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コラム

途上国研究の最先端

 
第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい

Rehiring nullified the disemployment impacts of minimum wages in Germany: We need to learn from this

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053453

2022年7月

(5,037字)

今回紹介する研究

Christian Dustmann, Attila Lindner, Uta Schönberg, Matthias Umkehrer, Philipp vom Berge: “Reallocation effects of the minimum wage,’’ Quarterly Journal of Economics, Volume 137, Issue 1, February 2022: 267–328.

最低賃金は雇用を減らす?にはもうこだわらない

最低賃金研究の歴史は長い。賃金を上げると雇用を減らすのではと古くから心配され、しかも、減るかどうか論争が終わらないからである(雇用減らない派のまとめはDube[2019]、減る派のまとめはNeumark and Shirley[近刊予定]、減る派の一般向けまとめはClemens[2019])。しかし、最低賃金を上げすぎたら雇用は減る、という常識では皆が一致する。ならば、「減る減らない論争」を止めて、減る条件は何か、減らないようにするにはどうすべきか考えよう、という建設的な論調も出てきた(Manning 2021)1

今回紹介する論文は、この論調の延長線上にあると位置づけたい。最低賃金導入で雇用が変化するメカニズムにメスを入れ、どうすれば雇用を減らさないかのヒントを与えてくれるからだ。

著者の一人がアメリカでは減らないと報告した(Cengiz et al. 2019)ように、もちろん(?)、ドイツでも雇用は減らない。しかし、それ自体は先行研究(Bossler and Gerner 2020)も同じことを示しているし、この研究にとって最も大事な知見ではない。より大事な知見は、雇用が減らない原因――低賃金企業から解雇された労働者が高賃金企業に雇用されたから――を示したことである。低賃金企業とは小規模の低生産性企業で、高賃金企業とは大規模で生産性が高い企業である。最低賃金によって小規模企業などで発生した離職者を労働市場が再雇用先の大規模な企業にスムーズに割り当てたことで、雇用は減らなかった。しかも、再雇用先は企業の生産性や労働生産性も高いので、最低賃金が経済全体の資源配分を効率化させた、といえなくもない。他国事例と比べて成功例といえそうである。

解明にはやはり行政データが必要

結果に踏み込む前に、この知見が得られた条件を簡単に説明したい。本研究では、最低賃金の影響を見るために労働者の就業先を6年間追いかけているが、この方法は日本では使えない。個人ごとの就業先・就業期間の行政データを日本政府は研究用に提供していないからである。

ドイツ政府は違う。著者たちは、2011年から2016年までのすべての個人(徒弟下の個人や18歳未満を除く)の就業期間、賃金、就業先などについてのパネル・データを連邦雇用庁から、すべての個人の労働時間等のパネル・データを雇用研究所から入手している。この膨大なデータによって、最低賃金導入前後の賃金分布、就業状態、就業先の特徴を個人ごと、企業ごと、地域ごとに知ることができる。著者たちは、主に個人ごとに整理したデータと地域ごとに整理したデータを使って効果を検討している。

推計方法は多くの先行研究で使われている二重差分(DID)である(本コラムの第50回第47回で紹介した研究も二重差分推計量を使っている)。具体的には、雇用へのインパクトを推計する場合には、最低賃金以下の賃金を得ていた労働者の雇用変化と最低賃金以上の賃金を得ていた労働者の雇用変化の差を計算している。最低賃金の影響を受けにくい後者を最低賃金導入なしの場合の雇用状態を表すと仮定し、そこからの乖離がインパクトと考える推計方法である。最低賃金導入前には、すべての賃金水準で雇用や賃金が共通トレンドに沿って変化していることを著者たちは確認しているため、この仮定は現実的で、得られた結果の信頼性は高い。

離職者は増えたが再雇用された

ドイツでは2015年1月に連邦最低賃金を時給8.5ユーロとする規制が導入され、全体の15%(110万人)の労働者の賃金が引き上げられることになった。8.5ユーロは賃金の中央値の48%にあたり、米国(36%)よりも高くフランス(61%)よりも低い水準である(OECDデータ)。

最低賃金導入後は廃業や解雇などによって労働者が離職した。離職者はすべての企業で発生し得るが、生産性の低い小規模企業でより多く発生した。これらの離職者は生産性のより高い企業で再雇用される傾向があった。よって、図1に見られるように、最低賃金以下だった労働者の雇用は、高賃金(時給12.5ユーロ以上)だった労働者の雇用に比べて、おおむね増えたことが示されている。図中縦軸の1. は全労働者、2. 以下はそれぞれのカテゴリの労働者について、二重差分の推計値と95%信頼区間を示している。

図1 最低賃金の雇用への影響――二重差分推計

図1 最低賃金の雇用への影響――二重差分推計

(出所)論文付論のFigA23b(CC BY 4.0)。
雇用を支えた企業とは?

本論文では、雇用が減らなかったことを解釈するために理論モデルを作っているが、その理論モデルに沿うと中程度の生産性の企業・事業部門(以下、企業で統一)が離職者を再雇用したと解釈できる。

これは以下のように説明できる。最低賃金の影響は、低生産性企業、中生産性企業、高生産性企業にそれぞれ、廃業・解雇、雇用縮小か雇用増大、雇用縮小か雇用増大の可能性をもたらす。「低生産性企業」とは、ここでは最低賃金導入で廃業・解雇を選ぶしかない企業を指す。

「中生産性企業」とは、正確に定義すると、最低賃金導入前に最低賃金以下の賃金で労働者を雇用しながらも、廃業せずに生産を続ける企業である。中生産性企業では、最低賃金が導入されると、求職者が増えることから、さらなる賃金引き上げなしに雇用を増やすことが可能になる。

求職者が増える理由は最低賃金が導入されて賃金が一気に引き上げられるためである。最低賃金が導入されて求職者が増えているしばらくの間、企業は採用のために最低賃金以上に賃金を引き上げる必要はなくなるため、労働者を新規雇用しやすくなる。これに対し、最低賃金導入前までは、労働者の新規雇用には賃金引き上げが必要であった。というのも、理論モデルでは、労働市場が分断されている(=企業が労働市場で独占的)と想定されており、雇用を増やすには、限られたプールの労働者により多く働くよう促す必要がある。そのためには、企業が今まで以上の賃金を提示しなければならず、賃金引き上げなしには求職者や雇用を増やしにくい環境にあった。このように、最低賃金規制を遵守すると雇用を増やすことが中生産性企業では現実的になる2

「高生産性企業」とは、ここでは最低賃金以上の高賃金で労働者を雇い生産を続ける企業を指す。高生産性企業にとって最低賃金の影響は間接的なために、雇用がどう変化するか予測しづらい3

このように、最低賃金導入が雇用に与える影響は企業の生産性によってさまざまである。小規模企業で雇用が減っても、より大きな規模の企業で雇用が増えれば、経済全体では雇用が変わらない事態もあり得る。労働者にとってみれば、低生産性低賃金の職場から中生産性「中賃金」の職場に変わることになる。実際に、著者たちは、最低賃金導入により労働者の新就労先は旧就労先よりも生産性が高いこと、規模が大きいこと、平均賃金が高いこと、熟練労働比率が高いこと、正規雇用比率が高いこと、退職率が低いこと、従業員一人当たり収入が高いことなど、転職先では生産性と安定の度合いが高まることを示している。しかも、こうした変化は最低賃金以下だった労働者の転職にのみ観察され、より高い賃金を得ていた労働者には確認できなかった4

たとえば、図2は新就業先が旧就業先よりもどれだけ生産性5が高いか、最低賃金以下の労働者と時給12.5ユーロ以上の労働者と比較している。正の値が多いので、時給8.5ユーロ未満からの転職者は時給12.5ユーロ以上からの転職者と比べて、転職前後で就業先の生産性がより大きく増えたことを意味している。

図2 最低賃金の就業先生産性への影響――二重差分推計

図2 最低賃金の就業先生産性への影響――二重差分推計

(出所)論文付論のFigA24b(CC BY 4.0)。
厚生や効率が高まったか不明

低生産性企業にいた労働者が中生産性企業に雇用されたのだから、経済全体の生産性も高まった、と著者たちは主張する。しかも、全体として雇用者数は変わらずに低賃金労働者が中賃金を得るようになったので、労働者としても平均的には厚生が改善したはず、とも主張する。これらはいずれも一理ある。とくに、再分配(貧困対策・福祉政策)のイメージが強い最低賃金規制が、経済全体の効率性を高めるという結果は意外であり、分配と効率が両立する可能性を理論と実証の双方で示したのは貴重な貢献である。

しかし、低生産性の小規模企業が果たして経済のお荷物かというと、さすがにそこまではいえないだろう。生産性が低くとも、地域の雇用や財・サービスの供給を守る役割はある。労働者たちにとっても、全体の雇用者総数が大きく変わらなかったというだけで、離職して再雇用されない人はいるし、働いていなかった状態から雇用された人もいるので、厚生変化もさまざまである。著者たちの理論モデルではくみ取れない無視し得ない厚生低下があるので、その単純な理論モデルだけに依拠して厚生変化を判断するのは難しい。

著者たちもこれらの点には配慮していて、価格が高くとも近所で買えるものが減ったことで消費者の厚生損失があり得ることを述べている。また、労働者の厚生損失としては通勤費用を挙げている。最低賃金導入後は、最低賃金以下で働いていた労働者は、男性で3.3km、女性で0.7km、通勤運転距離が伸びた。ガソリン代や車両の直接費用に加え、通勤時間という機会費用も増えているので、昇給分のある程度は消えてしまう。経済全体としても、労働者の15%が毎日数kmずつ長く移動することの損失がある。もちろん、それを上回る厚生や効率性の上昇があるから、労働者は長い距離を通勤し、企業も雇うのだが、こうした結果は政策担当者にとって予想外だったに違いない。

ドイツの事例から途上国が学べること

ドイツでは多くの企業が最低賃金規制を遵守し、低生産性企業から中生産性企業へ労働者が転職したため、賃金は上がりながらも雇用は減らなかった。転職した労働者はより遠くに通勤するようになった。このような潤滑な転職が進んだ理由を著者たちは明かしていないが、ドイツの労働市場・制度が機能していることを示していると解釈できる。

途上国で最低賃金規制を導入すると同じ結果になるだろうか。まずは、規制の遵守率は低いはずなので、規制そのものの効力が低いであろう。インフォーマル部門ではさらに低くなるはずである。この場合、肩透かしのような結果になる。たとえ規制が遵守されたとしても、低生産性企業に見合うだけの中生産性企業が存在しなければ、雇用吸収力が不十分となる。さらに、たとえ中生産性企業がたくさんいたとしても、労働市場・制度の機能が不十分であれば、離職者が再雇用される割合が下がるであろう。そして、再雇用が内定したとしても、移動距離が伸びると、交通インフラの整わない途上国では移動の費用が高すぎて、離職者にとって再就職が割に合わないかもしれない。

途上国政府は、企業の生産性向上への取り組みを支援することで低生産性企業から中生産性企業へのアップグレードを促し、交通インフラの整備によって労働者厚生の改善を図ることができる。また、家事労働サービスの支援によって就労費用を抑えることも考えられる。これらの政策により、最低賃金を引き上げても雇用を残す効果を政府は見込めるであろう。関連論文のManning(2006)を参考にすると、採用、訓練、解雇などの労働間接費用を抑える政策も有効である。企業の採用費用を抑えるような労働市場の整備、企業の訓練費用を下げるような基礎的な訓練機会を提供することで、雇用拡大を後押しできる。

一言でいえば、ドイツの最低賃金が雇用を減らさなかったという「減らない派」の知見自体は、雇用減少を心配する途上国にとってまったく参考にならない(専門用語で表現すれば「外的妥当性がない」)。所詮先進国の成功例だからだ。しかし、本研究が明らかにした労働者の企業間移動や中生産性企業の役割は、途上国に何が欠けているかを端的に示すため、途上国政府が何をすべきかを示唆している。途上国研究が先進国研究を参照する理由の一つがここにある。

(参考)Dustmann et al.(2022)の概要を示したメモ(伊藤作成、図は論文より転載)
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
参考文献
著者プロフィール

伊藤成朗(いとうせいろう) アジア経済研究所開発研究センター、ミクロ経済分析グループ長。博士(経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ経済学、応用時系列分析。最近の著作に“The effect of sex work regulation on health and well-being of sex workers: Evidence from Senegal.”(Aurélia Lépine, Carole Treibichと共著、Health Economics, 2018, 27(11): 1627-1652)、主な著作に「南アフリカにおける最低賃金規制と農業生産」(『アジア経済』2021年6月号)など。

  1. Manning(2021)は結論部分で、“Of course, there is some level of the minimum wage at which employment will decline significantly. The empirical literature on the minimum wage should reorient itself towards investigating the determinants of that point.”と述べている。
  2. 現実的なだけではなく、利潤最大化の一環として雇用を増やす場合もある。Manning(2006)にならってこのメカニズムを説明すると以下のようになる。労働費用には賃金費用に加え、採用、訓練、解雇などの間接費用がある。賃金を最低賃金まで引き上げると、求職者を集めやすく・離職者を慰留しやすくなり、間接費用を節約できる。雇用が大きいほど節約される費用が大きければ、雇用を増やすこともあり得る。よって、最低賃金規制を遵守すると賃金が増えることで求職者が増えるのに加えて間接費用も下がるため、一定(=間接費用の賃金と雇用の交差微分が負)の条件下では、中生産性企業の利潤最大化行動は、賃金を最低賃金まで上げながらも雇用を増やすこと、となる。
  3. 企業間で異なる賃金水準が成り立つという設定は、完全競争ではなく、労働市場が分断され、それぞれで買い手独占が発生している状況と考えて良い。
  4. なお、転職先の特徴はすべて最低賃金導入以前の情報を使っており、最低賃金の影響を受けて転職先の平均賃金が上昇した、規模が大きくなった、等々ではなく、純粋に旧就業先と新就業先の特徴の違いと解釈できる。また、転職しなければ変化なしなので、転職した労働者の執務環境変化を捉えている。
  5. ここで生産性とはAbowd, Kramarz and Margolis(1999)の推計アルゴリズムを使った企業固定効果推計値を指す。
【連載目次】

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