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世界を見る眼

新型コロナウイルスと新興国インバウンド観光

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00051735

2020年6月

(5,701字)

ポイント
  • 新型コロナウイルスの感染が世界中に拡大したことで、海外旅行は激減している。
  • インバウンド観光が観光産業にとって重要な新興国では、国際観光の落ち込みは経済成長に大きなインパクトをもたらす可能性がある。
  • コロナ感染が収束すればインバウンド観光は回復が早いと予測される。

写真:羽田空港に留め置かれた多数の航空機(2020年4月11日)

羽田空港に留め置かれた多数の航空機(2020年4月11日)
はじめに

新型コロナウイルスの感染拡大が世界に広まり、これまで当たり前だった日常は戻らないと言われる。感染拡大を防ぐために、学校の授業はオンラインに切り替わり、人々は外出を控えて他人との接触を減らしてきた。コロナを契機として、新しい日常(ニューノーマル)の世界に足を踏み入れた感覚に襲われる。

一方、コロナの感染が収束しつつある国や地域では、子どもの学校再開や親の会社通勤というこれまでの日常が戻り始めている。感染者が少ない地域では感染リスクが低いため、新しい行動様式をとりながらも人々はこれまでの生活を取り戻しつつある。

しかしながら、一つだけまだ戻っていない日常として、「海外旅行」がある。他の国や地域からコロナウイルスが持ち込まれると、コロナ感染が再び広がるリスクがあるため、世界各国の政府は、海外観光客の入国制限措置を緩和することに対して慎重である。たとえ入国制限が緩められても、観光客はコロナの感染リスクを恐れて、しばらくは海外旅行を控えるかもしれない。特に医療体制の整備されていない新興国では、コロナ感染の実態が見えづらいため、海外渡航先として敬遠される可能性がある。

こうした背景のもと、新型コロナウイルスの感染拡大は新興国のインバウンド観光にどのように影響するのか、考えていきたい。はじめに、国際線フライトの現状や観光業の重要性を確認する。次いで国際観光客の動向に関する国連世界観光機関の見通しを紹介した後、統計分析を行って経済成長への影響を推計する。

航空フライトの状況

海外旅行の第一歩は国際線フライトである。2019年末に中国からはじまった新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界の民間航空はどのように変化してきたのだろうか。図1は、Flightradar24のデータに基づき、2020年1月26日から5月24日の間に実際に飛行していた民間航空の一日当たりの便数を示している。世界の民間航空便は、1月26日の10.4万便からゆっくりとしたペースで3月16日の9.1万便まで減少してきたが、それ以降は劇的なペースで4月12日の約2.4万便まで落ち込んだ。その後、コロナ感染が収束しつつある国・地域において国内線フライトなどが再開されつつあり、5月24日には約3万便にまで徐々に増加してきている。

図1 民間航空の一日当たり便数の推移

図1 民間航空の一日当たり便数の推移

(注)日付は2020年。便数はFlightradar24の受信装置で捕捉できた航空機の数。
(出所)Flightradar24のデータをもとに筆者作成。

厳しい経営環境に直面した航空会社は、地上で羽を休めている航空機を再び空に飛ばすため、機内でのマスク着用義務などの衛生対策をとり運航の再開を急いでいる。しかしながら、航空機の運航は政府の管理に従う必要がある。コロナ感染の拡大を抑えたい各国政府は国際線フライトの再開には慎重で、その行政対応も流動的である1 。例えば、イタリア運輸省が5月17日に国内空港の運用を再開すると発表したことを受けて、ドイツの格安航空会社ユーロウィングの航空機Airbus A320は、5月23日にドイツのデュッセルドルフからイタリアのサルディーニャに向けて飛び立った2 。しかし、イタリア運輸省の決定は実際には一部の地域で却下されており、サルディーニャに近づいた航空機は着陸許可を得ることができず、そのままデュッセルドルフに戻っている。往復で約4時間の遊覧飛行を楽しんだ乗客はわずか二人という。

新興国にとって重要なインバウンド観光

国際線フライトの運休や減便が長期化した場合、最も影響を受けるのがインバウンド観光である。海外からの観光客は、航空・鉄道・バスなどの国内移動、宿泊や飲食、物品の購買などに支出する。海外観光客の支出に強く依存している観光地域ほど、コロナ感染の影響が強くなるであろう。

ではどのような国でインバウンド観光がより重要なのだろうか。ここでは、財・サービス輸出に対するインバウンド観光支出の比率を見ていきたい。インバウンド観光支出には、海外からの訪問者が支出した費用(例えば、航空チケット代、宿泊料、国内移動費用など)を含んでいる。つまり、各経済が外国に対してモノやサービスを売り稼ぐ力のなかで、インバウンド観光の重要性がどのくらい高いのか、この指標から推測できる。

図2 インバウンド観光の重要性

図2 インバウンド観光の重要性

(注)数字は、2018年時点の財・サービス輸出に対するインバウンド観光支出の比率(%)を示している。インバウンド観光支出には、海外からの訪問者が支出した費用(例えば、航空チケット代、宿泊料、国内移動費用など)を含んでいる。
(出所)世界銀行のWorld Development Indicatorデータをもとに筆者作成。

図2は、世界銀行のデータをもとに、2018年時点でのいくつか代表的な国の指標を示している。世界平均の6.6パーセントに対して、中国や日本、ドイツはインバウンド観光の重要性が低いことが分かる。一方、米国やフランス、イタリアなどは世界平均より高い傾向がある。特にスペインは16.3パーセントで、フランスやイタリアよりもかなり比率が高い。

特筆すべきなのは、タイやカンボジア、ネパール、スリランカなど、新興国においてインバウンド観光の重要性が高い点である。高所得国を除くと、所得が低い経済ほどインバウンド観光の重要性が高い傾向がある。自動車など製造業品の輸出が大きいと考えられるタイ経済でさえ、インバウンド観光の比率は19.9パーセントにも達する。

新興国におけるインバウンド観光は、地域によっても大きく異なる。例えばカンボジアのシェムリアップ州には世界遺産で有名なアンコールワット遺跡群があり、数多くの海外観光客が毎年訪問している。少し古いデータになるが、田中(2014)3 によれば、2011年時点でシェムリアップ州における非農業に従事する労働者は約9.4万人で、全労働者3人のうち1人は観光業に従事していた。観光業の労働者が地域で衣食住に支出する経済波及効果も考慮すると、観光が地域経済の屋台骨といえる。こうした観光依存度の高い地域経済は、コロナによる影響が特に強いと考えられる。

海外旅行客の見通し

国連世界観光機関レポート4 によれば、世界の国際観光客の到着数は、2019年度に4パーセント増加したのに対して、2020年第1四半期は22パーセントも減少した。国際観光客は6700万人減少し、国際観光からの収入はおよそ8兆円以上失われたと言われる。コロナ感染による入国制限や国境の閉鎖によって、観光産業はまさに新しい日常を迎えている。

このレポートではさらに国際観光の2020年見通しについて、いくつかシナリオを提示している。国境開放と旅行規制の緩和が7月初旬に実施された場合、2020年の国際観光客数は58パーセント減少する一方、規制緩和が12月初旬にまで遅れると、国際観光客数の減少は78パーセントに達する、と述べている。その結果、1億2千万人もの失業者が生まれる可能性がある、という。世界各国のコロナ感染対策と入国規制の対応によって、2020年は国際観光が大きく落ち込むことが予想される。

しかしながら、レポートは明るい見通しも示している。つまり、国内観光は夏には回復し始めると、多くの専門家が考えている点である。外国への移動は様々な制約があり、海外旅行に行けるようになるまでしばらく時間がかかる。一方、移動の制約が少ない国内旅行は回復が早いと見込まれている。新しい日常の世界でも、人々の観光する欲求が失われていないのであれば、国内旅行の回復は先進国の観光産業にとって希望の光となる。

国内旅行の回復は新興国の観光産業にとっても前向きな風になるであろう。それでも、海外観光客に強く依存した新興国の観光産業は、インバウンド観光の激減が観光業の倒産や雇用喪失につながりかねない。

経済成長への影響

新興国の観光産業に対する打撃が避けられない見通しのなか、経済成長への影響も懸念される。新興国経済には農業や製造、卸小売など様々な産業があり、国によっては産業全体に占める観光産業のシェアは必ずしも高くないため、国際観光の減少は経済成長に大きな影響を与えない、という見方ができる。一方、国際観光の経済効果が大きな新興国においては、景気後退への影響は想像するよりも深刻かもしれない。新型コロナウイルスが新興国経済に与える影響は、不確実性が高いため見通しを立てることが難しい。

こうしたなかで、国際観光客と経済成長率の統計的関係を見ることで、コロナの影響が大きいのか検討する手がかりとなる。そこで筆者は、世界銀行のWorld Development Indicatorデータベースを活用して、世界各国の経済成長率と海外旅客の到着数の統計分析を行った5 。データは2010年から2018年の期間で、193の国・地域を含んでいる。サンプル国・地域の経済成長率は平均3.25パーセントで、海外旅客到着数は平均623万人である。海外旅客到着数の最大は、2018年度フランスの8932万人であった。

推定の結果、経済成長率と海外旅客到着数はプラスの統計的関係があることを確認した6 。具体的には、海外旅客到着数が100万人増加すると、受入国の経済成長率は0.12パーセント上昇する関係が見られた。例えば、海外旅客到着数の標準偏差は1256万人である。もしある国で海外からの旅客がさらに1256万人増えていた場合、その国の経済成長率は1.55パーセントも高かった、と推測できる。

この推定結果は暫定的な分析であり、厳密に因果的関係を示すものではない。観察できない経済成長の要因を含んでいるため、実際には海外旅客の影響はもう少し低いと考えられる。それでもなお、推定結果をベースにすると、海外旅客の大幅な減少は経済成長率をかなり押し下げると推測できる。

今後の見通し

世界各国のコロナ感染が今後どのように収束していくのか、または再拡大していくのか、予想するのは極めて困難である。一方、インバウンド観光が重要な経済にとって、入国制限を長期間続けていくことは、国内の観光産業にとって取り返しのつかない大打撃を与えることになるため、感染予防の措置を取りながらインバウンド観光を徐々に再開していくことになるであろう。

インバウンド観光の先行きは不確実性に満ちているものの、コロナ感染が収束するにつれて急速に回復するだろうと筆者は考えている。例えば、2002年11月に中国広東省で発生した重症急性呼吸器症候群(SARS)は、人の移動によって感染が他国に広がっていった。その後、地理的に近い香港でもSARSウイルス感染による死亡者が急増したことで、香港を訪問する海外観光客は激減し、キャセイパシフィック航空は大幅な減便を余儀なくされた7 。図3の香港における海外訪問客の到着数は、2003年4月から大幅に減少していることが分かる。一方、医療従事者の懸命な努力により感染者はその後減少し、世界保健機関は2003年6月23日に香港をSARS感染指定地域から除外し、終息宣言を発出した8 。その後、香港を訪れる海外旅客は急速に回復したことが分かる。

図3 香港の海外旅客到着数の推移

図3 香港の海外旅客到着数の推移

(注)縦軸は、香港を訪問した海外旅客の総計人数。
(出所)PartnerNetのデータをもとに筆者作成。
新型コロナウイルスの感染拡大によって、新しい日常から海外旅行は失われたかに見える。しかし、海外旅行をしたい人々の希望も、多くの観光客をひきつける観光地の魅力も決して失われていない。これまでの日常を取り戻すために、コロナウイルス感染を早く収束していくことが重要な課題である。
写真の出典
  • Japanbird, 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で多数の運航が取りやめになって羽田空港に置き留めされた航空機(CC-BY-SA-4.0
著者プロフィール

田中清泰(たなかきよやす) アジア経済研究所開発研究センター研究員。博士(経済学)。専門は国際経済学、開発経済学。最近の著作は、"Agglomeration Economies in the Formal and Informal Sectors: A Bayesian Spatial Approach" (with Yoshihiro Hashiguchi) Journal of Economic Geography, Vol.20, Issue 1, 2020, "Do International Flights Promote FDI? The Role of Face-to-face Communication" Review of International Economics, Volume 27, Issue 5, 2019,など。


  1. 例えばタイ政府の対応に関するCNNの記事を参照。
  2. 詳細はONE MILE AT A TIMEのウェブサイトを参照。
  3. 詳細は、田中清泰「カンボジア・アンコールワットと観光産業」(『アジ研ワールド・トレンド』2014年5月号)を参照。
  4. 詳細は国連世界観光機関駐日事務所の翻訳レポートを参照。
  5. 推計したモデルは、国・地域iと年次tを使い以下のとおりである。
    経済成長率it01海外旅客到着数it+fi+ftit
  6. 係数β1の推定値は0.1236で、p値は0.015であった。
  7. 例えば、2003年4月16日付のWIRED記事を参照。
  8. 世界保健機関の発表を参照。
この著者の記事
【特集目次】

新型コロナウイルスと新興国・開発途上国