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コラム

続・世界珍食紀行

第17回 イギリス――レストランに関する進化論的考察

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051497

2019年10月

(2,233字)

2000年代初頭。渡英するにあたって、先達から繰り返し聞かされたのは「イギリスの食事は不味い」という定番の忠告であった。それも「不味いと聞いていたが、実際はそれほどでも」という話も聞かない徹底ぶりだ。ただ、食に対するこだわりがほとんどないと自負する私は、イギリスの食事でも実は平気なんじゃないかと楽観していた。

ロンドンでの最初の2週間は大学の寮に住んでいた。この間のイギリスの食事に対する印象は、楽観どおり「実際はそれほど不味くはないのでは?」というものだった。まず、朝食は寮のイングリッシュ・ブレックファストで、パンに目玉焼き、ベーコンにベイクド・ビーンズといった感じで十分満足できるものだった。昼食は授業が詰まっていて時間がないのでチョコレートですませ、夕食はカフェでコーヒーとサンドイッチを買って食べるという毎日だった。

しかし、イギリスの食事に対する「実はそれほど不味くないのでは?」という楽観は、寮を出て3カ月もすると完全に覆ることになる。私が寮で「仕方なく」食べていたイングリッシュ・ブレックファストとカフェのサンドイッチは、イギリス料理の最高峰であり、アフタヌーンティーを除けば他の料理はほとんどすべてこれに劣ることが判明したのである。

スコットランド料理ハギス

数千枚のイギリス滞在時の写真中わずか数枚の貴重な料理写真……と思ったら、スコットランド料理ハギスと判明。
ハギスは羊の内臓をオーツ麦やスパイスと混ぜて羊の胃袋に詰めて蒸したもので、スコットランド人が「イングランドとは違うのだよ」と胸を張る自慢の伝統料理。

イギリス料理、というよりイギリスにおける料理の不味さは、「味がない」ことと「食感が悪い」ことに還元される。中華料理ですらその傾向があり、ぬるい「湯(スープの意味ではなく)」にのびた麺が入っただけのものが出てきたりする。パサパサのサンドイッチ、ねとねとのソーセージ、ぶよぶよのパスタは日常茶飯事で、怒って交換を要求している人もいない。ここに、軽い昼食でも一人10ポンドは下らないという物価の高さ(当時は1ポンド=200円超)が追い打ちを掛け、次第に「ちょっと外食でも」という気は起きなくなった。

外食の際、何となく雰囲気もよく、それなりに客もいる店にふらっと入るというごく普通の行動で、何度も痛い目に合った。イギリスでは店の雰囲気や繁盛具合と、料理の味の善し悪しが全く相関していないのだ。私は失敗を繰り返すうちに、「イギリスでは料理の味を基準とした店の淘汰が機能していない」という仮説にたどりついた。ポイントは「いかなる淘汰も機能していない」のではなく、「淘汰の基準が味ではない」という点だ。もし、淘汰が全く機能していないとすれば店は潰れないから、イギリスのレストランは創業100年を超えるような老舗だらけになっているはずである。また、長く店をやっていれば学習効果で料理の味も改善するだろう。しかし実際には、「我々は1987年以来、長きにわたってインド料理を……」と掲げている店を目にするほど淘汰自体は激しいのだ。

なぜ料理の味と店の淘汰確率が無相関なのか? 答えは一つ、客の味覚に問題があるとしか考えられない。客が料理の質に従って店を選ばない(選べない)ので、インテリアや食器のデザイン、雰囲気や謎のウンチクのようなもので店の生き残りが決まるのだ。実際、あるイギリスの雑誌で目にした「美味しいサンドイッチ・ランキング」では、私が地球上で最も素晴らしいと評価する、カフェ「PRET A MANGER」のサンドイッチが、スーパー「TESCO」の凡庸なサンドイッチに完敗していた。

このとき、イギリス料理について発見した一つの法則がある。それは、料理名が「調理法+素材」のものは大丈夫、というものだ。「ベイクド+ビーンズ」や「フライド+フィッシュ」などがそれにあたる。これはつまり、調理が1ステップを超えると途端に素材が不味くなるということを意味しており、イギリスにおける調理が、新鮮で豊かなイギリスの食材の味や食感を破壊するプロセスであるという悲しい現実に心を痛めずにはいられなかった。

名誉回復のために述べておく。それから15年の時が流れ、イギリスのレストランは格段に美味しくなったと風の便りに聞いた。にわかには信じがたいが、何でも、2012年のロンドン・オリンピックが契機となったらしい。なるほど、つまりは仮説どおりで客の問題、イギリスのレストランが進化するには、外国人観光客の味覚による淘汰が必要だったのだ。

写真の出典
  • 筆者撮影。
著者プロフィール

熊谷聡(くまがいさとる) アジア経済研究所開発研究センター経済地理研究グループ長。専門は、国際経済学(貿易)およびマレーシア経済。主な著作に『経済地理シミュレーションモデル――理論と応用』(共編著)アジア経済研究所(2015年)、『ポスト・マハティール時代のマレーシア――政治と経済はどう変わったか』(共編著)アジア経済研究所(2018年)、"The Middle-Income Trap in the ASEAN-4 Countries from the Trade Structure Viewpoint." In Emerging States at Crossroads (pp. 49-69). Springer, Singapore (2019) など。

書籍:ポスト・マハティール時代のマレーシア

書籍:The Middle-Income Trap in the ASEAN-4 Countries from the Trade Structure Viewpoint

【連載目次】

続・世界珍食紀行