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第11回(サッカーW杯特集)韓国――大会直前に終焉を迎えたサッカー協会と財閥の蜜月関係

South Korea: The End of the Close Relationship Between the Soccer Association and the Chaebol just before the World Cup

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001997

2026年6月

(5,535字)

突然の辞任表明

2026北中米ワールドカップ開幕まで2週間となった5月29日、韓国のサッカー協会(正式名称は「大韓蹴球協會」、以下特に断らない限り「サッカー協会」)に激震が走った。会長である鄭夢奎(チョン・モンギュ)が大会終了後の辞任を表明したのである。

会長は辞任声明で「(ワールドカップ)大会期間中、代表チームに対する惜しみない支持と応援を送って下さることを、切にお願いいたします」「私がサッカー協会を運営しているあいだ、様々な批判があったことはよく承知しています。すべて私の不徳の致すところと考えます」と述べた。

つまり、会長が「切に」お願いしなければならないほど、代表チームの人気や大会への期待は地に落ちており、その原因はサッカー協会、特に会長にあるとみられているということである。韓国ではこれまでワールドカップが近づくと代表チームに対する期待が高まり、大会中は大きな盛り上がりをみせてきた。それがないとは尋常ならざる事態である。

一体なぜ、代表人気が落ちるまで協会や会長は批判されたのだろうか。そもそも会長とはどのような人物なのであろうか。

不透明な代表監督選任プロセスへの批判

サッカー協会および会長に対して批判が集中することになったのは、代表監督の選任とそのプロセスに原因がある。

前回2022年カタール・ワールドカップ終了後の2023年2月にユルゲン・クリンスマンが韓国代表監督に就任した。クリンスマンはドイツとアメリカの代表監督を歴任するなど、国際サッカー界において知名度抜群の人物である。

他方で明確な戦術がみえないこと、ブンデス・リーガのヘルタ・ベルリン監督時代にはアメリカの自宅にとどまることが多かったことなど、就任当初からその手腕を不安視する声は大きかった。さらに選出過程が不透明で、会長が以前から知己であったクリンスマンをゴリ押ししたのではないかとの批判も強かった。

就任後の代表チームの戦績は振るわず、当初の懸念通り、戦術不在や「在宅勤務」の多さに批判が集まった。批判を払拭する機会となるか注目された2024年1~2月のAFCアジアカップ・カタール大会は、準決勝での敗退という結果に終わった。大会中に主力選手間の確執が表面化したことなどチーム管理能力も問題視され、同年3月にクリンスマンは解任された。

すでに北中米ワールドカップのアジア二次予選は始まっており、早く後任監督を決める必要があったが、選考は難航した。2024年7月になってようやく、サッカー協会は新たな代表監督に洪明甫(ホン・ミョンボ)が就任することを発表した。

洪明甫といえば2002年日韓ワールドカップで韓国代表がベスト4に進出したときにディフェンダーとして、そしてキャプテンとして活躍した韓国サッカー界のレジェンドである。Jリーグのベルマーレ平塚(現在の湘南ベルマーレ)や柏レイソルにも在籍し、日本でも一定年齢以上のサッカーファンにはおなじみであろう。

しかし、洪明甫の代表監督就任は大きな非難を浴びることになった。洪明甫が代表監督になるのは二回目であり、前回は2014年ワールドカップ・ブラジル大会のときであった。このときはアジア最終予選の突破は順調ではなかった上に、本選も2敗1分けでグループリーグ敗退と、散々な成績に終わっていた。代表監督としての洪明甫の評価は高いものではなく、「なぜ今さら……」というのが多くのサッカーファンの反応であった。

さらに批判が集まったのは代表監督の選出過程である。代表監督はサッカー協会内の戦略強化委員会での推薦を経て理事会で決定することが定められていたが、洪明甫が最終候補となった事実を戦略強化委員会は知らされていなかったと、委員のひとりでかつてジュビロ磐田やガンバ大阪にも在籍した李根鎬(イ・グノ)が告発したことによって世論は沸騰した。他の外国人監督候補者とは異なって洪明甫に対しては最終面接をおこなわなかったことも問題となった。

高まる批判のなかでも四期目の当選に成功した会長

サッカー協会および会長に対する批判は高まる一方で、2024年9月の国会文化体育観光委員会の懸案質疑会議に鄭夢奎会長、それに洪明甫監督も招致される事態にまで発展した。会議では与野党問わず国会議員から厳しい追及を受けたが、会長は選任手続きなどに瑕疵はなかったという姿勢を貫いた。

批判が静まらないなかで、サッカー協会の監督官庁である文化体育観光部は協会に対する監査を実施した。2024年11月に同部は監査の最終結果を発表し、クリンスマンと洪明甫の代表監督の選任など計27件の違法または不適切な業務処理があったと認定した。

そこでは2023年3月に過去にプロサッカーの試合で八百長をおこなって永久除名処分となった選手48人を含む100人に対して関連規定を遵守せずに突然赦免措置をおこなったこと(発表直後に世論の批判を浴びて撤回)や、非常勤理事に対して定められた金額を超えた多額の報酬を支払っていたこと、天安サッカー総合センター建設への政府補助金の申請に虚偽があったことなども問題として指摘された。その上で、サッカー協会に対して会長を含む役員3人には資格停止以上の重い懲戒処分が必要と勧告した。

それでもサッカー協会はこの監査結果を不服として再審を要求した。これが棄却されると、2025年1月には監査の取り消しを求める行政訴訟を起こした。さらに翌2月におこなわれたサッカー協会会長選挙において、鄭夢奎は協会内の選挙人投票183票中156票を獲得し、対立候補2名を圧倒して四期目の当選を果たした。会長、そしてサッカー協会はあくまでみずからの正当性を主張する途を選んだのである。

サッカー協会会長と財閥

ここでサッカー協会と会長の来歴について、確認しておきたい。サッカー協会の歴史は植民地時代の朝鮮蹴球協会まで遡ることができるが、現在の大韓蹴球協会が発足したのは大韓民国が建国された1948年8月である。

韓国においてサッカーは極めて人気のあるスポーツであり、国家代表の国際大会における活躍は、国威発揚の意味でも政府にとって重要であった。そのため、歴代の会長は長く政府内の要人や有力政治家が就任することが多かった。

はじめて財界の人物でサッカー協会会長となったのは、1979年に就任した当時新東亜グループ会長の崔淳永(チェ・スニョン)である。財界の人物に白羽の矢が立ったのは、協会への財政支援の必要性からであった。当時、韓国は1986年のアジア大会、さらに1988年の夏季オリンピック招致に力を入れようとしていた。招致に成功した場合(実際に成功)、国家的威信のためにも競技力の強化が求められる。そのためには資金が必要だったが、政府予算には限界があり、財界の支援が不可欠であったのである。

1982年には当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の指示を契機にプロサッカーリーグがスタートした。このとき、当時の有力財閥がプロチームを創設して、サッカー界と強く関わることになった。1988年1月には大宇グループ会長の金宇中(キム・ウジュン)がサッカー協会会長に就任した。大宇グループは当時の資産額基準でトップ3に入る有力財閥であり、プロサッカーリーグ創設時からプロチームを運営していた。この頃、サッカー代表チームの実力は向上し、ワールドカップアジア予選を勝ち抜いて1986年からは本選出場を果たすようになった。遠征費なども膨れ上がったが、会長は支援を惜しまなかったとされる。

汎現代」グループとサッカー協会

1993年に金宇中の後を継いで鄭夢準(チョン・モンジュン)がサッカー協会会長に就任した。日韓ワールドカップのときの会長として日本でも記憶している人は多いだろう。鄭夢準は、韓国最大規模の財閥であった現代グループの創業者鄭周永(チョン・ジュヨン)の六男であり、就任当時はグループの役職には就かず国会議員として活動していた。

2002年のワールドカップ招致では当初、日本が先行していたが、韓国が猛烈な巻き返しを図って共催にこぎ着けた。その最大の功労者が鄭夢準会長であったことは間違いない。鄭夢準は会場となる全国各地のスタジアム建設にも力を注ぎ、2000年代以降のプロサッカーKリーグ発展の礎を築き、韓国サッカー界に大きな影響力を持つことになった。

鄭夢準は2009年にサッカー協会会長を退任した。競技者出身の会長が一期務めた後、2013年に現会長の鄭夢奎が就任した。鄭夢奎現代グループ創業者である鄭周永の弟の息子、つまり鄭夢準の従兄弟にあたる。2001年に創業者の鄭周永が死去した後、現代グループは後継者をめぐる争いなどによって、いくつものグループに分裂した。鄭夢奎が会長を務めるIPARK現代産業グループはそのうちのひとつで、アパート建設などを主な事業にしている。

分裂後の各グループは相互に資本関係は持たず、別個に経営をおこなっている。骨肉の争いを経験したとは言え、トップ同士は家族・親族であり、マスコミなどでは現在も旧現代グループ全体を「汎現代グループ」と称している。実際、汎現代グループ内では旧現代グループ時代からの取引関係を維持していたり、経営が悪化した企業を支援した事例も指摘されている。

韓国サッカー界では鄭夢準会長時代に旧現代グループの影響力が強くなり、グループ側もその影響力を維持しようとしたとみられている。会長は自らの著書のなかで、汎現代グループのなかで会長職が意図的に継承されたことを否定しつつも、鄭夢準「兄さん」からサッカー協会の会長職に興味はないかと聞かれたことを明らかにしている。

サッカー協会自体は拡大を続けて、今や特定の財閥が協会を支えられる予算規模ではなくなっている。それでも協会の公式スポンサー11社のなかには、会長自身がトップを務めるIPARK現代産業建設と、汎現代グループ内の現代自動車の2社が含まれている。また会長自身によれば、汎現代グループで男子Kリーグ3チーム、女子WKリーグ1チーム、全国で年代別クラブを14チーム運営しており、そのために汎現代グループから2024年時点の直近5年間で計3900億ウォン(約390億円)を拠出しているという。

もっとも、汎現代グループの影響力があるとはいっても、会長が独断的な経営をおこなってきたわけでは必ずしもないかもしれない。その経営は競技経験者などで構成されるサッカー協会内部の人間にとっても都合がよく、だからこそ13年にわたって会長を続けてこられたという声もある。文化体育観光部が問題視した永久除名されていた関係者の赦免や、非常勤理事への報酬の支払いなどは、サッカー界内部の人間の利益を優先した措置であることは明らかである。

しかし、これまで財閥会長と協会内部関係者のもたれ合いの構造が長く続くなかで、協会はプロセスを重視した透明性のある組織からは遠いままであった。このことが国民の強い不信を招いてしまったと言える。

写真:2026年6月6日、「汎現代グループ」系列の大型デパートThe Hyundai Seoulに設置されたサッカー協会のオフィシャルポップアップストア。SNSを活用したスタンプラリーなどもおこなってワールドカップを前に盛り上げを図っていた

2026年6月6日、「汎現代グループ」系列の大型デパートThe Hyundai Seoulに設置されたサッカー協会のオフィシャルポップアップストア。SNSを活用したスタンプラリーなどもおこなってワールドカップを前に盛り上げを図っていた
求められる協会改革

強気に行政訴訟を起こした上に会長選で圧勝した鄭夢奎だが、その後は会長の思うようには進まなかった。洪明甫率いる代表チームはワールドカップアジア最終予選こそグループBを無難に1位通過したが、その後のテストマッチの戦績は振るわなかった。2025年10月にソウルでおこなわれたブラジル戦は0対5と大敗を喫した。直後にやはりソウルでおこなわれたパラグアイ戦は2対0で勝利したものの、6万6000人収容のスタジアムで観客数2万2000人と、興行としては惨敗に終わった。2026年3月のヨーロッパ遠征もコートジボワールに0対4、オーストリアに0対1といずれも敗れるなど、ワールドカップへの期待は萎むばかりだった。

サッカー協会は組織としても追い詰められた。文化体育観光部の監査をめぐる行政訴訟で、2026年4月にソウル地裁は監査に瑕疵はないとしてサッカー協会の訴えを棄却する判決を下した。協会は判決を尊重するとしつつ上級審の判断を仰ぎたいとして控訴したが、さらに協会に打撃を与えたのは、翌5月の政府による「国家正常化プロジェクト」の発表である。是正すべき非正常な慣行・制度を正すとする同プロジェクトの第一次課題のなかに、「サッカー協会の革新」があげられていたのである。大会を前に会長の進退は窮まっていた。

かつてサッカー協会にとって財閥は大きな「金づる」であった。他方、財閥会長にとってサッカー協会会長の肩書きは大きな社会的ステータスであり、また場合によっては建設関係などで利益をもたらすものであったかもしれない。しかし会長辞任に至る一連の経緯は、今や両者の蜜月による閉じられた協会運営は時代にそぐわず、サッカー協会は外部に開かれた透明性のある経営が求められるようになったことを示している。サッカー協会は単に会長の首をすげ替えるだけでなく、時代の要請に応えた新たな体制へと改革を断行できるかが問われている。

とは言え、サッカーはやってみなければわからない。韓国代表チームには李康仁(イ・ガンイン:パリ・サンジェルマン)や金玟哉(キム・ミンジェ:バイエルン・ミュンヘン)がいるし、全盛期は過ぎたと言われるが元トットナムの孫興慜(ソン・フンミン:ロサンゼルスFC)もキャプテンとして健在である。それに世論も水物である。代表チームが予想外(?!)に快進撃を続けた場合、洪明甫は一転して英雄となり、会長の評価も一変して会長にとどまる、なんてことも……。いろいろな意味で注目のワールドカップである。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
  • 筆者撮影
参考文献
  • 大韓蹴球協會 1986.『韓國蹴球百年史』.
  • 정몽규 2024.『축구의 시대――정몽규 축구 30년――』鄭夢奎 2024.『サッカーの時代――鄭夢奎のサッカー30年――』)브레인스토어.
著者プロフィール

安倍誠(あべまこと) アジア経済研究所開発センター上席主任研究員。博士(経済学)。専門は韓国企業・産業論。おもな著作に、『韓国財閥の成長と変容――四大グループの組織改革と資源配分構造――』岩波書店(2011年)、編著に『韓国文在寅政権の経済政策』アジア経済研究所(2022年)など。