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コラム

アジアトイレ紀行

第1回 中国の「トイレ革命」

Toilet Revolution in China

PDF版ダウンロードページ:http://hdl.handle.net/2344/00053743

2023年6月
(5,620字)

トイレに関する現地語講座

例文
“洗手间在哪里?” Xǐ shǒu jiān zài nǎli ?  シィショウジエン ザイナーリ?:トイレはどこですか?

頻出単語
厕所cè suǒ ツゥスオ: 便所
洗手间xǐ shǒu jiān シィショウジエン:(やや上品な言葉)トイレ、お手洗い
卫生间wèi sheng jiān ウェイシェンジエン: 同上

アジアの近代化とトイレ

シンガポールに拠点を置く国際NPO、WTO(World Toilet Organization、世界トイレ機関)の試算によれば、人は1年に平均2500回トイレに行き、一生のうちなんと約3年間をトイレで過ごすという(シム 2019)。人間の生活のなかでこれほど長い時間が費やされる行為が、人間の行動や社会を研究対象とする社会科学や人文科学分野において重要でないはずがない。にもかかわらず、食や衣服に関する豊富な研究の蓄積に比べて、トイレや排せつに関するものは非常に少ない。日常会話のなかでも、私たちは(少なくともオトナは)「臭いものには蓋」とばかりにトイレや排せつにまつわる話題には口をつぐみがちである。

ところが、単に筆者がこの企画を構想し始めて以来巷のトイレ情報に敏感になっているだけかもしれないが、最近日本のトイレ界隈が賑やかだ。ジェンダーと公衆トイレのあり方についての議論が盛り上がっているし、排せつ物をキャラクター化した児童向け教材も人気を博している。この4月には、江戸時代末期を舞台とした下肥(しもごえ)買いの青年と江戸の長屋に住む没落武家の娘のラブストーリー、というちょっと風変わりな設定の時代劇映画『せかいのおきく』(阪本順治監督、黒木華主演)が封切られたばかりだ。これまでタブー視されてきたトイレの問題の重要性があらためて認識され、オープンに語られるようになってきたのだとすれば、喜ばしいことだ。

そもそも近代化の過程でトイレや下水システムの整備が行われる理由として、公衆衛生の問題が挙げられよう。国連の持続可能な開発目標の一つに「安全な水と公衆衛生」が掲げられているように、世界の社会開発において下水や汚水処理システムの整備は喫緊の課題と位置づけられている。ユニセフによれば、世界人口の約半分が衛生的なトイレを利用できていない。そして、それが飲用水の汚染を通じてコレラや赤痢などの感染症の原因となり、幼い子どもを含む多くの命を奪っていることは広く知られている。

これ以外にも、第二次世界大戦後に急速な経済成長を経験してきたアジアの多くの国々では、近代国家の仲間入りをするため外国の目を気にしてトイレの整備を進めた、という体面上の理由もあったに違いない。例えば1964年の第1回東京オリンピックには焼け跡から復興した日本の姿を世界の人々に印象づけるという意味合いもあり、国際都市・東京の下水道の整備が進められた。今でこそ日本のトイレの水洗化率は94.5%に達しているが、オリンピック前年の1963年はたった9.2%であり、当時は東京でもまだ和式トイレが主流であった1。オリンピックより少し前、幼き日の筆者の母はおめかしして祖父に連れていってもらった銀座のレストランで、初めて洋式トイレを見た時の戸惑いを今でも忘れられないという。清潔で明るい水洗の洋式トイレは、当時は近代化の象徴ともいえる存在であった。

近年では和式トイレを敬遠する高齢者が多いことから、災害時に避難所となる小中学校のトイレの洋式化が進んでいる。また、2010年代以降は海外からの観光客の急増、2020年の東京オリンピック・パラリンピックへの準備として、観光地や公共交通機関の公衆トイレの洋式化が急ピッチで進められた2。和式便器が過去のものとして博物館に陳列される日も、近いかもしれない。

文明と文化

司馬遼太郎は、文明と文化の違いを以下のように整理している(司馬 1989)。まず、文明とは普遍性があって便利で快適さを生み出すものである。文明は一般的に経済発展やグローバル化によって伝播していくものであり、その意味では世界のトイレは水洗化、洋式化に向かう趨勢にあると考えられる。ただし、これにより古来アジア地域で培われてきた、都市のし尿を近郊農村に運んで肥料として利用し、生産された農産物を都市へ供給する、という世に誇るべきエネルギー循環システムは断ち切られてしまった。そして、代わりに水質汚染と汚水処理、莫大な財政負担というやっかいな新しい問題が発生することとなった(小島1994)。社会の持続可能性という観点からみれば、快適なトイレ空間で排せつしてその後のことは知らんぷり、というシステムが本当に「文明的」かどうかは真面目に議論すべき問題である。とはいえ、江戸時代の日本のような究極の循環型社会に回帰するというのも現実的ではあるまい。し尿の循環利用については、また別稿を期したい。

さて、これに対し、司馬によれば文化とはある意味不合理な、民族や宗教など特定の集団でのみ通用するものである。例えば訪日外国人観光客の増加にともない、観光地で公衆トイレをめぐる様々な文化摩擦が生じている。外国人観光客からは、「和式トイレの使い方がわからない」「和式は不潔」、排せつ後に水で処理する規範のあるイスラム教徒からは「温水洗浄便座があれば必ず使う」「手をしっかり洗いたいので石鹸を常備してほしい」といった要望が出ている3。一方の観光地側は、使用後の紙を流さず屑かごに捨てる、洋式便座の上に土足で乗る、使用後に水を流さない、和式便座で逆方向にしゃがむ、といった行為でトイレを汚してしまう観光客がいると訴える(写真1)。

写真1 京都市役所が市内の観光用トイレのマナー向上のために作成した、イラスト付きの啓発ステッカー(4言語併記)。

写真1 京都市役所が市内の観光用トイレのマナー向上のために作成した、
イラスト付きの啓発ステッカー(4言語併記)。

日本では水溶性のトイレットペーパーが常備されているため、使用後の紙を便器に直接流せるが、下水の整備状況や紙の質により流せない国も多い4。和式トイレでしゃがむ方向については、扉に対して縦方向に便器が設置されたトイレの場合、日本では奥に向かってしゃがむのが一般的であり、奥に金隠しがあるのでそれは自明である。個室の中で人々がどんなふうに用を足しているかを確認するのは難しいが、日本以外の国では洋式トイレ同様、扉に顔を向けてしゃがむのが一般的である。金隠しもないことが多い。極端な話だが、例えばもし中国の扉のないいわゆる「ニーハオ・トイレ」で、入り口にお尻を向けてしゃがんでいる人がいたら、あまりにも無防備ではないだろうか。

排せつ後の処理の仕方ひとつ取っても、紙で拭くか(地域によっては砂や葉も使われる)、あるいは水で洗うかなど多様である。ちなみに、文化人類学者のスチュアート(1993, 82-83)によれば、動物は排せつ時に直腸の一部を外に出し、排せつが終わると引っ込める「自然脱肛」ができるため、肛門付近が汚れることはない。人間は進化の過程で二足歩行にともない臀部が発達したため、これができない。つまり、排せつ後にお尻を拭く(洗う)のはきわめて人間的な行為であり、その方法は文化の問題なのである。さらに、科学的な衛生観念とは異なる浄・不浄や清潔・不潔の感覚、羞恥心などは、文化によって異なっている。時として異文化はわれわれの目に奇異に映ることもあるが、言うまでもなく文化には優劣はない。社会が「文明化」すれば文化も向上する、というものでもなく、それぞれの社会ごとに独自の進化を遂げていくだろう。

中国の「厠所革命」

筆者がフィールドにしている中国のトイレといえば、残念ながら国際的な評判は芳しくない。その原因は、主に衛生面と文化面の二つからなるように思う。まず衛生面では、近年まで中国の公衆トイレの多くが水洗化されていない汲み取り式で、清掃が行き届いていないことが多かった、という事情がある。往時の中国の公衆トイレの凄まじさについては、余(2021)の冒頭に生々しい描写があるので、興味のある方は一読をお勧めする。

二つ目は文化的な問題だが、これは主に個室のドアや仕切りの高さが低かったり、そもそもそれらが全く無かったりする伝統的なタイプのトイレ、通称「ニーハオ・トイレ」の問題である。当然のことながら用を足している姿が他の利用者から丸見えになってしまうため、外国人が入るにはかなり心理的なハードルの高いしろものだ。現地の人たちは人が入っていても躊躇なく中に入り、並んで用を足しながら和やかに世間話をしていたりし、恥じる様子はない。

筆者が初めて中国を訪れたのはまだ中学生の頃、祖父母が観光旅行で北京と西安に連れて行ってくれた時だった。時代はまだ1990年代、北京市内がまだ自転車の洪水であふれていた頃である。この時に西安で入った外国人観光客用のレストランのトイレで受けた衝撃は忘れられない。それは扉も仕切りもない、だだっ広い白いタイル張りの空間に、ただむき出しの洋式便座が数基、等間隔に並んでいるというものだった。順番待ちの人からの目隠しとして、入り口付近に申し訳程度の衝立が立てられていた。今になって考えれば、水洗かつ洋式のそのトイレは当時としては外国人に最大限配慮したものだったと理解できるが、まだ何も知らなかった筆者は中を覗き見た瞬間、完全に入る気を失った。後年、中国の友人が日本の温泉で他の人と一緒に入浴するのは恥ずかしい、と言っているのを聞き、あのトイレに入る勇気があるのになぜ、と首を傾げたものだ。羞恥心とは、まさしく文化によって形成されるものなのだと実感した。

それから30年がたち、当局の努力と生活水準の向上した人々の意識の高まりによって、トイレもすっかり「文明化」された。周(2018)によれば、中国人の排せつ行為およびトイレに関する状況は、清朝末期以来ずっと諸外国から非難を浴び続けてきたという。特に1978年以降、対外開放により外国人観光客が訪中するようになると、中国のトイレ問題は外国のメディアによって頻繁に取り上げられるようになった。政府当局は「厠所革命」の必要性を認識し、公衆トイレの増設や改修を行ったが、なかなか成果は上がらなかった。転機が訪れたのは、くだんのWTOが2004年に北京で開催した第4回世界トイレ会議であった。2008年の北京オリンピックに向けて北京や上海には公衆トイレが相次いで建設され、清掃員が配備された。筆者も当時、街のあちこちで「文明的」なトイレマナーの啓発ポスターや、政府お墨付きの星付きトイレを見かけた(写真2)。公衆トイレのランク付けの基準は設備の状態、清潔度、トイレットペーパーの設置状況などであるが、2012年に北京市が発表した「トイレ内のハエは2匹まで」という基準は、中国関係者界隈でひそかに話題になった。

写真2 「請向前一歩 更靠近文明」(一歩前に出てください、文明に一歩近づけます)。

写真2 「請向前一歩 更靠近文明」(一歩前に出てください、文明に一歩近づけます)。
男性用小便器を汚さないように注意を喚起している。
他にも「向前小一步 文明一大步」(前への小さな一歩が、文明への大きな一歩)というバージョンがある。

農村でも2000年代半ば頃から、拡大する経済格差を背景に「社会主義新農村建設」のスローガンのもと莫大な公共投資がなされ、インフラ整備が一挙に進んだ。もちろん、「遅れた」「非文明的な」農村の象徴であったトイレの改善も喫緊の課題とされた。政府が各地域に設定した「改厠率(衛生的なトイレの普及率)」の目標値にむかって、村長たちはこぞってトイレの水洗化に邁進し、たちまち各地にピカピカの公衆トイレが整備された。筆者が十数年前に入ったような、中に巨大な黒豚が寝そべって涼んでいたり、真横に牛がつながれていて潤んだ瞳でこちらをじっと見ていたりする、全く落ち着かない牧歌的なトイレにはもうお目にかかれないかもしれない。

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世界のすみずみまでグローバル化の波が押し寄せたこの数十年間、人々の生活様式、ひいてはトイレ事情も大なり小なり変化を遂げてきた。60年以上前の東京で私の母が体験したようなカルチャーショックが、今日もまた世界のあちこちで起こっていることだろう。世界の変わりゆくトイレ事情のスナップショットを記録しておくことには何がしかの意味があるのではないか、と思い至った。

本連載は、アジア各国のトイレ事情とそこから見える社会の姿について、アジア経済研究所の専門家に紹介してもらうことを趣旨としている。当該地域のトイレ事情や文化、個人的な体験から社会問題まで、書き手の専門性や興味関心に応じてさまざまな切り口で思う存分語ってほしい。また、読者諸氏への実用面での配慮として、毎回冒頭でトイレにまつわる現地語を紹介する。現地を訪れる機会があれば、ぜひご活用いただきたい。

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
参考文献
  • 大内力(1994)「厠考」大野盛雄・小島麗逸編『アジア厠考』勁草書房、2~18ページ。
  • 小島麗逸(1994)「序 厠学の問題」大野・小島編、同上書、ⅰ~ⅵページ。
  • 司馬遼太郎(1989)『アメリカ素描』新潮社。
  • シム、ジャック(2019) 『トイレは世界を救う——ミスター・トイレが語る貧困と世界ウンコ情勢』(翻訳・近藤奈香)PHP新書。
  • 周星(2018)「百年の不体裁──現代中国のトイレ革命」『日常と文化』(翻訳・西村真志葉)Vol.5、49-61ページ。
  • スチュアート、ヘンリ(1993)「はばかりながら 『トイレと文化』考」文春文庫。
  • 余華(2021)『兄弟』(翻訳・泉京鹿)アストラハウス。
著者プロフィール

山田七絵(やまだななえ) アジア経済研究所新領域研究センター環境・資源研究グループ長代理。農学博士。専門は中国農業・農村研究。主な著作に、『現代中国の農村発展と資源管理――村による集団所有と経営』(東京大学出版会、2020年)、『世界珍食紀行』(編著、文藝春秋、2022年)。


  1. 前者は国立社会保障・人口問題研究所『生活と支え合いに関する調査』2017年の数値、後者は総務省統計局『住宅・土地統計調査』から計算した。ちなみに1963年時点で浴室設備のある世帯は全体の6割に過ぎず、庶民は日常的に銭湯を利用していた。
  2. 和式トイレは風前のともしび:災害やインバウンド対応で洋式化進む」『nippon.com』2018年12月21日記事。同記事によれば、衛生陶器大手TOTOの和式便器と洋式便器の出荷数は1976年にほぼ同数となり、以後急速に洋式化が進み、2015年には和式便器が1%を切るまでになった。
  3. 訪日イスラム教徒のトイレ利用の調査結果をTOTOが発表。82%が『温水洗浄便座があれば必ず使う』」(インバウンドニュース)やまとごころ.jp、2019年12月13日。
  4. 日本人のトイレットペーパーの使い方に驚き!『中国ならぶたれる』──華字メディア」(『Record China』2023年4月7日)では、日本人のトイレの質に対する要求水準の高さ、「音姫」や「便所飯」など日本独特のトイレ文化が紹介されている。

*2023年11月17日 バナーを追加しました。