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コラム
最終回 中国――農村トイレ回想録
China-Memoirs of Toilets in Villages
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001493
2025年9月
(5,167字)
トイレに関する現地語講座
例文
- A: “我肚子不舒服,请把车停一下” wǒ dùzi bù shūfu, qǐng bǎ chē tíng yīxià ウォドゥヅ ブゥシュフ、チンバーチャー ティンイーシャア「お腹の具合が悪いです。車を停めてください」
- B:“这附近没有厕所,你坚持一下” zhè fùjìn méiyǒu cèsuǒ, nǐ jiānchí yīxià ジェフゥジンメイヨウ ツゥスオ、ニージエンチー イーシャア「この辺りにトイレはありません。もうちょっと頑張って(我慢して)ください」
頻出単語
危险! wéixiǎn ウェイシエン 危険です!
はじめに
筆者は中国の農業や農村研究を専門としている。2000年代に中国研究者としてのキャリアをスタートして以来、海外派遣員として長期滞在した後もコロナ禍以前は毎年3,4回は中国各地の農村を訪れていた。本連載の初回で言及した通り、政府主導のトイレ革命によって中国のトイレは急速に近代化しているというが、ネット情報を見る限り悪名高いニーハオ・トイレも地方ではどうやらまだ健在の様子である。とはいえ、本連載が回数を重ねるなかで世界中でトイレの近代化が進展していることが確認されたいま、消えゆく伝統的トイレの記憶を書き残しておくことにも多少の価値があるかもしれないと考えるに至った。そこで最終回では、個人的な経験からトイレにまつわるエピソードを紹介したい。
ニーハオ・トイレの諸形態
そもそも中国の「ニーハオ・トイレ」とは何か。一般的にはドアや仕切りのない、あるいは仕切りの高さが低く用を足している様子が他人から見え、したがって十分にプライバシーが守られない和式型のトイレを指すと思われる。そして、ニーハオ・トイレであるか否かと汲み取り式か水洗式かは無関係である。つまり、本連載初回の文明と文化の議論に立ち戻れば、水洗化した(文明の進歩)からといって、プライバシーの保護が同時に進行する(文化の変化)という保証はどこにもないということである。中国では比較的遅く普及した洋式便座は基本的に水洗式でありかつ仕切りやドアとセットで導入されたので、ニーハオ・トイレからは除外する。ただし、ドアがあったとしても習慣上カギをかけない人が一定数いるので、注意が必要だ。
さて、ひとくちにニーハオ・トイレといっても様々な形態が存在する。筆者の知る限りおおまかに(1)穴型と(2)溝型の二つに分けられる。
まず、(1)穴型は個別の穴が並んでおり、その両脇に足を乗せて使うタイプである(写真1)。初回で言及したように日本の和式トイレと異なり、本来ドアのついている外方向に向かってしゃがむ。金隠しはついていない場合が多い。穴の下には貯留槽がある。構造によっては貯留槽が真下ではなく前方にあり、排せつ物は排出した地点から斜面を滑り落ち下に溜まっていくタイプもある。ガソリンスタンドのトイレ、オリンピック前の北京の細い路地裏にあった公衆トイレ、農村の役所のトイレなどは大抵このタイプだった。
このタイプのプリミティブな派生型といえるのが、筆者が2010年頃滞在させてもらった山東省の農家のトイレである。その家は果樹園を経営していて、家族のし尿は肥料として活用されていた。華北に多いレンガ造りの平屋建ての家屋が中庭を取り囲むようにコの字型になっている構造で、トイレは中庭の隅の低い壁に囲われたスペースにあった。なんとも開放的な手作り感あふれるトイレで、中央に足をのせるためのレンガが埋め込まれており、その前と後ろには1つずつ穴が掘られそれぞれに小さめの金属のバケツが埋め込まれていた。つまり、2つのバケツは肥料としての利用価値を高めるため尿と大便専用に分けられており、トイレとして利用する時は両者を区別する必要があった。筆者はバケツの中身をよく観察してから、家主の流儀に反して前後を間違えないように注意しつつ用を足した次第である。翌朝、居室の窓から家長が埋め込まれていたバケツの取っ手を竿の両端に引っ掛けて持ち上げ、天秤棒の要領で肩に担いで畑へ運んで行く姿が見え、少々複雑な気持ちになったのを覚えている。
次に、(2)溝型はコンクリート(タイル張りのこともある)でできた長い溝があり、それをまたぐ形で用を足すタイプである(写真2)。仕切りがついている場合もあるが、当然のことながら側面からは丸見えである。仕切りがまったくない場合もあり、利用者は思い思いの位置にしゃがんで用を足す。筆者は西安の鉄道駅の公衆トイレ、青島の大学の学生用トイレでまったく仕切りのないタイプに出くわした。どちらかの端に水洗用のレバーやひもがついており、引っ張ると水が流れる。水を流せば当然上流から他人の排せつ物が流れてくるのを見ることになるが、逆に上流で用を足すと自分の排せつ物を他人に見られることになるので、私はこのタイプに遭遇した時はたいてい下流部を選んだ。おそらく利用者が多くスペースが限られている場所で効率性を優先して選択される類型なのだろう。
溝型トイレと言えば思い出すのは、筆者の大学時代の同級生(男性)が2000年代初頭に成都から武漢まで乗った長江三峡下り船のトイレの話である。三等室の乗客用の共用トイレは溝型で、下は川に直結しており排せつ物はそのまま流れ去る仕様だった。朝のトイレは混雑していて、溝に大勢の人がずらりと並んでしゃがんでいたが、時折波が打ち寄せると水位が上がって水が撥ねるため、水位に合わせて居並ぶ人々の尻が次々と浮いては沈み、まさに呼吸の合ったウェーブの様相を呈していたという。中国語のできない同級生は三日三晩、筆談だけで船上の人々と楽しく過ごしたと興奮気味に語った。船の下層にある暗い麻雀室では、暇を持て余した外国人観光客がカモられていたという。まだ三峡ダムも完成していない頃の、なんとものんびりした船旅の風景だ。
大いなる物質循環――棚田と黒豚と私
学生時代の所属ゼミが雲南省の研究機関と長年共同研究を行っており、筆者も2000年代にベトナム国境に近い長江上流域の雲南省紅河イ族ハニ族自治州元陽県の棚田地域での調査に何度も参加させてもらった。雲南省の少数民族地帯は経済発展という意味では貧しい地域であり、当時は交通インフラも現在ほど整っていなかったため、村に行くのは大変だった。雨が降れば車が未舗装の山道のぬかるみにはまって何時間も動けなくなり、水牛で車を引いてもらって脱出したこともある。
この棚田は1300年にもわたる人の営みと自然が作り出した優れた農業景観として2010年にFAOの世界農業遺産、2013年にUNESCOの世界遺産に認定された。なだらかな山と深い谷の斜面に、4県にまたがる7万ヘクタールにおよぶ巨大な棚田が独特の美しい景観を作り出している(写真3)1。筆者が訪問していたのは世界農業遺産に認定される前後の時期で、「社会主義新農村建設」のスローガンのもと観光開発が進められ、比較的交通の良い村の公衆トイレは(ドアは無かったが)次々に水洗化され、ピカピカの陶器の和式便器が据え付けられた。しかししばらくすると故障したり、そもそも水を流す習慣のない利用者の排せつ物が中に溜まり始め、それを食べるために大きな黒い在来種の豚がトイレ内に入り込み、床のタイルの上で寝そべって涼んだりするような落ち着かない場所になった。
ちなみに山東省の農村出身で農村を舞台にした作品を多く発表しているノーベル賞作家の莫言が、作中で「猫がネズミを捕まえるのも、犬が糞を食べるのもやめさせることはできない」と書いている通り(莫 2019)、犬は人糞が好物である2。農村部でも番犬として犬を飼う習慣はあるが、概して農村部における犬の社会的地位が低い理由はここにあるのかもしれない。筆者も一度その現場を目撃したことがあり、狂犬病のリスクがあることも手伝って農村の犬には接触しないようにしていた。
棚田地帯では、歴史的な理由から山頂に近い水源林の近くにはハニ族やイ族などの少数民族の集落、その下の斜面に棚田、さらに谷の下のほうの低地に漢族やタイ族の集落が分布する3。調査当時、辺鄙なハニ族の集落では黒豚が放し飼いにされ、水牛が村のなかを闊歩していた。住宅はレンガやコンクリートの平屋か二階建てで、家の外に豚小屋と、家畜や人間のし尿をためて熟成させるための貯留池が備え付けられていた(写真4、写真5)4。興味深いのはこの池が村の中を張り巡らされている排水路とつながっていることで、年に数回これが一斉に水路に放出され、最終的に村の下流に位置する棚田に流れていくのである。この施肥方式は中国語で「沖肥」と呼ばれる。人糞と豚の排せつ物を有機肥料として有効利用し、しかも傾斜を利用して施肥の作業を省力化するための知恵である。長年上流の集落の人々はルールに則って水源林を守り、湧き水を使いし尿と労働力を投下して棚田で稲を栽培し、コメや魚、稲わらや水草を食料や家畜の飼料として利用するという永続的な物質循環システムのなかで生活を営んできた。山―森―水―集落―棚田が織りなす巨大なエコシステムのなかで、トイレは養分を田に還元する重要な役割を果たしている。なんと壮大な発想なのだろうか。
集落内を流れる水路につながっており、季節ごとに棚田へと放出される。
さらに調査チームの農学的な関心から、各々の田の位置とコメの収量はどのような関係にあるか、沖肥はどのように関係しているかという問いが生まれた。技術的な面からいえば、棚田は集落の下に広がり、1つの村の中でも上と下の田で100~150メートルほどの高低差があった。下の方にある田は集落から遠いため行き来に労力を要し、管理は手薄になる。沖肥によって投入される有機肥料は畔で区切られた一枚一枚の圃場に流れ込むため、田越し灌漑(水田で使った水を排水路に流さず下の田に直接入れて灌漑すること)をするとしても上流のほうが濃度は高くなるだろう(これ自体検証が必要だが)5。
この技術的な関係は、土地制度にも反映されている。人民公社が崩壊し1980年代に生産責任制が導入されると、他の地域と同様に棚田も村ごとに頭割りで平等主義的に分配された。村からの距離と水利条件などの基準により農地はいくつかのグレードに分けられ、条件の良い土地はより少なく、悪い土地はより多く各世帯に分配された。集落に近い田のほうが沖肥の効果が大きいことも、分配の判断基準に影響を与えたかもしれない。一方、集落から遠い下の田は低く評価されたわけだが、その後の標高が低い場所に適した高収量ハイブリッド米や化学肥料の普及、出稼ぎの増加による人手不足といった変化が生じている。このような新しい要素は、世帯間の土地分配や所得の平等性にいかなる変化をもたらしているのだろうか。データを取って検証しようというアイディアが出たが、十分に成し遂げられなかったのが心残りである6。しばらく棚田を訪れないうちに、もう他の研究者が成果を発表してしまったかもしれない。
おわりに
思い返せば、環境問題に強い関心を持っていた農学部の学生時代の筆者は、大学の卒論では島根県の放牧による草原景観の維持管理活動について、修士論文では北海道の酪農地帯における環境規制が農家経営に与える影響の経済分析、というテーマに取り組んでいた7。修士論文のテーマにある環境規制とは、EU農政に倣って1999年に日本で試行された「家畜排せつ物の管理の適正化及び利用の促進に関する法律」、つまり家畜の糞尿処理に関するものであった。
三峡下りのエピソードで登場した大学院時代の同級生が、私の修士論文のタイトルを「時事(ジジ)問題としての糞(ババ)問題」にしたらどうかと提案してきた時、まだ若く真面目だった私はその提案を一蹴した。しかし、今となっては的を射た、なかなか味のあるタイトルだったと思っている。山口(2025)で詳しく述べられているように、近年中国のリン酸の輸出規制やウクライナ危機を背景に肥料(原料)の国際価格が高騰しており、日本はもちろん世界中で肥料やエネルギー源としてし尿の活用に注目が集まっている。肥料の不足はそのまま食料問題に直結する。トイレ問題はまさに時事問題なのである。
就職先で中国研究を始めた頃、中国では食品安全問題や環境保全型農業が注目を集めており、筆者も必然的にこの分野の研究をカバーすることになった。つまり日本から中国にフィールドが変わったとはいえ、筆者は学生時代からずっとトイレまわり、もとい循環型農業の研究を細々と続けてきたことになる。最近になって、人間の関心は結局原点に回帰するものなのかもしれないと思うようになった。またいつの日か、筆者が中国研究を志すきっかけになった雲南の棚田を訪れる機会があることを願っている。
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
- 写真1 Marihachi (Public Domain)
- 写真2 Akinori Takemoto(CC BY-SA 3.0)
- 写真3、4、5 筆者撮影
参考文献
- 佐藤赳・高橋太郎・合崎英男・山田七絵・中嶋康博(2020)「中国雲南省山間地における圃場アクセスが水稲生産に与える影響―農家/圃場GISデータセットを用いた空間計量経済分析―」『農業経済研究』第92巻第2号、123~146ページ。
- 莫言(2019)『生死疲労』浙江文芸出版社(中国語)。
- 中村均司・森下裕之(2012)「雲南元陽県の棚田稲作における施肥方法―元陽県土戈寨村における水稲への施肥方法―」『農林業問題研究』第45巻3号、305~312ページ。
- 山口亮子(2025)『ウンコノミクス』インターナショナル新書。
- 山田七絵(2006)「環境の安全保障――畜産と環境」『アジ研ワールド・トレンド』12(1)、24~27ページ。
- ――――(2010)「中国における農業水利の諸形態――最近の調査事例から(フォト・エッセイ)」『アジ研ワールド・トレンド』16(2)、24~27ページ。
著者プロフィール
山田七絵(やまだななえ) アジア経済研究所新領域研究センター環境・資源研究グループ主任研究員。農学博士。専門は中国農業・農村研究。主な著作に、『現代中国の農村発展と資源管理――村による集団所有と経営』(東京大学出版会、2020年)、『世界珍食紀行』(編著、文藝春秋、2022年)。
注
- FAO “Hani Rice Terraces, China.”
- 莫言は若い頃の農村での実体験に基づく表現をしばしば好んで用いており、彼の小説観、人生観を語るインタビューのなかでも「犬が糞を食べたがっても絶対に止めてはいけない。さもなくば犬は糞を奪われると勘違いして噛みつくかもしれない。自分を変えられるのは神様だけ、他人を変えようと考える奴なんて狂人だけだ。…自分自身をきちんと管理しろ、他人に構うな。自分を律することが人を助けることになる」と語っている(「莫言説:“狗要吃屎,你千万不要去制止它,不然它会以為你要跟他搶。”」『凉凉時光梦』2024年10月12日)。
- 元陽県の農業水利システムについては、山田(2010)で紹介した。
- 中村・森下(2012)によればこのような世帯ごとの貯留池以外に、かつては集落単位の共同貯留池も存在したが、化学肥料が普及し有機肥料の利用が減少したこと、各世帯に人糞や家畜排せつ物を原料とするメタン発酵装置が普及したこと、水路の維持管理が難しくなったことなどから失われつつある。
- ただし、棚田全体でみると高低差は800~1400メートルと大きくなり、田の位置により平均気温に大きな差が生じる。霧が多く気温の低い上流の村の田よりも温暖な下流の田のほうが単収は大きくなるうえ、在来種の「紅米」より収量の多いハイブリッド米の生産が可能となる。沖肥の影響、労働力なども加味すれば、収量に影響を与えるそれぞれの要素は複雑なトレードオフ(一方を選ぶと他方を失う)の関係にある。
- 圃場へのアクセスが米の単収に与える影響についての実証研究として佐藤ほか(2020)がある。
- 山田(2006)で概要を紹介している。
- 第1回 中国の「トイレ革命」
- 第2回 日本――トイレではない。それは、便所。
- 第3回 インドネシア――日本を超える?隙のない清潔なトイレ
- 第4回 韓国──紙、流すべきか、流さざるべきか
- 第5回 トルコ──いにしえのトイレに思いを馳せつつウォシュレットの原型を体感せよ
- 第6回 ベトナム――奥深き農村トイレ文化
- 第7回 イラン――洗え、洗え、の爽やかトイレ
- 第8回 ウズベキスタン――トイレをめぐる新米研究者の冒険記
- 第9回 パキスタン――トイレへの(心理的)アクセスがない
- 第10回 中国──トイレから見える中国人の合理性
- 第11回 カンボジア──トイレは怖いところなのか
- 第12回 マレーシア――「郷に従う」ことの快適さ
- 第13回 タイ――洋式化と多様化の波
- 第14回 クウェート――略奪されたトイレ
- 第15回 フィリピン──普通のトイレを使うための障害者たちの知恵
- 第16回 ラオス――野糞の話しをしよう
- 第17回 台湾――トイレの文明化の現在地
- 最終回 中国――農村トイレ回想録