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第13回(サッカーW杯特集)エジプト――「王」サラーが体現する寛容性と多文化共生

Egypt: “King” Salah as a Symbol of Tolerance and Multicultural Coexistence

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002002001

2026年7月

(5,771字)

リヴァプールとエジプトの「王」

2026年W杯にエジプト代表が、2018年以来8年ぶりに本大会に出場する1。その牽引役は、長らくリヴァプールFCを率いてきた「エジプトの王」モハメド・サラーである。アフリカ予選では9ゴールを挙げて出場権獲得の最大の功労者となった。エジプトはこれまでW杯本大会で一度もグループステージを突破したことがないが、サラーを擁する今回こそ、その悲願が達成できるかが注目されている。

そんなサラーが、2025-2026年シーズン限りでリヴァプールを退団する。2017年に加入して以降、サラーはユルゲン・クロップ監督時代のリヴァプールで「ゴールマシーン」としてクラブの躍進を牽引してきた。サラーの多大な貢献のもと、リヴァプールは2019年のUEFAチャンピオンズリーグ、2020年および2025年のプレミアリーグなど、数多くのタイトルに輝いた。サラー自身も合計4度のゴールデンブーツをはじめ、多くの賞を受賞した。

このようにサラーのピッチ上での活躍はサッカーファンに広く知られているところである。だが、サラーがピッチ外でも社会に多大なインパクトを与える存在であったことはご存じだろうか。エジプト出身のアラブ人であり、敬虔なイスラーム教徒(ムスリム)でもあるサラーは、現代の世界中のプレミアリーグ・ファンにアラブ人ムスリム・サッカープレーヤーの表象を示した。今なお、肌の色や人種などのアイデンティティに基づく偏見や差別が根強いサッカー文化において、サラーは寛容性と多文化共生の象徴となったのである。その影響力が評価され、2019年にサラーはTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出された。また、スタンフォード大学が「サラー効果」と題する記事を発表するなど、サラーの影響は学術研究の対象にもなっている。本記事では、そんなサラーのピッチ外での足跡とそこから垣間見える現代国際政治を見ていきたい。

リヴァプール市の街中に描かれた、サラーを讃えるストリートアート。サラーがムスリムであることが強調されている

リヴァプール市の街中に描かれた、サラーを讃えるストリートアート。サラーがムスリムであることが強調されている
サラーの生い立ちとヨーロッパ移籍の背後にあったエジプトの政治社会

サラーは1992年、エジプトのナイル・デルタ地方に位置するガルビーヤ県のナグリーグ村に生まれた。幼少期からサッカーへの情熱に溢れていたサラーは、14歳でカイロの強豪クラブであるアル・モカウルーンのユースアカデミーに加入した。「走るサバ缶」と形容されるほど窮屈で暑苦しいことで知られるエジプトのマイクロバスを4〜5本乗り継ぎ、片道4〜5時間をかけて村と練習場を往復する日々を過ごした。

サラーが生まれ育った1990年代から2000年代のエジプトは、経済的困窮が長らく続く状況にあった。ムバーラク政権(1981〜2011年)の軍主導の権威主義体制は、対米・対イスラエル関係の改善に方向転換を図ったサダト政権(1970〜1981年)の路線を引き継ぎ、経済自由化(インフィターフ)による新自由主義化への道を進めていた。しかし、1990年代に主流となっていた「新自由主義化による経済発展」という大義名分は実を結ばなかった。国軍による経済支配が進む中で社会の格差は拡大し、政権への不満は高まる一方だった。

エジプト・プレミアリーグでプロデビューした後、サラーにとって転機となったのは2012年の「ポートサイド・スタジアムの惨事」であった。ポートサイドのスタジアムで開催されたエジプト・プレミアリーグのアル・アハリ対アル・マスリの試合で、アル・マスリが3対1で勝利した後、アル・マスリのファンがピッチになだれ込み、アル・アハリのファンを襲撃した。この襲撃で74人が死亡し、500人以上が負傷、政府は急遽エジプト・プレミアリーグを2年間中止することを決定した。物議を醸したのは、この事件の政治的背景である。アル・アハリのファン集団「ウルトラス・アハラウィー」は、2011年の「アラブの春」においてムバーラク政権を打倒した革命運動で大きな役割を果たしていた。そのため、この革命運動に敵意を抱いていた警察当局は、アル・マスリのファンによるアル・アハリのファンへの襲撃を意図的に放置した、とも言われているが真相は依然としてわかっていない。

この事件によりエジプト国内でのキャリア継続が困難になったサラーは、2012年にスイスのFCバーゼルへ移籍する。その後、2014年にはイギリス・プレミアリーグのチェルシーに移籍するも、出場機会に恵まれず、2015年にはイタリアのフィオレンティーナへのローン移籍が決まった。サラーが、代理人となるラミー・アッバス・イッサと出会ったのはこの時期である。ラミーは、カトリック系キリスト教徒のレバノン系コロンビア人弁護士で、アラビア語話者でもあり、卓越した交渉手腕を持つ人物であった。ラミーの支えのもと、サラーはフィオレンティーナとの契約問題を乗り越え、2016年にローマへ完全移籍し、さらに2017年にはリヴァプールへと移籍する。そして、現在に至るサラーの活躍と並行して、ラミーと二人三脚でアディダスやペプシなどグローバルブランドとの大型契約を結び、メディアから広告まで多方面でスーパースターとしての地位を確立したのである。

アラブ人ムスリムの「顔」としてのサラーとイギリスでの「サラー効果」

リヴァプール時代初期のピッチ上でのサラーの活躍を見たことのあるファンにとって印象深いのは、サラーの「地面にひれ伏す」ゴール・パフォーマンスである。これは、「スジュード(سُجُود)」と呼ばれるイスラームの信仰動作である。ムスリムが一日五回行う義務礼拝の中で必ず行われる動作であると同時に、義務礼拝以外の文脈においても、神への感謝を示すときに行われることがある。サラーはこのゴール・パフォーマンスをリヴァプール移籍以前から行っていたと述べており、同じくリヴァプールに所属していたサディオ・マネなど他のムスリム選手も行うことがあった2。しかし、リヴァプール移籍後に爆発的にゴールを量産し始めたサラーがこの動作を行う様子は、世界中に広まった。サラーは、エジプトのアラブ人ムスリムとして行ってきたゴール・パフォーマンスをヨーロッパの舞台で堂々と披露し、リヴァプール・ファンの注目はそこに集まった。実際、リヴァプール・ファンの応援歌の中には、ムスリムとしてのサラーの功績を讃えるユーモラスなチャントがある。

If he’s good enough for you, he’s good enough for me, if he scores another few, then I’ll be Muslim too. If he’s good enough for you, he’s good enough for me, sitting in a mosque that’s where I want to be.3

(和訳)彼が君にとって十分なら、俺にとっても十分だ / 彼があと何点か入れたら、俺もムスリムになるかもな / 彼が君にとって十分なら、俺にとっても十分だ / モスクに座りたい、そこが俺の居場所だ

Mohamed Salah, a gift from Allah. He came from Roma to Liverpool. He's always scoring, it's almost boring. So please don't take Mohamed away.4

(和訳)モハメド・サラー、アッラーからの贈り物 / ローマからリヴァプールへやって来た / いつもゴールを決める、退屈なくらいに / だからどうかモハメドを連れて行かないでくれ

サラーの活躍が注目を集めた当時は、2010年代半ばから「イラクとレバントのイスラーム国(ISIL / ISIS)」やそれに共鳴するジハード主義者によるテロ事件が世界を震撼させていた。欧米では、移民政策などを背景にアラブ人やムスリムの少数派が増加しており、イングランドおよびウェールズを合わせた地域では人口の約6.5%(2021年)、リヴァプール市では約5.3%(2021年)がムスリムである。だが、メディアにおけるポジティブな表象は十分とは言えず、しばしば彼らは「イスラモフォビア」と呼ばれるムスリムへの差別や偏見の対象となってきた。サラーの存在は、そうしたアラブ人やムスリムを肯定的に描く新たな表象を提示するものであった。

メディアを賑わすサラーの存在は、イスラモフォビアの低減に影響を与えたのだろうか。この問いに取り組んだのが、政治学のトップジャーナルの一つであるAmerican Political Science Review(APSR)誌に2021年に掲載されたスタンフォード大学(当時)のアラ・アルラババーを筆頭著者とする論文である[Alrababa'h et al. 2021]。アラらは、異なる集団に属する人々との交流が集団間の偏見の低減につながるという「接触仮説」が、直接的な交流ではなく、メディアを通した「パラソーシャル(一方向的)」な接触においても起こり得るのか、という問いを立てた。「接触仮説」は、社会学や社会心理学、政治心理学などで広く用いられている社会科学の理論であるが、間接的な接触を検証した研究は限られていた。著者らは、リヴァプールがあるマージーサイド州の犯罪統計の分析、約1500万件のツイートデータの分析、そして8060人のリヴァプール・ファンを対象とした独自のサーベイ実験という複数の手法を組み合わせて検証した。その結果、サラーのリヴァプール加入と活躍により、マージーサイド州でのムスリムを対象としたヘイトクライムが約16%減少し、リヴァプール・ファンによる反ムスリム投稿が半減したことが確認された。また、サラーの活躍に関する情報を示すと、リヴァプール・ファンの間で「イギリスの文化とイスラームは適合しない」という見方が統計的に有意な形で低減することが示された。「サラー効果」と呼び得る現象が複数の手法で確認されたのである。

ただし、この研究結果は手放しに喜べないとする見方も存在する。「サラー効果」がサラーの活躍によってのみ維持されることは、それだけ寛容性の脆弱さを物語っていることでもある。2024年夏にはリヴァプール市を含むイギリス各地で、ムスリムの犯罪者に関するデマをきっかけに反ムスリム暴動が発生した。外国人や移民系のサッカー選手が活躍する間は受け入れられ、不調に陥ると槍玉に挙げられることは、近代サッカーの歴史と同じくらい古くからある現象である。それでも、偏見や差別との終わりなき戦いの中で、新たな表象が提示される意味は大きい。

ムスリムの間で繰り広げられるサラーの「クリスマス論争」

サラーが示す多文化共生の象徴としての姿は、リヴァプールだけでなく、エジプト本国やその他のムスリム社会にも影響を及ぼしている。それを示すのが、毎年恒例となっている「クリスマス論争」である。サラーは、毎年のクリスマスシーズンに、クリスマスツリーの前で写真を撮ってSNSに投稿する。エジプトでは人口の約10%がコプト正教会のキリスト教徒であり、サラーのクリスマスを祝う行為は、キリスト教徒のリヴァプール・ファンだけでなく、エジプト本国のキリスト教徒にとっても意味のあるものとなっている。

しかし、これに対し、ムスリムのファンの一部は、「サラーがムスリムでありながらキリスト教の祝祭を祝う」ことを強く問題視し、それに反論するファンとの間で激しい論争が繰り広げられる。なぜ一部のムスリムにとって、他宗教の祝祭を祝うことは許されないのか。この見方の根拠は、預言者ムハンマドの言行録(ハディース)に記された「他者を真似る者は彼らの一員である」(『スナン・アブー・ダーウード』所収)という教えにあり、「クリスマスを祝うことはキリスト教徒になるのに等しい」という解釈に基づくものである。実際、6500万人以上のフォロワーを持つサラーのインスタグラムの投稿を見ると、批判的なコメントに多くの「いいね」がついており、この見方が決して少数派のものではないことがわかる。

一方、当然のことながらこれに反論するムスリムも多く存在する。彼らは、イスラームの聖典であるクルアーンの第60章『試問される女性』8節「アッラーは、信教上のことであなた方と戦いを交えず、またあなた方を家から追放しなかった人たちに、親切で公正にすることは禁じません。実にアッラーは、公正な人をお好みになります」5などを根拠とする。ここで重要なのは「信仰上の意図(ニーヤ、نِيَّةٌ)」であり、宗教的儀礼としてではなく、キリスト教徒の友人との親睦を深めるためのものであるならば、クリスマスを祝うことは禁じられていないという考え方である。エジプトのイスラーム法学の最高機関であるアル=アズハルも、イスラームの教義に反しない限りクリスマスを含む非ムスリムの祝賀は許されるとの解釈を出している6

サラーは「クリスマス論争」において、より寛容なムスリムの立場を体現していると言えるだろう。これは、エジプトやその他のムスリム社会で広く見られる保守的なムスリムの考え方に真っ向から向き合う立場である。サラーがイギリスでムスリム少数派に対するイスラモフォビアを緩和してきたように、エジプトなどのムスリム社会でもキリスト教徒などの少数派との共存に寄与している可能性がある。学術的な検証こそなされていないものの、この論争は毎年のようにエジプト国内やムスリム世界、そしてイギリスのメディアで取り上げられており、異文化を架橋するサラーの影響力を象徴するものとなっている。

ムスリム背景を持つスポーツ選手と多文化共生への問い

ヨーロッパの各リーグで活躍し、多文化共生への問いに答えを示してきたムスリム選手の例はサラーにとどまらない。過去にもジネディン・ジダンやメスット・エジルらが象徴的な存在として知られており、新世代でもバルセロナのラミン・ヤマルらがその系譜を引き継いでいる。また、現在はヨーロッパ各国のサッカーファン層において、ムスリム移民二世・三世やオンライン上でつながるムスリム諸国のファンの存在感が高まっている7。多文化共生への道のりは長く険しい。だが、今後もこうした選手たちのピッチ上とピッチ外での奮闘は続いていくだろう。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
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参考文献
著者プロフィール

水野祐地(みずのゆうじ) アジア経済研究所 地域研究センター 北東・東南アジア研究グループ研究員。修士(地域研究)。専門はイスラーム地域研究。最近の著作に、“Digital Anti-Islamist Activism at the Forefront of Political Polarization in Indonesia,” Trending Islam: Cases from Southeast Asia. Singapore: ISEASYusof Ishak Institute (2023) など。


  1. なお、2026年W杯では中東・北アフリカからアラブ諸国が過去最多の8カ国出場する。エジプトのほか、アルジェリア、イラク、ヨルダン、モロッコ、カタール、サウジアラビア、チュニジアである。
  2. 近年の代表的なムスリムのサッカー選手の例としては、本文で挙げた以外にも、フランク・リベリ、カリム・ベンゼマ、イルカイ・ギュンドアン、リヤド・マフレズ、ンゴロ・カンテ、ハーキム・ズィエシュ、ポール・ポグバ、ウスマン・デンベレ、アシュラフ・ハキーミーなどが挙げられる。これらの選手は、メッカ巡礼を行う様子がメディアで報じられたり、ラマダーンの断食を試合期間中も実践したりすることで知られている。
  3. このチャントは、イギリスのブリットポップバンド「ドッジー」が1996年に発表した曲『Good Enough』のメロディに乗せて歌われる。
  4. このチャントは、アメリカのカントリー歌手ジョニー・キャッシュがカバーした『You Are My Sunshine』のメロディに乗せて歌われる。
  5. 訳は水谷[2019]に基づく。
  6. ただし、アル=アズハルのこうしたファトワーが必ずしもエジプトのキリスト教社会全体との関係改善に直結しているわけではなく、アル=アズハル系の学校教科書がコプト正教会のキリスト教徒について十分に触れていないなど、批判は残されている。
  7. その結果、ムスリム的要素がヨーロッパのサッカー文化に溶け込みつつある事例も見られる。例えば、「パーク・ザ・バス」などの過度に守備的な戦術は、オンライン上のZ世代のファンの間で、「禁忌」を意味するイスラームの用語「ハラーム」から転じて、「ハラーム・ボール」と呼ばれるようになっている。
【連載目次】

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