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世界を見る眼

新型コロナウイルスによる死者が東アジアで少ないのは何故か ――重力方程式による解決

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051772

2020年6月

(6,375字)

ポイント
  • 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による死者数が東アジアで特異的に少ないのは、ウイルスの感染力や致死率が東アジアでは極端に低いのではなく、東アジアの初期感染者の数が欧米に比べて圧倒的に少なかったためではないか、という仮説を検証する。
  • 国際経済学で2国間の貿易額を予測する「重力方程式」に似たアプローチで、各国が移動制限を行う前の段階で、感染の「中心地」から各国に感染者がどの程度流入したのかを推定すると、その後の各国の死者数の差を非常によく説明できる。
  • 「重力方程式」を組み込むことで、高齢者人口の比率、一人当たり所得、BCG接種の有無など、COVID-19の死者数に影響すると考えられる他の要因のインパクトについてもより適切な推計が可能になる。
東アジアで少ない死者数の謎

2020年1月上旬から中国での感染の拡大が報じられはじめた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、これまで全世界で800万人を超える感染者と44万人を超える死者を出し、なお感染の拡大が続いている(WHO、6月17日現在)。世界各国で企業活動、人の移動、物流が制約を受け、需要も下振れし、世界経済に甚大な影響が出ることは確実である。

人口100万人当たりのCOVID-19による死者数(5月17日の段階)はスペイン(591人)、イタリア(528人)、イギリス(511人)、フランス(431人)、アメリカ(275人)など欧米諸国で多いのに対し、台湾(0.3人)、タイ(0.8人)、韓国(5人)、日本(6人)などの東アジア地域では極端に少ない。

欧米諸国では罰則付きの都市封鎖(ロックダウン)などの強い処置を実施したにもかかわらず死者数が多く、日本など緩やかな移動制限しか行わなかった東アジアの国で逆に死者数が少ないことはCOVID-19の「謎」として関心を集めている。京都大学の山中伸弥教授はこれを「ファクターX」と呼び、政府のクラスター対策、マスクなどの高い衛生意識、BCG接種などの影響、ウイルスの遺伝的変異の影響などをその候補としてあげている。

本論ではまず、「ファクターX」探しとは異なる視点からCOVID-19による各国の死者数の違いを説明することを試みる。すなわち、ウイルスの感染力や死亡率が各国で極端に違うと想定するのではなく、感染初期の段階で、世界的な「感染の中心」から各国に入国・帰国した感染者数に大きな差があった可能性を想定する。この初期感染者数の差を調整した後で、高齢化率やBCG接種政策の有無など「ファクターX」の影響を再び推計することで、それぞれのインパクトをより正しく推計することができる。

初期感染者の数を推定する

各国の感染者がわずかな数の初期感染者から各国内でそれぞれに増加していったと考えるのではなく、多くの国では初期感染者の大部分が海外から流入したと考えることは不自然ではない。むしろ、過去の感染症の経験から、本来安定的であると考えられるウイルスの感染力や致死率が国によって大幅に異なり、それらを積み上げることで100倍〜1000倍もの死者数の差が生じると考えるほうが「謎」は深まる。

本論のこの仮説を検証するための最大のハードルは、各国に海外から流入した「初期感染者」の実際の数を知ることができない点である。ただし、手がかりはある。地球上のどこかの点を「感染の中心」と仮定した場合、そこから各国に入国した感染者の人数は、各国と感染の中心との距離が離れるほど減少し、各国のGDPに比例して増加すると想定されるからだ。

国際経済学の実証研究では、2国間の貿易額は、各国のGDP規模が2倍になればほぼ2倍になり、2国間の距離が2倍になれば、約半分に減少することが知られている。いわゆる「重力方程式」である。すなわち、

重力方程式

ただし、Xは2国間の貿易額、Yは各国のGDP規模、Kは2国間の距離。

この重力方程式によって2国間の旅行者数を推計する実証研究もあり、世界の人の流れについても重力方程式である程度近似できると考えられる。ここでは、COVID-19の初期感染者もこの重力方程式に従って世界各国に広がったと想定する。一般的な重力方程式と異なるのは、2国間で推計を行うのではなく、片方を世界の「感染の中心地」に固定する点である。

残った問題は、COVID-19の「感染の中心地」を特定することである。本論では、まず、4月30日時点での各国のCOVID-19による死者数を被説明変数に、感染の中心地から各国首都までの距離と各国のGDPを説明変数にした「重力方程式」を立てる。次に、感染の中心地の候補地を緯度・経度を1度ずつ変えながら、総当たりで「重力方程式」を繰り返し推計する。そのうえで、最も方程式の当てはまりが良かった座標を世界的な「感染の中心地」と定義する。

図1は重力方程式の「当てはまり」の良さを地図上に示したものである。濃い青の点を感染の中心地として設定するほど重力方程式の当てはまりは良くなる。一方で、赤い点を中心として重力方程式を推計すると、中心から「離れるほど」死者数が増える結果になるため、こうした点は中心地の候補から除外される。本研究の推計では、感染の中心地は北緯28度西経22度の大西洋上の点になった。

図1 重力方程式の「当てはまり」の良さ

図1 重力方程式の「当てはまり」の良さ
(出所)筆者作成。
COVID-19の感染が最初に発生したのは中国・武漢市である。しかし、感染者数や死者数の推移をみると、その後、世界の感染の中心は欧米へ移っている。図2は1週間毎の国別死者数をウエイトとして各国の首都の地理的座標(中国は武漢市の座標)を加重平均した軌跡を示している。つまり、地球上でのCOVID-19による死者の「重心」の移動の様子である。

図2  COVID-19による死者の重心の推移

図2  COVID-19による死者の重心の推移
(出所)筆者作成。

COVID-19による死者の重心は、2020年2月末までは中国・武漢であったが、その後急速に西に移動し、3月中旬に欧州に達し、4月中旬からは北大西洋上に出ている。つまり、3月中旬以降の世界的な感染拡大では、北大西洋諸国がその中心に位置すると考えるのが自然である。これは、図1に示した、重力方程式を繰り返し推計して求めた「感染の中心地」と概ね一致する。

図3は各国のGDP規模で補正した死者数と大西洋上の感染の中心地から各国の首都までの距離の関係を示したものである。両者の間にはかなり明確な右下がりの関係があり、重力方程式の決定係数は0.9を超える。もし、各国が右下がりの直線の真上に位置していれば、その国の死者数は重力方程式で100%説明できることになる。右下がりの直線と各国の位置のズレが「ファクターX」の影響と言える。

図3  各国の死者数と感染の中心地からの距離

図3  各国の死者数と感染の中心地からの距離
(出所)筆者作成。

図3のように、各国の死者数のうち、かなりの部分が重力方程式で説明できることについて、死亡者数が多い国を中心に設定し、そこからの距離を説明変数にして回帰分析を行えば、常によく当てはまる推計になるのではないか、という疑問が浮かぶ。しかし、実際には図3に示されたような綺麗な規則性は、この手法によるものではない。例えば、同様の手法で各国の死者数を感染の中心からの距離だけで説明しようとした場合、感染の中心は北緯51度西経47度のラブラドル海の入り口に決まり、距離に対する死者数の弾力性は-3.81と極端に大きくなり、決定係数は0.153で式の当てはまりは格段に悪くなる。つまり「死者数の加重平均付近からの距離」の説明力が高いわけではなく、感染の中心からの距離とGDPを組み合わせた「重力方程式」の説明力が特別に高いのである。

図3において赤で示されているのが東アジアの国々である。ここから分かるように、東アジアの国々は、感染の中心から圧倒的に「遠い」。この「遠さ」が死者数の少なさの多くを説明している。COVID-19は中国・武漢が発生源であったため、これは意外に思われる。しかし、1月23日の時点で武漢が強力に封鎖され、東アジア各国が早期に中国からの入国者に対して警戒態勢を敷いたことを考えれば、武漢から直接、大量の感染者が東アジア各国に入国したことは考えにくい。

一方で、欧米諸国については、当初COVID-19は遠いアジアの問題として警戒感が薄かった。しかし、イタリア北部で3月上旬にCOVID-19が急速に広がっていることが明らかになると、程なく他の欧州諸国でも感染が急速に拡大、ニューヨークでも3月中旬から急速に感染が拡大した。イタリアは3月10日に全土のロックダウンを実施したが、欧米諸国の多くがロックダウンに踏み切ったのは3月中旬以降であった。それより前の段階で、人の移動が自由なヨーロッパ諸国間、さらにはアメリカ東海岸との間で人の移動を通じて、水面下でCOVID-19の感染者が数を増やしながら分散していったと考えられる。また、ブラジルについても3月時点での感染者数はそれほど多くなかったものの、以降の状況からは初期の感染者がかなり多かった可能性が示唆される。これらの国々がひとつのグループとして、その後の世界的なCOVID-19感染拡大の中心地となったと考えられる。

他の説明変数を加えた推計

表1は重力方程式(感染の中心からの距離と各国のGDP)に加え、各国の一人当たり所得、65歳以上の人口の比率、都市化率(人口100万人以上の都市に住む人口の比率)、BCG接種政策の有無(日本株、ロシア株、デンマーク株、その他・混合株に分けて推計)を説明変数に加えてポアソン回帰による推計を行った結果である。

表1に示された各係数の解釈は以下のようになる。まず、重力方程式の部分であるが、感染の中心地は北緯14度西経29度の大西洋上の点に決まり、各国の死者数はGDP規模にほぼ比例して増加し、感染の中心地からの距離が2倍になると、死者数は約75%減少することを示している。また、各国の一人当たりGDPが10%上昇すると死者数は4%減少する。これは、所得と公衆衛生の水準に正の相関があるためと考えられる。65歳以上の人口の比率が2倍になると、死者数は約2倍に増加する。これは、COVID-19の死亡率が高齢者ほど高いことと一致している。100万人以上の都市に居住する人口の比率が10%から30%に増加すると、死者数は約2.5倍に増加する。ただし、都市人口が40%前後で死者数の増加は頭打ちになり、逆に低下する。これは、都市の混雑は死者数を増やすが、さらに都市化が進むと、死者数を抑制する方向で作用することを意味している。

注目されているBCG接種の効果については、すべての株についてCOVID-19の死者数を減少させる効果が統計的に有意な水準で確認された。日本株の効果が最も大きく、COVID-19の死者数を75%減少させるとの推計結果が出た。ロシア株とデンマーク株は死者数をそれぞれ67%、48%減少させる。この推計結果からは、BCG接種はかなり死者数を抑制することが明確になったが、そのインパクトは死者数を100分の1や1000分の1に減らすものではなく、「BCGさえ接種していればノーガードでも大丈夫」といえるものではないことが分かる。

表1 重力方程式に他の説明変数を加えた推計結果

表1 重力方程式に他の説明変数を加えた推計結果
(注)括弧内は標準偏差。***… 1%水準で有意。
(出所)筆者作成。
「謎」の解決
 表2は欧米諸国がタイの場所にあり、GDP規模もタイと同規模であると仮定した場合(=初期感染者数がタイと同程度であった場合)、COVID-19による死者がどの程度であったのかを表1の係数を用いて推計したものである。欧米各国の実際の死者数はタイの約500〜1000倍であるが、重力方程式に従って補正すると、これらの国の死者数は最大でもタイの17倍にまで減少し、説明が難しいほどの差は消失する。

表2 タイの位置・GDPで調整した欧米諸国の死者数

表2 タイの位置・GDPで調整した欧米諸国の死者数
(出所)筆者作成。

図4は表1の係数に従って推計した死者数を横軸に、各国の実際の死者数を縦軸にプロットしたものである。対角線よりも上(下)に位置する国は予測よりも死者数が多い(少ない)ことになる。本論の推計式でかなり正しく各国の死者数を予測できおり、大きな「謎」は残っていない。また、予測よりも死者数が少ない国は必ずしも東アジア諸国ではなく、欧米諸国ではオーストリアやフィンランド、ノルウェー、ギリシャなどは予測よりも少ない死者数に抑えられており、これらの国々の政策から学ぶことができる可能性があることが分かる。

その他、死者数が大西洋上を中心とした重力方程式に従うことの説明として、本論で想定した「初期感染者」の差ではなく、欧米的なライフスタイルや人々の遺伝的な特性によるものと考えることも可能である。しかし、その場合でも、死者数が綺麗な規則性をもって重力方程式に従い、距離に対する弾力性が観光客についての推計と近いことを考えれば、「人の流れ」が主要因となって初期感染者の分布が決まったと理解するのが現時点では最も自然であろう。

図4 重力方程式による死者数の推計値と実際の死者数

図4 重力方程式による死者数の推計値と実際の死者数
(出所)筆者作成。
まとめ

COVID-19は21世紀に人類が直面した最も大きな危機の一つであり、各国の死者数の違いを正しく理解し説明することは、適切な政策対応の鍵となる。本論では、「初期感染者数の差」に注目し、重力方程式を組み込むことで、各国のCOVID-19による死者数の違いの多くの部分を説明できることを示した。また、重力方程式を加えることで他の説明変数についても適切に推計できることが分かった。

本論から示唆されるのは、COVID-19の死者数の違いのうち、各国が政策でコントロールできる部分も小さくない一方で、国境を越えて水面下で感染者が広がった場合には、事後的に対処するのが非常に難しいということである。もし、COVID-19の第2波の発生源がアジアで、そこから感染者が水面下で広がった場合、アジアと欧米で状況が逆になっても全く不思議ではない。経済への影響を限定しながらCOVID-19に対応するために「ファクターX」を解明して有効な政策立案に役立てることは重要である。しかし、同時に、感染者の早期発見への取り組み、国際的な人の移動に伴う感染拡大防止への協調を強化する必要があることは言うまでもないだろう。

参考文献
著者プロフィール

熊谷聡(くまがいさとる) アジア経済研究所開発研究センター経済地理研究グループ長。専門は、国際経済学(貿易)およびマレーシア経済。主な著作に『経済地理シミュレーションモデル――理論と応用』(共編著)アジア経済研究所(2015年)、『ポスト・マハティール時代のマレーシア――政治と経済はどう変わったか』(共編著)アジア経済研究所(2018年)、"The Middle-Income Trap in the ASEAN-4 Countries from the Trade Structure Viewpoint." In Emerging States at Crossroads . Springer, Singapore, pp.49-69 (2019) など。

この著者の記事
【特集目次】

新型コロナウイルスと新興国・開発途上国