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海外研究員レポート

ブエノスアイレス都市圏の公共交通機関
――新型コロナウイルス対策による「実質一日」の利用制限――

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051714

2020年5月

(4,572字)

アルゼンチンの首都であるブエノスアイレス自治市(以下、市)はブエノスアイレス州の40の自治体と共にブエノスアイレス都市圏を形成しており、2010年の国勢調査によればアルゼンチン全体の人口の37%にあたる約1480万人が生活している1。そして、彼らの市内移動、市内・市外間移動、市外間移動を支えるべく、公共交通機関が発達している。

しかしその一方で、新型コロナウイルス対策において大いなる脅威となるのが、大規模な人の移動である。そのため、アルベルト・フェルナンデス大統領(以下、フェルナンデス。2019年~在職)も南半球で有数の規模を持つ同都市圏の公共交通機関の利用制限に逸早く取り組んだ。しかし、利用制限の開始された2020年3月19日の翌日の20日から大統領令に基づく外出禁止措置が実施されているため、多くの一般市民にとっては現時点では「実質一日」の利用制限となっている。

そこで、本稿では、ブエノスアイレス都市圏の公共交通機関を概観し、新型コロナウイルス対策の一環としてのその利用制限について紹介したい。

路線バス

ブエノスアイレス都市圏における公共交通機関の王様はコレクティーボ2と呼ばれる路線バスであり、380の路線を1日当たり平均897万人が利用している3。近年の日本では、路線バスは鉄道駅から徒歩で行けない地域への補助的交通手段としての意味合いが強くなっているが、同都市圏の路線バスは発着点に鉄道駅が無いものが少なくなく、地下鉄の新線が開業したからといって重複区間が減便・廃止になることも無い。運行路線の形態も市内で完結するもの、市内と市外を結ぶもの、市外から市内を経由して市外に抜けるもの等様々であり、なかには高速道路経由でブエノスアイレス州の州都のラプラタ市まで行く中距離線もある。

路線バスの運営は私企業によって行われており、バスの車体の色も様々であるが、運賃体系は乗車距離に応じて18~23ペソ(約31~39円)に統一されている4。ここ10年の間にかなり値上げされてはいるものの、国の補助金が投入されていることもあり、ブラジルのサンパウロやチリのサンティアゴといった周辺諸国の都市のバス運賃よりはかなり安価な設定となっている。

路線バスは運賃先払いで、乗車には2011年以降国によって普及の進められた交通カード「スーベ(SUBE)」が必要である。街中のキオスコ(キオスク)においてある端末や鉄道駅・地下鉄駅などでスーベに予めチャージしたうえで前ドアから乗車し、運転手に行き先を告げてカードリーダーにタッチして運賃を引き落としてもらうことになる。旅行者であってもスーベを購入する必要が出たという意味では不便になった点もあるが、いちいちコインを用意しなくても乗車できるようになった点、2時間以内の乗り継ぎ(鉄道や地下鉄との乗り継ぎも含む)の場合は2台目の運賃が半額、3台目~5台目の運賃が4分の1になる点、チャージ金額が足りなくてもスーベの残高が「マイナス72ペソ」までなら乗車できる点5などの改善点もある。

また、市内は自動車交通量の増加に道路が対応しておらず、渋滞の深刻化が路線バスの定時運行のネックとなっている。ただし、2011年に当時のブエノスアイレス市長であったマウリシオ・マクリ前大統領(2007~2015年市長、2015~2019年大統領在職)によって整備が開始されたバス専用レーン「メトロブス(Metrobus)」を通る路線については、他の路線ほどは遅延状況が悪化してはいないように見受けられる。

写真1 カビルド大通りのメトロブスのバス停を発車する41系統オンセ行き

写真1 カビルド大通りのメトロブスのバス停を発車する41系統オンセ行き。
利用制限 開始に伴い、「着席客のみ」という表示が前面に貼られている(2020年3月19日)。
鉄道

ブエノスアイレス市内には4つの主要なターミナルがあり、レティーロ駅からはミトレ線、サン・マルティン線、ベルグラーノ・ノルテ線、コンスティトゥシオン駅からはロカ線、オンセ駅からはサルミエント線、フェデリコ・ラクロセ駅からはウルキサ線が発着している。鉄道は主に市内・市外間の輸送に特化しており、1日当たり平均127万人が利用している。また、サン・マルティン線とベルグラーノ・ノルテ線、およびロカ線の一部はディーゼル機関車が客車を牽引する形で運行されている。

カルロス・メネム政権(1989~1999年在職)下で民営化が推進され、鉄道もその例外ではなかった。しかし、2011年にサルミエント線フローレス駅横の踏切で電車と路線バスの衝突事故、2012年に同線オンセ駅で多数の死傷者を出す電車と車止めの衝突事故がそれぞれ発生したこともあり、現在はフェロビアス社のベルグラーノ・ノルテ線とメトロビアス社のウルキサ線を除き、国営のオペラドーラ・フェロビアリアによって運行されている。

運賃は路線によって異なり、ミトレ線の場合は12.25~18.50ペソ(約21~31円)である。また、かつてはその都度切符を購入する必要があったが、現在は鉄道にもスーベが導入されており、乗り継ぎの際は先述の割引の対象となる。さらに、深刻化する渋滞の影響を避けるべく、市のイニシアチブで各線での高架化や道路のアンダーパス化も行われた。

ルイス・M・ドラゴ駅に到着するミトレ線レティーロ行きの中国製車両(2019年11月2日)
地下鉄

鉄道が市内・市外間輸送に特化している一方で、6つの路線6からなる地下鉄は市内移動を担っている。また、4つの主要な鉄道ターミナル同士を接続しているのも地下鉄であり、1日当たり平均99万人が利用している。A線の五月広場・ミセレーレ広場(オンセ)間が開通したのは東京の銀座線が開業する前の1913年のことであり、その後も主に市内中心部のミクロセントロから大通りの地下を通す形で路線の延伸が行われた。そのため、他線に乗り換える際にも必ず市内中心部まで行く必要があるのが長年の欠点であったが、2007年に部分開業したH線がフフイ大通り・プエイレドン大通り沿いに延長され、2016年のサンタフェ駅の開業によって同線を介したA線・B線・D線・E線間の乗り継ぎが可能となった。また、最近減ってはいるものの、B線では旧丸ノ内線車両、C線では旧東山線車両(名古屋市営地下鉄)を見ることもできる。

地下鉄にも鉄道・バスと同様スーベが導入されており、運賃は全線均一の19ペソ(約32円)である。また、先述の乗り継ぎ割引に加えて、月に20回以上乗車した場合は21~30回目が15.20ペソ(約26円)、31~40回目が13.30ペソ(約23円)、41回目以降は11.40ペソ(約19円)の割引運賃となる。運行はメトロビアス社が行っているが、地下鉄網自体は市営企業のスブテラネオス・デ・ブエノスアイレスが管理している。

写真2 B線のレアンドロ・N・アレム駅に停車する黄色く塗装された旧丸ノ内線車両

写真2 B線のレアンドロ・N・アレム駅に停車する 黄色く塗装された旧丸ノ内線車両(2020年3月18日)。
公共交通機関と新型コロナウイルス対策

以上みてきたように、ブエノスアイレス都市圏における移動において公共交通機関のバス、鉄道、地下鉄は大きな役割を担っており、平日のラッシュ時はいずれの交通手段も満員御礼となるが、現在その状況は一変してしまっている。というのも、アルゼンチンでも新型コロナウイルスへの感染が発生してしまったからである。

当初は「対岸の火事」のようにとらえられていた新型コロナウイルスであるが、3月3日に最初の感染者が確認され、3月10日に開始されたイタリア全土における国内移動制限が報道されると、イタリア移民の子孫が多いアルゼンチン社会でも危機意識が一気に高まった。このような状況の急変に対するフェルナンデス政権の対応は素早く、3月12日には大統領令260/2020号で感染地域からの旅客機受け入れを停止し、帰国者・入国者への14日間の自宅等での待機を義務付けた7。そして、3月15日にアクセル・キシロフ・ブエノスアイレス州知事とオラシオ・ロドリゲス=ラレタ・ブエノスアイレス市長とともに会見したフェルナンデスは、学校の授業休止、65歳以上の労働者への休暇付与、15日間の国境封鎖を発表すると共に、アルゼンチン国内における感染者の70%がブエノスアイレス都市圏に集中している点を指摘した8。その結果、3月19日から同都市圏における公共交通機関の利用に制限が課せられることになったのである。

様々な政策と共に3月17日に発表された公共交通機関の利用制限は、ブエノスアイレス都市圏においては着席できる場合のみ鉄道・路線バスへの乗車を認めるというものであり、市の管轄する地下鉄もそれに追随した9。また、地下鉄は停車駅を大幅に削減して運行されることとなり、これらの政策が3月19日から実施されている10。しかし、その19日の夜に発せられた大統領令297/2020号により、3月20日から一部の例外を除いて外出禁止11となっている。すなわち、同大統領令で対象外とされている職種に従事していない多くの市民にとっては、「実質一日」の利用制限となったのである。

それでは、公共交通機関の利用制限の効果はどうだったのであろうか。アルゼンチン運輸省の公表した資料によれば、3月13日までの3月の全公共交通機関利用者数の平均は424万人であったが12、利用制限の開始された3月19日の利用者数は200万人弱、外出禁止の開始された3月20日の利用者数は74万人であった。ただし、テレワークが不可能な60歳以上、妊娠中、何らかの持病者、もしくは子どもの世話をする必要のある労働者への休暇付与がすでに認められていた前日の18日の利用者数がすでに200万人強であったことからも分かるように、利用制限自体よりはテレワークや休暇付与の影響の方が大きかったようである13

以下の図1と図2はアルゼンチンにおける新型コロナウイルス累計感染者数・死者数の推移と南米諸国における1000人以上の累計感染者発生後の新型コロナウイルス累計感染者数の推移をそれぞれ示したものである。現在、アルゼンチンでは感染者数・死者数ともに増加傾向にはあるものの、ブラジル、チリ、エクアドル、ペルーと比べると感染者数の増加は比較的緩やかである14。4月20日からは全国で公共交通機関利用時のマスク着用が義務化され、ターミナル駅におけるサーモグラフィーによる利用者の体温確認や希望者への簡易検査の実施も進められているが15、現在のフェルナンデス政権の政策によって今後どのように状況が推移するか注視する必要があろう。

(2020年4月27日脱稿)

図1 アルゼンチンにおける新型コロナウイルス累計感染者数・死者数の推移

図1 アルゼンチンにおける新型コロナウイルス累計感染者数・死者数の推移

(注)アルゼンチン保健省のデータは、4月11日分よりマルビーナス(フォークランド)諸島での累計感染者数も含んでいる(4月26日現在13名)。
(出所)アルゼンチン保健省のデータ(2020年4月26日閲覧)をもとに筆者作成。

図2 南米諸国における1000人以上の累計感染者発生後の新型コロナウイルス累計感染者数の推移

図2 南米諸国における1000人以上の累計感染者発生後の新型コロナウイルス累計感染者数の推移

(注)欧州疾病予防管理センターのデータは各国における実際の発生日から概ね1日遅れたものとなっている。また、ボリビア、ガイアナ、パラグアイ、スリナム、ウルグアイ、ベネズエラは累計感染者数が1000人を超えていないため、本図には掲載していない。
(出所)アルゼンチン保健省のデータおよび欧州疾病予防管理センターのデータ(2020年4月26日閲覧)をもとに筆者作成。
写真の出典
  • すべて筆者撮影
著者プロフィール

菊池啓一(きくちひろかず) アジア経済研究所海外派遣員(在ブエノスアイレス)。Ph.D. (Political Science)。専門は比較政治学、政治制度論、ラテンアメリカ政治。最近の著作に、Presidents versus Federalism in the National Legislative Process: The Argentine Senate in Comparative Perspective. Cham: Palgrave Macmillan (2018)、「表現の自由・水平的アカウンタビリティ・地方の民主主義―定量データでみる世界の新興民主主義―」(川中豪編『後退する民主主義、強化される権威主義―最良の政治制度とは何か―』ミネルヴァ書房、2018年)など。

書籍:Presidents versus Federalism in the National Legislative Process

書籍:後退する民主主義、強化される権威主義


  1. ブエノスアイレス自治市のウェブサイト(2020年4月27日閲覧)。なお、ブエノスアイレス自治市は州と同格であり、ブエノスアイレス州には属していない。
  2. ボンディと呼ばれることもある。
  3. 2019年10月の総利用者数を日数の31で割って得られた値。以下で紹介する鉄道と地下鉄の1日当たり平均利用者数についても同様に算出した。アルゼンチン運輸省のウェブサイト。(2020年4月27日閲覧)
  4. アルゼンチン運輸省のウェブサイト。日本円への換算はyahoo! financeのウェブサイトに基づく。(2020年4月27日閲覧)以下で紹介する鉄道と地下鉄の運賃についても同様に計算した。
  5. アルゼンチン運輸省のウェブサイト; アルゼンチン運輸省のウェブサイト。(2020年4月27日閲覧)スーベの残高のマイナス分は、後でチャージする際に支払う形となる。
  6. A線・B線・C線・D線・E線・H線の6路線。また、E線の終点からはプレメトロと呼ばれる路面電車も運行されている。
  7. Clarín, 12 de marzo de 2020. 同大統領令による当初の感染地域からの旅客機受け入れ停止期間は30日間であったが、現在も継続されている。ただし、アルゼンチン政府の許可を得た救援便等は例外となっている。
  8. Clarín, 15 de marzo de 2020. 当初は65歳以上の労働者への休暇付与と発表されたが、翌日の労働大臣の記者会見により、テレワークが不可能な場合に限り、60歳以上(ただし業務上出勤が不可欠な役職である場合を除く)、妊娠中、何らかの持病者、もしくは子供の世話をする必要のある労働者に休暇が与えられることが確認された。Perfil, 16 de marzo de 2020.また、国境封鎖も現在継続されている。
  9. La Nación, 17 de marzo de 2020; Clarín, 17 de marzo de 2020.
  10. Clarín, 17 de marzo de 2020; Clarín,18 de marzo de 2020. 鉄道でも3月19日は停車駅削減が行われたが、3月20日からはウルキサ線を除く路線で再び全駅停車となり、現在は、ウルキサ線も全駅停車となっている。地下鉄では銀行窓口業務の一部再開に伴って4月3日から停車駅が追加された。Página/12, 20 de marzo de 2020. また、路線バス・鉄道・地下鉄のダイヤは随時見直されている。
  11. 外出禁止措置の正式名称は「社会的・予防的・強制的隔離」であり、違反者は刑事罰の対象となり得る。本大統領令による外出禁止措置は3月31日までであったが、その後、大統領令325/2020号、355/2020号、408/2020号によって5月10日まで再々延長されている。また、医療従事者や政府高官、宅配サービス従事者をはじめとする複数の職種が外出禁止措置の対象外となっているほか、一般市民にも食料・薬品等購入のための近所への外出は許されている。
  12. 利用者数の平均が本稿で紹介した値よりも少ないのは、まだ一部の学校等が始業しておらず、また、バカンス休暇中の労働者も少なくなかったためであると思われる。
  13. ただし、一部の鉄道ではラッシュ時に乗客が殺到し、着席義務が遵守されていないケースが見られたとの指摘もある。Ámbito Financiero, 27 de marzo de 2020; アルゼンチン運輸省のウェブサイト; Urgente24のウェブサイト(2020年4月27日閲覧)。
  14. 検査数が不足しているという指摘もあるLa Nación, 1 de abril de 2020. ただし、死者数についてもブラジル(4016人)、ペルー(700人)、エクアドル(576人)、コロンビア(233人)を下回っている。欧州疾病予防管理センターのデータ(2020年4月26日閲覧)。
  15. 市内では、すでに4月15日から義務化されていた。El Cronista, 18 de abril de 2020; La Nación, 21 de abril de 2020; Perfil, 24 de abril de 2020.
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【特集目次】

新型コロナウイルスと新興国・開発途上国