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コラム
第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
PDF版ダウンロードページ: http://hdl.handle.net/2344/00049789
2017年12月
今回紹介する研究
Seema Jayachandran and Rohini Pande, "Why Are Indian Children So Short? The Role of Birth Order and Son Preference," American Economic Review 2017, 107(9): 2600-2629.
5歳以下の子供たちの発育阻害は、性別・月齢をもとに標準化した身長(Height for Age(HFA)――Zスコアと呼ぶ)をもとに判断するのが一般的である。HFA-Zスコアは長期的な栄養状態を反映するとされ、ユニセフの定義によると、HFA-Zスコアが2標準偏差を下回ると発育阻害とみなされる。以下では読みやすさを優先して、HFA-Zスコアは身長と言い換えることにしよう。
全世界の発育阻害の子供たちの3割はインドに住んでいる。インドの人口が中国を抜いたかどうかが議論される現在では、インドが発育阻害の子供たちを最も多く抱えていること自体は驚くに値しない。しかし、インド内で発育阻害の子供は4割にのぼり、途上国のなかでも抜きんでている。とりわけ、貧困率や平均寿命といった諸々の社会経済指標で劣っているサブサハラアフリカ(SSA)諸国より、インドの子供たちの平均身長が低いことは驚きである。本研究は、インド29州とSSA25カ国の5歳以下の子供たち16万8千人のデータを用いて、インド特有の男児選好(Son Preference)がこの謎――インドの子供たちの身長が低いのはなぜか――を解き明かす鍵であると結論づけている。
男児選好と生まれ順(Birth Order)効果
本研究は、男児選好→生まれ順→低身長というメカニズムを想定している。まず、生まれ順によって身長に違いがあるのだろうか。インド、SSA諸国ともに、生まれ順が遅いと身長は低い傾向にある。インドもSSA諸国も第1子の平均身長はほぼ同じだが、違いは第2子以降にみられる。SSA諸国では、第3子以降から有意に身長が低くなるが、インドでは第2子から低くなり、しかも第2子、第3子以降と身長の低下具合が激しい。
このような生まれ順効果をもたらす要因に男児選好を挙げるのはなぜか。第一の理由は、インドでも男児選好が弱いとされる地域(ケーララ州や北東部州)では、生まれ順が遅くても身長の低下具合が激しくないからである。また、インドでも比較的男児選好が弱いとされるムスリムの子供たちにおける、生まれ順による身長の低下具合は、ヒンドゥー教徒に比べて緩やかである。ムスリムが人口の大多数を占めるパキスタンやバングラデシュとインドの子供たちを比べても同様である。
第二の理由に、年長者が兄か姉かで生まれ順効果に違いがあることから、その背景に男児選好の存在を挙げる。第1子が女、第2子が男の場合、第2子の身長はSSA諸国よりインドの方が高い。
年長者が兄か姉かで、後に生まれた子、とりわけ女児への家庭内資源配分に違いがあることは主に2つのチャネルが考えられる。一つは兄弟姉妹間ライバル効果と呼ばれ、男児選好が強い社会で兄がいる場合、彼により多くの資源が配分されるだろうから、第2子以降の女児への資源配分は、姉がいる場合より減ることが予想される。もう一つは、男児選好の強い社会では、一家計の子供の数は、先に生まれたのが男か女かで異なる傾向があることである。少なくとも一人は男児を生むべきという社会規範が強ければ、母親は男児が生まれるまで出産を繰り返すだろう(出産継続効果)。兄がいないなかで第2子以降に女児が生まれると、予定より子供の数を増やさねばならず結果的に家計一人当たりの配分を減らす。これは、負のショックと考えることもできよう。逆に、子供かつ男児の数が希望に達すれば、以降は避妊するだろう。第2子以降の女児の身長は、兄がいる方が高いという実証結果は、男児選好が、兄弟姉妹間ライバル効果よりも出産継続効果をとおして、第2子以降の資源配分に違いをもたらすことを示唆する。
では、インドにおいて、生まれ順効果が強いこと、とりわけ兄がいない場合に第2子以降の身長が有意かつ大幅に低くなることが、なぜ途上国のなかでも顕著な発育阻害につながるのだろうか。一般的に身長は栄養などのインプットに対して逓減すると考えられているため、たとえ平均的なインプットが同じであっても、その配分が不平等であると、平等な場合よりも平均身長は低くなる。本研究は、インドの平均身長がSSA諸国より低いことの背景には、男児選好による出産継続効果、ひいては生まれ順効果があると結論づけている。
生まれ順効果以外で説明できないか
仮説1.子供の数効果――生まれ順が遅い、とりわけ第4子、第5子、となれば、必然的に兄弟姉妹の数が多く一人当たりの配分は減るため、生まれ順が遅いほど身長が低いことは、生まれ順効果ではなくむしろ子供の数効果ではないのか。さらに上記の出産継続効果があるために、実際インドでは、女児の方が兄弟姉妹の数が多い。この点について本研究では、同じ母親から生まれた兄弟姉妹を比べても同様の傾向がみられることから、生まれ順が遅い子供たちの低身長は、子供の数効果ではなく、生まれ順効果によることを実証している。ちなみに、一家計の子供の数の平均はインドが2.7人、SSA諸国が3.9人であるから、子供の数効果が生まれ順効果より強ければ、SSA諸国の子供たちの方が低身長になりそうである。
仮説2.遺伝効果――SSA諸国よりインドの子供たちの身長が低いのは、そもそも遺伝によるのではないか、という反論も考えられる。この点は、インドもSSA諸国も第1子の平均身長がほぼ同じであることを思い出してほしい。生まれ順によって遺伝子型が体系的に違うことは考えにくいので、遺伝が原因であるというのは無理があろう。
一般的な男児選好か、それとも長兄選好か
著者プロフィール
牧野百恵(まきのももえ)。ジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は家族経済学、人口経済学。著作に"Dowry in the Absence of the Legal Protection of Women's Inheritance Rights" (REH, 2017),"Pakistan: Challenges for Women's Labor Force Participation" (The Garment Industry in Low-Income Countries, Palgrave, 2014)等。
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
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- 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動
- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
- 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
- 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない
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- 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」
- 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響
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- 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか
- 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性
- 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響
- 第60回 貧すれば鋭する?
- 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か
- 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい
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- 第64回 大学進学には数学よりも国語の学力が役立つ――50万人のデータから分かったこと
- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
- 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合
- 第67回 男女の賃金格差の要因 その1──女性は賃金交渉が好きでない
- 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる
- 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
- 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信
- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
- 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石
- 第74回 チーフは救世主? コンゴ民主共和国での徴税実験と歳入への効果
- 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新
- 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか?
- 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが……
- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
- 第79回 国際的な監視圧力は製造業の労働環境を改善するか? バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後
- 第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化
- 第81回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(2)――事故に見舞われた工場に発注をかけていたアパレル小売企業は、事故とどう向き合ったのか?
- 第82回 児童婚撲滅プログラムの効果
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- 第86回 解放の甘い一歩
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- 第92回 ルールにはルールを──シナリオ実験が示す社会規範を形成する法律の力
- 第93回 産まれたらすぐ現金給付を