新興国・途上国のいまを知る

IDEスクエア

コラム

スポルティクス! スポーツから国際政治を見る

第10回(サッカーW杯特集)カボ・ヴェルデ――ディアスポラがもたらしたW杯出場

Cabo Verde: The Diaspora Behind a Historic World Cup Qualification

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001996

2026年6月

(5,367字)

与えられたお題:カボ・ヴェルデ

カボ・ヴェルデのサッカーについて書いてみないか、とスポルティクスのコラムを担当しているI氏に打診された。日本語ではカーボベルデと表記されることが多いが、原語のポルトガル語に忠実に記すとカボ・ヴェルデとなる。そのカボ・ヴェルデ代表は2025年9月のW杯地域予選で強豪カメルーンを破って2026年の本戦への出場権を勝ち取り、最小出場国として注目されているらしい。筆者の研究対象地域がポルトガル語圏アフリカであるとはいえ、サッカー素人になんという無茶振りだ。サッカーに興味があったらアフリカを選ばずに、最初からブラジル研究をしていただろう1。そういうわけで一度はお断りしたものの、カボ・ヴェルデの躍進には移民研究の観点から思い当たる節があり、気にかかって仕方ない。そこでW杯におけるカボ・ヴェルデを取り巻く状況について整理してみた。

ディアスポラ大国カボ・ヴェルデ

カボ・ヴェルデはセネガルの沖合約500キロの大西洋上に浮かぶ人口50万人ほどの島嶼国で、1975年までポルトガルの植民地だった。その国名はポルトガル語で「緑の岬」を意味する。「ヴェルデ」は「緑」を意味し、Jリーグ創設期にリーグを牽引した読売ヴェルディ、現在の東京ヴェルディのイタリア語名「ヴェルディ」と同じである。ちなみにポルトガルで有名な微発泡白ワインは「緑のワイン」を意味する「ヴィーニョ・ヴェルデ」。ポルトガル沖からカボ・ヴェルデ沖を流れる寒流で育った鰯の塩焼きは当地でもヴィーニョ・ヴェルデに合わせていただく。W杯開催時期の6月は、同じく寒流育ち、日本の入梅鰯の塩焼きと大変相性が良いので、ご自宅での観戦の際には合わせてご用意いただきたい(写真)。

カボ・ヴェルデに話を戻せば、ポルトガル人が上陸した1456年時点では無人島で、現在の人口はその後のヨーロッパ系の入植者と大陸から連れてこられたアフリカ人と両者の混血で成り立っている。無人島だったのにはそれなりの理由がある。降水量が少ないどころか旱魃に見舞われるからだ。そんなところに入植・強制移住させられても、機会があれば流出する。その結果としてカボ・ヴェルデの人口およそ50万人に対して国外には2世~4世を含めた150万~200万人のディアスポラがいるINE 2022]。まるで究極的な社会実験を経験したような国である。

そのディアスポラの規模はここ数年で急激に増えたわけではない。ディアスポラという母集団に変化がない一方で、強豪チームを編成できるようになったのだから、他の要素が変化したということだ。考えうるのは制度変更、2017年の出場国枠の拡大と2020年の国籍・代表資格の変更が効いているのだろうと目星が付く。以下では、前提となる移民について整理し、次に制度変更の影響についてみていこう。

ディアスポラと紐帯を維持する仕掛け

FIFA2026年W杯出場のニュースを通じてすでにカボ・ヴェルデの国旗を目にした読者もいるだろう。現在のデザインは青地に白・赤のストライプ、それに重ねて国を構成する有人の島々を星に見立てて10の星を円形に配置している。星の数こそ違うが、青地に星で円を描くデザインはEU旗によく似ている。独立時の国旗は赤・黄・緑のアフリカに特徴的な配色だったが(写真)、現在の国旗は1992年、EUの創設が調印されたまさにその年に変更したものである。どうもアフリカ大陸よりもヨーロッパを向いているようにみえる。

1975年の独立時から1992年までのカボ・ヴェルデの国旗。1992年のデザイン変更前は実にアフリカらしい三色旗だった。ちなみにボトルはお勧めワインのヴィーニョ・ヴェルデ

1975年の独立時から1992年までのカボ・ヴェルデの国旗。1992年のデザイン変更前は実にアフリカらしい三色旗だった。ちなみにボトルはお勧めワインのヴィーニョ・ヴェルデ

実のところ、カボ・ヴェルデ政府はヨーロッパ在住のディアスポラを相当に意識し、目下のところディアスポラ人口の把握に邁進中である。他方、世代が進むにつれて弱まりうる文化的紐帯だけでは出身国との繋がりは保てない。紐帯が維持されるにはそれなりの仕掛けとしての制度が重要になってくる[EUDiF 2024]。

まず、二重国籍を保有できるかどうかは重要なポイントだ。カボ・ヴェルデは二重国籍を認め、ディアスポラも国籍維持・再取得が容易である。さらに政治参加の可能性は国民としての意識形成に大きく寄与する。カボ・ヴェルデは国外在住者に選挙権・被選挙権を認め、アメリカ合衆国・南米選挙区、EUその他地域の選挙区が設けられ、国会にはディアスポラ選出議席6議席が常設されている。アフリカ諸国のなかでも最もディアスポラ包摂的だと評価されている。カボ・ヴェルデが認める二重国籍と政治参加が実際に行使されるかは、受入国の規定にも左右される。主要受入国の条件と、カボ・ヴェルデ生まれの移民1世とディアスポラの推計規模を合わせると表1のようになる。

表1 カボ・ヴェルデ移民・ディアスポラの規模と政治参加(移民・定住国別 推計)

表1 カボ・ヴェルデ移民・ディアスポラの規模と政治参加(移民・定住国別 推計)

(出所)Brandão and Zoomers[2010]を基に筆者作成

移民およそ6万500人に加え、30万~36万人のディアスポラが住む旧宗主国のポルトガルでは、二重国籍利用・政治参加の度合いはともに高い。最大規模のディアスポラを擁するアメリカ合衆国への移民は、20世紀前半の捕鯨船と大西洋航路の船員としての移動が起源である。アメリカ合衆国では、ディアスポラも3世代から4世代目に入るという世代深化と地理的距離と相まって二重国籍の利用率・政治参加の度合いは高くはない。規模の上では最大だが、社会的インパクトはその規模に比例しない[Brandão and Zoomers 2010]。

そうなると、カボ・ヴェルデ政府がヨーロッパ在住のディアスポラとの一体感を保とうとするのも理解できる。フランスは20世紀を通じて長らくポルトガル人の移民先でもあり、そのルートに乗る形で1950年代から1970年代にカボ・ヴェルデ出身者もポルトガルを経由してフランスへの労働移民として二次移動している。その他、オランダ、ベルギーへは船員・港湾労働に従事する移民が多かった。前述のアメリカへの船員移民史とも同様にカボ・ヴェルデが過去の一時期において国際航路の寄港地であったのは、西アフリカ沿岸航路・南米航路・喜望峰回り航路の分岐点に位置していたからだった。

そして移民規模約1万~2万人、ディアスポラ規模2万5000~12万人を擁するフランス、オランダ、ルクセンブルグでは二重国籍利用率・政治参加の度合いも中程度から高めである。特にルクセンブルグはディアスポラの規模は他国と比べて小さいものの、受入国の領土と人口に比して政治的にその存在感は大きい。最後に1990年代以降はEUの成立とシェンゲン協定に基づく域内移動によってイタリア、スペイン、スイスへの移民の新規二次移動が起きているが、二重国籍利用率・政治参加の度合いはまだ低い。

出場国枠の拡大と国籍・代表資格の変更――機会構造の変化と法的障壁の緩和

続いて、FIFAの制度改定についてみてみよう。2017年の決定により、2026年大会からは出場国の枠が32カ国から48カ国と16カ国も拡大されている。確かにこれは大幅な変更ではあるが、この変更はどの国に対しても等しく影響するため、これだけではカボ・ヴェルデの躍進を説明できない。そこで注目されるのが2020年9月の代表資格、とりわけ国籍切り替えに関する規定の緩和である。改正前の問題点として、若手有望選手を試し起用の1試合わずか数分の出場でも他国代表となることを認めず、永久に拘束し、選手のキャリア選択の自由を過度に制限していることが挙げられている

これらを是正するために行ったのが主に次の変更である。A代表の公式戦に最大3試合まで出場していても、21歳以下であり、以後3年以上その代表で出場していなければ、他国代表への切り替えが可能となった。さらに、育成世代・親善試合の拘束力を緩和した。これらの改定により、先進国の所属先チームに事実上囲い込まれていた育成世代の移民・ディアスポラ選手が代表選考から漏れたとしても、上記の条件を満たしていれば出自国の代表に「回帰」できるルートが開かれたのだ。

ディアスポラ×スポーツ

移民・ディアスポラがアフリカのナショナルチームの代表を務めるという状況は、これ以前からみられ、カボ・ヴェルデに限った問題ではなかった。しかし、そのなかでもカボ・ヴェルデが注目を集めたのは、2025年の地域予選で強豪カメルーンを1対0で負かし、エスワティニを3対0で下して本戦出場を決めた先発メンバー全員が移民・ディアスポラだったからだ。移民・ディアスポラの有望選手の起用には、明らかに国籍切り替えの規制緩和が効いている。以下の表2は、強豪カメルーンを破った2025年9月9日アフリカ予選の先発メンバーと当時の所属先である。確かに全員、国外チームの所属だ。

表2 対カメルーン戦先発メンバーと所属クラブ・国

表2 対カメルーン戦先発メンバーと所属クラブ・国

(注)網掛けはカボ・ヴェルデ生まれ、網掛けなしはカボ・ヴェルデにルーツを持つヨーロッパ生まれの選手である
(出所)Transfer Marktに基づき筆者作成

ちなみにW杯出場を3対0で決めた2025年10月13日のエスワティニ戦も、MFにテルモ・アルカンジョに代わってジャミロ・モンテイロ(所属:サンノゼ・アースクエイクス、アメリカ)、FWのジョヴァネ・カブラルに代わってウィリー・セメド(所属:オモニア・ニコシア、キプロス)が入れ替わったが、全員が外国クラブチーム所属であることには変わりがなかった。

そして表2の選手11人のうち、網掛けをした7人がカボ・ヴェルデ生まれで残りの4人がヨーロッパ生まれである。さらにカボ・ヴェルデ生まれの選手7人のうち6人がヨーロッパで育成されている。唯一、カボ・ヴェルデ国内で育成されているのはGKのヴォジーニャのみである。この欧州育成比率はカボ・ヴェルデに限らず、アフリカ諸国の全般的な傾向として今後も高まる傾向にあるFIFA W杯のアフリカ諸国代表選手のうちアフリカ域外の出生者は2018年に34%であったが、2022年には42%に増加している。またAfrica Cup of Nations(AFCON)でも外国生まれの選手の比率は2021年の27.5%から2023年には31.8%に増加している。

これらの制度変更と、若年ディアスポラという母集団の規模が掛け合わさり、その恩恵が最も顕著に出た事例がカボ・ヴェルデなのだ。構造的にみると、次の条件が揃うと、ナショナルチームが国外育成選抜チームとなるのは合理的だ。その条件とは、人口規模が小さく、先進国への大量移民を送り出し、国内リーグの育成能力が脆弱で、FIFAの国籍規程を最大限に活用できる、という組み合わせだ。

グローバル・スポーツ・ガバナンス――規範から実践へ

最後に、これらの制度変更にどのような背景があったのか、少しだけ深掘りしておきたい。なぜなら、「埋め込まれた自由主義」2という概念やグローバル・コンパクトを提唱したことで有名な国際政治学者のJ. G. ラギーが2016年に「試合のため。世界のため。:FIFAと人権」と題した政策提言を行っているからだ[Ruggie 2016]。その提言は、莫大な収益をもたらすスポーツ界のメガ・イベントを運営する国際オリンピック委員会とFIFAに対するものである。ラギーは2011年に国際連合人権委員会で採択された「ビジネスと人権に関する指導原則」の立案を主導した人物である。その策定以前には1980年代から国際分業と福祉の乖離に警鐘を鳴らし、2000年代以降は移民労働者の社会的保護のための国際的な規範形成に尽力してきた3

それにしても、カボ・ヴェルデを扱ったこのテーマには制度論的な面白さがある。グローバル・スポーツ・ガバナンスの分野における人権規範とその実践としての制度改定と人の移動を端的に示す事例だ。カボ・ヴェルデ代表と同様の事例ともいえる北中米・カリブ海の代表として初出場を果たすキュラソー代表も、理論的には興味深い議論ができそうだ。事例が新しすぎてこれを扱った研究論文は現時点では存在しないが、実態としては早晩、第二、第三の「カボ・ヴェルデ」や「キュラソー」が登場するかもしれない。そうなると制度的な揺り戻しの要求やそれへの抵抗といったせめぎ合いが観察されるかもしれない。そこに投影されるのは現代の社会関係であり、国際的なルールを決める営為である国際政治だ。

そんなわけで依然としてサッカー素人ながら、「カボ・ヴェルデ」の行方に関しては俄然気になる。当のカボ・ヴェルデはスペイン、サウジアラビア、ウルグアイと同じグループHで登場する。カボ・ヴェルデを事例としたスポーツ分野のグローバル・ガバナンスに関する制度論的検討はサッカー玄人の読者兼研究者に委ねよう。分析結果が出たら、ぜひともお知らせいただきたい。

*プロジェクト・リーダー今井追記
カボ・ヴェルデ出身のサッカー選手は歴代のポルトガル代表にも数人名を連ねている。そのなかでも最も有名な選手は、ポルトガル代表としての出場数が112試合(ポルトガル代表史上歴代5位)を数え、マンチェスターユナイテッドでも長く活躍したナニ(ルイス・カルロス・アルメイダ・ダ・クーニャ)だろう。彼はカボ・ヴェルデのプライア生まれでポルトガルとの二重国籍であった。ナニ以外でもカボ・ヴェルデ出身のポルトガル代表選手はW杯やヨーロッパ選手権の選出メンバーのなかに常に数名含まれている。また、自身の出身はポルトガルだが、両親もしくは両親のどちらかがカボ・ヴェルデ出身者もいる。例えば、2016年のヨーロッパ選手権で18歳ながら大活躍したレナト・サンチェスは、母親がカボ・ヴェルデ出身である。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • 筆者撮影
参考文献
著者プロフィール

網中昭世(あみなかあきよ) ジェトロ・アジア経済研究所 地域研究センター アフリカ・ラテンアメリカ研究グループ長。博士(国際関係論)。最近の著作に「伝統芸能と権力の距離:モザンビーク・ショピ民族のティンビラ合奏」半澤朝彦編『政治と音楽 II』晃洋書房(2026)、「政党政治と抗議運動:モザンビークの競争的権威主義と市民社会の覚醒」ならびに「外向の論理と国家統治:モザンビークにおける開発と政治」武内進一編『アフリカの国家建設:自分たちの国をつくる』白水社(2026)など。

書籍:「政治と音楽Ⅱ:人々の心が織りなすグローバル関係」晃洋書房(2026)

書籍:武内進一編『アフリカの国家建設:自分たちの国をつくる』白水社(2026)


  1. 筆者がサッカー以外に関心があった理由は、コラム[網中 2025]を参照されたい。
  2. 「埋め込まれた自由主義」とは、第二次世界大戦後に国際主義へと舵を切ったアメリカにおいて、社会は国際的自由化による過渡的再配置を受け入れられるように求められる一方で、国際的自由化は政府の国内経済、社会政策によって制約されるという状態を指す[ラギー 2009]。要するに、普遍的な多国間主義を維持するために覇権国であるアメリカが責任と負担を負うということであった。
  3. ラギーの代表作として、Ruggie[1983]が挙げられる。筆者も移民の社会的保護に関する論考[網中 2024]でこの点に言及したことがあり、今回の考察に繋がった。