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コラム
第8回 インドネシア――1本のサテがくり出す衝撃の味
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00050666
土佐 美菜実
2019年1月
(1,887字)
筆者はインドネシア・ジョグジャカルタ特別州に赴任して以降、日本ではあまり見たことのない様々な食材・料理を日ごろ口にしている。ただ、外国人である筆者を気遣ってか、現地の友人たちが勧めるものはどれも美味しく、食べ物に関して悲惨な目にあったという経験はあまりしていない。
とは言え、こうした恵まれた環境にいるものの、やはり時には困った経験をすることもある。
ある日、友人たちと一緒にジョグジャカルタに隣接する中部ジャワ州へ行く機会があった。到着して早々、我々が向かったのは中部ジャワ名物、ソト・スグールの人気店である。ソト・スグールとは主に牛肉を使ったスープのことで、揚げ物などが多いインドネシアでは珍しい、比較的あっさりした料理である。
お店に到着し、さっそく人数分のソト・スグールを注文した。着席したテーブルには数種類の揚げ物やサテ(東南アジア地域でよく見かける串焼き料理)がサイドメニューとしてすでに用意されている(写真1)。これらはセルフサービス方式であり、後の会計時に自分が食べたものを申告してお金を払う。
何を食べようか目移りしているうちに先ほど注文したソト・スグールが運ばれてきた(写真2)。スープは東南アジアらしく胡椒が効いているものの、醤油ラーメンのスープによく似ており、日本人の舌に馴染みやすい味と思われる。具は牛肉のほか、もやしや細かく刻まれたセロリの葉、春雨など、決して重たくない。一方でトッピングされた赤玉ねぎのフライのスライスが適度に食欲をそそる。また、なかには白いご飯が沈んでおり、スープが染み込んで柔らかくなったご飯はとても食べやすい。
ソト・スグールを堪能している最中、友人らが牛の鼻のサテ、サテ・チングールを勧めてきた。牛の鼻のサテなど見たこともなかったため、さっそく興味本位で食べてみることに。見た目はコラーゲンたっぷりの、プリプリとした食感が楽しめそうな様子をしている。また、肉の表面にあるツヤが甘辛い煮物を連想させたので、牛肉のしぐれ煮に似た味ではないかと想像しながら口に運んだ(写真3)。
ところが実際に食べてみると、その想像とはずいぶんかけ離れた味が口の中に広がってきた。まず、強烈な獣臭さが脳天を貫く。ただ筆者は臭みのあるヤギ肉なども好んで食べるほうなので、獣臭さだけであればそれほど動揺はしないが、この牛の鼻はそれだけではなかった。的確な表現が見当たらないので誤解を恐れずに言うと、なぜか動物園の味がするのである。動物園の門をくぐったと同時に感じる生き物たちのにおいに、餌である干し草の風味が混じる。そして彼らの生活に欠かせない土や水から届く湿っぽい土のかおりや、檻の鉄臭さまで、全てが舌の上で再現されているように感じた。この1本のサテにそれらが凝縮されており、子どもの頃に親に連れていってもらった動物園を思い出し、衝撃を受けた。
ひとり混乱しているなか、「どう?美味しい?」と友人らが味の感想を求めた。冒頭で述べたとおり、筆者はインドネシアで口にした食べ物のほとんどを美味しいと感じてきた。そのため、これまでこの質問に対して特に迷うことなく「美味しい」と答えてきた。そして今回もきっとそう答えるに違いないと思われていることが、友人らの表情から読みとれる。
正直に感想を述べるべきか。しかしながら、ここ中部ジャワや筆者が暮らすジョグジャカルタは、本音と建て前を上手に使い分け、相手との適度な距離感を保つことで有名なジャワ民族の中心地である。本心を隠す性分であることを自他共に認めており、彼らはそれにより波風を立てずに他者との友好関係を築くと言われている。そのようなジャワの人々に囲まれたなかで「動物園の味がする」などと率直に告白することに躊躇を感じた。
結局、いつも通り「美味しいね」と答え、その後は口の中に広がるこの味を打ち消すために残っていたソト・スグールをかきこむことに集中した。
著者プロフィール
土佐美菜実(とさみなみ)。アジア経済研究所海外研究員(在ジョグジャカルタ)。2013年ライブラリアンとしてアジア経済研究所に入所。東南アジア地域を担当。
写真の出典
- 写真1 テーブルに並ぶサイドメニューたち:筆者撮影。
- 写真2 ソト・スグール:筆者撮影。
- 写真3 問題の牛の鼻のサテ:筆者撮影。
- 第1回 バングラデシュ――食らわんか河魚
- 第2回 クウェート――国民食マチブースと羊肉のはなし
- 第3回 ラオス――カブトムシは食べ物だった
- 第4回 タイ――うなだれる大衆魚・プラートゥー
- 第5回 トルコ――ラクの〆は臓物スープで
- 第6回 台湾――臭豆腐の香り
- 第7回 カンボジア――こじらせ系女子が食べてきた珍食
- 第8回 インドネシア――1本のサテがくり出す衝撃の味
- 第9回 中国四川省――肉食の醍醐味
- 第10回 ベトナム――「元気ハツラツ」じゃなかったハノイの卵コーヒー
- 第11回 ブラジル――「ツンデレの果実」ペキー
- 第12回 モルディブ――食べても食べてもツナ
- 第13回 フィリピン――最北の島で食す海と人の幸
- 第14回 タンザニア――ウガリを味わう
- 第15回 アメリカ――マンハッタンで繰り広げられる米中ハンバーガー対決
- 第16回 ニュージーランド――マオリの伝統料理「ハンギ」を食す
- 第17回 イギリス――レストランに関する進化論的考察
- 第18回 南アフリカ――「虹の国」の国民食、ブラーイ
- 第19回 デンマーク――酸っぱい思い出
- 第20回 ケニア――臓物を味わう
- 第21回 モンゴル――強烈な酸味あふれる「白い食べ物」は故郷を出ると……
- 第22回 インド――幻想のなかの「満洲」
- 第23回 マグリブ(北アフリカ)――幻の豚肉
- 最終回 中国――失われた食の風景
- 特別編 カザフスタン――感染症には馬乳が効く
世界珍食紀行(『アジ研ワールド・トレンド』2016年10月号~2018年3-4月号連載)
- 第1回「中国――多様かつ深遠なる中国の食文化」
- 第2回「ベトナム――食をめぐる恐怖体験」
- 第3回「気絶するほど旨い?臭い!――韓国『ホンオフェ』」
- 第4回「イラン――美食の国の『幻想的な』味?!」
- 第5回「キューバ――不足の経済の食」
- 第6回「タイ農村の虫料理」
- 第7回「ソ連――懐かしの機内食」
- 第8回「エチオピア――エチオピア人珍食に遭遇する」
- 第9回「多人種多民族が混交する国ブラジルの創造の珍食」
- 第10回「コートジボワール――多彩な『ソース』の魅力」
- 第11回「デーツ――アラブ首長国連邦」
- 第12回「ペルー ――アンデスのモルモット『クイ』」
- 第13回「ミャンマー ――珍食の一夜と長い前置き」
- 第14回「『物価高世界一』の地、アンゴラへ――ポルトガル・ワインの悲願の進出」