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コラム

続・世界珍食紀行

 
最終回 中国――失われた食の風景

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051795

2020年7月

(5,200字)

春節を控えた中国に突如出現した未知のウイルスは、瞬く間に全世界に広がった。やがて日本にいる筆者の自由も制限され、これまで当たり前だった中国出張も再開の見通しが立たなくなった。先の見えない退屈な日々のなかで、ニュースや時折寄せられる友人たちからの便りだけが、かの地の人々の生活を想像する手掛かりとなった。「中国が野生動物の食用を全面禁止1」、「深圳市、食用の犬猫取引を禁止2」、「『取り箸』を食事の新しい習慣に」――こうした文字が目に飛び込んでくるたび、筆者の脳裏にはすでに失われた、あるいはもうすぐ消えゆくであろう懐かしい風景が蘇ってくる。

写真:雲南省ハニ族の「長廊宴」。旧正月の宴会も新型コロナウイルス感染拡大の一因と言われる

雲南省ハニ族の「長廊宴」。旧正月の宴会も新型コロナウイルス感染拡大の一因と言われる
(雲南省紅河イ族ハニ族自治州にて、2010年11月)。

15年前の夏、うだるような暑さの山東省某県下の農村。タバコのヤニで黄ばんだ壁紙に白酒の匂いが染み込んだような鎮政府の食堂では、昼夜分かたず基層幹部たちの熾烈な乾杯合戦が繰り広げられていた3。筆者のごとき外国人は農村では珍しく、地元の大学の先生や県の幹部に連れられて行くと熱烈な歓待を受けた。孔子のふるさと、水滸伝の舞台の山東省では、礼節と質実剛健が尊ばれ酒宴のしきたりにやたらとうるさい。地位や年齢、人間関係によって席次には厳然とした秩序があり、特に主賓の席に誰が座るかをめぐっては、宴会前に必ず儀式めいたやりとりが行われた。ややこしいのは一方の職位が下であっても、出身高校の先輩だったり退職した上級政府の元幹部だったりした場合で、こうなると席次は交渉次第ということになり、激しい席の譲り合いが展開される。細かい事情は失念したが、筆者の脳裏に鮮明に焼き付いているのは以下の寸劇のようなワンシーンである。

大きな円卓を前に、鎮の幹部が上級政府である県の幹部の腕や背中に手を添え、「局長、ズオズオ(どうぞお座りください)」と言いながら奥の上座を勧めている。対する局長は、相手を押し戻しつつあくまで礼儀正しく「不用ブゥヨン不用ブゥヨン(いえいえ、私などが)」と固辞する。

他の参加者が黙って見守るなか、このやり取りはどんどんヒートアップしていく。最初穏やかだった動作は、やがて強引に相手の腕を引っ張ったり背中を押したりして乱れ、つかみ合いの喧嘩の様相を呈してくる。同時に言葉の応酬も、「ズオ、ズオ」「ブゥヨン、ブゥヨン」から「ゾゾゾゾ……」「ブヨブヨブヨブヨ……」へと加速し、やがて歌舞伎役者のセリフの掛け合いのごとく「ゾゾ」「ブヨ」、「ゾゾ」「ブヨ」と交互に繰り返しながら、両者の緊張はクライマックスに達する。最後に根負けしたほうが突き飛ばされ、音を立てて硬い木製の椅子に尻餅をついた。そして、照れたようなバツの悪いような笑みを浮かべて天を仰ぎ、手のひらでつるりと顔を撫でながら「アイヨ……」などとつぶやき観念する。主賓さえ決まれば、その他の席次は素早く埋まっていった。

主賓はホスト側の第1主人「主陪」の右隣、次客は左隣の席に座る4。宴会の間、主人は両隣の客に至近距離で絶えず話しかけながら、酒を勧めたり自分の箸で料理を客の皿に盛ったりと細やかに世話を焼く。円卓には大きな尾頭付きの蒸し魚、エビやカニ、ニンニクとネギのたっぷり入った各種肉料理、炒め物などの大皿が所狭しと並び、参加者は豪快に飲み食いする。概して北方ではあまりゲテモノを食べないが、セミやサソリ、蚕の蛹、犬肉は時々登場した。地元の正式なルールによれば、主賓は順に第1主人と3回、第2主人と6回、第3主人と9回(なんと合計18杯!)乾杯しなければならない。この最初の儀礼的な乾杯がひととおり終わっても、円卓を囲んで際限なく繰り返される乾杯の応酬、主人の直箸で客の皿に積み上げられていく料理、そして酒が進むほどにいや増す会話の滑らかさと高まる声量……。当時毎日のように開かれていたおびただしい宴席で、いったいどれほどの唾液が直接・間接に参加者の間を飛び交ったことだろうか。

10年前の秋、広東省広州市街。朝ホテルを出るとき隣の市場の前を通ると、豚肉や鶏肉と並んで、氷の上に(尾頭付きの)ワニが置いてあるのが見えた。大きな鋸で皮ごと切って、量り売りしているらしい。夕方帰りがけに再び覗いてみると、ワニの大きさは半分くらいになっていた。ゲテモノ好きで有名な広東以外の地域でもこうしたローカルな生鮮食品市場は残っており、大抵その片隅には生きた鶏、カエル、カメ、ヘビの類(あるいはその他の少なくとも筆者は食べものと認識していない生き物)が網や籠に入れられ、ひっそりとうごめいている。

写真:農村の市場で売られる犬とニワトリ

農村の市場で売られる犬とニワトリ(貴州省黔東南ミャオ族トン自治州にて、2018年8月)

4年前の秋、江西省の農村。経済成長にも陰りが見え始め、習政権は汚職撲滅と贅沢禁止をスローガンに掲げた。反腐敗闘争の嵐は官僚の接待需要に依存していた高級レストランや高級白酒メーカーに大打撃を与えながら、上は中央から下は農村末端まで中国全土を吹き荒れた5。村民委員会の壁にも昼食時の飲酒を禁じる紙が張られ、「以茶代酒」(お酒の代わりにお茶で)が新たな乾杯の決まり文句になった。かようにして農村幹部たちは(表向きは)すっかり飲まなくなったわけだが、タダ酒にありつけなくなって落胆した者もいれば、飲まずに済むと内心安堵した者もいたに違いない。酒豪の多い山東省ですら、胃痛に苦しむ人や何かと理由をつけて宴席を避ける人、肝臓病や痛風を患う人が少なくなかった。

写真:村民委員会の壁に貼られた「昼食時は飲酒禁止」の張り紙

村民委員会の壁に貼られた「昼食時は飲酒禁止」の張り紙(江西省宜春市にて、2016年9月)

3年前の冬、広東省広州市郊外。筆者はとうとう新時代の農村幹部を「発見」した。20代後半の若い村幹部たちは大卒でこぎれいな身なりをし、話し声は小さく、スマホを使いこなし、酒をほとんど飲まず、金儲けよりプライベートを大切にし、環境保護の意識が高く、車はカーシェアリングで充分だと語った。彼らはギラギラした旧世代とは全く異なる価値観の新人類、「仏系」である6。地域差もあるだろうが、彼らとの出会いはこれからの中国社会の変化を強く予感させた。

そして現在。中国政府は感染防止と衛生状態の改善のため、飲食業界に対し大皿ではなく個別の食器を使った配膳や取り箸のサービスを提供するよう指導している7。報道のなかには、古代中国の上流階級の習慣を引き合いに出してこれらの新しい生活習慣を推奨するものもある8。中国では南北朝時代に西アジアから椅子が伝わり、宋代に椅子と卓の生活様式に完全に移行するまでは、床に座って銘々膳で食事をしていた(西澤 2009)。それ以前に中国文化が伝わった日本や朝鮮では、その後も長くこの習慣が温存されたというわけである。

中国政府が個別の食事や取り箸の普及を呼びかけるのは、今回が初めてではない。特に2003年のSARS流行以来、感染症専門医の鐘南山院士などにより繰り返し推奨されてきたが、中国の大都市の一部の層を除いて定着しなかった9。年配者の多くは取り箸に対して他人行儀で冷たいという印象を持っており、長幼の序を重んじる中国社会では同席する若い世代も遠慮しがちであるという10。とはいえ、あっさりした合理的な人付き合いを好む都市部の若年層の間ではある程度浸透しており、今後より広く定着するかもしれない。

もう一度あの日に戻りたいかどうかは別として、中国のある世代の人々はあの狂乱の宴を、過ぎ去った高度経済成長期の余熱とともにノスタルジーを込めて思い出すかもしれない。かつて中国の都市部で文革期をテーマにしたレストランが流行したが、ある特定の時代・地域の食の風景は、その時の体験と結び付けられ強く記憶に残るものである。ただし、これはあくまで体験した者だけが共有できる一種の感傷にすぎず、「仏系」やその次に来る世代の知るところではない。食文化にはそれが成り立つための合理的な理由があるはずで、その前提が崩れればやがて廃れ、何代か経てば忘れ去られてゆくものだ。ちょうど昔の中国人がお膳を前にめいめい食事をしていたことを、世界中の皆がすっかり忘れてしまったように。歴史の証人のひとりとして、中国式宴会のゆくえをしっかりと見届けたい。

謝辞

今回をもって、ひとまず本連載を終了することとしたい。2016年の夏に『アジ研ワールド・トレンド』誌上で連載を始めた時は、ここまで長く続くとは思っていなかった。開発途上国研究の専門家が集まるアジア経済研究所では、研究成果には全く結びつかないが間違いなく面白い、滞在先での奇妙な体験談を日常的に耳にする。個人的にはそうしたいわば研究の副産物(残滓?)もまた貴重な資源だと考えているが、何かと成果ばかりが求められる昨今、そんな能天気な企画に協力してくれる同僚はどのくらいいるのだろうか。不安がなかったわけではないが、いざ連載が始まってみると、不思議なことにどの執筆者も本業の研究論文と同等(あるいはそれ以上の?)熱量をもって、執筆に取り組んでくれたのであった。企画者として、多くの同僚と価値観を共有できたことに心から感謝したい。連載のそもそものコンセプトは、食にまつわる体験を入口にその社会の性格を描き出す、というものであったが、同時に普段とは違う同僚たちの人となりがにじみ出てくるというのも楽しい発見であった。

最後にこの場を借りて、『アジ研ワールド・トレンド』誌での連載企画を承諾してくれたた当時の編集委員会、特に荒神衣美氏、『IDEスクエア』誌上へ移行して以来良き相談相手となってくれた中村正志氏ならびに編集委員諸氏、執筆者として協力してくれた(元)同僚諸氏、そしてすべての読者に謝意を表したい。コロナ禍が終息した後の世界で、また新たに始まる食をめぐる冒険を楽しみにしている。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
参考文献
  • 西澤治彦2009.『中国食事文化の研究――食をめぐる家族と社会の歴史人類学』風響社。
著者プロフィール

山田七絵(やまだななえ) アジア経済研究所新領域研究センター研究員。農学博士。専門は中国農業・農村研究。主な著作に、『現代中国の農村発展と資源管理――村による集団所有と経営』東京大学出版会 2020年。

書籍:現代中国の農村発展と資源管理

  1. 中国政府は2020年1月下旬に野生動物の取引を暫定的に禁止、2月には全人代常務委員会が野生動物の食用利用を法律で禁止する方針を示した(「中国が野生動物の食用を全面禁止 全人代常務委、『悪習』を根絶」『産経新聞』2020年2月26日)。だが、現時点では中国医学において食用との境界が曖昧な医薬品の原料としての取引は継続される可能性がある(「アングル:中国が野生動物の食用利用禁止へ、『医療目的』は例外か」REUTERS、2020年5月22日)。
  2. 中国・深圳市、食用での犬猫の取引を禁止 国内都市で初」BBC NEWS JAPAN、2020年4月3日
  3. 白酒は、アルコール度数30~60度の蒸留酒。中国の乾杯は文字どおり杯を干す、一気飲みである。また、酒を水などで割ることはしない。
  4. 通常「主陪」は最も職位の高い人で、入り口から最も遠い上座席に座る。第2主人「副陪」は二番手で主陪の向かいの席に座る。たいてい酒量に自信のある、体格の良い男性である。主賓からみて主陪の反対隣に座る第3主人「三陪」による乾杯は、省略されることもある。
  5. 『国酒』ブランドを諦めた茅台酒、生き残りへの道」AFP BBニュース、2019年7月9日。ただし、民間の宴会は健在である。
  6. 「仏系」とは、近年中国社会で増加していると言われる1990年代以降生まれの欲の無い若者のこと。詳しくは「『頑張っても成功できないなら省エネで』中国で『仏系青年』大流行 ――由来は日本の『仏男子』」BUSINESS INSIDER、2018年4月5日。
  7. 2020年3月18日、中国政府直轄の世界中餐業連合会と中国貿促会商業行業委員会は連名で「中餐分餐制、公筷制、双筷制服务规范」とそれに基づく団体認証を公布した。認証の内容は飲食店やホテルに対し、顧客への個別の料理の盛りつけ(分餐)、取り箸(公筷)、二本の箸(双筷)の提供サービスを義務付けるもの。より詳しい内容は世界中餐業連合会ウェブサイト
  8. “公筷”应成为“用餐新风尚”」『中国经济网』2020年3月25日。中央電視台による取り箸推進CM「使用公筷 筷筷有爱」。
  9. 公筷制、分餐制,“新餐桌文明”会成为潮流吗?」『蚌埠新闻网』2020年3月23日。
  10. 分餐制推行有难度,老人觉得用公筷见外,亲友聚餐易冷场」『北晚新视觉网』2020年3月13日。
【連載目次】

続・世界珍食紀行