IDEスクエア
コラム
第99回 生成AI ―― 労働生産性への効果
Generative AI impacts on labor productivity: Interpret with care
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001507
2025年9月
(2,155字)
今回紹介する研究
Erik Brynjolfsson, Danielle Li, and Lindsey Raymond. 2025. “Generative AI at work.” Quarterly Journal of Economics, 140(2): 889-942.
皆が知りたい答え
生成AIが労働生産性に与える効果は? 誰もが答えを知りたいでしょう。労働生産性は高まります。それはそうでしょう。でも、そこで終わってはいけません。どのような人たちの生産性が最も上がったのか、それはなぜなのか。何が起きているのかを理解しながら結果を知ることが大事です。
今回紹介する研究は、中小企業向け財務ソフトウェアを売る企業のチャット・エージェント(チャット・ボックスへ書き込んだ質問に答えを返してくれる人たち)に対し、AIチャット・ボットが回答例のアドバイスを示すことの効果を計測しました。
AIの使用方法
チャット・ボックスの質問と回答は、企業がリアルタイムで把握できます。この情報を参照し、AIはチャット・エージェントに対してポップアップ・ウィンドウで回答例や資料参照先をリアルタイムで表示します。エージェントはそのままコピー・ペーストもできますし、要約して回答を書いたり、参照先資料を読んで回答したり、もしくは、AIを完全に無視して回答することもできます。
AIはこの企業に保存されていた過去のチャットQ&Aを使って学習しています。効率的で効果的な回答ができるように、学習では成績優良なエージェントのデータをより重視する工夫がしてあります。このため、成績優良なエージェントがくれるようなアドバイスをAIが表示している、と理解できるでしょう。
データと推計方法
この研究で用いるデータは、2020年から2021年に記録された5000名以上のエージェントによる300万回を超えるチャットQ&Aです。記録されたテキストからは、回答時間や時間あたり回答数などの量的結果に加え、解決率や顧客感情などの質的結果が計算できます。
AIは実験ではなく通常業務で導入されたため、推計に使うのは観察データです。導入はチーム毎にばらばらの時期であったため、その差異を利用しています。著者たちは通常のDID推計ではなく、頑健なDID推計を用いており、得られた結果は比較的信頼できると考えられます。
結果
AIチャット・ボットは、導入前に比べて1時間あたりの解決数を約24%増やしました。平均所要時間は8.5%短縮し、一問い合わせあたりの解決率は1.3%ポイント上昇しました。時間が短縮しながら解決率も増えているのは素晴らしい成果です。ただし、顧客満足度への効果は統計学的に0でした。特筆すべきは、導入前の成績が低かったエージェントほど、時間あたり解決数の効果は大きかったことです。下位1/4の1時間あたり解決数は0.53増えたのに対し、上位1/4はその半分の0.26増えただけでした。このため、労働生産性の格差が縮小しました。
労働生産性の格差縮小は意外ですが、AIが成績優良労働者のノウハウを学習したことを考えれば、納得のいく結果です。低生産性労働者だけでなく高生産性労働者も、自分の扱ったことの少ない質問についてはAIチャット・ボットが助けになったことでしょう。
解釈
では、AIを使えばどんな場合にも生産性格差が縮小するでしょうか。答えはNoです。本研究では、AIはチャット・ボックスQ&Aという範囲の狭い業務に適用されています。顧客の感情を害さずに速やかに解決に導くことが目標です。Chandler(1977)によれば、企業の現場では、労務管理、資本調達、新規事業開拓、広告戦略、競合対策、そしてこれらの間の優先順序決めが必要です。こうした広い課題と比べれば、今回の業務がいかに狭いかが分かります。対応のパターンが(多いものの)有限でテキスト・ベースの業務では、高生産性労働者のノウハウを学習したAIが生産性の格差を縮小させると考えてよいでしょう。また、今回のチャット・ボットはChatGPT-3をベースにしています。現在のAIは遙か先を進んでいるので、チャット・ボットのアドバイスも、高生産性労働者にもっと役立つ内容になっているかもしれません。製品ごとの差があることからも、この研究結果をそのまま一般化するのは危険です1。
定型的ではないオープン・エンドの業務については、使う人の能力が高いほど効果が大きいとする研究(Dell'Acqua et al. 2023)、能力が低いと効果が負、つまり、状態が悪化することを示した研究(Otis et al. 2023)もあります。今回のように低技能労働者の頭脳として動くAIか、それとも、高技能労働者の手足として動くAIかによっても、企業の技能労働者需要への効果、ひいては、生産性格差への効果が異なるはずです(Ide and Talamas 2025)。さらに、使用する環境が未整備の途上国と制度が整備され高技能労働者の豊富な先進国では、同じ使い方でも効果が違うはずです。我が事という感覚のある先進国には自然と注目が集まりますが、途上国におけるAIの仕事への影響にも注目すると、途上国の未来だけでなく、AIと個人の関わり方の多様性を理解する手立てにもなるはずです。
参考文献
- Chandler, Alfred D. 1977. The visible hand. Harvard University Press.
- Dell'Acqua, F., McFowland III, E., Mollick, E. R., Lifshitz-Assaf, H., Kellogg, K., Rajendran, S., ... and Lakhani, K. R. 2023. “Navigating the jagged technological frontier: Field experimental evidence of the effects of AI on knowledge worker productivity and quality.” Harvard Business School Technology & Operations Mgt. Unit Working Paper, (24-013).
- Ide, Enrique and Eduard Talamas. 2025. “Artificial intelligence and knowledge economy.” Journal of Political Economy, forthcoming.
- Otis, Nicholas G., Rowan P. Clarke, Solene Delecourt, David Holtz, and Rembrand Koning. 2023. “The uneven impact of generative AI on entrepreneurial performance.” OSF Preprints.
著者プロフィール
伊藤成朗(いとうせいろう) アジア経済研究所 開発研究センター、ミクロ経済分析グループ長。博士(経済学)。専門は開発経済学、応用ミクロ経済学、応用時系列分析。最近の著作に”The effect of sex work regulation on health and well-being of sex workers: Evidence from Senegal.”(Aurélia Lépine, Carole Treibichと共著、Health Economics, 2018, 27(11): 1627-1652)、主な著作に「南アフリカにおける最低賃金規制と農業生産」(『アジア経済』 2021年6月号)など。
注
- ここでの議論は筆者の所属するアジア経済研究所の渡部雄太さんのコメントを参考にしています。
- 第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?
- 第2回 男児選好はインドの子供たちの発育阻害を説明できるか
- 第3回 子供支援で希望を育む
- 第4回 後退する民主主義
- 第5回 しつけは誰が?――自然実験としての王国建設とその帰結
- 第6回 途上国の労働市場で紹介が頻繁に利用されるのはなぜか
- 第7回 絶対的貧困線を真面目に測り直す――1日1.9ドルではない
- 第8回 労働移動の障壁がなくなれば一国の生産性はどの程度向上するのか
- 第9回 科学の世界の「えこひいき」――社会的紐帯とエリート研究者の選出
- 第10回 妻の財産権の保障がHIV感染率を引き下げるのか
- 第11回 飲酒による早期児童発達障害と格差の継続――やってはいけない実験を探す
- 第12回 長期志向の起源は農業にあり
- 第13回 その選択、最適ですか?――通勤・通学路とロンドン地下鉄ストライキが示す習慣の合理性
- 第14回 貧困者向け雇用政策を問い直す
- 第15回 妻(夫)がどれだけお金を使っているか、ついでに二人の「愛」も測ります
- 第16回 先読みして行動していますか?――米連邦議会上院議員の投票行動とその戦略性
- 第17回 保険加入率を高めるための発想の転換
- 第18回 いつ、どこで「国家」は生まれるか?――コンゴ戦争と定住武装集団による「建国」
- 第19回 婚資の慣習は女子教育を引き上げるか
- 第20回 産まれる前からの格差――胎内ショックの影響
- 第21回 貧困層が貯蓄を増やすには?――社会的紐帯と評判
- 第22回 農業技術普及のキーパーソンは「普通の人」
- 第23回 勤務地の希望を叶えて公務員のやる気を引き出す
- 第24回 信頼できる国はどこですか?
- 第25回 なぜ経済抗議運動に参加するのか――2010年代アフリカ諸国の分析
- 第26回 景気と経済成長が出生率に与える影響
- 第27回 消費者すべてが税務調査官だったら――ブラジル、サンパウロ州の脱税防止策
- 第28回 最低賃金引き上げの影響(その1) アメリカでは雇用が減らないらしい
- 第29回 禁酒にコミットしますか?
- 第30回 通信の高速化が雇用創出を促す―― アフリカ大陸への海底ケーブル敷設の事例
- 第31回 最低賃金引き上げの影響(その2)ハンガリーでは労働費用増の4分の3を消費者が負担したらしい
- 第32回 友達だけに「こっそり」やさしくしますか? 国際制度の本質
- 第33回 モラルに訴える――インドネシア、延滞債権回収実験とその効果
- 第34回 「コネ」による官僚の人事決定とその働きぶりへの影響――大英帝国、植民地総督に学ぶ
- 第35回 カップルの同意を前提に少子化を考える
- 第36回 携帯電話の普及が競争と企業成長の号砲を鳴らす――インド・ケーララ州の小舟製造業小史
- 第37回 一夫多妻制――ライバル関係が出生率を上げる
- 第38回 イベント研究の新しい推計方法――もう、プリ・トレンドがあると推計できない、ではない
- 第39回 伝統的な統治が住民に利益をもたらす――メキシコ・オアハカ州での公共財の供給
- 第40回 なぜ勉強をさぼるのか? 仲間内の評判が及ぼす影響
- 第41回 戦争は増えているのか、減っているのか?
- 第42回 安く買って、高く売れ!
- 第43回 家族が倒れたから薬でも飲むとするか――頑固な健康習慣が変わるとき
- 第44回 知識の方が長持ちする――戦後イタリア企業家への技術移転小史
- 第45回 失われた都市を求めて――青銅器時代の商人と交易の記録から
- 第46回 暑すぎると働けない!? 気温が労働生産性に及ぼす影響
- 第47回 最低賃金引き上げの影響(その3)アメリカでは(皮肉にも)人種分断が人種間所得格差の解消に役立ったらしい
- 第48回 民主主義の価値と党派的な利益、どっちを選ぶ?――権力者による民主主義の侵食を支える人々の行動
- 第49回 経済的ショックと児童婚――ダウリーと婚資の慣習による違い
- 第50回 セックスワーク犯罪化――禁止する意味はあるのか?
- 第51回 妻が外で働くことに賛成だけど、周りは反対だろうから働かせない
- 第52回 競争は誰を利するのか? 大企業だけが成長し、労働分配率は下がった
- 第53回 農業技術普及のメカニズムは「複雑」
- 第54回 女の子は数学が苦手?――教師のアンコンシャス・バイアスの影響
- 第55回 マクロ・ショックの測り方――バーティクのインスピレーションの完成形
- 第56回 女性の学歴と結婚――大卒女性ほど結婚し子どもを産む⁉
- 第57回 政治分断の需給分析――有権者と政党はどう変わったのか
- 第58回 賄賂が決め手――採用における汚職と配分の効率性
- 第59回 いるはずの女性がいない――中国の土地改革の影響
- 第60回 貧すれば鋭する?
- 第61回 貿易自由化ショックとキャリア再建の男女格差――仕事か出産か
- 第62回 最低賃金引き上げの影響(その4)――途上国へのヒントになるか? ドイツでは再雇用によって雇用が減らなかったらしい
- 第63回 貧困からの脱出――はじめの一歩を大きく
- 第64回 大学進学には数学よりも国語の学力が役立つ――50万人のデータから分かったこと
- 第65回 インドで女性の労働参加を促す――経済的自律とジェンダー規範
- 第66回 所得が中位以上の家庭から保育園に通うと知的発達が抑えられます――イタリア・ボローニャ市の場合
- 第67回 男女の賃金格差の要因 その1──女性は賃金交渉が好きでない
- 第68回 男女の賃金格差の要因 その2――セクハラが格差を広げる
- 第69回 ジェンダー教育は役に立つのか
- 第70回 なぜ病院へ行かないのか?──植民地期の組織的医療活動と現代アフリカの医療不信
- 第71回 貧困層向け現金給付政策の波及効果
- 第72回 社会的排除の遺産──コロンビア、ハンセン病患者の子孫が示す身内愛
- 第73回 家庭から子どもに伝わる遺伝子以外のもの──遺伝対環境論争への一石
- 第74回 チーフは救世主? コンゴ民主共和国での徴税実験と歳入への効果
- 第75回 権威主義体制の不意を突く──スーダンの反体制運動における戦術の革新
- 第76回 紛争での性暴力はどういう場合に起こりやすいのか?
- 第77回 最低賃金引き上げの影響(その5) ブラジルでは賃金格差が縮小し雇用も減らなかったが……
- 第78回 なぜ売買契約書を作成しないのか? コンゴ民主共和国における訪問販売実験
- 第79回 国際的な監視圧力は製造業の労働環境を改善するか? バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後
- 第80回 民主化で差別が強化される?――インドネシアの公務員昇進にみるアイデンティティの政治化
- 第81回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(2)――事故に見舞われた工場に発注をかけていたアパレル小売企業は、事故とどう向き合ったのか?
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- 第83回 公的初等教育の普及、それは国民を飼い慣らす道具──内戦による権力者の認識変化と政策転換
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- 第85回 教育の役割──教科書は国籍アイデンティティ形成に寄与するのか
- 第86回 解放の甘い一歩
- 第87回 途上国の医療・健康の改善のカギは「量」か「質」か
- 第88回 人種扇動的レトリックの使用と国家の安定性──ドナルド・トランプの政治集会が黒人差別に与えた影響
- 第89回 都合が良ければ「民主的」、そうでなければ「非民主的」──政治的行動に対する知覚バイアスを探る
- 第90回 融資金を夫から遠ざけることができたらマイクロファイナンスの効果が大きくなるかもしれない
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- 第92回 ルールにはルールを──シナリオ実験が示す社会規範を形成する法律の力
- 第93回 産まれたらすぐ現金給付を
- 第94回 売買春市場から人身売買をなくすことのできる規制とは?
- 第95回 少数民族政党が民主主義を守るとき
- 第96回 バングラデシュのラナ・プラザ崩壊のその後(3)――途上国で労働法制の実効性を高めるには?
- 第97回 目に見える汚職は氷山の一角――コンゴ民主共和国、交通警察内部の汚職システム
- 第98回 石油の採掘権は誰の手に?地元企業 vs. 多国籍企業
- 第99回 生成AI ―― 労働生産性への効果