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コラム

途上国研究の最先端

第83回 公的初等教育の普及、それは国民を飼い慣らす道具──内戦による権力者の認識変化と政策転換

Promoting public primary education as a means of taming the populace: Change in perceptions and policies of rulers caused by civil wars

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001030

2024年6月

(4,399字)

今回紹介する研究

Agustina S. Paglayan. 2022. “Education or Indoctrination? The Violent Origins of Public School Systems in an Era of State-Building.” American Political Science Review 116 (4): 1242-1257.

近代国家において権力者が公的な初等教育を普及させたのは、市民が反逆するのを防ぐため、しかも、それは市民が欲する教育を与えて慰撫するというのではなく、子どもの頃から権威に従うように飼い慣らすため、というのが本論文の主張である。教育が人的資本を向上させ、個人のみならず、社会全体もそれによって生まれる利益を享受する、という一般的な理解が、必ずしも権力者の意図と合致しているわけではないというのはかなり刺激的である。その理論的な基礎は以下のようになっている。

19世紀に公的な初等教育が普及したヨーロッパやラテンアメリカでは、それが非民主主義的な体制のもとで進められた。つまり、市民の要求が選挙など民主主義的な制度を通じて政策に反映されたわけではなく、権力者の独立した意図によって普及が進められたということである。それでは権力者はなぜそうした意図を持ったのか。

三つの既存理論

著者は、自らの理論を示す前に、公的初等教育拡大に関するこれまでの説明の仕方を三つに整理している。ひとつは、非民主主義体制において、権力を担う政権連合の一角に低所得者層を代表する集団がいて、彼らからの再分配要求として初等教育の拡大があったというものである(再分配要求)。しかし、19世紀のヨーロッパ、ラテンアメリカの権威主義には左派政権はなかった。二つめは、国民国家の基礎となる国民を形成する際、教育、特に共通言語や共通のアイデンティティを持つことが必要だという認識が地球規模で広がったという理解である(拡散理論)。これも、仮にそうした認識があったとしても、そうした考えにさらされた諸国が、初等教育普及のタイミングや普及対象となった国内の地域といった点で一様でなかったことを説明できない。三つめは、各国が産業化を進めていくうえで、それに必要な労働者のコミュニケーション能力の向上(共通言語)を図る、あるいは、対外戦争に動員する兵士に愛国的な価値観を醸成するために、初等教育を拡大させたという主張である(産業化・軍事力ライバル理論)。だが、この考え方は1930年代のソ連や1950年代の東アジアに当てはまるとしても、18、19世紀のヨーロッパには適合しないと指摘する。産業化で先行していたイギリスよりも、産業化が進んでいなかったプロシアやオーストリアで初等教育は普及していたことが反証として示される。

反乱の脅威と初等教育普及

こうした既存の説明に対抗し、本論文が主張するのは、18、19世紀にヨーロッパやラテンアメリカで、エリートに敵対する大規模な暴力的国内紛争が発生したことによって、権力者が初等教育を推進する動機が生み出されたという説明である。もう少し噛み砕いて言うと、権力者たちは、大衆の選好、信念、道徳的特徴、行動を、初等教育によってかたちづくり、反乱を抑止しようとしたというのである。初等教育において幼年期から現状に満足するよう教育し、間違った行動(教師への不服従)に対し制裁を与え、適切な行動に報酬を与えて行動をかたちづくる。そして、これを繰り返すことで、権力者の統治に対する恭順、与えられた支配ルールの遵守といった文化的な習慣を定着させる。いわば、教育を通じて反乱抑止のための長期的な投資を行っていた、と説明する。

この理論では、国内紛争は、権力者が公的初等教育普及に実際に乗り出すきっかけを与えた。紛争のない平和時には、社会秩序を維持する方策としての教育は、学校建設や教員の雇用など、あまりにもコストが大きいと認識されていた。しかし、一旦、国内紛争が発生すると、エリートの持っているコストとベネフィットに関する認識が更新されることになる。紛争が実際に発生することで、権力者は、自分が想定していたより大衆が極めて危険で反抗的であることを知る。そして、反乱をそう簡単に抑圧できないことで、国家の抑圧装置(警察・軍)の能力に限界があることが明らかになる。反乱抑制の手段として、抑圧や再分配は短期的な効果しか持たないことがわかり、大衆教育の長期的な効果への注目が高まるというわけである。こうした認識の変化によって、権力者は中央が統制する初等教育を普及することに邁進すると説明される。

この理論が支持されるためには、大規模な内戦が発生した後に公的な初等教育が拡大していったことが示される必要がある。そこで、著者は二つの検証を行った。ひとつは多国間比較による検証である。そこでは、ヨーロッパとラテンアメリカの40カ国を対象として初等教育就学率と内戦のデータ(The Correlates of War Project)を合わせた長期的な期間(1828~2015年)をカバーする独自のデータセットが使われている。もうひとつは、紛争と初等教育普及の因果メカニズムを検証するための事例の検証である。ここでは、1859年のチリ内戦の効果が検証されている。

多国間の検証

多国間比較による検証では、内戦を経験していなかった国の情報を用いて、内戦を経験した国の反実仮想傾向(内戦が仮に発生しなかった場合に想定される初等教育就学率)を推定し、それと比較して内戦が起こったことによって初等教育がどれほど拡大したのかを推計するイベント・スタディー・モデルが使われている。検証の結果、内戦前では、その初等教育就学率に与える効果は0に近かったが、内戦後には徐々に、そして持続的に初等教育就学率が高まっていることが確認された。内戦の初等教育就学率に対する長期的な効果は大きく、特に非民主主義国では、内戦以降の20年で初等教育就学率を11.2ポイント増加させている。なお、内戦によってそれまでの権威主義的な権力者に代わり自由主義者が政権につけば、それは自由主義者の政策による変化となるわけであるが、対象となる非民主主義国ではそうした事象は観察されていない。

多国間比較は本論文の理論を支持しているわけだが、ここには限界もある。まず、この推計の対象となっていない地域や期間(19世紀以前)でも、内戦が初等教育を拡大させたかはわからない。また、内戦を経験した国々が、異なる時期に内戦を経験しただけでなく、異なる時期に様々な政治的、経済的展開を経験しているため、正確に内戦の因果効果を推計することが難しい。さらに、初等教育就学率は供給側だけでなく需要側の決定を反映しており、その上昇が、政府が初等教育就学率を上げたいと考えた結果なのか、市民が子どもに教育を受けさせたいと考えた結果なのかがわからない。権力者の意図を知るためには権力者の能動的関与の度合いを明らかにすべきで、就学率だけでなく学校がどれほど建設され、どれほど資金が投入され、どれほど中央政府によって統制されているかについての情報が必要である。そして、内戦の因果効果がこの検証で明らかになったとしても、これだけではどのようなメカニズムでそれが初等教育就学率に結びつくのかまでは説明できない。

チリの事例

こうした多国間比較検証の限界を補うため、本論文は、さらに、1859年のチリ内戦の事例を取り上げ、その初等教育への影響を検証した。1859年内戦は、保守派中央政府に対するアタカマ州(鉱業中心の北部州)の急進的自由派による大衆動員を伴った反乱で、1830年以降、チリでは最も深刻な内戦だった。反乱勢力は広範な要求を主張し、最終的には鎮圧されたものの、反乱が発生した当初は政府側が劣勢を強いられていた。

この内乱による中央政府の初等教育に関する規制、および初等教育提供の変化が関心の対象とされた。具体的には二つの検証がされた。ひとつは、チリ全体を対象として、内戦前後で初等教育の普及の変化の検証、もうひとつは、反乱の強度が高い地域ほど初等教育が普及するだろうという予想を念頭においた地域別の比較である。

いずれの検証でも、内戦の初等教育普及に対する影響が確認されている。チリでは、内戦後の1860年に初等教育一般法が制定され、地方政府や民間の運営というそれまでの初等教育のあり方を改め、中央政府による統制が強化された。その結果、チリ全体で初等教育就学率の上昇とともに、供給側、すなわち権力者の意図が反映される学校数も大きく増大している。

さらに、地域別の比較では、内戦の後、特に反乱勢力の抵抗が強かった州で初等教育の普及が顕著に見られた。内戦の中心地だったアタカマ州は他の州に比べて、初等教育就学率、学校数いずれも大きく増大していた。これも反乱抑止という権力者の意図を裏付けるものである。なお、アタカマ州の事例についても五つの代替的な説明(再分配、鉱業への政府の関心、国家間戦争の影響、財政事情、拡散理論)に対する反証が示され、著者の主張の説得力が高められている。

また、当時の保守派の指導者、マヌエル・モント大統領の議会演説も取り上げられ、内戦の前後で初等教育に関する認識が変化したことが指摘されている。内戦が発生する前の1857年、1858年の議会演説では教育への言及がほとんどなかったのに対し、内戦後の1859年の演説では、大衆の道徳的価値観の低下と権威に対する敬意の弱体化が内戦の原因であるとし、教育によって大衆の悪習を矯正し、適切な行動を教える必要があると強調されている。ここから為政者が市民を従順に変化させる意図を持って初等教育を利用しようとしたことがうかがい知れる。

初等教育の政治的意味

それでは、大衆を恭順にする道具として初等教育を活用、推進するという権力者の意図は実を結んだのだろうか。初等教育が普及した非民主主義国において、実際に社会秩序の維持と権威主義体制の継続に効果はあったのだろうか。あるいは、非民主主義国という枠を超えて、初等教育の普及はその後の各国の市民の行動に長期的な影響を及ぼしているのだろうか。これらは大変興味深い問いだが、残念ながら、本論文の射程を超えていることは著者も認めるところである。これらは将来的な課題である。

しかし、教育を普及させることが、必ずしも人々の人的資本を高める意図によって進められたわけではないという本論文の主張はとても興味深い。そして、内戦という事象を通じてそれを実証するという発想はかなりユニークである。ただ、意外なようで、その実、自分自身の小学校での経験を振り返った時、この研究の主張がしっくりくる人は、案外少なくないのではないだろうか。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
著者プロフィール

川中豪(かわなかたけし) 亜細亜大学国際関係学部教授・アジア経済研究所連携研究員。博士(政治学)。専門分野は比較政治学。主要な著作として『競争と秩序──東南アジアにみる民主主義のジレンマ』白水社、2022年、『後退する民主主義、強化される権威主義──最良の政治制度とは何か』ミネルヴァ書房、2018年(編著)、翻訳としてサミュエル・P・ハンティントン『第三の波──20世紀後半の民主化』白水社、2023年など。

競争と秩序──東南アジアにみる民主主義のジレンマ

後退する民主主義、強化される権威主義──最良の政治制度とは何か

第三の波──二〇世紀後半の民主化

【特集目次】

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