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第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化

Does democratization amplify discrimination? The politicization of identity in the Indonesian bureaucracy

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/0002000863

2024年3月

(4,106字)

今回紹介する研究

Jan H. Pierskalla, Adam Lauretig, Andrew S. Rosenberg, and Audrey Sacks. 2021. “Democratization and Representative Bureaucracy: An Analysis of Promotion Patterns in Indonesia's Civil Service, 1980–2015,” American Journal of Political Science 65 (2): 261-277.

民主化はさまざまな不平等を是正すると期待される。それまで権威主義のもとで抑制されてきた政治参加の機会が広がり、政治的な自由が保障されるなかで、多くの人が自らの政治的な選好を表明し、その利益代表を政治の場に送ることができるはずである。社会において劣位に置かれてきた人々もそうした機会や権利を活用し、不平等解消の声が政治の場にも出されれば、差別は減少するだろう。

公務員の採用・昇進においても同様のことが期待できる。公務員の構成は、政府の資源配分に大きな影響を与える重要な問題である。民主化により公務員、特に幹部公務員のなかでそれまで周縁化されてきた属性の人々が増えれば、劣位にある人々も資源配分の恩恵を受けることができ、社会の不平等も是正されていくと見込まれる。

しかし、本研究は、民主化が公務員の昇進において特定の属性を持つ人々に対する差別傾向を強めると主張する。民主化によって政治的競争が激化したとき、政治家たちがアイデンティティの亀裂を政治動員の手段として使用すると、多数派グループの排他的な行動が特定の人々の昇進に抑制をかけるというのである。

これを実証するために、著者たちはインドネシアの公務員を取り上げた。アジア通貨危機のあおりを受けて1999年に起こったインドネシアの民主化は、かなり突発的なものであり、公務員の昇進にとっては外生的に与えられたショックだった。そのため、民主化の効果を検証するのに適しているというわけである。検証の結果、女性や宗教的少数派の昇進が民主化後に抑制されたことが示された。つまり、民主化が不平等を深めたということになる。

因果メカニズムの説明

「民主化が不平等を深めた」とすると、民主主義が本質的にそうした問題を持つかのような印象を受けるかもしれない。しかし、本研究の主張は、より正確に言えば「状況によっては民主化によって不平等が深まる」というものである。

民主化は自由な選挙を実施することで政治的競争を高める。選挙に勝つために、政治家は有権者を動員する有効な手段を必要とする。その手段として、人々の持つアイデンティティが強調される。社会を分断する亀裂を利用して多数派を形成し、そこに属する有権者のアイデンティティに訴えかけることで、彼らの支持を獲得する戦略である。これは、少数派を排除することでもある。

本研究では、こうした状況が起こりやすいのは、民主主義の経験の少ない新興民主主義だと考えられている。大多数の新興民主主義では、民主主義を長く経験するなかで形成されていくはずの少数派の権利に対する保護規範が弱く、また政策を存在基盤とした政党も不在である場合が多い。そこでは、政府の持つ資源の奪い合いが政治的な競争の中心に据えられ、政策の代わりにアイデンティティの亀裂を利用したグルーピングが有効になる。さらに、アイデンティティを強調する政治家たちは、自分の属する多数派にとって都合の良い形で政府資源配分を長期的に維持しようとするために、政策実施の裁量を持ち、任期が保障された幹部公務員に、自分の望む属性の者を任命するようになる。

一方、その多様性ゆえに一概には言えないものの、権威主義体制のなかには、政治秩序の安定のために、社会の亀裂の政治化が抑制されるものも少なくない。亀裂が政治化すると政治秩序を揺るがす暴力的な行動が生まれやすいためである。本研究の取り上げるインドネシアのかつての権威主義体制もそこに含まれよう。また、権威主義体制では、自分の権力を脅かす政治的競争を抑制したために、権力者は必ずしも多数派の要求に応えなくても権力を維持することができる。そうすると、相対的に見れば、少数派の地位はある程度、保障される見込みが高くなる。

インドネシアの文脈では、こうしたアイデンティティを強調する政治動員は、イスラーム主義である。保守的なイスラーム主義によって政治の場から排除される属性は女性であり、異教徒、特に華人である。スハルト大統領のもとでの権威主義体制期では、限定的だが女性、華人の地位は保障されていた。そこではイスラーム主義が抑制され、女性や少数派に対する極端な周縁化が政権によって阻止されていた。しかし、民主化後には暴力を伴う宗教的対立、民族的対立が発生し、さらに、政治的競争の自由化とともに、イスラーム主義が拡大していった。本研究は、それが公務員における女性や宗教的少数派に対する差別を引き起こしたと説明している。

実証の方法と結果

著者たちは「女性であること、あるいは宗教的少数派の一員であることによって生じる公務員としての昇進に対する負の影響を、民主化が増幅する」という仮説を立て、1980年から1999年の民主化までの期間に採用されたインドネシアの公務員400万人以上の個人データを用いて、この仮説を検証した。このデータには性別、年齢、宗教、教育達成レベル、出生地、現在の勤務地、職種、階級、就業開始時期に加え、過去の仕事割り当て(勤務地、階級)など個人の属性が含まれる。これに基づき、各年の個人を観察単位とするパネルデータ(各人の就業開始時期から2015年まで)を作成し、統計的な分析を行った。そこでは、例えば、1980年就業開始の公務員は2015年までで合計36の観察数を生み出すことになる。総観察数が5100万件(400万人×勤務年数)を超える非常に大きなデータセットが分析に使われている。なお、権威主義政権に批判的だった人々が優先的に採用されるといったバイアスが生じる可能性があるため、民主化以降に採用された公務員は対象に含められていない。

分析手法としては、差分の差分法を用い、1999年の民主化以降に昇進抑制の傾向がより強くなっているかが検証された。また、パネルデータであることから、個人固有の要因や所属省庁、出生地、階級、各年に固有の要因の影響を制御している。

結果は、仮説を支持している。女性という属性に関しては、1999年以降、昇進抑制の強化が統計的に有意な水準で確認された。宗教的少数派という属性については、イスラーム以外の宗教、すなわち、プロテスタント、カトリック、仏教、ヒンドゥー、儒教について検証され、おおむね負の効果が確認された。特に華人の代表的な属性である儒教ではそうした効果が大きく、統計的に有意な水準で仮説が支持されている。

実際、どの年から負の効果が発生しているかを確認する作業も行われ、女性に対する昇進抑制は2001年に出現し、2008年から大きくなっている。宗教的少数派についても、2000年代に入ってから昇進抑制が認められるようになっている。これは、民主化から一定の時間経過とともに、アイデンティティの政治化が進行したことを示す。

関連して、女性や宗教的少数派に対する昇進抑制が、2001年に導入された地方分権の効果でないことを確認したうえで、2005年以降の地方での直接選挙導入が地方において女性、宗教的少数派いずれにとっても、その昇進に負の効果をもたらしたことも示した。これは、直接選挙の導入で政治家による政治動員が活性化し、アイデンティティが大きく利用されたため差別が強化されたという説明と整合的である。

さらに、差別とアイデンティティによる動員の枠組みとの関連を確認するためにいくつかの追加の検証も行われている。そこでは、(1)政治指導者の影響で保守的なジェンダー規範や少数派への差別意識が大衆レベルでも深化していることが、世界価値観調査(World Values Survey)のデータによって示され、(2)イスラーム主義の強いアチェ州のデータに限定した検証で、女性の昇進に対する民主化後の負の効果が確認され、(3)イスラーム主義の政党所属の政治家が長となった省についても女性の昇進に対して負の効果が認められ、(4)イスラーム政党の得票率が高かった地区では昇進における女性と宗教的少数派への差別が強く、(5)イスラーム人口が多い地区でも地方選挙の導入後に差別の効果が強かったことが示された。

平等を実現する民主主義へ

公務員の構成、昇進から不平等を解消することは、単に民主主義の理念の問題にとどまらない。一般に、公務員の構成が多様であると、公共財の提供の質が向上すると見られている。それは、政府からの公共財の提供を必要とする社会的弱者の声が、そうした人々と同じ属性の公務員が存在することで政府に届きやすくなるからであり、また、弱者に対して配慮できる幹部公務員の存在が政策に与える影響によるものでもある。加えて、女性や少数派を幹部公務員に登用する候補者の人材プールに加えることで、選抜が大きい母集団から行われることになり、より能力の高い人材を採用する可能性が高まる。

先述のように、著者たちは、民主化の公務員昇進における差別的な効果を防ぐには、政策指向の政党が確立され、政策によって政治動員が行われるようになること、また、少数派の権利保護規範が確立され、制度化されることが重要であると示唆する。ただし、インドネシアのみを対象とした分析だけでは、必ずしも他の国も適用できる万能薬になりうるかはわからない。

少なくとも明らかなことは、さまざまな面で民主主義がうまく機能するようにするためには、競争が自由化されただけでは不十分だということである。本研究は、公務員の昇進をめぐるアイデンティティの政治化を題材に、民主主義の強化、質の向上の前に立ちはだかる課題のひとつを明らかにしている。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
著者プロフィール

川中豪(かわなかたけし) 亜細亜大学国際関係学部教授・アジア経済研究所連携研究員。博士(政治学)。専門分野は比較政治学。主要な著作として『競争と秩序──東南アジアにみる民主主義のジレンマ』白水社、2022年、『後退する民主主義、強化される権威主義──最良の政治制度とは何か』ミネルヴァ書房、2018年(編著)、翻訳としてサミュエル・P・ハンティントン『第三の波──二〇世紀後半の民主化』白水社、2023年など。

競争と秩序──東南アジアにみる民主主義のジレンマ

後退する民主主義、強化される権威主義──最良の政治制度とは何か

第三の波──二〇世紀後半の民主化

【特集目次】

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