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コラム
第18回 歴史認識は途上国の政治や社会にどのような影響を与えていますか?
How does historical consciousness affect politics and society in developing countries?
PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053024
2022年5月
(2,577字)
国の歴史とは、その国がどのように成立し、現在までいかなる過去を歩んできたのかをまとめたものです。それをどのように社会の中で記憶し、歴史認識を形成し、公教育の中で教えるのかをめぐっては、世界各国でさまざまな問題が生じています。例えば、過去の政策や戦争、あるいは歴史上の人物の評価についての認識の違いが政治に利用されることで、国内や外国との間で政治的衝突や紛争がおこっています。日本でも、過去の植民地支配や太平洋戦争に関する歴史認識が韓国や中国との外交問題に発展してきました。このように、歴史認識をめぐる問題はその国だけでなく周辺諸国の政治や社会にも影響を与えてきました。
とりわけ途上国では、植民地支配から独立した後や戦争・内戦・圧政が終結した後の国家建設期に、過去の出来事や政策をどう捉え記憶するかについて、国内で政治的な問題が噴出する傾向が見られます。悲惨な歴史を後世に伝えていくことは「歴史の教訓」として重要であるものの、いかなる側面を記憶していくのかという問題は一筋縄ではいきません。歴史認識がいかに政治や社会に影響を及ぼしているのかについて考えるにあたり、今から40年近く前に内戦・圧政によって多くの犠牲を出したカンボジアを取り上げます。
カンボジアはアンコールワットで有名な観光立国として知られていますが、その一方で悲惨な時代の歴史認識をめぐって複雑な問題を抱えてきました。そしてそれは、「歴史の教訓」としてどう記憶するのかという側面と同時に、切り取った記憶を統治に利用しようとする政治の影響を強く受けてきました。1975~79年のカンボジアは「民主カンプチア」という国名で、ポル・ポトという人物が指導者でした。民主カンプチアは急進的な共産主義を推し進め、都市から農村へ人々を強制移動させ、慢性的な食糧不足の中で集団労働に従事させました。そうした状況の中では病気にかかる人も多くいましたが、十分な医療を受けられませんでした。また、文明的なものが敵視され、知識人とみなされると殺されることもありました。民主カンプチア体制であった4年弱の間に、当時の国民の4分の1にあたる約200万人が飢餓、病気、粛清(体制に反抗的な人物を殺害すること)などで命を落としたといわれています。
新体制となった1979年以降のカンボジアでは、この民主カンプチア時代をどのように社会の中で記憶していくのかが国内政治の問題であり続けました。民主カンプチア時代の被害を記憶しようとする試みは、体制が変わった直後の、まだ民主カンプチア勢力との内戦下にあった1979年に早くも始まっています。民主カンプチア勢力の主要幹部の投降(戦闘を停止し、政府側へ出頭すること)が進んだ1990年前半までの間は、政府は過剰なまでに民主カンプチア時代の被害を記憶させようとしました。民主カンプチア時代を「国民全員が被害を受けた虐殺の時代」とする歴史教育が行われ、虐殺の歴史を伝える博物館やキリングフィールドという記念碑の整備が進められました。民主カンプチア時代の苦しみを思い出し、怒りを忘れないために記念日(「嫌悪の日」)も制定されました。民主カンプチア時代に荒廃した国土を再建するという国家的な課題に取り組むにあたり、民主カンプチア時代の歴史を負の歴史として国民と共有していくことで、新政府がカンボジアを統治する正統性を示したのです。
歴史認識は国づくりを進める中で政治や社会に影響を与えますが、逆に、政治や社会の変化が歴史認識に影響を与えることもあります。1990年代半ば以降、政府と民主カンプチア勢力との関係が変化すると、政府は民主カンプチア時代を負の歴史として記憶する政策を一転させ、その時代の忘却を主張するようになりました。「穴を掘って過去を埋める」というスローガンのもとで、歴史教育から民主カンプチア時代の歴史が削除され、「嫌悪の日」の式典も執り行われなくなりました。これは、最高幹部の投降が進んでいた民主カンプチア勢力と政府との間で歴史認識が新たな対立の火種とならないようにするための政治的配慮からでした。
歴史教育の中に民主カンプチア時代の歴史を再び含める取り組みが始まったのは、民主カンプチア勢力が消滅した1990年代末ですが、それが実現したのは2000年代末でした。民主カンプチア時代の歴史が歴史教育の中に復活した背景として、第一に民主カンプチア体制の元最高指導者達を対象としたカンボジア特別法廷が開始され、市民社会から民主カンプチア時代の歴史教育の必要性を訴える声が高まったことがあります。特別法廷は国連とカンボジア政府の主導のもと、民主カンプチア時代の残虐な行為を人道に対する罪などで裁くために設置されました。市民社会や研究者も裁判資料の提供に協力するとともに、民主カンプチア時代以降に生まれた若者に向けた歴史書も作成し、副読本として学校教育に導入されました。第二に、民主カンプチア時代を知らない若者が増えることへの政府による危惧がありました。当時の政府は民主カンプチア体制を打倒した人民革命党を前身とする人民党が担っており、民主カンプチア体制を打倒し、カンボジアに平和をもたらしたということが国民からの支持を得る上で重要だったためです。歴史教育がその時々の政治や社会の影響を強く受けていることがよくわかります。
カンボジアの事例が示すように、内戦・圧政の歴史をその後の社会の中でどのように記憶していくかは取り扱いが難しい問題です。歴史認識をめぐって対立が再燃しかねませんし、新たな紛争の火種になる可能性もあります。一方で、政治や社会の変化の影響を受け、歴史の扱われ方が変わることもあります。歴史認識は、その国の政治や社会が抱えている問題を反映しており、多くが長い時間をかけて模索され、形作られています。そのため、その国が抱える歴史認識を知ることは、その国の政治や社会を深くかつ長期的観点から理解することにもつながります。
カンボジア以外でも国の歴史をめぐってさまざまな政治問題が生じている国が多くあります。みなさんが関心を持つ国が自国の歴史とどのように向き合い、政治問題化した場合どのように対処してきたのか、関心のある方は是非調べてみてください。
回答:新谷春乃(Haruno Shintani)
写真の出典
- Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia, Flickr: 3 February 2012. (CC BY-SA 2.0)
回答者プロフィール
新谷春乃(しんたにはるの) アジア経済研究所 地域研究センター研究員。博士(学術)。専門はカンボジア地域研究。博士課程ではカンボジアの歴史叙述に関して研究。現在はカンボジアの政治やメディアの研究に取り組んでいる。
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