IDEスクエア
コラム
第98回 石油の採掘権は誰の手に?地元企業 vs. 多国籍企業
Who controls the extraction rights?Local firms vs. multinational corporations
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001496
2025年9月
(2,326字)
今回紹介する研究
Jonah M. Rexer. 2025. “Corruption as a Local Advantage: Evidence from the Indigenization of Nigerian Oil.” American Economic Review, 115 (3): 1019-1057.
天然資源は発展途上国の経済発展に重要な影響を与える要素の一つであり、多国籍企業がしばしば、その採掘を行う。しかし、現地政府の治安維持機能が不十分なため、現地の武装勢力や犯罪組織による採掘現場の襲撃や、天然資源の盗難といったリスクに直面する企業も多い。このような犯罪被害を減らし、採掘権者が正規の市場で販売できる天然資源の生産量を増やす方法はないだろうか。本論文の著者は、採掘の担い手を多国籍企業から地元企業に移すこと(以下、採掘の地元企業化)を解決策として提案する。
採掘の地元企業化のメカニズム
なぜ、採掘の地元企業化が犯罪被害を減らし、生産量を増やすことにつながるのか。この問いに対し著者は、そもそも現地政府の治安維持機能が十分発揮されない原因は、法執行機関と犯罪組織との癒着にあると指摘する。違法行為から得られる利益の一部が法執行機関に流れているとすれば、法執行機関が犯罪行為を積極的に取り締まる誘因は弱くなる。採掘の地元企業化はこの問題を克服する。具体的には、地元企業は政府内のエリート層(例:警察官や軍人、その親族)をその株主や取締役に選任し、彼らを天然資源の採掘から得られる企業利益の直接的な享受者とすることができる。犯罪組織と癒着するよりも犯罪行為を取り締まることが自己の大きな利益につながるならば、法執行機関担当者はその職務に専念するに違いない。犯罪被害が減れば、結果的に生産量も増えるだろうというのが著者の考えだ。株主や取締役の選任にあたって、企業倫理やコンプライアンス、外部投資家や市民の目を気にしなければならない多国籍企業では、容易に採用できない戦略だ。
ナイジェリアでは採掘の地元企業化により、犯罪行為の取り締まりが活発になり、石油の盗難が減り、合法的な生産量が増えた
上記メカニズムを検証するため、著者はナイジェリアの石油産業を分析する。同国では、シェルやエクソンモービルといったメジャーズ(国際石油会社)が伝統的に石油の採掘を行っていたが、犯罪組織による襲撃や盗難に伴う採掘コストの増加、新規または売却済みの石油鉱区(探鉱や採掘を行うことができる一定の土地の区域)の入札において地元企業を優先する政府の方針などに伴い、2010年以降、採掘者が地元企業である油田が増えている。そこで著者は、石油生産量や盗難件数などについて、地元企業が採掘に参加するようになった油田のその参加前後の時系列変化を、地元企業が採掘に参加したことのない油田の同期間の変化と比較した(差分の差分法)。
分析結果によると、地元企業が採掘に参加するようになった油田では、警察や軍による犯罪行為の取り締まり(襲撃、石油の押収、逮捕など。国内外の報道記事から著者が集計)が活発になった。行政データを用いた分析からは、石油の盗難件数(第三者の妨害行為による石油流出件数で測定)が減り、合法的な生産量が増えたこともわかった。生産量の増加は政府の歳入増にもつながった。また、地元企業が採掘に参加した油田近辺では、暴力事件による死亡者数も減った。
さらに、警察や軍での何らかの経験を持つ株主や取締役がいる企業が採掘に参加している油田ほど、犯罪行為の取り締まりが活発で、石油の盗難件数が少なく、生産量が多いことも著者は示している。そのような企業は多国籍企業よりも地元企業に多いため、これらの分析結果も、著者が主張する地元企業化のメカニズムを裏付ける証拠の一つとなっている。
環境悪化の懸念はあるが、社会厚生には正の影響をもたらしたようだ
採掘の地元企業化はよい結果ばかりをもたらすとは限らない。著者の別の分析によると、地元企業が採掘に参加するようになった油田では、第三者の妨害行為を理由としない石油流出やガスフレアリング(ガスの燃焼放出)の件数が増えており、これらは環境汚染につながった可能性がある。このことは地元企業の採掘技術がメジャーズなどに比べ低いことを意味する。そのため著者は、採掘の地元企業化が社会全体の厚生水準に与える影響を試算する。正規市場で販売される生産量の増加や、闇市場で販売される違法な石油の減少に伴う生産者余剰の変化、警察や軍による犯罪行為の取り締まり費用の増加、石油流出が環境や健康に与える悪影響、暴力事件の減少、地元の製油産業に与える影響など、考慮すべき要素は多くある。十分考慮できない要素(例:地元企業と多国籍企業との採掘費用の差、地元企業化による将来の投資抑制効果、犯罪行為の取り締まり費用)があることを認めつつも著者は、採掘の地元企業化は社会全体に正の影響をもたらし、社会厚生の増加額は最大でナイジェリアのGDPの2.3%から5.7%に及ぶと主張する。
癒着があるなかでの次善策であることを忘れてはいけない
ナイジェリアの石油産業では、採掘の地元企業化は社会全体に正の影響をもたらしたことがわかった。他の発展途上国や異なる天然資源の文脈でも、同様のことが言える可能性がある。しかしこれは、法執行機関と犯罪組織との癒着があるなかでの次善策であることを忘れてはいけない。そのような癒着がなく、犯罪行為の取り締まりが適切に行われ、また環境配慮に優れた技術をもつ企業が採掘を行うことができればそれにこしたことはない。そのため、このような理想的な状況をつくりだす努力が長期的には求められる。
著者プロフィール
工藤友哉(くどうゆうや) アジア経済研究所開発研究センター主任研究員。博士(経済学)。専門分野は開発経済学、応用ミクロ計量経済学。著作に“Eradicating Female Genital Cutting: Implications from Political Efforts in Burkina Faso” (Oxford Economic Papers, 2023), “Maintaining Law and Order: Welfare Implications from Village Vigilante Groups in Northern Tanzania” (Journal of Economic Behavior and Organization, 2020), “Can Solar Lanterns Improve Youth Academic Performance? Experimental Evidence from Bangladesh” (共著、The World Bank Economic Review, 2019) 等。
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
- 第42回 安く買って、高く売れ!
- 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき
- 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史
- 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から
- 第46回 暑すぎると働けない!? 気温が労働生産性に及ぼす影響
- 第47回 最低賃金引き上げの影響(その3)アメリカでは(皮肉にも)人種分断が人種間所得格差の解消に役立ったらしい
- 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動
- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
- 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
- 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない
- 第52回 競争は誰を利するのか? 大企業だけが成長し、労働分配率は下がった
- 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」
- 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響
- 第55回 マクロ・ショックの測り方――バーティクのインスピレーションの完成形
- 第56回 女性の学歴と結婚――大卒女性ほど結婚し子どもを産む⁉
- 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか
- 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性
- 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響
- 第60回 貧すれば鋭する?
- 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か
- 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい
- 第63回 貧困からの脱出――はじめの一歩を大きく
- 第64回 大学進学には数学よりも国語の学力が役立つ――50万人のデータから分かったこと
- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
- 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合
- 第67回 男女の賃金格差の要因 その1──女性は賃金交渉が好きでない
- 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる
- 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
- 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信
- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
- 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石
- 第74回 チーフは救世主? コンゴ民主共和国での徴税実験と歳入への効果
- 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新
- 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか?
- 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが……
- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
- 第79回 国際的な監視圧力は製造業の労働環境を改善するか? バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後
- 第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化
- 第81回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(2)――事故に見舞われた工場に発注をかけていたアパレル小売企業は、事故とどう向き合ったのか?
- 第82回 児童婚撲滅プログラムの効果
- 第83回 公的初等教育の普及、それは国民を飼い慣らす道具──内戦による権力者の認識変化と政策転換
- 第84回 先生それPハクです──なぜ実証研究の結果はいつも「効果あり」なのか?
- 第85回 教育の役割──教科書は国籍アイデンティティ形成に寄与するのか
- 第86回 解放の甘い一歩
- 第87回 途上国の医療・健康の改善のカギは「量」か「質」か
- 第88回 人種扇動的レトリックの使用と国家の安定性──ドナルド・トランプの政治集会が黒人差別に与えた影響
- 第89回 都合が良ければ「民主的」、そうでなければ「非民主的」──政治的行動に対する知覚バイアスを探る
- 第90回 融資金を夫から遠ざけることができたらマイクロファイナンスの効果が大きくなるかもしれない
- 第91回 インドのグラム・パンチャーヤトから学ぶ地方自治体の規模が公共財供給に与える影響
- 第92回 ルールにはルールを──シナリオ実験が示す社会規範を形成する法律の力
- 第93回 産まれたらすぐ現金給付を
- 第94回 売買春市場から人身売買をなくすことのできる規制とは?
- 第95回 少数民族政党が民主主義を守るとき
- 第96回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(3)――途上国で労働法制の実効性を高めるには?
- 第97回 目に見える汚職は氷山の一角――コンゴ民主共和国、交通警察内部の汚職システム
- 第98回 石油の採掘権は誰の手に?地元企業 vs. 多国籍企業