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コラム
第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
Gender programs for the youth in a high school: An experiment in India
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053742
2023年6月
(5,375字)
今回紹介する研究
Diva Dhar, Tarun Jain and Seema Jayachandran, 2022. “Reshaping Adolescents' Gender Attitudes: Evidence from a School-Based Experiment in India,” American Economic Review, 112 (3).
世界経済フォーラムが発表するジェンダーギャップ指標において、日本は世界のなかでもジェンダー平等の達成度が低い国だと評価されています。日本は146カ国中116位(2022年)なので、世界には日本以上にジェンダー格差が大きく、女性が男性と同じように学び、家庭の外で仕事をし、パートナーを自分で選べるという状況にない国も多いといえます(World Economic Forum 2022)。ジェンダー格差は人々の意識の問題なので、教育などを通じて意識を変える取り組みが必要だと思われますし、私たちも学校でジェンダー平等について何かしら学んできました。しかし、学校でジェンダー平等の重要性を教えることは果たして効果があるのか疑問にも思います。なぜなら、学校で教わったように家や外では行動できないと思えるからです。インドで行われた実験の結果を紹介します。
背景──ジェンダー教育の意義と疑問
世界ではジェンダー不平等を解消するために様々な政策やプログラムが検討され、実施されています。女性議員や女性管理職の数を増やす取り組みや、女性の権利擁護など現状の不平等を法律やルールを用いて是正する政策が目立ちますが、人々のジェンダーに対する考え方を変えようとする啓発的な取り組みもあります。前者は強制力をもって短い期間で問題が緩和されることを期待する一方、後者は人々の自発的な行動を変えることでジェンダー不平等が起きにくい社会を作ろうとするものといえます。
後者の取り組みをジェンダー教育とここでは呼ぶことにしますが、ジェンダー教育は果たして効果があるのでしょうか。例えば、日本では、男女平等が長年にわたって学校で教えられ、特に近年はより積極的に取り組まれてきたように思います。しかし、今も問題は解消していません。ジェンダー教育が必要ということに異論は少ないと思いますが、果たして効果があるのか疑問が残ります。
インド北部での実験
Dhar, Jain, Jayachandranらの研究は、厳しいジェンダー不平等が存在するといわれるインド北部において、中学校でのジェンダー教育の効果を分析したものです。ハリヤーナ州の中学校で、3週間に一回、ジェンダーに関する45分の授業を2年半実施するというプログラムが実施されました。プログラムは学校の先生ではなくNGOの専門スタッフが教えるもので、座学だけでなく生徒たちによる議論も取り入れられたものです。つまり、普段の授業よりも内容の濃い教育が行われたようです。プログラムの終了後に、生徒のジェンダーに対する考え方を確認するとともに、考え方だけでなく行動も変化しているかどうかを知るために、ジェンダー格差が影響しやすい事柄(家事の手伝いや進学など)の実態について回答を求めています。
ジェンダー教育についての生徒の調査は世界中でたくさん行われていますが、簡便な調査ではその効果を正確に知ることは困難です。もしジェンダー教育がジェンダー問題に熱心な学校でばかり行われる傾向にあれば、そこでみられた効果は他の学校に一般化することは適切ではありません。また、教育の成果が定着したかどうかをみるためには、一連の授業の後に調査をするだけでは不十分で、少し時間をおいて卒業生を調査する必要があります。これらを考慮して、この研究ではジェンダー教育を実施する学校をランダムに選び、授業を行わない学校と比較します。また、授業の前、授業の直後、授業が終わってから2年~2年半後の3回にわたって調査を行っています。
【研究の枠組みをより詳しく述べると、まず、対象とした314校のうち150校にジェンダーの授業を行い、残りには従来どおりの授業を行います。ジェンダー教育を行う学校はランダムに選び、教育を行っていない学校と比較することでジェンダー教育の効果を知ろうとするものです。この方法は医薬品などの効果や安全性を評価する治験の方法に基づいていますので、その言葉を流用して、教育を行った学校を「処置」を行った学校、比較対照とする学校を「対照」となる学校と呼びます。処置を行うかどうかを各学校の自主的な選択に任せると、ジェンダー教育に熱心な学校ばかりが処置を行うことになりかねず、その結果、教育の効果が過大に推定される心配がありますので、ランダムに実施することが重要です。】
授業が終わった直後の生徒の変化
2年半の授業が終了した後に、女性にとって最も重要な仕事は家事である、男の子により多くの教育を受けさせるべきといった意見について賛成か反対かを尋ねています。驚くべきことに、後者の質問について反対と回答したのは、授業の直後であっても男子生徒の18%、女子生徒の42%でしかなく、いかにこの地域でのジェンダー認識が偏っているのかが分かります。そのような状況でも、合計で9つの意見への賛否について集計した結果、教育を行った学校の方が、ジェンダー平等に賛成する生徒が多いことが明らかになりました。また、その効果は女子と男子の間で顕著な差はありませんでした。さらに、教育によって、男女ともに同年代の異性と話すことに抵抗がないという回答が増え、男子は家事を手伝うようになったり、姉妹の将来の希望をサポートするようになったりという行動の変化もみられました。女子生徒では、自分自身に満足しているなどの自己肯定感を感じると回答する割合が多くなりました。他方で、自分の行動(進学や将来の仕事など)を自ら決めることができると回答する女子は増えませんでした。最後の点は後ほど触れます。
教育のよい効果が示されていますが、このような形で効果を測ることは問題があるかもしれません。調査員を名乗る大人から上記のような質問を受ければ、それらしい回答をする生徒も多いでしょう。しかし、この研究では、そのような「社会的に望ましい回答」のバイアスを考慮しても、教育に効果があったと報告しています。その内容をごく簡単に説明すると、まず社会的に望ましい回答をしやすい人とそうでない人を見分ける質問を作成し、生徒を二つのグループに分けます。望ましい回答をするグループは、そうでないグループと比較して、全般的にジェンダー平等に賛成する回答が多くなるのですが、そのバイアスはジェンダー教育を受けた人と受けていない人で変わらないということを示しました。ジェンダー教育の効果は教育を受けた人と受けていない人の回答の差であるので、バイアスの影響を相殺できると結論付けています。
【著者たちが社会的に望ましい回答をする生徒を見分けるために利用した質問は、次のように、(現実には困難な)非常に理想的な態度をとっているかどうかを問うものです。
- 「何かを依頼をされた時に、いらだったことがない」
- 「誰と話すときでもよい聞き手となっている」
- 「間違いをした時には必ず誤りを認める」など。
著者らは、普段は望ましい回答をする傾向がない生徒は、ジェンダー教育を受けてもその傾向に変化がないという仮定をしています。つまり、望ましい回答をしないグループでは、教育を受けた人(処置群)と受けていない人(対照群)の回答の差からバイアスのない教育の効果を推定できると考えます。さらに、(教育の有無による)回答の差が二つのグループで同じという結果から、望ましい回答をしがちなグループでもジェンダー教育によって望ましい回答が増えるわけではない(バイアスが増えない)と結論付けます。処置群と対照群に同じバイアスが含まれていますので、両者の回答の差から正しい教育の効果が分かるということです。さて、重要なのは最初の仮定ですが、この推論は妥当でしょうか。論文のなかでは掘り下げていませんが、望ましい回答をする傾向にない生徒でも、2年半も教育を受ければ期待に応えるような回答をするという批判もあるでしょう。他方で、間違ったら謝るといった態度は親や教師から長年にわたり教育されてきたことなので、著者らが利用した上記の質問は、長い間教育を受けても望ましい回答はしない(正直に答える)生徒を見分けることができるとも解釈できます。疑問が残る部分もありますが、次に示す卒業2年後の調査では、望ましい回答をする動機は少なくなっているといえるでしょう。】
2年後の生徒の意識と行動
では、こうした効果はその後も持続したのでしょうか。すぐに効果がなくなるようでは教育の意味がありませんから、これは重要な点です。授業が終わってから2年から2年半後に再度調査を行っていますが、望ましい回答をする動機が弱くなっているという点からも、こちらの調査結果は重要です。
まず、生徒全体でみると、教育や仕事に関するジェンダー平等に対する考え方は授業終了直後と大きな違いはありませんでした。また、異性と日常的にかかわりを持つことや、姉妹の教育や将来の仕事に対するサポートをすること、女子生徒が大学進学への奨学金に応募することなどの行動面についても、教育を受けた生徒への効果がみられました。さらに、女子の自己肯定感が高いことも継続してみられます。中学校で受けたジェンダー教育は、2年後も効果がみられることを示しています。
他方で、効果が弱くなっている場合もあります。男子が家事を手伝う効果は小さくなり誤差の範囲になりました。また、ジェンダー平等に対する考え方について、男子の効果は持続していますが、女子の効果が2年の間に約3分の2になっています。時間とともに生徒が学んだことを忘れてしまうということもあるでしょうが、著者たちは生徒の周囲にいる大人たちが、女子生徒の考えをくじいてしまっているのではないかと説明しています。例えば、ジェンダー教育を受けた女子生徒が自らの将来について意思決定をするなど行動を変化させようとしても、家族がそれを許さなかったのではないかと推測しています。調査においても、ジェンダー教育を受けた男子生徒は、周囲の大人も女性の社会進出に理解があると楽観的に考える割合が増えるのですが、女子生徒の間では増えません。また、教育を受けた直後も、また2年後も、自らの将来の教育や仕事について自ら選択できると回答する女子は増えませんでした。生徒たちは厳しい現実を目の当たりにしているようにみえます。
大人の責任
この結果は、ジェンダー教育の効果は小さいととるべきでしょうか。私は、男子に変化があったという点に注目しました。もし彼らの意識変化が大人になっても持続するのならば、ジェンダー教育の普及に伴ってジェンダー平等を支持する男性が増えていくはずです。そうすれば女子生徒も自由に行動できるようになります。ジェンダー平等のためのプログラムでは女性の行動変化を手助けする内容が多いと思いますが、それ以上に、女性が頑張らなくても自由に行動できる環境が作られるべきです。そのためには、男性の意識と行動の変化が不可欠です。ですから、男子が変化したという結果は女子の変化が小さいという結果よりも重要だと思います。細かくみていくと、家事手伝いをする男子生徒が増えるという効果は2年後に小さくなっているので、男子の変化にも少し不安な部分があります。また、男子の変化が大人になっても維持されるのかどうかという課題もあります。それは、若い生徒たちよりは考え方を変えにくい大人たちが、若い世代の変化を否定せずに、できればさらに成長させるような態度をとれるのかにかかっていると思います。
授業の終了から2年後、授業を受けた女子生徒は受けていない生徒よりも自分に自信を持ち、高校に進学する人の割合が増えました。また、結婚したいと考える年齢は上昇し、男の子を産みたいと考える人の割合も減りました。効果は大きくはないのですが、周囲がかならずしも理解を示してくれないなかで、彼女たちは頑張っているようにみえます。
参加した中学生への責任
この実験を通じてジェンダー教育を受け、それを実践しようとした生徒は、家庭や学校でつらい経験をしたのではないかと心配します。ハリヤーナ州は保守的な土地柄のようですので、中学生の考えを頭ごなしに叱ったりすることも多いと想像します。著者らの推測が正しければ、賢い中学生は大人が理解してくれないことを悟り、授業と現実は違うと考えて胸の内にしまっていたことでしょう。つまり、この実験は教育を受けた中学生たちにストレスを与えています。しかもその結果から、大人に問題がありそうだとの結論を導いています。研究結果に一定の意義はありますが、その負担が問題の所在である大人ではなく中学生にかかっていることに著者らが触れていないことは、無責任だとも思います。
参考文献
- World Economic Forum 2022. Global Gender Gap Report 2022.
著者プロフィール
福西隆弘(ふくにしたかひろ) アジア経済研究所研究推進部次長、開発研究センター主任調査研究員、開発スクール教授。博士(経済学)。専門は開発経済学で、主にサブサハラ・アフリカ諸国の労働市場、都市インフォーマルセクター、産業構造変化に関心がある。
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
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- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
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- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
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