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コラム

ワンヘルス 人・動物・環境の「健康」から考えるアジア

第6回 食と農とワンヘルス

Food System and One Health

PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001421

2025年6月
(4,875字)

フードシステムとワンヘルス

私たちが日々口にしている食べ物は、言うまでもなく私たちの生命と健康の維持に必要不可欠である。食べ物が生産され、加工や流通の段階を経て私たちの食卓に届き消費されるまでの全過程は、フードシステムと呼ばれている。2019年に発生したCOVID-19の発生源が中国の生鮮食品市場とされたことで1、フードシステムの各段階における家畜や動物由来の食品の管理のあり方が人獣共通感染症の発生リスクと強く関連していることが広く知られるようになった。人獣共通感染症の発生リスクは、集約的な畜産業、不十分な防疫対策、新興国・途上国に広くみられる伝統的な生鮮食品市場での生きた動物や食肉の取引(野生動物、家畜を含む)によって高まると考えられている。

世界的な食肉需要の増加やグローバル化の進展によって、生きた動物や動物由来の食品の国際的な移動はますます増加している。それにともない感染症の発生メカニズムは複雑さを増しており、特定地域で発生した動物由来の感染症が越境性動物疾病(Transboundary Animal Disease: TAD)として国境を越えてまん延するケースが頻発している。TADには口蹄疫やアフリカ豚熱など家畜のみに感染し人間には感染しない疾病もある一方、牛海綿状脳症(BSE)や重症急性呼吸器症候群(SARS)、そしてCOVID-19のように深刻な人間への健康被害をもたらす人獣共通感染症も含まれている。

人獣共通感染症の拡大防止のためには人々に移動制限や行動変容を求める必要が生じる。しかし、その根拠となる感染症の発生メカニズムや感染経路、感染防止対策などに関する科学的な知見には一定の不確実性がともなう。そのためフードシステムに起因する様々なリスクに関する専門家、政府、メディア、市民などステークホルダー間の適切なコミュニケーションを通じて信頼を構築することが重要となる。例えば1990年代にヨーロッパで発生したBSE問題では、イギリス政府と消費者との間の感染リスクに関する情報共有に齟齬が生じ、消費者の間に科学的知見に対する深刻な不信感を残した。こうしたBSE問題の経験は、国際的なリスク・コミュニケーションの重点が啓蒙から信頼の構築へと変化する契機となったと言われている2

さらに、近年頻発しているパンデミックのような国境を越える新しい問題に対処するためには、従来の食品安全行政で用いられてきたコーデックス委員会の提示するリスクの管理、評価、コミュニケーションからなるリスク分析の枠組みだけでは不十分であることが明らかになってきた。そこで2000年代以降、専門分野を横断する国境を越えた協力体制を構築し、ハザードの特定だけでなくそれぞれの社会集団の受容性や社会経済的影響を含めた複数のオプションを提案するリスク・ガバナンスという考え方が欧州を中心に生まれ3、この考え方は途上国を含め国際的に共有されつつある。

本コラムが対象とするアジア地域は、世界的にみて人獣共通感染症の発生および感染拡大のリスクが高い地域である4。その背景には人口密度の高さ、集約的な畜産業の発展、防疫体制や食品流通段階の衛生管理が不十分であること、慣習的に生きた動物の取引が多いことなどがある。以下ではアジアにおける食肉のフードシステムの現状について解説したうえで、ラオスの食品市場の事例を紹介する。なお、フードシステムに関わるワンヘルス的課題には薬剤耐性(Antimicrobial Resistance: AMR5や動物福祉(Animal Welfare)など他にも重要なトピックがあるが、紙幅の制約から本稿では人獣共通感染症と食肉の生産・流通を中心に紹介したい。

食肉需要の増加と畜産業の発展

アジア地域で人獣共通感染症の発生リスクが高まっている主な要因として、食肉の生産・消費の急速な増加と流通システムの二重構造の二つが挙げられよう。前者については、めざましい経済成長と人口増加にともない、食肉の消費と生産が急速に拡大してきた。国連食糧農業機関(FAO)の統計によると、2000年から2022年の20年余りの間に東アジアの食肉生産量は6723万4893トンから1億244万トンへ、東南アジアでは884万8467トンから1915万4094トンへといずれも倍増している6

食肉の種類をみると三大家畜肉である豚肉、鶏肉、牛肉が大部分を占めるが、東アジアでは食文化を反映して多様な肉が生産されており、三大家畜に続いて水禽類(アヒルやカモなど)、水牛、羊・ヤギ、ラクダ、ロバなどの肉も生産されている。また、少量ながら哺乳類以外の動物肉(両生類、は虫類などと推測される)と野生動物肉の生産量も報告されており、2022年の生産量はそれぞれ49万3142トン、8118トンとなっている。なお、東南アジアの野生動物肉に関するデータは公表されていない。

このような食肉生産の急増を可能にしたのは、商業的な畜産業の発展である。アジアでは豚であれば1、2頭、鶏であれば十羽程度を庭先で飼育する、伝統的な小規模家族経営が主流である。中国、ベトナム、フィリピン、タイなどアジアの主要養豚国における豚の飼養頭数と事業所の規模を比較した報告書によれば、いずれの国も総事業所数に占める小規模事業所の割合は95%以上を占めている。しかし一方で、アグリビジネスによる畜産インテグレーションの進展によって中規模~大規模経営も増えつつあり、上述の報告書の1事業所あたりの飼養頭数は平均10~80頭程度となっており、伝統的な小規模経営の規模を大きく上回っている7

一般論ではあるが、中小規模の畜産農家は防疫対策が不十分で、特に近年増えつつある中規模農家では飼養密度が高いことも多く、バイオセキュリティ上のリスクが高いと考えられる。しかし、農家の数が多いため政策的なコントロールは困難である。一方、多国籍アグリビジネスなどの企業が経営する大規模畜産事業所の場合は先進国基準の飼養方法が導入されている傾向にあり、近代的な畜舎かつ適正な密度で家畜が飼養され、ワクチン接種などの防疫対策も十分に取られている。ただし大規模事業所であっても途上国の地場企業の場合は政策の影響などにより状況が異なることもあり、飼養規模と感染症の発生リスクの関係は単純ではない。例えば、中国では一部の地域で人との接触を極力避けるため「養豚ビル」と呼ばれる大規模な養豚場が建設されているが、高層の建物での過密な飼養方法による防疫上のリスクが懸念されている。

食品流通チャネルの二重構造

アジアの新興国には伝統的な食品流通チャネルと近代的な流通チャネルが併存する二重構造がみられる8。前者は市場や路面にある小規模な個人経営の食品店の集合体を指し、英語では“wet markets”等と呼ばれる。この言葉は、野菜や果物、食肉や魚介類などの生鮮食品を扱うローカルな市場ではその場で食品を洗ったりさばいたりするため床が濡れていることに由来するといわれている。経営者にとっては新興国の脆弱なインフラのもとでも低コストで経営できるという強みがある。消費者に対しては新鮮で安価な食品を供給するほか、地域に密着し住民間のコミュニケーションや食文化を維持する場の提供など、社会的なインフラとしての役割も果たしている9。一方、近代的なチャネルは先進国発祥のスーパー・マーケットやコンビニエンス・ストアを指す。豊富で安定した品揃え、店舗の清潔さなど消費者にとって利便性は高いが、商品価格が高く、整備されたインフラが前提となるため主に都市部に立地している。

アジア主要国の食料品の年間購入額(2022年)に占める各種流通チャネルの割合を比較した記事によると、伝統的チャネルを通じた購入の割合はベトナム(農村部)とインドで80%以上、ベトナム(都市部)とインドネシアで60%台、タイとフィリピンで30~40%台、韓国は8%、台湾は1%となっている10。所得水準の高い国や都市部は伝統的チャネルの割合が低い傾向にあるが、同程度の所得水準であっても文化的要因などを背景にかなりばらつきが大きく、両者の間に明確な相関関係があるわけではない。例えば中所得国の中国では、1990年代後半以降都市部を中心に近代的な流通チャネルが拡大し始めたが、地方や農村部では依然として伝統的な食品卸売市場も健在である。2022年の農産物取引額のうち卸売市場の割合は37.0%を占めており11、近年シェアは低下傾向にあるものの主要な流通チャネルであり続けている。

ワンヘルスの観点からいえば、伝統的な生鮮食品市場はコールドチェーン(冷蔵・冷凍設備により生産・輸送・消費の過程で途切れることなく低温に保つ物流システムのこと)が未整備であることが多い。また、生きた動物を檻に入れて保管したり屠畜・解体したりするため12、食品の汚染や腐敗、感染症の発生リスクが高いと考えられる。しかし、開発途上国の伝統的な食品市場における人獣共通感染症の感染経路は非常に複雑であり、同じ市場に出入りする食肉業者でもビジネスの規模やタイプによって食肉の流通経路や感染リスクに対する認識が多様である。このため、画一的な政策介入では予防効果が薄く、地域特性を踏まえた地道な対策が必要である13。また、野生動物や食肉の取引には各地域の食文化や習慣も深くかかわっており、コントロールは容易ではない。上述の中国の伝統的な食品市場では野生動物の取引が行われており、COVID-19の発生後中国政府はこれを禁止したが、伝統医薬品の原料として野生動物が用いられてきたこと、法規制が弱いことから永続的に取引を禁止することは困難とする報道もある14

ラオスの食品市場の事例

筆者はアジアの新興国の伝統的な生鮮食品市場で食肉がどのように取引されているかを把握するため、2023年9月に東南アジアの内陸国ラオスの首都ビエンチャン市近郊と中部のサワンナケート県の4つの食品市場を視察した。ラオスは森林資源の豊富な国であり、非木材林産物と呼ばれる木材以外の森林資源であるキノコやタケノコ、ハーブ、そして野生動物が貴重なタンパク源として食用に消費されている。ビエンチャン市の食品企業関係者の話では、都市部でも近代的な流通チャネルは未発達で、消費者の習慣もあり伝統的な食品市場が主要な流通経路となっている。

訪問した市場のうち2つは屋根付きでコンクリート製の近代的な施設、残りは露天の市場であった(写真1)。いずれも幹線道路に近いアクセスのよい場所に立地し、青果物、肉類、魚介類以外にコメなどの穀物、乾物、加工食品(タイやベトナムからの輸入品が主)、日用品が売られていた。筆者の観察した限りいずれの市場でも売り場に冷蔵施設はなく、家畜肉は常温で部位ごとにその場で切り売りされていた(写真2)。

写真1 ビエンチャン市近郊の屋根付き市場(左)とサワンナケート県セポン郡の青空市場(右)

写真1 ビエンチャン市近郊の屋根付き市場(左)とサワンナケート県セポン郡の青空市場(右)

写真2 サワンナケート県の市場の肉売り場。部位ごとに切り分けられている

写真2 サワンナケート県の市場の肉売り場。部位ごとに切り分けられている
市場の一角では生きた子豚、タケネズミ、家禽、水禽のほかトカゲ、カエルなどのは虫類や両生類、昆虫類も売られていた(写真3)。野生動物としてはビエンチャン市近郊の市場でもコウモリやリスが氷漬けで店頭に並んでおり、農村部の朝市では罠や銃で捕獲したとみられるハクビシン、リス、シカなどの肉が売られていた(写真4)。野生動物の肉は贅沢品として慶事や贈答用に購入されることが多く、売り手にとっても貴重な現金収入源であるという。

写真3 ビエンチャン市近郊の市場の一隅を占める、生きた家禽や水禽、ウサギなどを売るコーナー

写真3 ビエンチャン市近郊の市場の一隅を占める、生きた家禽や水禽、ウサギなどを売るコーナー

写真4 左から順にビエンチャン市近郊の市場で売られていた氷漬けのリス、コウモリ、ハチの巣(左)、セポン郡の市場で早朝売られていたハクビシン。野生動物はすぐに売れていった(右)

写真4 左から順にビエンチャン市近郊の市場で売られていた氷漬けのリス、コウモリ、ハチの巣(左)、セポン郡の市場で早朝売られていたハクビシン。野生動物はすぐに売れていった(右)
サワンナケート県保健局での聞き取りによれば、取締りの強化や食習慣の変化で野生動物の取引は直近10年間で減少しているが、野生動物肉を好む嗜好もあり規制の徹底は容易ではない。同局は海外の民間団体や国際機関から技術支援を受け、近隣諸国との家畜疾病に関する情報共有やモニタリングのネットワークを構築している。ただし、メコン地域では古くから陸路の国境を越えた人やモノの移動が行われており監視の徹底は困難である。メコン地域におけるワンヘルス的課題への取組みの道のりは遠そうだ。

※本コラムは、『アジアのワンヘルス──人・動物・環境をめぐるリスクとガバナンス──』(アジア経済研究所、2025年2月)の刊行をふまえて社会科学的な観点からアジアのワンヘルスをめぐる課題について解説を行っていきます。第6回は第4章「食肉のフードシステムとワンヘルス」(75~117ページ)をもとにしています。詳しくは同書(オープンアクセス)をお読みください。

書籍:アジアのワンヘルス──人・動物・環境をめぐるリスクとガバナンス──

※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。

写真の出典
  • すべて筆者撮影
著者プロフィール

山田七絵(やまだななえ) アジア経済研究所新領域研究センター主任研究員。農学博士。中国農業、農村経済について研究している。主な著作に、『現代中国の農村発展と資源管理──村による集団所有と経営』(東京大学出版会、2020年)、『世界珍食紀行』(編著、文藝春秋、2022年)。


  1. 新型コロナウイルスの起源、中国チームが分析結果を発表BBC News Japan, 2023年4月7日。
  2. 杉山慈郎(2020)「科学コミュニケーション」藤垣裕子責任編集『科学技術社会論の挑戦2 科学技術と社会──具体的課題群』東京大学出版会、 1~24ページ。
  3. 青柳みどり(2021)「リスク・ガバナンス・フレームワークの感染症リスクへの適用可能性について」『環境経済・政策研究』14(1)、51~54ページ。
  4. World Bank and FAO(2022)From Reacting to Preventing Pandemics: Building Animal Health and Wildlife Systems for One Health in East Asia and Pacific.
  5. 抗微生物薬耐性とも呼ばれる。家畜への抗生物質の不適切または過剰な使用により発生した薬剤耐性菌が食品を介して人体に取り込まれると、治療目的で投与された抗生剤の効果が低下する問題。
  6. FAOSTAT。東アジアには日本、韓国、北朝鮮、中国、モンゴル、東南アジアにはインドネシア、カンボジア、ラオス、マレーシア、フィリピン、東ティモール、シンガポール、タイ、ベトナム、ブルネイ、ミャンマーが含まれる。
  7. World Bank and FAO(2022)(前掲書)。なお、農業インテグレーションの進展した日本では小規模事業所の割合はわずか8.9%、1事業所あたり飼養規模は2492頭となっている。
  8. 多田和美・中川充・福地宏之(2018)「新興国市場における流通チャネルの二重構造──文献検討と今後の研究課題──」『日本経営学会誌』第41巻、40~51ページ。
  9. World Bank and FAO(2022)(前掲書)。
  10. Grocery retail in Asia: Thriving in changing consumption patterns.” McKinsey & Company website, December 4, 2023. 元データは伝統的チャネル、近代的チャネル、Eコマース、その他のチャネルの内訳を示している。同レポートは、新興国では伝統的なチャネルの減少と近代的なチャネルの普及の遅れの隙間をEコマースが補填しつつ、Eコマースが拡大する傾向があると指摘している。
  11. 2023年中国農貿市場(農産品批発市場)行業現状及趨勢分析:互联網経済助力農批市場交易額及交易量創新高」『智研咨询』2023年9月18日に基づき、2022年末のレートを用いて筆者計算。
  12. WHO(2021) “Reducing public health risks associated with the sale of live wild animals of mammalian species in traditional food markets: Interim guidance.” 12 April.
  13. Tony Barnett and Guillaume Fournié(2021)“Zoonoses and wet markets: beyond technical interventions.” The Lancet Planetary Health, 5(1), January.
  14. What we've got wrong about China's 'wet markets' and their link to COVID-19.” World Economic Forum, April 18, 2020.