IDEスクエア
コラム
第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
Economic Shock and Child Marriage: Differential Impacts by Directions of Marital Transfers
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00052205
2021年8月
(3,921字)
今回紹介する研究
Lucia Corno, Nicole Hildebrandt, Alessandra Voena. 2020. "Age of Marriage, Weather Shocks, and the Direction of Marriage Payments," Econometrica 88 (3): 879–915.
新型コロナウイルスの蔓延によって、世界中の就学年齢の子どものうち9割以上が学校閉鎖の影響を受けた。就学と児童婚(国際的定義では18歳未満の婚姻)は大きな相関があり、学校閉鎖によって、児童婚が増えるのではないか、若年齢妊娠のリスクが高まるのではないか、といったことが危惧されている。国連の持続可能な開発目標(SDGs)の一つとして、児童婚の撲滅に向けては大きな進展がみられていたが、コロナ禍はその成果を無にするどころか後退させかねないといわれている。児童婚の背景には、さまざまな要因が複雑に絡みあっており、就学のほか貧困や慣習も大きな要素である。本研究は、ダウリーもしくは婚資の慣習によって、経済的ショックが女子の婚期を早めたり遅らせたりといった違いがあるのか、という疑問に対する、実証に基づいた一つの回答である。
ダウリーと婚資の慣習と児童婚との関係
ダウリーは結婚持参金とも訳され、花嫁が嫁入りに持参する花婿およびその家族に向けた現金・資産である。婚資はそれとは反対に、花婿側から花嫁側に贈られる現金・資産である。結婚時に資産がどちら側に移るかは、地域、民族、宗教などによって異なる。結婚時の資産移動が逆方向になる理由の一つとして、Boserup(1970)およびBecker(1991)によると、結婚時に花嫁が実家を離れ花婿の家族に嫁入りする父方居住を前提とした農村社会では、女性が労働参加をしない南アジアの場合、女子が家計の負担となるため、結婚によって負担を負う花婿側に資産が移動するダウリーの慣習となる。反対に、女性が労働参加をするサブサハラアフリカの場合は、結婚によって貴重な労働力を失う花嫁側に資産が移動する婚資の慣習となる。
ダウリーの慣習がある南アジアでは、失業や所得減少などの経済的ショックが、女子の児童婚リスクを高めかねないことが懸念されている。ダウリーは結婚市場における花嫁の価値を反映し、年若い花嫁ほど価値が高いために持参するダウリーは少なくて済むと信じられており、貧しい家計ほど娘を早く嫁がせるインセンティブが強いと予想されるからである。しかし、年若い花嫁ほどダウリーが少なくて済むといったことは、きちんと実証されているわけではなく、経済的ショックが、ダウリーまたは婚資の慣習があるところで、女子の児童婚リスクを高めるかどうかも、よく分かっていない。
年若い花嫁ほどダウリーが少なくて済むとよくいわれるのはなぜか。実際、花嫁の年齢とダウリーとはしばしば正の関係にある。しかし、これは単なる相関関係であることも多い。なぜなら、一般に豊かな家計ほど娘の教育水準は高いが、家計の豊かさが原因となって、教育水準による女子の婚期の遅れとより多額のダウリーという2つの結果を引き起こしているからである。私たちは、この相関関係をあたかも因果関係のように勘違いしてしまうことがままある。年若い花嫁ほどダウリーは少なくて済む、という因果関係を含んだ言説は、きちんと実証されていないにもかかわらず、上記の相関関係に引きずられがちな解釈の一例である。
いずれにせよ児童婚の背景に貧困があることは疑いない。本研究の理論モデルは、結婚市場におけるダウリーや婚資の慣習が、農村の貧困家計の消費平準化に果たす役割に注目している。農村の貧困家計が経済的ショックを受けた際、結婚市場の均衡によって決定される児童婚は、父方居住を前提とすると、ダウリーの慣習のもとでは減り、婚資の慣習のもとでは増える。直感的にはどう解釈できるだろうか。ダウリーの場合、花嫁側は資金を払いたくないために、児童婚の供給は減る。逆に、婚資の場合は、花嫁側は少しでも資金が欲しいため、児童婚の供給が増える。一方、モデルの現実的な仮定のもとでは、花婿側の反応は花嫁側と対称的ではなく、経済的ショックそのものより、経済的ショックによって減額されるダウリーや婚資の影響を大きく受ける。ダウリーの場合、もらえる金額が下がるので児童婚の需要が減り、婚資の場合、支払う金額が減るので児童婚の需要が増える。
実証結果
本研究は、外生的な経済的ショックとして、具体的には干ばつが結婚時もしくはその少し前に起きたかどうかの変数を作り、それが12歳から24歳までの女子の婚期を遅らせたのか、早めたのか、をインドとサブサハラアフリカ諸国のそれぞれについて推定している。メインの推定は、サブサハラアフリカ諸国31カ国の1994年から2013年のDHS(Demographic and Health Survey)とインドの1998年DHSと、干ばつの変数にはデラウェア大学の降雨量データを使用している。結論は、婚資の慣習があるサブサハラアフリカでは、干ばつが起こると児童婚が2.3~3%増え、ダウリーの慣習があるインドでは、干ばつが起こると児童婚が4.2~4.3%減った。
加えて、さまざまなデータを駆使して頑健性およびダウリーや婚資が消費平準化の役割を果たしていることを精査している。かいつまんで紹介すると、例えば、国連食糧農業機関(FAO)や世銀の作物データによって、干ばつは確かに収穫量を下げること、世銀やインドのNSS(National Sample Survey)によって、収穫量減少が確かに農村家計の所得を下げることなどを検証している。ATLASデータでは、歴史的に婚資やダウリーの慣習がどれほど浸透してきたのかがより狭い地域ごとに分かるため、婚資の慣習がより根強い地域でのみ、干ばつが女子の婚期を早めること、ダウリーの慣習がない地域では、干ばつが婚期を遅らせる効果はみられないことなどを示した。ICRISAT(国際半乾燥熱帯作物研究所)データでは灌漑設備の整備状況が分かるため、灌漑が不備なために干ばつによる影響が大きいところで、婚期にもより大きな影響があることを示した。
短期的なショックが貧困家計にもたらす影響
本研究は、ダウリーの慣習があるところでは、貧困家計がひっ迫すると児童婚が増えかねないというよくいわれてきた言説とは反対の実証結果を示すことで、これまでの実証なき議論に一石を投じたものである。児童婚を撲滅するために、さまざまなプロジェクトが世界中で実施されてきており、例えば、マラウイにおける無条件現金給付は、少なくとも短期的には婚期を遅らせる効果があった(Baird, McIntosh, and Özler 2011)。この無条件現金給付がインドで実施された場合、本研究の実証結果をふまえると、逆に婚期を早めるという意図しない結果となりかねない。貧困削減を意図した政策にも、文化や慣習を考慮する必要性を示しているといえよう。
本研究は、干ばつといった短期的なショックが、女子の一生を左右する結婚や妊娠、出産といった長期的、かつ多くの場合不可逆的な結果をもたらしかねないという示唆に富んだものである。2020年から世界を一変させた新型コロナウイルスのパンデミックも、もたらされたショックは失業や所得低下といった一時的なものかもしれないが、対コロナ政策を決定するうえで長期的な視点を忘れてはならないだろう。
参考文献
- Baird, Sarah, Craig McIntosh, and Berk Özler. 2011. "Cash or Condition? Evidence from a Cash Transfer Experiment." The Quarterly Journal of Economics 126(4): 1709–53.
- Becker, Gary S. 1991. A Treatise on the Family. Enl., Cambridge, MA: Harvard University Press.
- Boserup, Ester. 1970. Women’s Role in Economic Development. London: George Allen & Unwin.
著者プロフィール
牧野百恵(まきのももえ) アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は家族経済学、人口経済学。著作に"Dowry in the Absence of the Legal Protection of Women’s Inheritance Rights" (Review of Economics of the Household, 2019) "Marriage, Dowry, and Women’s Status in Rural Punjab, Pakistan" (Journal of Population Economics, 2019) "Female Labour Force Participation and Dowries in Pakistan" (Journal of International Development, 2021)等。
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
- 第42回 安く買って、高く売れ!
- 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき
- 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史
- 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から
- 第46回 暑すぎると働けない!? 気温が労働生産性に及ぼす影響
- 第47回 最低賃金引き上げの影響(その3)アメリカでは(皮肉にも)人種分断が人種間所得格差の解消に役立ったらしい
- 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動
- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
- 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
- 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない
- 第52回 競争は誰を利するのか? 大企業だけが成長し、労働分配率は下がった
- 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」
- 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響
- 第55回 マクロ・ショックの測り方――バーティクのインスピレーションの完成形
- 第56回 女性の学歴と結婚――大卒女性ほど結婚し子どもを産む⁉
- 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか
- 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性
- 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響
- 第60回 貧すれば鋭する?
- 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か
- 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい
- 第63回 貧困からの脱出――はじめの一歩を大きく
- 第64回 大学進学には数学よりも国語の学力が役立つ――50万人のデータから分かったこと
- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
- 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合
- 第67回 男女の賃金格差の要因 その1──女性は賃金交渉が好きでない
- 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる
- 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
- 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信
- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
- 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石
- 第74回 チーフは救世主? コンゴ民主共和国での徴税実験と歳入への効果
- 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新
- 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか?
- 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが……
- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
- 第79回 国際的な監視圧力は製造業の労働環境を改善するか? バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後
- 第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化
- 第81回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(2)――事故に見舞われた工場に発注をかけていたアパレル小売企業は、事故とどう向き合ったのか?
- 第82回 児童婚撲滅プログラムの効果
- 第83回 公的初等教育の普及、それは国民を飼い慣らす道具──内戦による権力者の認識変化と政策転換
- 第84回 先生それPハクです──なぜ実証研究の結果はいつも「効果あり」なのか?
- 第85回 教育の役割──教科書は国籍アイデンティティ形成に寄与するのか
- 第86回 解放の甘い一歩