IDEスクエア
コラム
第6回 トフィック・ムサエフ――戦場の総合格闘家
Tofiq Musayev: Mixed Martial Artist in the Battlefield
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00052206
加藤 丈資
Takeshi Kato
2021年8月
(5,159字)
リングから消えた格闘家
2021年6月13日、アゼルバイジャン出身のトフィック・ムサエフが日本のリングに帰ってきた。日本を代表する総合格闘技(MMA)団体であるRIZINのファンにとっては待ちに待った瞬間であった。
2019年12月31日に開催されたRIZINライト級トーナメント王者。それがムサエフの持つ肩書であった。トーナメント準決勝ではアメリカの貴公子ジョニー・ケースを左ショートフックからのパウンドで沈め、決勝で優勝候補の筆頭と見られていたブラジル人パトリッキー・“ピットブル(闘犬)”・フレイレとの壮絶な打撃戦を制しての快挙であった1。アメリカ国内でUFC(Ultimate Fighting Championship)に次ぐMMA団体という位置付けのBellatorで5連勝するなど、当時無類の強さを誇ったフレイレの重い強打を浴びながらも、彼は最後まで逃げることはなかった。
下馬評を覆した爽快さとその純粋な強さに観客は一気に惹き込まれた。勝利後、リング上で国旗を背負いながら「アゼルバイジャン!!」と雄叫びを上げるムサエフを見て、これから彼がどれほどの強さを見せてくれるのか、日本のファンは心から期待した。
しかし、彼が祖国の名前を叫んだ意味、そして彼の祖国への想いを理解することができていた日本人はどれほどいただろうか。この日を境に、ムサエフは、日本どころか格闘技の世界から姿を消した。2020年、彼はリングではなく、古くから続く隣国アルメニアとの領土争いにその身を投じたのである。
格闘技の盛んな祖国アゼルバイジャン
ムサエフは1989年12月、アゼルバイジャンの首都バクーに生まれた。人口約200万人の都市であるが、そのなかのサヒルというカスピ海沿いの小さな村が彼の出身地である。 ムサエフは、2013年5月に国内MMA大会でプロデビューを果たす。24歳での初陣は決して早いとはいえないが、それ以前にもレスリングやテコンドーの実績があったことから、いきなりメインイベントを務めている。以降2019年まで、18勝(14KO)3敗の戦績を彼は残した。
アゼルバイジャンではレスリングが国技とされており、オリンピックでもこれまで金メダル4個、銀メダル8個、銅メダル13個を獲得している。テコンドーや柔道も広く普及しており、幼少・青年期にこれらの競技を通して体の使い方や筋力を身につけ、のちに総合格闘家へと移行していく選手の代表例がムサエフといえる。
ナゴルノ・カラバフ紛争と格闘家
2020年9月に第2次ナゴルノ・カラバフ紛争が始まると、ムサエフはアゼルバイジャン国軍に徴兵され、兵役に就くことになった2。RIZINの公式YouTubeチャンネルでも、軍服に身を包んだムサエフの姿が見られる3。
ただし、ムサエフは強制的に徴兵されたわけではない4。アゼルバイジャンの徴兵制度は志願制であり、例えばムサエフと同胞のMMAファイターであるヴガール・ケラモフは「自分は戦争には行かなかった」と証言している5。英雄的将校であったロブシャン・ルザエフと同郷であったことが、少年時代のムサエフに国軍に対する憧れを抱かせたのかもしれない6。
戦争がMMAの世界に影を落としているのは、もうひとつの紛争当事国であるアルメニアでも同様である。アメリカで2020年8月1日に行われたUFCの試合の際、アルメニア系アメリカ国籍格闘家であるエドメン・シャバージアンが「アルツァフ共和国」の国旗を掲げるという事件が起きた。アルツァフ共和国とは、国際法上アゼルバイジャン共和国の領土にもかかわらずアルメニア人分離派が実効支配している地域のことで、別名ナゴルノ・カラバフ共和国ともいう7。
これに対し在米アゼルバイジャン総領事館が抗議文書をUFCに提出し、最終的にアルツァフ国旗の持ち込みを許してしまったUFCの職員が解雇されている8。UFCの規則では「国際的に承認された国」の旗のみ掲げることが認められており、職員がこの規則を把握していれば未然に防ぐことができた、というのがその理由であった。なお、シャバージアンはその後もUFCで試合を行っている。
シャバージアンと同じアルメニアにルーツを持つ総合格闘家には、以前日本でも2階級制覇という結果を残したオランダ国籍のゲガール・ムサシがいる。彼の生い立ちは大変複雑で、イランに亡命したアルメニア人夫婦の間に生まれ、その後1980年に勃発したイラン・イラク戦争の際にオランダへ逃れたという経緯がある。他にも、元K-1ファイターで、現在もキックボクサーとして活躍しているジョルジオ・ペトロシアンもアルメニア出身である。彼は、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争の影響で、幼少期にスロベニアを経由しイタリアに移住したという経験をもつ。彼らは2人とも、今回の紛争の迅速な停戦を願っていた9。
アゼルバイジャンとは対照的に、アルメニアでは健康的な男子は強制兵役に応じなければならない10。ロシアのMMA団体であるACB(Absolute Championship Berkut)で活躍し、今後UFCでの契約を目指しているエドゥアルド・バルタニヤンは、第2次ナゴルノ・カラバフ紛争にアルメニア軍兵士として従軍していたと推測されている11。
格闘技以外のスポーツ選手でも、アルメニア・プロサッカーリーグに所属する5人の選手が兵役に就き、帰らぬ人となったことが報告されている12。サッカー・アルメニア代表チームのキャプテンでユニセフ親善大使も務めるヘンリク・ムヒタリアンは、ナゴルノ・カラバフ紛争を仲介している欧州安全保障協力機構(OSCE)のミンスク・グループへ向けて2020年10月6日付で以下の内容の手紙を送った。「アルメニアの若者は将来の国家を建設する代わりに、紛争の最前線で重傷を負い死んでいっています。この人道的危機を全力で止めさせ、平和的交渉を促進することを心の底から求めています」13。このように、アゼルバイジャンだけでなくアルメニア側でも、紛争がMMAファイターやサッカー選手たちの人生に少なくない影響を与えているのである。
戦争の暗い影
2020年11月10日、ロシアの仲介により、アゼルバイジャン・アルメニア両国の間で停戦合意が発表された14。アルツァフ共和国が3つの地区(アグダム、カルバジャール、ラチン)をアゼルバイジャン側へ返還することになっており、実質的にアゼルバイジャンの勝利といえる内容であった。同時に、2020年時点で約65万人にのぼるとみられるアゼルバイジャン国内避難民(IDPs)と、両国合わせて約11万人いる難民の帰還も目標のひとつとなり、約2000人のロシア平和維持部隊の派遣が決定された15。
しかし、南コーカサスでの影響力を拡大したいトルコと、その介入を限定的に留めたいロシアとの駆引きが終わる気配はない。アゼルバイジャンとアルメニアの紛争は、今後も多くの優れた格闘家を輩出し続ける可能性のある両国の若者の人生に暗い影を落としている。
6月13日に東京ドームでの試合に臨んだムサエフは、日系ブラジル人で元柔術世界王者のホベルト・サトシ・ソウザを相手に自慢の剛腕を披露することもできないまま、第1ラウンド1分12秒であっけなく敗れた。1年半ぶりの試合だったことを考えれば当然の結末だった。戦争は、トップアスリートであるムサエフのキャリアにも深い傷を残している。
写真の出典
- Official web-site of the President of the Republic of Azerbaijan/President az., Servicemen of Army Corps of Azerbaijan at the Victory Parade 2020 in Baku, Azerbaijan(CC BY 4.0).
- Ministry of Defense of the Russian Federation/Mil.ru, Russian peacekeepers holding security classes with pupils of one of Stepanakert's school in Nagorno-Karabakh(CC BY 4.0).
著者プロフィール
加藤丈資(かとうたけし) アジア経済研究所開発スクールIDEAS第28期生。2019年リバプール大学大学院サッカー産業MBA取得後、国内銀行系シンクタンクを経て、現在は外資系IT企業勤務。
注
- この決勝戦は2020年5月に実施されたRIZIN公式ファン投票により、朝倉未来や堀口恭司、五味隆典といった日本人選手の試合を抑え、歴代ベストバウトに選ばれている。RIZIN公式ウェブサイト参照(2021年7月11日閲覧)。
- 第2次ナゴルノ・カラバフ紛争に関する背景・経緯については、立花優「第2次ナゴルノ・カラバフ紛争――再び開かれた戦端」『IDEスクエア』2020年10月を参照。この紛争と域内大国との関係については、今井宏平「トルコはなぜナゴルノ・カラバフ紛争に関与するのか」『IDEスクエア』2020年10月、および廣瀬陽子「〔研究レポート〕第2次ナゴルノ・カラバフ紛争:新たな展開と暫定的評価」国際問題研究所、2021年2月9日を参照。
- RIZIN公式YouTubeチャンネル「RIZIN CONFESSIONS #72」(2021年7月11日閲覧)。
- アゼルバイジャンの徴兵・兵役法第2条8項では、新兵は18歳から35歳までに限定されており、それは決して強制されるものではないと規定されている。
- 「フェザー級王者・斎藤が約7カ月ぶりの復帰戦。ケラモフは内戦の母国に『いい試合を見せたい』【RIZIN.28】」『TOYKO HEADLINE WEB』2021年6月12日。
- “Rzayev Rövşən Abdulla oğlu,” Veten-ugrunda.az. (2021年7月11日閲覧)
- 立花優「第2次ナゴルノ・カラバフ紛争――再び開かれた戦端」『IDEスクエア』2020年10月。
- “UFC employee fired for allowing Edmen Shahbazyan to enter octagon with Artsakh flag,” NEWS.am, August 6, 2020. (2021年7月11日閲覧)
- 「ペトロシアン、ムサシらアルメニアファイターたちが紛争に抗議」GONG、2020年10月6日。
- 兵役および軍人の地位に関する法律。
- Fiedel, Michael, “RIZIN champ Tofiq Musayev and ex-ACA titlist Eduard Vartanyan on opposite ends of Armenia-Azerbaijan conflict,” The Body Lock, November 4, 2020.
- ブラディミール・クレセンゾ「昨年の戦争で18歳GKはじめ多数戦死…未承認国家『アルツァフ』で生き延びたサッカー界の現状とは【全人口の60%が難民に】」Number Web、2021年5月26日。
- ヘンリク・ムヒタリアン(@HenrikhMkh)の2020年10月7日付ツイート。なお、ムヒタリアンは現在イタリア・ASローマに所属しているが、2014年から2年間、元日本代表の香川真司とドイツ・ドルトムントで共にプレーしていた経験がある。
- “Statement by President of the Republic of Azerbaijan, Prime Minister of the Republic of Armenia and President of the Russian Federation,” ロシア大統領府ウェブサイト、2020年11月10日。
- なお、7年におよぶ第1次ナゴルノ・カラバフ紛争終結後、1994年に約78万人を数えたアゼルバイジャンの国内避難民(IDPs)は、今日までおよそ55~65万人の間を推移している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ウェブサイトのRefugee Statistics参照(2021年7月11日閲覧)。