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コラム
第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050595
2018年10月
今回紹介する研究
Robert C. Allen, "Absolute Poverty: When Necessity Displaces Desire," American Economic Review, 2017, 107(12): 3690-3721.
貧しいとはどういう状態なのだろう。知識のある人に尋ねれば「世界銀行の基準だと一日1.9ドル(OECDレートで約190円)以下の生活」を指すよと教えてくれる。190円で生活できるの?と素直な人なら驚いて問い直すだろう。そして、世界銀行はどうやって190円に決めたの?という疑問も湧く。
実は190円の決め方には問題がある。1991年当時、各国の貧困線をPPPで換算したところ、最貧国は1日1ドル相当に集中しており、絶対的貧困の貧困線がそこにあるに違いないと世界銀行は考え、貧困線を1日1ドルに決めた。その後各国の物価も上がり、物価上昇分を掛けて1日1.9ドルになった。結構緩い……気候・食生活が違えば貧困の様相も違うのに、それを無視して各国を横並びにした平均値を貧困線にしてよいのか。財やサービスによって物価上昇率が違うので、額を1.9倍にするだけでは買えないものが出てくるのではないか。しかし、SDGsにも組み込まれた1日1.9ドルは、一人歩きして独自の地位を得てしまった。
アレンの正攻法
でも、変なものは変だ、と正攻法で論じたのが今回紹介するロバート・アレンの論文である。彼は各種統計を駆使し、各国の平均的な家族、年齢、性別の構成、平均的な運動量から最低カロリー量を計算し、低所得国での平均値として1700キロカロリーを得た。これに必須栄養素摂取量を加えて栄養最低要件を定め、これを最少の支出で満たすためには、各国で売られる食料の何をどれだけ支出すればよいかを求めた。実際に売られている品の必要量なので、現実的で具体性がある。アレンの方法の優れた点は、非食料に関わる要件も各国の状況に合わせて変えていることである。住居は1人当たり3平方メートルという狭さを基準にして家賃を計算した。衣料、寝具、靴、光熱は気温差を勘案し、極寒と熱帯で最低限必要な数量を調査し、気温差に比例して最低限必要な数量を算出した。極寒で最低限必要な数量は1907-08年のサンクト・ペテルブルグの支出調査を、熱帯については1921-22年のボンベイの支出調査を用いている。古い時代の調査を用いたのは、この時代の貧困層は絶対的貧困と呼ぶに値する貧しさだから、という理由である。経済史が専門のアレン出色の方法というしかない。気温差は建物内を15度以上に保つための熱量を暖房度日(heating degree days)という温度と日数を合計した単位を用いている。例えば、東京が暖房度日でいえばサンクト・ペテルブルグの80%、ボンベイの20%を足した値だとすれば、最低限必要な数量もサンクト・ペテルブルグの80%とボンベイの20%を足して求める。この方法によると、世界の絶対的貧困人口は世銀貧困線を使うよりも約5割多い7億人近くいる計算になる。
生存に必要な最低要件を満たすための最少支出額
アレンの計算によれば、低所得国貧困層の消費は最低限の要件を満たす支出内容に似る一方、高所得者の消費は肉類や動物性脂肪が多く、差が大きい。貧しいとは生存に必要な最低要件に近い消費をすること、つまり、欲求ではなく必要性による消費状態、というのがアレンの見解である。生存に必要な最低限の要件は場所によって変わってよく、これを満たさない状態を絶対的貧困と呼ぼう。生存に必要な最低限の要件を満たすための最少支出額。何という単純明快で素直な考え方。コロンブスの卵のような論文だ。
「絶対的貧困てなに?」「生きていくのに最低限の要件を満たせない生活のことで、国によって違うんだけどね、2100キロカロリー、タンパク質50グラム、脂肪34g、衣服が綿布換算20平方メートル、室内温度を15度以上に保った一人3平方メートルの住居……」と答えられるように、貧困線の計算方法が改善されることを願いたい。
著者プロフィール
伊藤成朗(いとうせいろう)。アジア経済研究所 開発研究センター、ミクロ経済分析グループ長。博士(経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ経済学、応用時系列分析。最近の共著に"The effects of becoming a legal sex worker in Senegal on health and wellbeing." (Aurélia Lépine, Carole Treibichと共著、ディスカッション・ペーパー676)、主な著作に「開発ミクロ経済学」(『進化する経済学の実証分析』 経済セミナー増刊、日本評論社、2016年)など。
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
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- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
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- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
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- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
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- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
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- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
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- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
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