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コラム

途上国研究の最先端

第60回 貧すれば鋭する?

Poverty sharps the wit?

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053062

會田 剛史

Takeshi Aida

2022年6月

(2,245字)

今回紹介する研究

Dietmar Fehr, Günther Fink, and B. Kelsey Jack. Poor and Rational: Decision-making under Scarcity.” Journal of Political Economy, forthcoming.

発展途上国の農民は「貧しいけれども合理的(poor but rational)」であり、各自がおかれた環境のなかで最大限に合理的な意思決定をしている。これは開発経済学における伝統的な人間観である。一方、近年では行動経済学の発展を受け、貧困と非合理的な意思決定との相互関係に関する研究が進んでいる。今回取り上げる論文もまた、意思決定におけるバイアスと貧困との関係性をフィールド実験により検証したものである。

本題に入る前に、本論文がバイアスの指標として用いる「保有効果」について説明しておこう1。人は自分が保有しているものの価値を過大評価してしまう傾向がある。有名な実験では、被験者の一部にマグカップを配布した後で、受け取った人に対しては「マグカップを売ってもいいと思う値段」を、受け取らなかった人に対しては「買ってもいいと思う値段」を尋ねると、前者の方が高くなることが示されている。このバイアスが保有効果である。

本論文の実験は、ザンビア東部のチパタ郡における融資プログラムの政策評価の一環として実施された。タイミングは2014年の収穫期、2015年の端境期・収穫期の3回で、端境期は食糧不足が顕著になる時期である。被験者は質問票調査の途中でほぼ等価格の2種類の財の組み合わせからランダムに一方が与えられ、調査の終了時にもう一方の財と交換する機会が提示される。好みにかかわらずすべての被験者にとって、自分が欲しい方の財がもらえる確率は0.5であり、したがって理論的には約半分の人が財の交換を希望するはずである。言い換えれば、交換確率0.5からの乖離が意思決定におけるバイアス(保有効果)として解釈されることになる。

さまざまな対立仮説を検証するため、実験の詳細はやや複雑である。財の組み合わせとしては、基本となる「洗剤と塩」に加え、「洗剤と現金3.5 Kwacha」「コップとスプーン(いずれも耐久財)」「ソーラーランプと現金80 Kwacha(高価格財)」の計4種類がある。このほかにも、実験の手続きが結果に与える影響を検証するために、財の割り当て方法・渡すタイミング・読み上げる文章を変える、財ではなくその引換券を渡す、などの介入も行われている。

貧しいほど意思決定のバイアスが減少する

実験ではいずれの場合も財を交換した人の割合は0.5を下回っており、保有効果の存在が確認された。そこで以下では、このバイアスの大きさと貧困との関係性を分析していこう。

まず、各家計を資産のレベルに基づき5段階に分類して分析を行ったところ、有意ではないながらも資産が多いほど交換確率が下がるというパターンが確認された。次に、実験のタイミングを利用した分析を見てみると、端境期の実験では2014年の収穫期と比較して、交換確率が0.09ポイント(平均値と比較して30%)高まることが示された。最後に、実験の本体である融資プログラムに注目し、融資を受けてからの経過期間の影響を分析したところ、融資直後(2~3週間後)に実験に参加した人々は融資を受けなかった人よりも交換確率が0.18ポイント(平均値と比較して47%)低下することが確認された。

以上の分析結果はいずれも、貧困が交換確率の上昇につながっており、貧しいほどより合理的な意思決定を行う傾向があるということを示唆している。なお、財の種類以外の各種の実験手続きの違いは交換確率に影響を与えておらず、本研究で確認される保有効果が単なる手続きによるエラーではないことも示されている。

貧困が合理性に影響を与えるメカニズム

では、このような関係性の背後にあるメカニズムはどのようなものだろうか? 貧困と合理的意思決定の関係性についてよく知られるものに、「トンネリング効果」がある。これは、人間の認知資源は有限であり、欠乏状態にあることへ集中が高まると、ほかのことがおろそかになる効果である。しかし、被験者が受けた認知能力テストの結果を分析したところ、資産が多いほど認知能力も高い傾向が確認されたものの、収穫期・端境期の違いや融資を受けてからの経過期間については、はっきりとしたパターンは認められなかった。さらに、交換確率と認知能力との関係性についても有意な結果は得られなかった。よって、トンネリング効果が主たるメカニズムである可能性は低い。

もうひとつの重要なメカニズムが「合理的不注意」である。実験結果は財の価格が高い場合に交換確率が高く、より合理的な意思決定が行われることを示している。価値の高い財が対象の場合、間違った意思決定をすることによるコストが高まってしまう。ここでいう「価値」とは単に価格だけではなく、実験前に交換先の財を所有していない場合は交換確率が高まる(逆もまた然り)ことも確認できる。つまり、財の価値が高まることで合理的に注意が払われ、結果として意思決定のバイアスが減少するということを示唆している。

本論文は、現在研究が進んでいる「貧困の心理学」分野における重要な貢献である。特に、「貧しいほど合理的になる」という一見すると直感に反する結果が示されているところが興味深い。一方で、そのメカニズムについては十分説得的であるとはいいがたく、理論・実証の両面において今後の研究の深化が期待される。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
著者プロフィール

會田剛史(あいだたけし) アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は開発経済学。最近の論文に、“Democratic Institutions and Social Capital: Experimental Evidence on School-Based Management from a Developing Country,” Journal of Economic Behavior & Organization, 2022, Volume 198, pp. 267–279.(共著)や、“Cross-Country Evidence on the Role of National Governance in Boosting COVID-19 Vaccination,” BMC Public Health, 2022, Volume 22, Article number: 576.(共著)など。

  1. 「保有効果(endowment effect)」という用語については批判もあるため、論文中では主に「交換の非対称性(exchange asymmetries)」という表現が用いられている。しかし、本コラムではわかりやすさを優先して、より一般的な訳語である「保有効果」で統一した。
【特集目次】

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