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コラム
第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
Criminalisation of sex work: Is it worth a ban?
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00052207
2021年8月
(3,645字)
今回紹介する研究
Lisa Cameron, Jennifer Seager, Manisha Shah,"Crimes against morality: Unintended consequences of criminalizing sex work," Quarterly Journal of Economics, Volume 136, Issue 1, February 2021, Pages 427-469.
モラルに抵触する、タブーである、という理由で禁止される行為が社会にはある。禁止しなければならないのは、そうしないと必ず実施されてしまうからという、存在と禁止に関わる矛盾があるからに他ならない。禁止の手段は、行為を犯罪に指定して懲罰を与えること(=犯罪化)が多い。犯罪化すればその行為を減らす成果が期待できるが、その成果はどのような費用を支払って得られるのか。
キャメロンらの研究では、セックスワークを犯罪化したときの取引量と性感染症罹患の変化を検討している。既存文献では、セックスワークを犯罪化すると費用として性感染症が増える、と議論されてきた。禁止されているのに、禁止行為が引き起こす病気が増えるのは不思議に思える。しかし、現実をよく見ると、禁止されても完全に禁止できていない。禁酒法下の酒類販売のように、表の取引は消えても地下取引に移行して継続するものが一部ある。もしも、地下取引でコンドームが使われず、セックスワーカーが性感染症の検査を受けなければ、地下に移行した取引は表のときよりも性感染症をより多く引き起こす。
もっともらしい議論だが、実は今まで厳密に検証されたことがなかった。もしも、表の取引の多くが消滅して地下に移行する割合が限りなく小さければ、犯罪化によって性感染症は減る。減る可能性もあるので、禁止によって性感染症罹患者数がどうなるかは、データで確かめるべき実証的な課題である。今までの議論では、禁止してもそこまで減らないことが想定されていた。
実証されてこなかったのには理由がある。効果を厳密に推計するには、新たにセックスワークを犯罪化する地域を検討する必要があるが、そうした地域が稀であった。とくに、セックスワークは非犯罪化すべきという議論が増えるなかで、逆方向の犯罪化を決める政府は珍しかった。もちろん、既に禁止されている地域はあるが、禁止されていないときの状態を想像しづらいので、こうした実証に向いていない。本研究が取り上げるインドネシア東ジャワ州マラン県は、県創設記念日に県への「誕生日プレゼント」としてセックスワーク禁止令を導入した。禁止令の法的根拠は、インドネシア法の「モラルに対する犯罪」条項をそのように解釈できなくもないことにある。禁止令は2014年7月に発布され、同年11月に施行、現時点でも効力を持つ。
用いたデータは以下の調査データである。
- 施設(対象地域のすべて)
- セックスワーカー(消息が分かる人すべて)
- 顧客
- 周辺住民
- インドネシア社会経済調査データ(SUSENAS)
施設、セックスワーカー、周辺住民は禁止令以前と以後のパネルデータである。施設ではセックスワーカーの数を調べ、セックスワーカーには仕事の状況や収入などを尋ね、性感染症検査を実施している。施設には当局に認知されて性感染症検査を定期実施する「正規施設」(売春宿など)とそれ以外の「非正規施設」(路上など)があるが、対象地域の正規と非正規の全施設を調べているのが本研究の強みである。とくに、100人以上の路上セックスワーカーを1年にわたって追跡調査しているのは、貴重な情報源である。もう1つの強みとして、淋病検査によって感染の有無が分かることである。検査機会を提供するには費用がかかり、研究倫理審査も煩雑になるが、症状で感染を類推する研究よりも、罹患をより正確に判定できる。ただし、本研究ではバクテリア繁殖だけも性感染症ありと判定しているので、性感染症以外も含んでいると解釈しなければならない。
本研究では、禁止令導入前後の状態変化を禁止されるようになった地域と禁止されていない地域で比較する二重差分(difference-in-differences, DID)という方法で効果を推計している。DIDは本コラムで紹介された数多くの論文が用いる方法である(たとえば、第47回「最低賃金引き上げの影響[その3]」、第43回「家族が倒れたから薬でも飲むとするか」、第36回「携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす」など)。DIDは、禁止令がなかった場合に、マラン県と近隣県で性感染症などが共通トレンドに沿って変化していたはず、という識別仮定が成り立たないと推計値が歪む。このため、著者たちは、SUSENASデータで女性のコンドーム利用や女性就労が禁止令以前の期間で共通トレンドを持つことを統計学的に確認して、DIDの識別仮定が満たされていると判断している。しかし、住民女性のコンドーム利用率からセックスワーカーの性感染症を類推することに無理があるのに加え、共通トレンドは禁止令前後で満たされる必要があるのに導入前しか検討していない難点がある。よって、性感染症共通トレンドの傍証として根拠が弱い。推計結果の信頼性に疑問が残ることを念頭に置きながら結果を読み進めていく。
禁止令施行後1年以内では、セックスワーカー数は正規施設で半分までに減少し、非正規施設では変わらなかった。施行後4年経過した2017年に施設を再調査すると、非正規での数が増えて正規での数も若干回復したため、正規と非正規を合計したセックスワーカー総数は施行前の水準に戻っていた。つまり、犯罪化は地下取引を増やしたため、長期的に行為を減らしていない。平均価格も変化していない。ほかにも、セックスワーカーのデータを使い、セックスワーカー数が減った短期では、収入減によってセックスワーカー家庭の女児への支出が減ったり、男児の児童労働が増えたり、などの結果も示している。 性感染症は、近隣県に比べて、セックスワーク禁止令の出されたマラン県で増えた。マラン県のセックスワーカーが近隣県のセックスワーカーよりも、コンドームを携帯しなくなったことが原因と考えられる。犯罪化に伴って正規施設が書類上は業態変更したために、無料コンドーム配布や無料健診などの感染予防サービスが提供されなくなったことが背景にある。既存研究での議論どおり、インドネシア東ジャワ州では、セックスワークの犯罪化は性感染症を増やしてしまった。
近隣住民データからは、正規施設の近隣では男性の娯楽支出が減ったことが確認できる。一方、正規施設の近隣在住女性では、性感染症の症状を報告する件数が増えた。症状であり検査結果ではないが、犯罪化によって増えた性感染症罹患が周辺住民に広まったと著者たちは解釈している。著者たちはさらに、淋病の感染確率などを医学文献から引きながら、長期的にセックスワーカー数が回復したときに、住民一般への蔓延率が禁止令以前よりも増えることを示している。
推計方法の仮定が満たされているか疑問があるし、禁止令のどの要素が性感染症を増やしたか不明、などの不満は残る。しかし、定住率の低いセックスワーカーを追跡調査し、セックスワークの犯罪化が性感染症を増やすことを医学的な検査結果をもとに示した本研究の貢献は大きい。その背景にコンドームの利用減少があり、犯罪化されても4年経てばセックスワーカー数は元に戻ることも、今後の政策に影響を与えるだろう。セックスワークに限らず、薬物利用、中毒性物質摂取、賭博など、モラルに反しながらも存在し続ける行為に対しても、本研究は政策論議に一石を投じている。犯罪化には減らす効果があるのか。しっかり推計した研究はあるのか。副作用を減らす(harm reduction)アプローチによって、まずは悪影響を弱めることが現実的な政策対応ではないか。存在と禁止の矛盾は続く。
論文の概要
著者プロフィール
伊藤 成朗(いとうせいろう) アジア経済研究所 開発研究センター、ミクロ経済分析グループ長。博士(経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ経済学、応用時系列分析。最近の著作に"The effect of sex work regulation on health and well-being of sex workers: Evidence from Senegal." (Aurélia Lépine, Carole Treibichと共著、Health Economics, 2018, 27(11): 1627-1652)、主な著作に「開発ミクロ経済学」(『進化する経済学の実証分析』 経済セミナー増刊、日本評論社、2016年)など。
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