IDEスクエア

コラム

スポルティクス! スポーツから国際政治を見る

第2回 デニス・テン選手を悼んで――
           フィギュアスケーターの死がカザフスタン社会に問いかけたもの

PDF版ダウンロードページ: http://hdl.handle.net/2344/00050459

岡 奈津子

2018年8月

2018年7月19日、フィギュアスケートのソチ冬季オリンピック銅メダリスト、デニス・テン(Denis Ten)が暴漢に刺殺された。テン選手を襲った悲劇については日本のマスメディアも大きく取り上げたので、ご存知の読者も多いだろう。ただし、その内容がやや一面的なのは否めない。報道は、日本や海外のフィギュアスケート選手が送った追悼メッセージや、彼らとテン選手との交流に関するエピソードが中心だったからだ。

傑出したスケーターであり、カザフスタンの若きヒーローでもあったテン選手の死は、現地社会に大きな衝撃を与えている。このコラムでは、彼が祖国においてどのような存在だったのか、また今回の事件がカザフスタンの人々の強い怒りを呼び起こしたのは何故なのか、考えてみたい。

写真:2018年平昌オリンピックで演技するデニス・テン選手

2018年平昌オリンピックで演技するデニス・テン選手
白昼の悲劇

デニス・テンは1993年、カザフスタン東南部にある同国最大の都市アルマトゥに生まれた1。事件が起きる一か月ほど前に、25歳の誕生日を迎えたばかりだった。スケートを始めた頃の彼は、練習環境には恵まれていなかった。国内には競技用の室内リンクがなく、アルマトゥ市内のショッピングモールの中にあるごく小さなリンクか、郊外の高地にある屋外リンクを使うしかなかったからだ。このことは、テン選手が不利な状況にもめげず、自らの力で道を切り開いていったことを示すエピソードとして、しばしば言及されている。

ロシアの競技大会でその才能を見いだされたデニスは、2004年にモスクワへ招かれてロシア人コーチの指導を受けるようになる。さらに2010年にはコーチを替える決断をし、米国カリフォルニア州に拠点を移した。その後、オリンピック、世界選手権や四大陸選手権など、数々の国際大会で輝かしい成績を残している。フィギュアスケートでカザフスタンにメダルをもたらしたのは、彼が初めてだ。

テン選手は競技以外の活動でも、その多才ぶりを発揮していた。自らプロデュースしたアイス・ショー「デニス・テンと友人たち」では、世界トップクラスのスケーターをカザフスタンに招いて共演し、多くの観客を魅了した。音楽の英才教育を受けていた彼は、アイス・ショーで自作の歌を披露したこともある。亡くなるほんの一週間前には、国際映画コンクールで自身の企画がセミファイナルに残ったと、インスタグラムで報告していた。

恵まれた才能とたゆまぬ努力により偉業を成し遂げ、数々の栄誉ある称号や賞を贈られながらも、謙虚さを失わなかった人物。人生を謳歌し、将来のプランを語っていた若者。そんな彼が突然、白昼堂々行われた犯罪の犠牲になり、命を落としたのだ。事件は、テン選手がアルマトゥ市内のカフェで友人と昼食をとったあとに起きた。自分の車からサイドミラーを盗もうとしていた男二人を見とがめた彼は、もみ合いの末、右大腿部を刺されたのである。救急車で病院に搬送されたものの、出血多量でおよそ2時間後に死亡した。  

デニスが暴漢に襲われて亡くなった――このニュースは瞬く間に広がり、フェイスブックやツイッターなどのSNSは、その突然の死を嘆き悲しむ投稿であふれかえった。7月21日、アルマトゥのスポーツ施設で営まれた市民葬には数千人の市民が集まり、その早すぎる死を惜しんだ。なお、事件後まもなく殺人容疑で20代の男二人が逮捕されたが、いずれも前科がある人物で、容疑を認めているという。

写真:事件現場で花を供える人々

事件現場で花を供える人々
テン選手はなぜ愛されたのか

テン選手は、スポーツを通じてカザフスタンという国を世界にアピールした、まぎれもない英雄だ。しかし、彼がなぜこれほど人々に愛されたのかを理解するには、カザフスタンという国の成り立ちと、彼の民族的バックグラウンドについても知る必要がある。  

カザフスタンは1991年末に独立した新しい国だ。バルト諸国などとは異なり、ソ連邦からの離脱を求める激しい民族運動は起きなかったが、独立を機に、カザフ人が「自分たちの国」を作りなおそうと考えたのは無理もない。19世紀に本格化したロシア帝国の植民地支配と、20世紀初頭のソ連邦への編入を経て、カザフスタンではあらゆる分野でロシア化が推し進められてきたからだ。カザフ人を中心とする国家の誕生。この現実にどう向き合っていくのかを、カザフ人以外の人々は問われることになった。

1993年生まれのテン選手は、ソ連時代を直接知らない世代に属する。とはいえ、民族的マイノリティで、子供時代に国外に拠点を移した彼にとっては、別の国の人間として生きるという選択肢も現実味のあるものだったはずだ。ちなみにテン選手の母語は、カザフスタンの朝鮮人のほとんどがそうであるように、朝鮮語ではなくロシア語だ(なおカザフ語については、あるインタビューで、幼いころは話せたがモスクワに移ってから忘れてしまった、と述懐している)。

だがテン選手は様々な機会に、カザフスタン国民としてのアイデンティティを強調し、祖国に対する思いを語ってきた。メダルを獲得したソチ五輪のエキシビションでは、カザフの伝統模様をちりばめた衣装をまとい、民族音楽の要素を取り入れたプログラム「カザフスタンの戦士たち」を演じている。少数民族出身でありながらカザフ文化を体現したその姿は、多くのカザフ人を感動させたことだろう。

無論、こうした言動を、少数民族として生きていくための戦略と解釈することも可能かもしれない。しかし彼の言葉からは、自分が生まれた国を大切にし、そこに住む人々の文化に敬意を払おうとする、真摯な気持ちが伝わってくる。

ところで、朝鮮人がなぜカザフスタンにいるのかについては、若干の解説が必要だろう。彼らは19世紀後半以降、朝鮮半島北部からロシア極東に移住した人々の子孫である。1930年代半ばまでには朝鮮人移民のほとんどがソ連国籍を取得していたが、1937年、彼らが「日本のスパイ」となることを恐れたスターリンにより、中央アジアに強制移住させられたのだ。追放後の暮らしが過酷なものであったことは言うまでもないが、数々の苦難を乗り越えた朝鮮人たちは、他の民族から勤勉で豊かな人々だと評されるようになった。カザフスタンの朝鮮人は10.8万人で全体の0.6%を占めるに過ぎないが、各界で活躍している人も多く、人口比以上の存在感を示している2

なお、ここで指摘しておきたいのは、カザフスタンは少数民族にとって比較的住みやすい国である、ということだ。同国の指導部は一貫して、様々な文化や宗教を持つ人々が平和的に共存していることは、自分たちの強みであると積極的に評価してきた。もちろん、民族間で利害が対立することはある。しかし、カザフスタンの人たちの自分とは異なる民族に対する寛容な態度には、日本に住む我々が学ぶべきところも多い。

事件の波紋

カザフスタンを代表する人物が、大都市のど真ん中で真昼間に殺害された――このことに人々は大きなショックを受けた。もちろん被害者が誰であれ、いつ、どこで起こったものであれ、殺人という罪の深刻さは変わらない。ただ今回の犯行が行われた場所は、すぐそばに劇場、博物館、大学などがある市の中心部で、しかも事件が起きたのは昼下がりだ。そのため多くの市民が、自分たちの安全が脅かされているという危機感を持つことになったのである(なお容疑者らは、襲ったのがテン選手だったとは知らなかったと供述している)。

ソ連末期からほぼ毎年アルマトゥを訪れ、長期滞在したこともある筆者のごく個人的な経験からいえば、アルマトゥは比較的安全な街だ。現地での移動は白タクが中心だし、夜道を一人で宿泊先に戻ることもしばしばだが、幸い、身の危険を感じたことはほとんどない。とはいえ知人や友人からは、スマホを奪われたとか、車上荒らしに遭ったとか、自宅に泥棒が入ったなどという物騒な話を耳にすることもある。ただ、日頃治安の悪さを感じている一般市民にとっても、今回の事件はあまりに衝撃的だったのである。

人々の不満と怒りは、犯人よりもむしろ警察に向けられた。カルムハンベト・カスモフ内務大臣と、アルマトゥ市内務局長の辞職を求める世論も高まっている。なかでも批判を浴びたのは、容疑者の一人が犯行の一週間前に窃盗罪で捕まっていたにもかかわらず、釈放されていたことだ。その容疑者は、首都アスタナで車のサイドミラーを盗もうとして現行犯逮捕されたが、出頭命令に応じることを義務付けられただけで拘留を解かれていた。彼が釈放されていなかったら、デニスは死なずに済んだかもしれない――人々がそう思ってしまうのも無理はない。

もともと、警察に対する市民の信頼は決して高くない。通報してもなかなか現場に来ない。被害者側が証拠を提出しても動かない。告訴状の受理を避けようとする。そうした不作為だけでなく、賄賂と引き換えに犯罪をもみ消したり、違反や犯罪をでっちあげて市民からカネをゆすりとったりすることもある。贈収賄が蔓延しているカザフスタン社会においても、警察はもっとも腐敗した機関の一つとみなされているのだ3

「デニス、許して」。追悼メッセージのなかで、人々はしばしば彼にこう呼びかけた。祖国に数々のメダルと栄光をもたらしたテン選手を死に至らしめたのは、腐敗した警察の存在を黙認してきた我々自身ではないのか。国民に愛されたフィギュアスケーターの死は、カザフスタンの人々に重い問いを投げかけている。

著者プロフィール

岡奈津子(おかなつこ)。アジア経済研究所新領域研究センター・ガバナンス研究グループ長。PhD in Politics and International Studies. 現在の研究テーマは腐敗と非公式な慣習。近著に“Grades and Degrees for Sale: Understanding Informal Exchanges in Kazakhstan's Education Sector,” Problems of Post-Communism, published online on May 30, 2018; “Informal Payments and Connections in Post-Soviet Kazakhstan,” Central Asian Survey , 34(3): 330-340, 2015など。

書籍:中央アジアの朝鮮人

書籍:Central Asian Survey

写真の出典
  • 2018年平昌オリンピックで演技するデニス・テン選手:By David W. Carmichael [CC BY 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by/3.0)], via Wikimedia Commons. 
  • 事件現場で花を供える人々:カザフスタンのジャーナリスト、Marat Asipov氏提供(2018年7月20日撮影)。

  1. アルマトゥ(Almaty)は、日本のマスメディアでは「アルマトイ」と表記されることが多い。このほか「アルマティ」「アルマトゥイ」などと書かれることもあるが、ここではカザフ語の発音に近い「アルマトゥ」を用いる。
  2. 『中央アジアの朝鮮人――父祖の地を遠く離れて』(半谷史郎・岡奈津子著、ユーラシア・ブックレットNo.93、東洋書店、2006年)。
  3. 岡奈津子「警官はなぜ賄賂を取るのか――カザフスタンの事例」『アジ研ワールド・トレンド』2017年9月号(No. 263)。