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コラム
目標8 働きがいも経済成長も――働きやすく、生きやすい未来に向けて
Goal 8 Decent Work and Economic Growth: Towards a Better Future for Everyone to Work and Live
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00052900
辻田
祐子
Yuko
Tsujita
2022年1月
(3,891字)
SDGsにみる途上国の労働に関連する課題
「目標8:働きがいも経済成長も」は、正式には「包摂的かつ持続可能な経済成長およびすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用(ディーセント・ワーク)を促進する」と表現されます。
「働きがい」に該当する原文(英語)のディーセント・ワーク(Decent Work)は、「権利が保障され、十分な収入を生み出し、適切な社会的保護が与えられる生産的な仕事」を意味します。そのため、目標8は、性、年齢、居住地、出身地、障がいなどにかかわらずすべての人々が労働の機会を得られることのみならず、労働の対価、労働者の権利、安全、安心して働くことのできる労働環境の整備などについても、具体的な数値目標を含んでいます。
「包摂的で持続可能な経済成長」は、それ自体が目標に定められているだけでなく、それによって「働きがいのある」雇用の創出につながることも期待されています。
日本において、働きがいのある人間らしい雇用を促進するために取り組むべき課題の例としては、非正規雇用の増加に伴う正規雇用との賃金、待遇の格差や雇止め、また過重、違法労働やハラスメントの横行する「ブラック企業」などが頭に浮かぶでしょうか。
途上国において取り組むべき重要な課題のひとつとしては、「インフォーマル経済」への対応が挙げられます。「インフォーマル経済」の基準は国や機関により異なりますが、国際労働機関(ILO)によれば、モノの生産やサービスの提供が行われる場所(事業所)が法人登記されていない「インフォーマル・セクター」で就労する労働者と、登録された事業所「フォーマル・セクター」でも、社会保障の対象外であり、また有給休暇の権利がない、などのインフォーマルな形態で雇用される労働者が該当します。こうした労働者は、雇用の不安定さ、労働者としての権利の欠如、社会的な保護の不十分さといった脆弱性を抱えるのみならず、生産性が低く、賃金も低い傾向がみられるために貧困に陥る可能性が高いといわれています(Kanbur 2017)。こうした形態で雇用される労働者は世界に約20億人(労働者の約6割)おり、とくに途上国に集中する傾向がみられます(ILO 2018)。
これまで、インフォーマル・セクターやインフォーマル雇用は経済発展に伴って縮小していくと考えられてきましたが、依然として多くの途上国に残されたままです。
以下では、「インフォーマル経済」の根付く途上国の現状について、インドの事例をみてみましょう。
インドの事例
インドの近年の経済成長は、十分な「働きがいのある雇用」の増加を伴わない「雇用なき成長」とも揶揄されてきました。経済成長が労働人口の増加、とくに13億を超える人口の半数近くを占める24歳以下の若年層への十分な雇用創出に繋がっていない状況です。
近年の政府労働統計では、フォーマル・セクターとインフォーマル・セクターの分類を事業所の経営形態により、またフォーマル雇用とインフォーマル雇用の区分を雇用契約書、有給休暇、社会保障の有無により行っています(Government of India 2021)。インドでは、農業従事者(農村労働者の約6割)と自営業者(全労働者の約半数)が比較的多いため、インフォーマル・セクターの労働者とフォーマル・セクターのインフォーマル雇用を合わせて全労働者の9割近くを占めるとみられます。
の土地で農作業をしたり、カースト固有の世襲の職業(写真はかご作り)に従事したりすることで、日々
の生活の糧を得ている人々もいます(2017年11月、ビハール州農村)。
こうした労働者の特徴として、教育や所得水準の低さがあげられます。インフォーマル・セクターおよびインフォーマル雇用の比率の高い家内労働者、家事労働者、行商・露天商、廃棄物回収人、建設労働者、輸送業者に絞ると、義務教育(州により7~8年)修了かそれに満たない労働者が圧倒的多数を占めます。彼(女)らの多くが最低賃金以下の労働条件で働いており、とくに女性労働者の教育水準と賃金の低さが指摘されています(Raveendran and Vanek 2020)。こうした労働者の多くにとって、唯一の生産的資産は労働です。そのため、賃金が低く、労働条件が劣悪な仕事であっても、往々にしてやらざるを得ない状況に置かれていることが示されています。
対照的に、経済成長の恩恵を受けて生活水準を著しく向上させている層もいます。そうした人々とそうでない人々の経済格差は拡大しているとみられており、上位10%の富裕層は下位50%の22倍の所得を獲得し、55倍の資産を所有しています(Chancel et al. 2021)。筆者がインフォーマル雇用と低賃金の労働者が集中する首都デリーのスラム世帯を2007-08年と2018年に調査したところ、10年間で約7割の労働者の実質所得は上昇していましたが、スラム労働者とデリー全体の平均所得の差は広がっていました。
連邦政府は、困窮する労働者向けに公的扶助を実施してきました。社会保障の対象外となっている労働者には確定給付方式での年金制度(任意加入)などの公的扶助が実施されています。また、農村での公的雇用、食糧配給、医療費補助をはじめとして、貧困層らを対象とした950にものぼる支援スキームも実施されており、公的扶助のための支出は累計でGDPの5%を占めるといわれています。しかしその多くは、最も支援を必要としている人たちに必ずしも届いていないといった問題に直面しています。その主な要因としては、支援の対象となるべき人々が適切に選定されていないことや、支援物資や現金が対象者に届く前に関係者により横流しや横領されてしまう、ことなどが挙げられます。
そこで近年では、連邦政府のスキームを一本化し、最低限の生活を送るのに必要な金額を全員一律に給付する「ユニバーサル・ベーシック・インカム」導入の可能性が示唆されています(Government of India 2017)。
長期的には、途上国においても経済成長とともに貧困やインフォーマルな雇用は減少していく可能性があります。ところが現状では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックが経済成長と雇用に暗い影を落としています。
コロナ禍での雇用情勢の悪化
2020年の世界経済は、COVID-19の拡大とそれを封じ込めるための経済活動の制限によって、第二次世界大戦以降最悪の影響を受けたと報告されています。経済活動の停滞は雇用情勢にも大きな打撃を与え、仮にパンデミックが無かった場合と比較すると、週48時間フルタイム勤務で2億5500万人分に相当する雇用が全世界で失われたとみられます(International Labour Organization 2021)。
では、労働者のなかでも深刻な影響を受けたのは誰でしょうか。日本では、コロナ禍のしわ寄せは正規雇用の労働者よりもパート、アルバイト、派遣、契約、嘱託社員などの非正規雇用労働者に及んでいる状況が明らかにされています。世界全体の傾向としても、インフォーマル雇用の労働者は、フォーマル雇用の労働者の3倍失業の確率が高かったと指摘されています。
インドもその例外ではありません。COVID-19の感染拡大防止のため、2020年3月下旬から約2カ月半にわたって外出や経済活動の制限を含む非常に厳格なロックダウンが全国的に実施されました。その結果、都市部では1900万人がロックダウン中に失業したとみられており、なかでも最も深刻なダメージを受けたのは臨時・日雇労働者でした(Mitra and Singh 2021)。経済的に後進的な3州(ウッタル・プラデーシュ州、ビハール州、ジャールカンド州)の調査においても、ロックダウン前に就労していた都市部労働者のうち8割がロックダウン中に失業し、段階的に経済活動が再開されてから10カ月経っても4割が仕事も収入も得られなかった状況が明らかにされています(Dhingra and Kondirolli 2021)。
その後、COVID-19の感染状況が落ち着いていた時期もありますが、本稿執筆時点(2022年1月)ではコロナ禍以前の雇用水準まで回復していません。パンデミック発生以前から上昇していた失業率、とりわけ若年層の失業にさらなる打撃を与えており、長期的な影響が懸念されています。
SDGsの役割とは?
近年、途上国のみならず先進国においても雇用期間に定めがないフルタイムの正規契約以外の非標準的雇用が増加しており、またインターネットで仲介された単発の仕事を請け負う労働者の増加など、労働の形態も多様化しています。COVID-19は図らずもこうしたインフォーマル雇用の脆弱性を浮き彫りにしました。
SDGは、インフォーマル雇用や非標準的雇用の労働者に対して適切な労働対価の提供、労働者の権利の付与、労働環境の改善を実現することを目標に掲げています。同時に、COVID-19のような感染症パンデミックや2008年のリーマン・ショックのような世界的な経済危機が発生したとしても、フォーマルな雇用や標準的雇用で働く人々をインフォーマルな雇用や非標準的雇用に転落させない、労働条件・環境の悪化の防波堤としての役割も担っていると考えられます。
途上国の貧困層を含め、私たちひとりひとりが働くことを通じて生活の糧を得ることだけでなく、自己実現、社会的な対人関係の構築、コミュニケーションの促進、経済や社会への貢献につなげ、みながより心豊かな暮らしを送ることのできる社会を築くために、今後のSDGsの議論やアクションが足がかりとなっていくことが強く望まれます。
さらに学びたい人へ
- ディーセント・ワークという言葉は1999年のILO総会で初めて用いられました。日本では、『仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章』(2007年)が、政策に関連する文書としては初めてディーセント・ワークの実現に言及しています。ディーセント・ワークの詳しい概念や実現化のための戦略については、ILO駐日事務所ウェブサイトから情報を得ることができます。
- 包摂的な経済成長は、SDGsの肝である「誰一人取り残さない社会」を実現するために、経済成長の過程にすべての人々が参加でき、成長の果実もみなに配分されるような成長、すなわち成長のプロセスとアウトカムの双方における包摂性に重点を置いた成長を指します。この背景には、近年、途上国だけでなく先進国においても所得格差が拡大しており、成長と分配だけでなく、成長の過程においても多様な人々に機会が与えられることがより重視されるようになったことが考えられます。
- インフォーマル経済は、「法律上または実務上、公式の取り決め対象となっていないか、公式の取り決めが十分に適用されていない労働者及び経済単位の行うあらゆる経済活動」とILOにより定義されています。労働者は年金受給権、有給休暇、病気休暇などの雇用条件によりフォーマルとインフォーマルな雇用形態に各国で分類されます。また、経済単位のフォーマルおよびインフォーマルの区別は事業所の売り上げや雇用規模、法人登記の有無などが基準に用いられることが多く、農業を含むかどうか、農村部の企業を含むかどうかは各国に委ねられています。インフォーマル経済では、ディーセント・ワークの欠如が顕著に見られることが特徴です。
- ユニバーサル・ベーシック・インカムは、「そこに生きている」全員一律に無条件で最低限の生活を実現させるためのお金を定期的にもらえる仕組みです。日本でも臨時特別措置として、2020年にCOVID-19緊急経済対策としてひとりにつき10万円が給付されたのは記憶に新しいところでしょうか。先進国、途上国を問わず、具体的にどのような設計や運用が考えられているのかについては、ローリー(2019)を参考にしてください。
- 非標準的雇用については、日本ではパート、アルバイト、派遣、契約、嘱託社員などに対して非正規雇用という用語が一般的に用いられますが、欧米では非標準的雇用という用語が用いられることが多いようです。しかし、各国共通の定義があるわけではありません。一例としてILOの定義を挙げると、雇用主と労働者の間で結ばれる無期限のフルタイム労働の雇用契約関係を指す「標準的雇用」から逸脱するすべての雇用、労働が非標準的雇用に該当します。こうした形態で就労する労働者の雇用の不安定さや法的保護の不十分さは途上国のインフォーマル経済と共通する点があります。非標準的雇用について、詳しくはILO(2016)に解説されています。
写真の出典
- すべて筆者撮影
参考文献
- アニー・ローリー著、上原裕美子訳 (2019)『みんなにお金を配ったら――ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?』みすず書房
- Chancel, L., T. Piketty, E. Saez, G. Zucman et al. (2021) World Inequality Report 2022, World Inequality Lab.
- Dhingra, S. and F. Kondirolli (2021) “City of Dream No More, A Year On: Worklessness and Active Labour Market Policies in Urban India,” COVID-19 Analysis Series No. 022, July 2021, London: Centre for Economic Performance.
- Government of India (2017) Economic Survey 2016-17, Ministry of Finance.
- Government of India (2021) Annual Report: Periodic Labour Force Survey (PLFS) (July 2019- June 2020), Ministry of Statistics and Programme Implementation, National Statistical Office.
- International Labour Organization (2016) Non-standard Employment around the World: Understanding Challenges, Shaping Prospects, Geneva: ILO
- International Labour Organization (2018) Women and Men in the Informal Economy: A Statistical Picture, Third Edition, Geneva: ILO.
- International Labour Organization (2021) World Employment and Social Outlook Trends 2021, Geneva: ILO.
- Kanbur, R (2017) “Informality: Causes, Consequences and Policy Responses,” Review of Development Economics, 21 (4) pp. 939-961.
- Mitra, A. and J. Singh (2021) “How Many Jobs were Lost in Urban India during Lockdown?” 27 April 2021, IDEAS FOR INDIA for More Evidence-based Policy.(2021年12月10日アクセス)
- Raveendran, G. and J. Vanek (2020) Informal Workers in India: A Statistical Profile, Statistical Brief No. 24, August 2020, Women in Informal Employment: Globalizing and Organizing.
著者プロフィール
辻田祐子(つじたゆうこ) アジア経済研究所新領域研究センタージェンダー・社会開発研究グループ主任研究員。PhD。近著に、Human Resources for the Health and Long-term Care of Older Persons(共編著、ERIA、2020年)、“An Analysis of Factors Influencing the International Migration of Nurses,”(共著, Journal of International Migration and Integration, 19 (3) pp. 607-624, 2018)、など。
【連載目次】
おしえて!知りたい!途上国とSDGs
- 第1回 激論!SDGsってなに?(前編)――SDGsは途上国の開発に役立っているの?
- 第2回 激論!SDGsってなに?(後編)――私たちにできることは何があるの?
- 目標1 貧困をなくそう――「正義」の問題として
- 目標2 飢餓をゼロに――現在と将来の世代に十分な食料を供給する
- 目標3 すべての人に健康と福祉を――必要な保健医療サービスを誰もが受けられる世界へ
- 目標4 質の高い教育をみんなに――何をすべきか
- 目標5 ジェンダー平等を実現しよう――すべての女性が能力を発揮できる社会に
- 目標6 安全な水とトイレを世界中に――水とつながる多様な課題
- 目標7 エネルギーをみんなに、そしてクリーンに――経済発展に役立つエネルギーを取り戻せ
- 目標8 働きがいも経済成長も――働きやすく、生きやすい未来に向けて
- 目標9 産業と技術革新の基盤をつくろう――多様性に富む持続可能な経済社会の実現に向けて
- 目標10 人や国の不平等をなくそう―― 世界を支配する「象」を倒せるか
- 目標11 住み続けられるまちづくりを――市民ひとりひとりを大切にする安全な都市とは
- 目標12 つくる責任、つかう責任――循環型社会ってなに? ごみ問題から考える国際協力
- 目標13 気候変動に具体的な対策を――「カーボン・ニュートラル」に向けて何ができるのか?
- 目標14 海の豊かさを守ろう――ハイブリッドな実施手段の活用
- 目標15 陸の豊かさも守ろう――東南アジアのアブラヤシと私たちの消費生活
- 目標16 平和と公正をすべての人に――制度はどこに?
- 目標17 パートナーシップで目標を達成しよう――持続可能な開発に向けてグローバルなパートナーシップを活性化する
- SDGsのここってどうなの?――SDGsの専門家に聞いてみた