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コラム

途上国研究の最先端

第1回 途上国ではなぜ加齢に伴う賃金上昇が小さいのか?

PDF版ダウンロードページ: http://hdl.handle.net/2344/00049744

町北 朋洋

2017年11月

今回紹介する研究

David Lagakos, Benjamin Moll, Tommaso Porzio, Nancy Qian, and Todd Schoellman, "Life-Cycle Wage Growth Across Countries," Journal of Political Economy, (forthcoming).

どの国でも賃金は経験を積むごとに上昇するのだろうか。ここで紹介する研究は生涯にわたる賃金上昇を国際比較しようという野趣あふれるものだ。最貧国から先進国まで幅広い所得グループの国を選び、各国の横断面データを複数年分用いて、労働市場での経験年数が上昇するとともに賃金がどれくらい上昇するかを測定した。本研究は賃金プロファイルの傾きを先進国と途上国で比べ、そこに違いがあるのか、違いがあるとしたらそれは人的資本理論やサーチ理論が示唆する仮説で説明できるかを探究しようというシンプルなものだ。

先行研究では、潜在経験年数と一人当たり所得は無相関と考えられてきた。むしろ教育年数こそが所得を決めるうえで重要だと考えられていた。本研究はそうした通説に一石を投じる。野趣あふれる研究といっても準備作業は綿密だ。どう問題にどう取り組んだのか、一緒にみていこう。

発見とそこに至る準備

用いたデータは膨大だ。先進国が米国、ドイツ、オーストリア、カナダ、フランス、英国、韓国の7カ国。途上国が11カ国で、アジアはインドネシア、ベトナム、インド、バングラデシュ。中南米がチリ、ウルグアイ、メキシコ、ブラジル、ペルー、ジャマイカ、グアテマラ。中東・アフリカのデータは用いられていない。先進国(ドイツ、米国、英国、フランス)の賃金上昇をみると、労働市場経験年数が5年未満に比べ、20-25年の労働者の賃金上昇は70パーセントから100パーセント分ある。つまり先進国では、若い労働者に比べて20年以上経験を積んだ労働者の賃金は倍近くに至る。一方、途上国(ブラジル、チリ、ジャマイカ、メキシコ)の賃金上昇をみると、労働市場経験年数が5年未満の労働者に比べ20年から25年未満の労働者の賃金上昇は良くてブラジルの70%である。他の途上国は50%に満たない。加齢効果は先進国よりも小さい。

また、途上国の年齢・学校教育年数に残る測定誤差にも対処している。例えばチリの年齢データ、教育年数のデータの傾向を先進国に当てはめ、先進国でも年齢や教育年数の測定誤差を生み出し、加齢に伴う賃金上昇が観察されなくなるかを確認する実験を行った。加齢に伴う賃金上昇が観察されないと、測定誤差が問題ということになるが、先進国に当てはめた実験結果は賃金上昇を示す。測定誤差が原因とは考えにくい。また自営業への参入・退出、あるいは加齢に伴う人的資本の減耗を考慮しても、先進国の方が途上国よりも加齢に伴う賃金上昇が大きい。

もう少し慎重に教育の影響をみよう。教育を受けた人の経験効果はどの国でも大きいことも分かった。先進国・途上国問わず、大卒者は加齢に伴う賃金上昇がある。高卒以下はそうとはいえず、どの国も加齢に伴う賃金上昇が小さいか、ほぼない。それでは「先進国では加齢効果が大きい」というパターンを生み出す理由は、先進国には大卒者が多いからという、単なる教育水準の構成の違いによるものだろうか。これも実験しよう。仮にすべての国が米国と同じ教育水準の構成を有していたら、加齢に伴う賃金上昇パターンはどうなるか。チリ、メキシコ、ジャマイカの場合、教育水準の構成を米国と同一にしたとしても、現実の加齢プロファイルの3-4割程度しか説明できない。

教育水準の違いではないとすると、職業の違いは考えられないか。仮に途上国の職の構成を米国と同じにした時、各国はどんな加齢プロファイルを持つか。実験の結果、現実の加齢プロファイルの4分の1も説明できない。

何が加齢効果を説明するのか

本研究では、この加齢効果は労働市場での経験を積むに従い生産性が上昇した結果と解釈している。なぜ加齢とともに生産性が上昇するのか。有力な仮説は2つある。1つは先進国では生涯にわたって人的資本蓄積の機会が得られるが、途上国ではそうした機会に恵まれないから、という人的資本仮説だ。もう1つは先進国では労働市場の摩擦が小さいものの、途上国では労働市場での摩擦が大きいために加齢とともに転職時賃金が上昇しにくい、というサーチ仮説だ。この2つの仮説を区別するのは難しいが人的資本仮説の説明力を試すため、本研究は米国にわたった移民労働者のデータも確認した。そこで先進国出身者の内、母国での経験年数の長い移民労働者の方が米国での賃金が高い。しかし途上国出身者の場合、母国で経験年数が長くても米国で賃金が高いとはいえない。

それでは賃金決定メカニズムで有力とされる長期契約要因はどうだろうか。加齢に伴う賃金上昇が先進国では急で、途上国ではフラットというパターンは長期契約仮説で説明できるだろうか。長期契約仮説は先進国の一般労働者に対する賃金後払いか、途上国の一般労働者に対する賃金前払いを示唆する。このため長期契約が考えにくい日雇い労働者データと一般労働者を比較した時、先進国では日雇い労働者の加齢効果の方がフラットであるべきで、途上国では日雇いの方が一般労働者よりも傾きが急であるべきだ。結果は米国とインドでは日雇いも一般も加齢プロファイルが同一で、メキシコでは日雇いの方がフラットであった。長期契約仮説が示唆する現象は起きていない。

まとめよう。本研究は加齢に伴う賃金上昇のパターンが先進国と途上国でどれくらい異なるかを測定した。発見は2つだ。先進国の方が賃金プロファイルの傾きが急で、加齢に伴う賃金上昇幅が途上国よりも平均して2倍大きい。そして、先進国・途上国を問わず、より長く教育を受けた労働者の方が賃金プロファイルの傾きが急で、より賃金が上昇する。ただし途上国と比べて先進国の賃金プロファイルの傾きが急であることの約3分の1は、先進国には長く教育を受けた労働者が多いことにも由来する。

本研究は途上国と先進国の違いを長期契約仮説ではなく人的資本蓄積の違いやサーチから得られる収益の違いで説明した。加齢と賃金上昇というシンプルな関係をレンズにして、途上国への理解を何段階も深めうる研究である。

著者プロフィール

町北朋洋(まちきたともひろ)。ジェトロ・アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門分野は労働経済学。著作に『日本の外国人労働力―経済学からの検証』(共著)日本経済新聞社(2009年)〔第52回日経・経済図書文化賞受賞〕、「日本の外国人労働力の実態把握」『日本労働研究雑誌』(2015年9月号)など。

書籍:日本の外国人労働力

書籍:日本労働研究雑誌

【特集目次】

途上国研究の最先端