなる傾向も認められた。これらの発見は、既に地域医療を担っているMLPを追加的に派遣することは、新生児死亡率に代表される健康指標の改善には必ずしも寄与しないが、追加的な派遣が医師であったならば、健康指標を改善する可能性があることを示唆している。つまり、この政策実験の舞台となったナイジェリア農村部において、健康指標を改善するには、やみくもに医療従事者の数を増やすのではなく、医師という資格に裏打ちされた質の高い医療従事者を増やすことが重要だということが示唆されているのだ。
(3)医師がきたことで、本当に提供される医療の質が上がったのか?
医療従事者が派遣されてくればコミュニティの医療従事者が増え、それがMLPではなく医師であれば健康指標が改善することまでは分かった。しかし、それは本当に医療の質が上がったことによるのか?もしかしたら医師に備わる何か別の性質によるのではないか?とここまで詰問する読者も多くないかもしれないが、こんな厳しい疑問にもOkeke論文は部分的に答えようとしている。
まず、派遣された医師とMLP、さらに既存のMLPに対して、一般的な医療知識や実際の症例・患者事例に関するテストを行い、臨床スキルを計測した。すると、既存のMLPと新規派遣のMLPの間には特段の違いがない一方、新規派遣の医師は突出して臨床スキルが高いことが分かった。加えて、知識レベルだけではなく、実際の診療行為を観察した記録からも、臨床行為の適切度が高いことが示されている。例えば、熱病への対応がマニュアルに準拠していたり、問診や触診の頻度や時間が増加したり、最終的な診断を患者に明確に伝えたり、などである。こうした提供医療の質的改善は、医師だからこそできることであり、ゆえに健康指標の改善をもたらした、というのが論文の主張である。
総括と今後の研究への展望
ここまで包括的にエビデンスを重ねたOkeke論文の主張は明解である。既存のMLPによる医療提供の質が高くないがために、健康指標が悪いような地域では、さらにMLPを増やすより、知識とスキルが担保された医師を増やすと効果が高い、ということである。しかし、医師の供給を増やすことが簡単でないからこそ現状が厳しいわけでもある。そこで、MLPが提供する医療の質を上げるような研修制度などを用意することも、代替的な可能性として提案している。それがひいてはナイジェリアやより貧しい国々におけるPHCの実現につながるだろう、というわけだ。
本研究の主張は大変に明解で、多くの人が薄々感じていただろうことをデータで検証し明示したことも意義深い。だからこそ、今後の研究への展望について触れておきたい。一つは、本論文の舞台となったナイジェリアの農村部医療の環境である。各コミュニティに平均5人のMLPがいるところに、さらに1人を派遣するという政策実験をしたところ、その1人がMLPではあまり意味がなく、医師であれば効果覿面ということなのだが、もし仮に国中どこにいってもMLPすらいないような全くの無医村だったなら、派遣する1人がMLPであっても効果はあるかもしれない。あるいは医師を派遣するとしても、既にどのコミュニティにも何人も医師がいたならば、追加的な1人は医師よりも助手や事務員の方が効果的かもしれない。つまり、ほかの多くの実験とも共通する課題だが、今回の政策実験も同じく外的妥当性は厳しく評価しなければならない。換言すると、本研究の結果はどの程度幅広い文脈に適用可能なのか?という疑問は、今後の研究蓄積で問われることになる。
もう一つ指摘するならば、本研究が分析した政策実験の設計は、本当に質の実証になっているのか?という点である。医師派遣群も、MLP派遣群も、医療従事者がコミュニティに追加的に1人派遣されており、それが医師なのかMLPなのかが本実験の核心部なわけだが、いずれにせよ1人増えていることには変わりない。そもそも論だが、各医療機関にいるMLPが平均5人なのは、医療予算や、施設の物理的な制約に影響されている可能性が高い。平均5人がもし雇用可能な最大数、あるいは最適配置状態だとして、その「量」を保ったまま「質」を改善したときの健康指標の改善こそ、問うべきではなかったか。そうだとすれば、追加的に派遣するのではなく、医療従事者の総数は一定のまま既存のMLPを医師と入れ替えるような実験設計こそが、問いにまっすぐ答えていないだろうか。
さらに、本質的な問いは、量か、質か?ではなく、途上国のPHC実現に何が必要なのか?であったはずで、そのための方法には第三、第四ともっと多くの軸があるかもしれない。例えば経済学では、雇用労働者はもちろんのこと、教師や公務員をはじめ、末端医療従事者を対象として、どのような採用方法や雇用条件が彼ら・彼女らの成果を向上させるかに関する研究が近年活発に行われている。この視点から本論文の実験を振り返ると、医師とMLPでは契約内容が異なっている可能性を指摘できる。いずれの職種でも採用期間を揃えるなど、一定の配慮はみられるが、実験期間終了後の再就職やキャリアアップの可能性、それを見越した現職での努力の仕方までを含めると、話は一筋縄ではなさそうだ。
実験の設計者が本論文の著者自身ではなかった、あるいは既存の制度との兼ね合いや制約があったために、純粋に研究的な見地から望むような実験設計ができなかった可能性はある。そして、このこと自体は今回紹介した論文のエビデンスをなんら毀損するものでもない。むしろ、多くの研究が今後重ねられていくなかで、実験の設計自体が研究者に委ねられるようなことがあれば、上に挙げたような視点や、それをさらに超えるような視点も取り入れながら、PHC実現に必要な要素を探求する努力が求められるだろう。
著者プロフィール
永島優(ながしままさる) アジア経済研究所 開発研究センター、ミクロ経済分析グループ研究員。博士(開発経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ計量経済学、人的資本投資。主な著作に“Female Education and Brideprice: Evidence from Primary Education Reform in Uganda.”(山内慎子氏と共著、The World Bank Economic Review, 37(4), 2023)、“Pregnant in Haste? The Impact of Foetus Loss on Birth Spacing and the Role of Subjective Probabilistic Beliefs.”(山内慎子氏と共著、Review of Economics of the Household, 21, 2023)など。
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