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コラム
第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050589
2018年9月
今回紹介する研究
Sara Lowes, Nathan Nunn, James A. Robinson, and Jonathan Weigel, "The Evolution of Culture and Institutions: Evidence from the Kuba Kingdom," Econometrica, Vol. 85, Issue. 4 (July 2017): 1065-1091.
社会・経済活動を円滑に進めるうえでルールを守ることは欠かせない。しかし、約束事を守るよう子供をしつけることは、しばしば親にとっては骨が折れる。誰かが代わりに子供をしつけてくれるならばそうしたい。今回紹介する論文では、その誰かが「国家」である。
本論文は、17世紀から植民地期まで中部アフリカに存在していたクバ王国の政治制度が、王国に祖先をもつ今日の人々のルール順守性に及ぼす影響を分析する。17世紀以前この地域には、モンゴ族から派生した文化的背景を同じくする諸民族がいくつかの首長国を形成し居住していた。そこへ地域外からやってきた有力者が複数の首長国を統一し建国したのがクバ王国である。クバ王国は能力主義的官僚制、税制、司法制、軍事・警察制等、近代国家に近い政治制度を有していた。そのため、法律、より一般的にはルールを破る国民には相応の代償があったと予想される。この政治制度が人々のルール順守行動を促進したとすれば、親がわざわざ骨を折って子供をしつける(内発的)動機は失われた可能性がある。クバ王国の政治制度が人々のルール順守性に及ぼす影響は王国崩壊とともに消えるが、親が子供に施すしつけの影響は世代を超えて続く可能性がある。とすれば、(祖)父母からルール順守を厳しくしつけられてこなかったクバ王国民の末裔は、そうでない人々に比べ今日においてルール順守性が低いのではないか。著者らはこの仮説を検証する。
地理的断絶、及びフィールド実験を通じたルール順守性の測定
分析にあたって、著者らはクバ王国が3つの河川に囲まれており、これらの河川を境界として王国に取り込まれた民族とそうでない類似民族がいた点に着目する。これを踏まえ著者らはこの両集団の末裔を2013年、2014年に調査し、そのルール順守性を比較する。被調査者はクバ王国の当時の首都から300キロメートルほど離れたカナンガという今日のコンゴ民主共和国の都市から選出される。被調査者は皆、モンゴ族を出自とする類似民族の末裔であり同一都市に居住している。そのため、民族文化や住環境の違いにより被調査者のルール順守性が異ならないよう配慮された調査設計となっている。
著者らは、経済学実験を調査地で実施し被調査者のルール順守性を測定する。これらの実験は被調査者に秘密裏に一人テントの中で簡単なゲームをしてもらうものであり、ゲーム結果に応じて、被調査者は一部の金銭を自分のものとすることができる。著者らは、一定のルールに従ってゲームを行うよう被調査者に依頼する。仮に被調査者がルール通りに行動していれば、被調査者が自分のものとする金額は、研究者によって統計学的に予測可能となっている。仮に、予測金額よりも多い金額を被調査者が自分のものとしていれば、被調査者はルールを破って不当に多くの金銭を手にしたことが推測される。
かつての政治制度が今日の人々のルール順守性を左右する
結果はどうか。仮説通り、クバ王国に取り込まれた民族の末裔は、そうでない類似民族の末裔に比べルールを破る傾向が強い。加えて著者らは、いくつかの価値観を例にあげ、それらを子供に教えることが重要であるかについての意見も収集・分析する。すると、クバ王国民の末裔のほうが責任感といったルール順守行動に関連する価値観のしつけを重要だと答える確率が低い。自立性などのルール順守行動に関連しない価値観については両集団間で統計学的に有意な違いはなかった。
ルール順守性や価値観は文化といえる。植民地期以後の政治制度が新たな文化を形成することはなかったか。そもそもクバ王国のような政治制度はなぜ形成されたのか。その形成過程に当時の文化が影響した可能性は? 文化と制度の共進化メカニズムについて興味は尽きない。
著者プロフィール
工藤友哉(くどうゆうや)。アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は開発経済学、応用ミクロ計量経済学。著作に"Can Solar Lanterns Improve Youth Academic Performance? Experimental Evidence from Bangladesh" (The World Bank Economic Review, 2017), "Female Migration for Marriage: Implications from the Land Reform in Rural Tanzania" (World Development, 2015)等。
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