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第108回 それでも社会の亀裂が煽られる――発展途上国の民主主義における選挙戦略

Yet Social Cleavages Are Stoked: Electoral Strategies in Developing Democracies

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001910

2026年5月

(3,247字)

今回紹介する研究

Zuheir Desai 2026. “A Theory of Electoral Competition in Developing Democracies.The Journal of Politics, 88 (1): 63–78.

経済発展の水準と選挙戦略

社会にはさまざまな亀裂がある。社会階層、都市・農村、民族、宗教。こうした社会の亀裂は、しばしば政治対立の軸となり、社会を分断する。社会の亀裂が政治的に強く意識されるようになると、自集団の利益を優先するあまり他集団に対する敵対的な行動を生み、ひいては民主主義を後退させることにもつながっていく。これは、発展途上国の民主主義体制にしばしば見られる傾向である。そこでは、自由放任主義(レッセフェール)的な政策をとるのか、再分配に重きを置くのか、といった経済政策の選択をめぐる競争は、社会的な亀裂を煽る競争の下に隠れてしまうことが多い。

今回紹介する研究は、選挙運動において社会の亀裂が顕在化する事象に注目し、なぜ、発展途上国の民主主義では経済政策の対立よりも社会的亀裂が選挙の際に競争の軸になるのか、さらに、経済成長を果たした際にこうした競争の軸が変わるのか、といった問いに取り組んだものである。数理モデルを用いて導き出された理論が示すのは、経済発展が低い状態では社会の大多数が低所得者によって占められるゆえに経済政策に選択の余地がなく、経済政策で有権者にアピールできない右派政党は、社会的亀裂を強調することで多数派を取り込む戦略をとるということである。そして、経済発展が達成された場合は、社会階層や都市・農村の分断といった「近代化可能」な亀裂(経済発展によって変容するもの)が主たる亀裂になっている社会では、条件次第で社会的亀裂への訴えが弱まる可能性があるものの、民族や宗教といった「原初的」な亀裂(発展によっても変容しない固定されたもの)が主たる亀裂となっている社会では、むしろ、社会の分断を図るような選挙運動が強化されることも示されている。

二つの争点と政党の戦略

理論モデルは、四つの社会集団が存在する国で二つの政党が競争する状況を想定して作られている。社会集団は、所得水準と社会的亀裂の二つの軸をもとに、①低所得の多数派、②低所得の少数派、③高所得の多数派、④高所得の少数派である。また二つの政党とは、自由放任主義を指向する右派政党と再分配を重視する左派政党である。

本来であれば、選挙における競争は、二つの次元、つまり経済政策と社会的亀裂それぞれで発生するはずである。しかし、経済発展の度合いが低い状態では、低所得者が有権者の大多数を占めるため、左派政党は再分配という自らの政策の理想点をその政策ポジションとして有権者にアピールすることができるが、右派政党は自らの理想点を主張することが難しく、より左派政党の政策に寄せていくことを余儀なくされる。つまり、経済政策という次元での競争は選挙の争点としては顕在化しづらくなる。そこで右派政党は社会的亀裂を取り上げ、社会の多数派にアピールする戦略をとることになる。アイデンティティ・カードを切ることで経済政策では得票しにくい低所得の多数派から票を獲得しようというわけである。左派政党は右派政党による社会的亀裂を利用した選挙運動に対して防御的な立場となる。そして、右派政党の攻勢が強くなれば、左派政党も右派政党が社会的亀裂を争点として独占しないように行動することになり、結果として両者とも社会的分断を利用する見込みが高くなる。

経済発展の影響――亀裂のタイプによる違い

それでは、経済発展が果たされた場合はどうだろうか。その場合には低所得の有権者(多数派、少数派とも)が減少するため、それまでの右派政党の経済政策に関する制約が緩み、経済政策の選択をめぐる競争が顕在化することになる。そうすると一見、社会的亀裂が選挙における競争の主たる次元から後退するようにも思われる。しかし、本研究のモデルが示す帰結は必ずしもそうではない。

理論モデルでは二つの場合に分けられている。一つは社会の亀裂が原初的で、経済発展に影響を受けない場合であり、もう一つは、亀裂が近代化可能で、経済発展によって変容する場合である。

原初的な亀裂、例えば民族や宗教がその社会の主たる亀裂となっている場合でも、経済発展によって右派政党の経済政策に関する制約は緩むので、経済政策上の差異、つまり自由放任主義的な政策か、再分配政策かという右派政党と左派政党の政策の競争は顕在化する。経済政策の対立が顕在化すると、どちらが権力を掌握するかによって、経済政策の方向が大きく異なることになる。つまり、権力を掌握することの重要性が一層高まる。これは権力をめぐる競争を激化させる。いずれにせよ右派政党は、激化した競争において自らの得票効率を高めるため原初的な亀裂を煽るインセンティブを持つ。原初的な亀裂は固定化されているので、経済成長によってその亀裂に沿った多数派と少数派の割合は変化することがない。経済政策に関する主張と並行して、依然として社会の分断を煽る効果は高いのである。こうした右派政党の行動に対して、左派政党も権力掌握の重要性を背景に、社会的分断を利用する選挙戦略をとる見込みが高くなる。結果として、経済発展があっても社会的亀裂を煽る選挙戦が展開されることになる。本論文では、こうしたタイプの事例としてインドが取り上げられている。多数派であるヒンドゥー教徒と少数派であるイスラム教徒の対立が経済発展によって解消されることはなく、むしろインド人民党(BJP)の台頭と国民会議派による対抗がこうした宗教的な亀裂を中心に展開されていることが論じられている。

これに対して、近代化可能な亀裂、例えば都市と農村の分断が主たる亀裂となっている社会では、経済発展によって社会的な分断を煽るような選挙運動が低下する可能性が示唆される。経済発展によって人々の所得が向上し、それまで社会的な分断を煽る選挙運動を好んでいた人たち(低所得の多数派)がそうした分断を嫌う立場に変化しうるのである。その結果、社会の亀裂を利用した選挙運動の有効性が低下し、政党がそうした戦略をとるインセンティブが弱まる。ただし、こうした変容は経済発展を経験する前の初期条件によってその効果が異なることも付言されている。もともと社会が比較的豊かで所得の高い層の割合が大きい、もしくは所得の低い層の中で社会的分断を煽る運動を好む人々の割合が小さい、あるいは経済発展によって低所得多数派が低所得の少数派よりも早いペースで高所得に移行する、といった条件が重要であることが示されている。この理論の予測と整合的な事例としてクロアチアが挙げられている。2000年代に経験した経済発展により、欧州統合を指向する有権者層が台頭し、これが右派政党の戦略を変えていった。それまでセルビア人という外部の敵への対抗を煽ることで集票を試みていた右派政党(クロアチア民主同盟:HDZ)は、穏健な欧州型の中道右派政党に方向を転換したのである。

それでも社会の亀裂が煽られる

経済政策をめぐる対立と社会的亀裂に焦点を当てた分断戦略という二つの異なる競争の次元を、個別に独立したものとして扱うのではなく、密接に関連したものとして、一つのモデルの中で理論を構築したことは、本研究の大きな貢献である。それは、政党の選挙戦略が固定されたものではなく、得票効率を見計らいながら政党が戦略を選択し、調整しているということを明らかにした。さらに、経済発展が、こうした競争の構造を変えつつも、社会の亀裂が原初的なものである場合には、むしろ社会の亀裂が煽られていくことを示したことも重要である。ここに発展途上国の民主主義が抱える本質的な課題が浮き彫りにされている。厳密な数理モデルによる理論は、計量や事例に基づく実証的な作業に向けた重要な指針となるだろう。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
著者プロフィール

川中豪(かわなかたけし) 亜細亜大学国際関係学部教授。博士(政治学)。専門分野は比較政治学。主要な著作として『競争と秩序――東南アジアにみる民主主義のジレンマ』白水社、2022年、『後退する民主主義、強化される権威主義――最良の政治制度とは何か』ミネルヴァ書房、2018年(編著)、翻訳としてサミュエル・P・ハンティントン『第三の波――二〇世紀後半の民主化』白水社、2023年など。

書籍:競争と秩序――東南アジアにみる民主主義のジレンマ

書籍:後退する民主主義、強化される権威主義――最良の政治制度とは何か

書籍:第三の波――二〇世紀後半の民主化

【特集目次】

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