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コラム
第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051398
2019年6月
(2,380字)
今回紹介する研究
Adnan Q. Khan, Asim Ijaz Khwaja, and Benjamin A. Olken, "Making Moves Matter: Experimental Evidence on Incentivizing Bureaucrats through Performance-based Postings," American Economic Review, Vol. 109, No. 1 (January 2019): 237-270.
成果ポスト制度
舞台はパンジャーブ州。主役は州内10の都市圏で働く400名強の税務調査官だ。各調査官は皆、都市圏内にある自分(だけ)の担当勤務地をもち、他の調査官とは独立して固定資産税の徴収に従事する。しかし、調査官が課税標準財産を適切に把握していない、把握していても適切な税徴収を行っていないため、税収は不足しがちだ。この税収を増やすため、著者らは単純な実験を行った。まず、調査官に競争させる。そして高い成果を上げた調査官から順に希望する勤務地を選び、翌年実際異動できるというものだ(これを以下、成果ポスト制度と呼ぶ)。
実験の詳細はこうだ。著者らはまず、10人の調査官を一つの小集団とする41集団を無作為に作る。そして、この41集団をさらに無作為にA、B、Cの3つの大集団に分類する。大集団Aに属する調査官に対しては上記の実験は行われない(以下、対照群)。成果を課税標準財産の伸び(集団B)、あるいは課税収入の伸び(集団C)で測るという違いはあるが、上記の実験は大集団B、Cに属する全調査官に対して行われる(以下、合わせて処置群)。より具体的には、競争は同じ小集団に属する調査官の間で行われ、処置群の調査官は高い成果を上げた者から順に、自分と同じ小集団に属する調査官の現在の担当勤務地(つまり、自らの担当地を含む10の勤務地)の中から、翌年の勤務地を選ぶことができる。なお、小集団は同一都市圏で働く調査官のみで形成されており、調査官が異動に伴い住居を変える必要がないよう設計された実験だ。著者らは、1年目の実験終了後再び調査官のグループ分けを行い、翌年2度目の実験を行った。
実験後、税務調査官の生産性が上がる
制度の応用可能性
本実験では成果ポスト制度の実施が税収増につながったが、同制度の実用化には留意すべき点がある。第一に、理論的にはこの制度が常に労働者の生産性の向上につながるとは限らない点だ。例えば、すべての労働者の第一希望勤務地が異なる場合、努力せずともそこへ異動できる。また、労働者間の能力に大きな乖離がある場合、努力しても勝てない、あるいは努力せずとも勝てる者がでてくる。この場合も労働者に努力する誘因は生じない。つまり、成果ポスト制度の効果は、全労働者の希望勤務地及び期待される成果の分布に依存するのだ。そのため、著者らはこれらの分布に関する情報があれば、同制度の事前効果予測に役立つような数理モデルを提示する。その利用には一定の知識や技術が必要だが、このモデルが制度の導入を検討する経営陣にもたらす潜在的便益は大きい。第二に、実は2年連続で処置群に属した調査官の2年目の成果は1年目に比し大きく下がった。そのため、成果ポスト制度を実施するのは数年に一度のほうがよさそうだ。しかし、同じ勤務地に長くいることが汚職・癒着につながりやすい職種もゼロではない。第三に、労働者の望む勤務地が、雇用者がその労働者に望む勤務地であるとは限らない。第四に、税収のような明確な成果指標がない職種も多い。
しかし、発展途上国の公務員に金銭的誘因を柔軟に与えることはしばしば難しい。また、そもそも彼らが金銭的誘因に反応し努力度を高める理論的保証もない。そのような公務員の生産性を成果ポスト制度により潜在的に高められることを示した本論文の貢献は大きい。
著者プロフィール
工藤友哉(くどうゆうや) 。アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は開発経済学、応用ミクロ計量経済学。著作に"Can Solar Lanterns Improve Youth Academic Performance? Experimental Evidence from Bangladesh" (共著、The World Bank Economic Review, 2017)", "Female Migration for Marriage: Implications from the Land Reform in Rural Tanzania" (World Development, 2015) 等。
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
- 第42回 安く買って、高く売れ!
- 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき
- 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史
- 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から
- 第46回 暑すぎると働けない!? 気温が労働生産性に及ぼす影響
- 第47回 最低賃金引き上げの影響(その3)アメリカでは(皮肉にも)人種分断が人種間所得格差の解消に役立ったらしい
- 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動
- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
- 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
- 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない
- 第52回 競争は誰を利するのか? 大企業だけが成長し、労働分配率は下がった
- 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」
- 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響
- 第55回 マクロ・ショックの測り方――バーティクのインスピレーションの完成形
- 第56回 女性の学歴と結婚――大卒女性ほど結婚し子どもを産む⁉
- 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか
- 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性
- 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響
- 第60回 貧すれば鋭する?
- 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か
- 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい
- 第63回 貧困からの脱出――はじめの一歩を大きく
- 第64回 大学進学には数学よりも国語の学力が役立つ――50万人のデータから分かったこと
- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
- 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合
- 第67回 男女の賃金格差の要因 その1──女性は賃金交渉が好きでない
- 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる
- 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
- 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信
- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
- 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石
- 第74回 チーフは救世主? コンゴ民主共和国での徴税実験と歳入への効果
- 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新
- 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか?
- 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが……
- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
- 第79回 国際的な監視圧力は製造業の労働環境を改善するか? バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後
- 第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化
- 第81回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(2)――事故に見舞われた工場に発注をかけていたアパレル小売企業は、事故とどう向き合ったのか?
- 第82回 児童婚撲滅プログラムの効果
- 第83回 公的初等教育の普及、それは国民を飼い慣らす道具──内戦による権力者の認識変化と政策転換
- 第84回 先生それPハクです──なぜ実証研究の結果はいつも「効果あり」なのか?
- 第85回 教育の役割──教科書は国籍アイデンティティ形成に寄与するのか