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コラム
第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
PDF版ダウンロードページ: http://hdl.handle.net/2344/00050610
2018年11月
今回紹介する研究
Gharad Bryan and Melanie Morten. 2018. "The Aggregate Productivity Effects of Internal Migration: Evidence from Indonesia" Journal of Political Economy, forthcoming.
もし労働者が国内を自由に移動し、自らの能力を最大限発揮できる場所で働くことができれば、一国全体の生産性はどの程度改善されるのだろうか。今回紹介する研究はこの問題に対して一つの答えを提供する。
移動の障壁がなくなれば、個人の能力に応じた適材適所の労働配置が進み、国全体の生産性は改善すると考えられる。しかし、それを定量的に評価することは難しい。その理由の一つは、労働者が直面している移動障壁の大きさを直接観測することができないからである。本研究は、理論モデルを駆使することで、個人の1)出身地、2)勤務地、3)勤務地での賃金データのたった3変数から地域間の移動障壁の大きさを推定できることを示した。
移動費用とアメニティの地域差が移動障壁
本研究は、労働者が与えられた能力をもとに自らの効用(満足度)が最大となる場所を選んで働くというモデルを考察する。このモデルはRoy(1951)の職業選択モデルを「場所の選択」に応用したものであり、各人の能力がどの程度発揮できるかは場所によって異なると想定する1。たとえば、データサイエンスに比較優位がある労働者はサンフランシスコでの能力水準が高いだろうし、銀行業務の能力が高い労働者はニューヨークでの能力水準が高くなるだろう。N個の地域があれば、各人はN種類の能力が割り当てられるわけだが、その能力はN変量フレシェ型の確率分布からランダムに生成されると仮定する。この分布の仮定が推定作業を容易にする鍵となっている。
労働者の効用は、勤務地での収入、アメニティの充実度、そして出身地と勤務地間の移動費用で決まる。収入は、労働者が勤務地で発揮できる能力、出身地での教育水準、そして勤務先で提示されている賃金率で決まる。アメニティは勤務地での生活の利便性や快適性を表すものであり、公共サービスの利用可能性や環境汚染、住宅費用の高さが含まれる。アメニティの充実度に地域差があれば、それが適材適所の労働配置を阻む原因になりうる。移動費用は、地域間移動の困難性を表すものであり、地理的な距離だけでなく文化・習慣・言語の違いも含まれる。
移動障壁の推定
推定式は労働者の効用関数から導出される。本研究は、インドネシアにおける個人の出身地、勤務地および賃金情報を使って、労働者の勤務地選択に影響を与える「アメニティの地域分布」と「地域間移動費用の分布」を推定した。比較のために、米国でも同様の推定をおこなった。推定されたアメニティ分布は環境汚染指標や平均住宅費用とは負の関係、病院・療養施設やショッピング施設へのアクセス指標とは正の関係を示した。また、移動費用の推定値は地域間の地理的距離とは正の関係、言語の類似性とは負の関係を示した。たった3項目のデータしか使っていないにもかかわらず、移動障壁の推定値は関連する統計指標とおどろくほど整合していた。
移動障壁が米国と同程度になったら――生産性は平均で7.1%増加――
移動障壁の大きさが分かれば、それが変化したときの影響を定量的に分析することができる。本研究は移動障壁の変化に伴う規模の経済性、混雑効果の変化、そして能力の高い人が先に配置されるセレクション効果も加味して一国全体の生産性への影響を評価した。
分析結果によれば、地域間の移動費用が米国と同程度になったとき、インドネシア各地域の生産性は全国平均で7.1%上昇し、地域によっては最大25%の生産性上昇が期待できる。また、移動障壁が完全になくなったとき、地域の生産性は全国平均で22%上昇し、最大で103%上昇する地域がある。移動障壁がなくなることでインドネシアの生産性は大幅に改善されるが、それだけで米国との一人当たり所得格差が解消できるほどの大きな効果ではない。しかし、地域別にみれば、その効果にバラツキがあるため、政策のターゲットを調整することで大きな効果が得られる可能性がある。
著者プロフィール
橋口善浩(はしぐちよしひろ)。アジア経済研究所新領域研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は応用計量経済学。最近の論文に"Agglomeration and Firm-level Productivity: A Bayesian Spatial Approach"(共著), Papers in Regional Science (2014).
注
- Roy, A. D. (1951) "Some Thoughts on the Distribution of Earnings" Oxford Economic Papers, 3(4): 135-146.
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
- 第42回 安く買って、高く売れ!
- 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき
- 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史
- 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から
- 第46回 暑すぎると働けない!? 気温が労働生産性に及ぼす影響
- 第47回 最低賃金引き上げの影響(その3)アメリカでは(皮肉にも)人種分断が人種間所得格差の解消に役立ったらしい
- 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動
- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
- 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
- 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない
- 第52回 競争は誰を利するのか? 大企業だけが成長し、労働分配率は下がった
- 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」
- 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響
- 第55回 マクロ・ショックの測り方――バーティクのインスピレーションの完成形
- 第56回 女性の学歴と結婚――大卒女性ほど結婚し子どもを産む⁉
- 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか
- 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性
- 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響
- 第60回 貧すれば鋭する?
- 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か
- 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい
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- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
- 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合
- 第67回 男女の賃金格差の要因 その1──女性は賃金交渉が好きでない
- 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる
- 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
- 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信
- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
- 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石
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- 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新
- 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか?
- 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが……
- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
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