IDEスクエア
コラム
第8回(サッカーW杯特集)地域研究者が語るサッカーW杯――1994年米国W杯から2026年米加墨共同開催へ
Area Studies Researcher Discuss the FIFA World Cup: From the 1994 USA World Cup to the 2026 US-Canada-Mexico Joint Hosting
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001977
2026年6月
(4,373字)
アジ研でW杯特集をする意味
IDEスクエアにおいてスポルティクスを立ち上げたのが2017年の秋で、そこから不定期だが、政治とスポーツの関係について論じてきた。筆者はサッカーに関して共著でバルカン半島のサッカーとナショナリズム[今井・加藤 2018]、そしてトルコ移民でドイツ代表のキャプテンを務めたイルカイ・ギュンドアンについて扱ってきた[今井 2026]。しかし、これまでW杯について触れる機会が2度(2018年ロシア大会、2022年カタル大会)ありながらも論ぜずじまいだった。2018年ロシア大会は、筆者の専門とするトルコで、大統領制移行後、初めての大統領選挙・議会選挙が実施された時期と被っており、ロシアW杯について論じる余裕がなかった。2022年カタル大会の際は、在外研究中でトルコのアンカラに滞在しており、現地調査で頭が一杯であった(日本のドイツ戦とスペイン戦はトルコの自宅で絶叫していたが)。
今回は、トルコの選挙も2年後で、在外研究も終わっており、さらにトルコが24年ぶりにW杯の檜舞台に帰ってくることもあり、満を持してW杯について論じようと考えた。ただ、個人でトルコのことを論じるのでは芸がない。アジ研にはサッカー好きの研究者、もしくは出場国に興味がある研究者がたくさんいるではないか! そこで、「地域研究者が語るサッカーW杯」という特集を組むこととした1。木崎の『サッカーと地政学』のようなサッカーと政治・外交を扱う良書があるなかで、こうした特集を組む意義はどこにあるのか。アジ研には伝統的に三現主義――現地語、現地資料、現地滞在――が息づいているが、これらが重要とされるのは、要は研究者の現地感覚を養うためである。アジ研の研究者はこの現地感覚が身についている。この現地感覚を駆使してさまざまな視点・切り口から出場国もしくは出場国の選手について論じてもらった。また、AIが研究や執筆でも活用されることが多くなったが、この特集はできるだけ個人の経験や感度を大切にする形で執筆を試みた。今回のW杯企画はアジ研のサッカー好きの研究者と研究マネージメント職の英知と情熱を結集したものである。
冷戦後のつかの間の平和を象徴した1994年アメリカW杯
今回のW杯は1994年の開催からすでに32年経ち、サッカーが根づいてきた米国、そしてW杯ベスト16の常連、メキシコ、近年めきめきと力をつけているカナダの共催の大会である。1994年米国W杯は、冷戦体制崩壊から間もない時期の大会で、政治的な含意が比較的少ない大会であった。ビル・クリントン政権の2年目であった1994年は、大国間競争がなく、1993年にはブルース・ラセットが『民主的平和を掴む(邦訳はパクス・デモクラティア)』[Russett 1993]を上梓し、クリントン政権内でもデモクラティック・ピース論が政策に反映されるなど、民主主義とその拡散を支援する米国によるユニラテラリズムが全盛であった。1992年からボスニア内戦が始まり、1993年にはソマリアでの国連平和維持活動(PKO)で多数の米軍兵士を含む82名が亡くなり[山下 2024]、同年のフォーリン・アフェアーズ誌にはサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突?」が掲載されるなど[Huntington 1993]、不穏な動きもあったが、多くの国々ではユーフォリアが支配的であった。
それに対し、今回の共催の大会はホスト国である米国とカナダの関係、米国と戦争中のイランのW杯への参加の可否など、1994年の米国のW杯と比較し、圧倒的に政治的な含意がある大会になる兆候が見られる。カナダのマーク・カーニー首相は、大国間政治を標榜するトランプ政権と距離を置き、大国ではない、ミドルパワーが結束し、大国の横暴を抑制すべきだという立場を採る。このカーニー首相の姿勢はトランプ大統領をいら立たせていることは周知の事実である。さらに、1974年にザイールという国名で出場して以来、52年ぶりのW杯出場となったコンゴ民主共和国では、2026年に入り、エボラ出血熱の患者が急増し、トランプ政権はコンゴ民主共和国の選手の受け入れに懸念を示している。ただし、このエボラ出血熱の患者の急増は、トランプ政権がアフリカ向けのUSエイドを大幅に減らしたことで、コンゴ民主共和国のエボラ出血熱対策に回す資金が不足したことに起因すると報道されている2。
1994年のW杯は、内戦の影響で強豪のユーゴスラビアが参加を認められないといった国際情勢の影響はあったが、ブルガリア代表のフリスト・ストイチコフとロシア代表のオレグ・サレンコという旧共産圏の2人が得点王となったのもそうしたユーフォリアを象徴していた。
また、1994年アメリカW杯で最も輝いたのはイタリアのロベルト・バッジョだった。予選はさっぱりだったが、決勝リーグに入ってから輝きを取り戻し、ブラジルとの決勝に臨んだ。満身創痍のバッジョとイタリアはなんとかPK戦まで持ち込み、2-3でイタリア5人目のキッカーはバッジョという場面となった。ここでバッジョのPKはゴールはるか上に空高く舞い上がり、勝負は決した。今大会、そのイタリアは欧州のプレーオフで敗れ、残念ながらアメリカ大陸の土を踏むことはない。しかし、2026年2月末からの米国のイラン攻撃で、出場を決めていたイランの参加が不透明な状況で、米国のトランプ大統領は「イランの代わりにイタリアが参加すればよい」という発言をしたと報道された3。報道では、トランプ氏がイタリアのメローニ首相との関係改善を目指しての発言だったと指摘されているが、プレーオフで敗退したチームが世界中で一定数あるなかで、同氏の発言は常軌を逸していた。当のイタリア代表は、こうしたトランプ氏の発言に困惑、もしオファーが来ても辞退することを検討しているとされた。3大会連続でW杯出場を逃がしたイタリアだが、今回のW杯前に思わぬところで目立つ形となった。
1994年W杯は筆者にとっても初めて観戦したW杯であり、W杯の原点である。前年の1993年にJリーグが発足しており、また、W杯まであと一歩だった「ドーハの悲劇」も同年だった。日本代表があと一歩で届かなかった夢の舞台、そしてJリーグの外国人プレーヤーも数名参加するということで興味を持った。ガイドブック、そして公式テーマソングの入ったCDもツタヤで購入し、初のW杯(もちろんテレビ)観戦に挑んだ4。しかし、舞台はアメリカである。時差の関係で日本の中学生が観戦するのは容易ではなかった。所属していたバスケットボール部の朝練もあり、主にNHKの9時のニュースのダイジェスト版を見ていた。この頃はYouTubeやDAZNなどがサッカー観戦の主流となっていくとは知る由もなかった。
1994年アメリカ大会から学んだこと
私が初めてのW杯から学んだことは次の3点であった。1点目は、W杯は国の威信をかけた戦いであると同時にその裏で暗躍する勢力が存在し、試合の結果は場合によっては非常に危うい結末をもたらす、ということである。その最たる例が、ルーマニア代表との試合でオウンゴールを献上したコロンビア代表のアンドレス・エスコバルが、コロンビア帰国後に銃殺された事件である。エスコバルは、W杯で躍進が期待されたコロンビアの一員であったが、予選のルーマニア戦でオウンゴールを献上、チームは同試合で敗れ、決勝トーナメントにも進出できなかった。事件が起きたのは、コロンビアの予選敗退後であった。コロンビアに帰国した後、バーに繰り出したエスコバルが2人組の男たちに襲われ、貴い命を失ったのである。2人組の男たちはコロンビア代表の試合で賭けをしており、コロンビアが敗退したことで多くの借金を抱えることとなっていた5。W杯やオリンピックのスポーツとしての側面しか見ていなかったため、当時の報道で、W杯が賭け事などの対象となっていることを知り、驚いた。
2点目は、W杯に出場する代表チームはそれぞれの国の植民地主義、移民政策、同化政策を反映しているということである。特にそれを感じたのが、オランダ代表であった。当時のオランダには、三羽烏といわれ、いずれも当時最強のACミランに所属していたマルコ・ファンバステン、ルート・フリット、フランク・ライカールトがおり、さらにバルセロナで不動のリベロを務めていたロナルド・クーマンがいた。ファンバステンは全治2年の重傷を負っていたため参加不可能だったが、1988年の欧州選手権で優勝するなど実績十分のオランダは優勝候補の一角であった。筆者もオランダ代表の試合を楽しみにしていたが、蓋を開けてみて驚いた。フリットが不参加だったのである。後に、フリットが当時の監督やクーマンの考えに納得できなかった、クーマンがフリットやライカールトなどスリナム系の選手の排除を狙ったという噂が流れたが、実際は戦術上の意見衝突だったようである(ライカールトはW杯に出場していた)。いずれにせよ、当時の筆者はカリブ海地域に多くの黒人が住んでいたこと、同地域にオランダの植民地があったこと、スリナム人のオランダにおける境遇などを知らなかったので、とても勉強になった6。
3点目に、W杯はオリンピック同様、商業主義が根底にあるという点である。初めて見たW杯の開会式は華やかで、日本代表が必死でたどり着こうとした場所としてはやや違和感を持った。近年、オリンピックが目に見えて商業化しているように感じられるが、W杯も同様である。木崎の著書に詳しいが、当時の国際サッカー連盟(FIFA)会長のジョアン・アヴェランジェ(FIFA会長任期:1974~1998)、そして後任のヨーゼフ・ブラッター(FIFA会長任期:1998~2015)は、W杯の商業化を推進する人物であり、1994年の米国を皮切りに、2002年の初めてのアジア開催となった日韓共催、2010年の初めてのアフリカ開催となった南アフリカ大会というように、一度もW杯を実施したことがない地域での開催を推し進めてきた[木崎 2026, 55-66]。ブラッターが汚職疑惑で2015年に辞任した後も、2022年のカタル大会に象徴的なように、FIFAの新規開拓と商業主義は連綿と続いている。
筆者が国際関係や中東地域に興味を持ったのは、小学校時代に起きた湾岸危機であったが、そうした気持ちをさらに推し進めてくれたのはサッカーW杯や米国のバスケットボールNBAなどであった。ぜひW杯の純粋な競技としての側面だけではなく、それ以外の部分にも注目し、この約2カ月の祭典を堪能してはどうだろうか。今回のスポルティクスの特集がその一助になれば幸いである。
写真の出典
- 筆者撮影
参考文献
- 今井宏平 2026.「トルコ系移民イルカイ・ギュンドアンはなぜドイツ代表のキャプテンになれたのか――ドイツ代表における移民・海外ルーツのプレーヤーの受容」『IDEスクエア』2026年1月.
- 今井宏平・加藤丈資 2018.「ナショナリズムの象徴かそれとも犠牲者か――サッカーと旧ユーゴをめぐる紛争」『IDEスクエア』2018年10月.
- 菊池啓一 2019.「ロマーリオとベベットの政界におけるパフォーマンス」『IDEスクエア』2019年10月.
- 木崎伸也 2026.『サッカーと地政学:ゴールの先に世界が見える』ワニブックス.
- ギルロイ, ポール 2006.『ブラック・アトランティック:近代性と二重意識』上野俊哉・鈴木慎一郎・毛利嘉孝訳 月曜社.
- ヌウォンカ, クライヴ・チジオケ, マシュー・ハーレ編 2025.『ブラックアーセナル』山中拓磨訳 KANZEN.
- 水島治郎 2013.「オランダとスリナム系移民――植民地・都市・住宅」栗田禎子編『帝国・人種・ジェンダーに関する比較研究』(千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書, 第232集), 3-11.
- 山下光 2024. 『国連平和維持活動(PKO)――「停滞」の構造と新たな方向性の模索』(国際平和活動の今後 報告書) 笹川平和財団.
- Huntington, Samuel P. 1993. “The Clash of Civilizations?,” Foreign Affairs 72 (3), 22-49.
- Russett, Bruce. 1993. Grasping the Democratic Peace: Principles for a Post-Cold War World, Princeton: Princeton University Press (鴨武彦訳『パクス・デモクラティア』東京大学出版会 1996年).
著者プロフィール
今井宏平(いまいこうへい) アジア経済研究所 地域研究センター 中東・南アジア研究グループ長。Ph.D. (International Relations). 博士(政治学)。著書に『エルドアン時代のトルコ』岩波書店(岩坂将充との共著、2023)、『トルコ100年の歴史を歩く』平凡社新書、(単著、2023)、『戦略的ヘッジングと安全保障の追求』有信堂(単著、2023)、最近の編著に『クルド問題』岩波書店(編著、2022)、『教養としての中東政治』ミネルヴァ書房(編著、2022)がある。
注
- 例えば、アルゼンチンやブラジルの政治の専門家である菊池氏は以前、スポルティクスでコラム[菊池 2019]を執筆した。
- 「エボラ流行のコンゴ、感染中心地の内側で起きていること」CNN日本語版、2026年5月26日。
- 栗山紘尚「トランプ政権、サッカーW杯巡りイランの代わりにイタリア出場を働きかけ…メローニ首相との関係改善狙いか」『読売新聞オンライン版』2026年4月23日。
- 写真のオフィシャルCDにはQueen、Bon Jovi、Santanaなどの曲が収められており、筆者はこのCDで彼らを知った。
- エスコバル事件の詳細は、例えば以下の記事を参照。「94年W杯でOGの元コロンビア代表DFを射殺した容疑者が銃殺と海外報道。同国大統領は32年前の悲劇に怒り『国の国際的なイメージをめちゃくちゃにした』」『ワールドサッカーダイジェストWeb』2026年2月8日。
- オランダのスリナム移民に関しては、例えば水島[2013]を参照されたい。また、ポール・ギルロイは中米・カリブ海のアフリカ、アメリカ、現地などのハイブリッド的な文化に関して論じている[ギルロイ 2006]。ちなみにギルロイは、アーセナルと黒人文化の関係をたどったクライヴ・チジオケ・ヌウォンカ, マシュー・ハーレ編[2025]にも寄稿している。
- 第1回 スティーブ・カー(Steve Kerr) 一家に根付く寛容と共生のマインドを胸に
- 第2回 デニス・テン選手を悼んで――フィギュアスケーターの死がカザフスタン社会に問いかけたもの
- 第3回 ナショナリズムの象徴かそれとも犠牲者か――サッカーと旧ユーゴをめぐる紛争
- 第4回 選手とコーチはずっと知っていた――打てば入るホットハンドは信じていい
- 第5回 ロマーリオとベベットの政界におけるパフォーマンス
- 第6回 トフィック・ムサエフ――戦場の総合格闘家
- 第7回 トルコ系移民イルカイ・ギュンドアンはなぜドイツ代表のキャプテンになれたのか――ドイツ代表における移民・海外ルーツのプレーヤーの受容
- 第8回(サッカーW杯特集)地域研究者が語るサッカーW杯――1994年米国W杯から2026年米加墨共同開催へ
