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コラム
第5回 日本ですすむ「鳥獣―人」の接近──都市型野生動物(アーバン・ワイルドライフ) イノシシに着目して
A Study of “Human – Animal boundary” in Japan: Focusing on Urban wildlife - Japanese wild boar
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001389
2025年5月
(4,583字)
はじめに──まちに野生動物がやってきた
全国各地でイノシシをはじめ、サル、シカ、クマのような大型哺乳類が都市部に侵入、出現している。
なぜ、まちに野生動物がやってくるのか。
これは社会の変容により、人と野生動物のバランスが変化することによるものである。野生動物が増えるとともに、人と野生動物の境界にくらす人々が減るなど、バッファーゾーン(緩衝地帯)が消えたことにより、野生動物が人の生活圏に侵入しやすくなってきたのである。
日本における野生動物被害の要因は、第一に人間活動の低下や耕作放棄地の増加といった里の変化、農業構造の変化にある。第二に温暖化等の気象の変化とそれにともなう野生動物の分布域の拡大、生息環境の変化がある。第三に狩猟者の減少や高齢化による捕獲圧(捕獲が種や個体群の存続に与える影響)の変化がある。
地方部では人口減少と少子高齢化の進行により過疎化がすすみ、獣害が耕作放棄地の拡大を招くことで、さらに過疎化を加速させる要因の一つとなっている。特に農作物被害は、農業集落における営農意欲の低下や耕作放棄地の増加などを招く負のスパイラルの要因となっており、地域の活力の減退が危惧される。また、人と野生動物が接近することによる軋轢は、こうした中山間地域だけでなく、都市部でも、都市型野生動物(アーバン・ワイルドライフ)の出現として市民生活に深刻な影響をもたらしている。
現在、日本では野生動物を対象とした政策が中心であるが、ワイルドライフ・マネジメント(野生動物管理)1を考えるうえでは、野生動物と環境と人の要素についての検討が望まれる。農林業被害において、被害を発生させているのは野生動物であるが、被害の発生を助長している要因が環境や人の行動にある場合も少なくない2。
わたしたちの生活のなかには、ペット以外にも従来からカラスやハト、ネズミや野犬、野良猫など、人間社会の生活に依存した動物が数多く生息している。これらの都市型野生動物は生息密度が高いことが多く、一度感染症が侵入すると、人を含め、多くの動物へと感染する可能性がある。都市型野生動物は人口密集地において、人と生活空間を共有し、食料と住環境を人間社会に強く依存しながら独自の社会を形成している。
これらに加え、近年では、大型哺乳類であるクマやイノシシ、特定外来生物でもあるアライグマなども市街地周辺や都市部に生息し、都市型野生動物として、わたしたちのくらしに影響を及ぼすようになってきた。特に市街地周辺や都市部に生息し、人への警戒心が比較的薄いクマは「アーバン・ベア(都市型クマ)」と呼ばれ、増加傾向にある3。本コラムで取り扱うニホンイノシシ(以下、イノシシ)についても全国的に市街地での出没による人身・生活環境被害が報告されている。これらによる被害は人身傷害や交通事故にとどまらず、農産物被害、自然環境の改変による災害リスクを高めたりするなど多様であり、深刻化している4。都市型野生動物は病原巣・感染源動物として人間社会への影響が大きいため、近年ではこれらが感染症を運ぶリスクについての議論もすすんでいる5。
イノシシの保護と管理をめぐる現状
日本におけるイノシシの保護管理の主な目的は「人との軋轢の軽減」「個体群の安定的な維持」にある。「人との軋轢の軽減」については、これまでは農業被害低減を主としていたが、近年ではイノシシによる市街地出没にともなう人身被害の発生や豚熱(CSF)の感染拡大から、市街地出没抑制や豚熱等の感染症拡大防止も重要な管理目標となっている6。このため、環境省では被害低減のための管理目標を「農業被害低減」「その他の被害(市街地出没・感染症)低減」の2つに分け、各目標を達成するための施策を検討している。
環境省が収集したイノシシによる人身被害データ7によると2016(平成28)~2021(令和3)年度は年間50件程度で推移していたが、2022(令和4)年度は64件と増加している。次に人身事故の発生場所や被害の種類等のデータによると、2017(平成29)~2023(令和5)年で発生した人身事故の発生場所は、住宅地等の市街地・集落地内が最も多く、屋内をあわせると全体の65%を占めている。また人身事故の被害の種類は咬みつきによる被害が最も多かった。
現在、イノシシの全国的な推定個体数は減少しているものの、人身被害は低下していない。また全国的に農業被害は低減しているものの、いまだ高い水準にとどまっている。特に兵庫県ではイノシシによる被害がシカによる被害を上回っていることが特徴的である。兵庫県ではイノシシを含め、シカやサルなどによる農林業被害、ツキノワグマによる人身事故の不安など野生動物と人との軋轢が深刻になっている。同時に、絶滅が危惧される種の保全や、増加傾向にある特定外来生物への対策も重要な課題となっている。これまでに兵庫県は2007(平成19)年度に兵庫県森林動物研究センターを開設し、同センターの調査研究結果をふまえ、ワイルドライフ・マネジメントと順応的管理にもとづくイノシシ対策を実施してきた。現在、兵庫県では2022(令和4)年度に第3期イノシシ管理計画(対象期間:2022[令和4]年4月1日~2027[令和9]年3月31日)を策定し、これにもとづいた対策が実施されている8。
兵庫県──街場にあらわれるイノシシ
兵庫県における野生動物の出没要因は、野生動物の個体数の増加、人口減少による人間活動の縮小にともなう生息環境の拡大、野生動物の学習能力の高さにあるという。歴史的には昭和初期までに絶滅寸前であった野生動物が、戦後の野生動物保護政策により絶滅を免れ、増加に転じた。それにもかかわらず、戦後、新たな生活様式を手に入れたわたしたちは、かつてのしし垣のように防護柵による人と動物の境界線をもたなかったことに一つの要因がある9。
さらにわたしたちの社会の構造変化にともない、野生動物の生息地が拡大していった。かつて開拓した農地から人が撤退し、野生動物は奥山から里山へ、里山から人里へと生息地を拡大してきた。加えて農地として開拓した田畑が放棄されることにより、山と里の境界線があいまいになる場所が増えることで、そこを生息環境として野生動物が利用するようになった。つまり、人と野生動物の境界線があいまいになることで、人の身近に野生動物がくらすようになったのである。これに野生動物の学習能力の高さが加わることで、本来警戒心が強く、臆病な行動をとるはずの野生動物が人や人の社会に慣れ、大胆な行動をとるようになってきた。結果として、人が怖い動物でない、と学習した野生動物は市街地まで出没することになる10。
兵庫県では阪神地域の市街地に野生動物が出没し、被害が発生している。兵庫県神戸市では六甲山の山麓付近において、1960年代からイノシシに対して餌付けが行われていた11。その後、イノシシの人馴れが進み、1970年代には六甲山の登山道や市街地で目撃されるようになった。1980年代になると生ごみを目当てにごみステーションに出没する、買い物袋(レジ袋)を持った住民が襲われるなどの被害が多発し、大胆に行動する個体が増加した。神戸市では2002年に「神戸市いのししの出没及びいのししからの危害の防止に関する条例」(イノシシ条例)が全国ではじめて施行され、2004年には餌付け禁止の規制区域を設定し、2012年から神戸市中央区の一部を追加し、東灘区・灘区を餌付け規制区域としている。
神戸市では条例化により施策の効果がみられるものの、餌付け行為の根絶は難しい。同地域は1900年代の積極的な植林事業により、広葉樹が優先するイノシシの好適な生育環境となった六甲山系南側に位置し、イノシシの生息数が減少する要因は少ない。すでに同地域でイノシシ問題が発生してから60年以上が経過している。イノシシが侵入する住宅地においては、イノシシの侵入が日常の風景となっており、餌付け行為やイノシシの人馴れが続く限り、イノシシの市街地出没とそれにともなう被害の発生はなくならない(写真1、2)。また神戸市東灘区を流れる 2級河川である天上川では、河床に侵入したイノシシに対して餌付けが繰り返され、複数のイノシシが定着することで社会問題化した12。
これに加え、2018年9月に岐阜県で26年ぶりに豚熱(CSF)が発生し、兵庫県内のイノシシについても、2021年3月に初めて丹波地域で感染個体が確認された後、東部から西部に感染地域が拡大し、同年7月には淡路地域でも感染個体が発見された。動物由来感染症の観点からは、イノシシの豚熱は人に感染することはないものの、狩猟捕食が制限されるほか、イノシシの豚熱への感染拡大は地域社会に影響を与える可能性がある13。また、ダニなどを媒介することによって、人獣共通感染症をもたらすことがあることにも今後は留意しなければならない。
おわりに──人と野生動物の境界線を越えて
これまでのイノシシ対策は、おもに加害個体の捕獲と被害防除によってすすめられてきたが、野生動物管理における住民(市民)、市町村、都道府県、国の役割分担と連携について、地方部だけでなく、都市部においてもより積極的に検討する必要がある。被害防除に関して住民はイノシシを地域に寄せ付けないこと、地域で協力して寄せ付けないことが求められる。同時に、市町村と都道府県、国はソフト、ハード面での支援をするほか、加害個体の捕獲・駆除、頭数をコントロールするとともに被害防除に関する普及啓発活動なども必要となる。同時に野生動物と人とが接近することによるさまざまな問題は、これまでの行政による対応には限界があるため、今後はより一層住民による自発的な行動と公民連携による協働解決がのぞまれる。
そもそも都市部でなぜ加害個体が生まれるのか。
街場のイノシシ問題はイノシシだけの問題ではなく、イノシシをとりまくわたしたち社会の問題であり、生物多様性やワンヘルスに通じる問題でもある。わたしたちはより一層専門家から学び、正しい知識を身につけ、理解することが重要である。同時にわたしたちが学ぶ機会を設けるためには、行政は兵庫県森林動物研究センターにみられるように、専門機関などを通じて、さらなる専門家や地域のリーダーの育成、普及啓発活動のサポートが求められる。人材の育成には時間を要するが、これを長期的にかつ継続しておこなうことは、結果として、地域力の向上とともに、より安全で安心な社会の構築につながる。同時に街場のイノシシについて、正しい知識をもったひとりひとりの心がけが、現状の問題を一歩一歩解決する鍵になる。そのうえで、今後は加害個体を捕獲するといった対症療法的な政策のみならず、長期的には加害個体を生まない生活スタイルや地域づくりをめざすことが望ましい。
人と野生動物の境界線をお互いにわきまえ、ともに生きていくためには、野生動物の習性をふまえたうえで、住民であるわたしたちが自分事としてイノシシ問題をとらえ、正しく理解し、考え、そして行動することが求められる。こうしたとりくみを地道におこなうことが安全・安心なまちづくりにつながることに期待したい。
※本コラムは、『アジアのワンヘルス──人・動物・環境をめぐるリスクとガバナンス──』(アジア経済研究所、2025年2月)の刊行をふまえて社会科学的な観点からアジアのワンヘルスをめぐる課題について解説を行っていきます。第5回は第8章「日本における中山間地域の変容と『鳥獣―人』の接近」(195~236ページ)をもとにしています。詳しくは同書(オープンアクセス)をお読みください。
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
- すべて筆者撮影
著者プロフィール
藤田香(ふじたかおり) 近畿大学総合社会学部教授。博士(経済学)。専門は環境経済学、財政学、環境政策論、地域研究。おもな著作に『中国・淮河流域と貴州省石漠化地域を歩く』(共著)成文堂(2024年)、「農山村の維持可能性と限界集落問題への対応──高知県仁淀川町の事例から」『アジアの生態危機と持続可能性』アジア経済研究所(2015年)。『貧困・環境と持続可能な発展』(共編著)晃洋書房(2011年)、『環境税制改革の研究』(租税資料館賞、2001年)ミネルヴァ書房など。
注
- ワイルドライフ・マネジメントは、科学的なデータ収集による個体数の推定や将来予測にもとづき、計画的に狩猟することが求められ、①絶滅リスクの高い在来動物の保全、②自然資源として動物の持続的利用のための管理、③ヒトとの軋轢が大きい動物の被害防止や個体群の管理、④生物多様性・生態系や人間活動に大きな影響を及ぼす外来動物の根絶を含む排除・抑制など、目的も手法も異なる多様な領域が含まれる。詳しくは鷲谷いづみ監修・編著、梶光一・横山真弓・鈴木正嗣編著(2021)『実践野生動物管理学』培風館、pp.11-12を参照。
- 河合雅雄・林良博編著(2009)『動物たちの反乱 増えすぎるシカ、人里へ出るクマ』PHP。
- アーバン・ベアについて、ヒグマの生態から野生動物と人との関係については佐藤喜和(2021)『アーバン・ベア となりのヒグマと向き合う』東京大学出版会、を参照。
- 野生動物がもたらす災害リスクについては羽澄俊裕(2020)『けものが街にやってくる 人口減少社会と野生動物がもたらす災害リスク』地人書館、を参照。
- 国立感染症研究所(2005)「動物由来感染症対策の3原則」IASR (Infectious Agents Surveillance Report, 病原微生物検出情報)26: 198-200。
- 環境省(2024)「イノシシの保護及び管理に関するレポート(令和5年度版)」、環境省(2024)「(資料1)イノシシの保護及び管理に関する動向」。
- 環境省(2024)「(資料1)イノシシの保護及び管理に関する動向」p.3。
- 兵庫県の対策については兵庫県(2024)「第3期イノシシ管理計画 令和6年度事業実施計画(令和6年4月)」、兵庫県(2024)「第3期イノシシ管理計画及び令和6年度事業実施計画 資料編(平成6年4月)」を参照。
- 兵庫県では古くからイノシシによる被害があり、しし垣などの遺構も文化遺産として存在する。歴史的にも捕獲圧が高く、トタン板を利用した防護柵などの農業者や住民による被害対策が定着していた(横山真弓[2014]「兵庫県におけるニホンイノシシの保護管理の現状と課題」『兵庫ワイルドライフモノグラフ』6: 1-8)。日本のしし垣については高橋春成編(2010)『日本のシシ垣 イノシシ・シカの被害から田畑を守ってきた文化遺産』古今書院、池谷和信・林良博編(2008)『野生と環境』岩波書店を参照。
- 横山真弓(2021)「境界線を越える野生動物たち」『エコひょうご』98: 1-4。
- 六甲山のイノシシ問題にかかわる資料収集、歴史については、辻知香・横山真弓(2014)「六甲山イノシシの問題の現状と課題」『兵庫ワイルドライフモノグラフ』6: 121-134を、イノシシの餌付けによる問題点の指摘については、河合・林編著(2009)(注2参照)を参照。
- 横山真弓・松金知香・池谷直哉(2023)「市街地河川に定着したイノシシの生息モニタリングと個体の身体的特徴」『兵庫ワイルドライフモノグラフ』15: 94-111。
- 兵庫県内へのCSFウイルス侵入を抑止するため、2020(令和2)年度に県東部県境域で経口ワクチンの散布を実施し、その後、県内でのCSFの拡大を受け、2022(令和4)年から県内大型養豚農家を中心に、施設周辺にCSF経口ワクチンを散布し、イノシシに摂取させることで、免疫学的な障壁をつくり感染防止に取り組んでいる。栗山武夫・大田康之(2023)「兵庫県における2022 年末までの豚熱の拡大の概要」『兵庫ワイルドライフモノグラフ』15: 60-71、大田康之・河野賢治・栗山武夫・高木俊(2023)「兵庫県におけるイノシシ管理計画の概要」『兵庫ワイルドライフモノグラフ』15: 1-14、を参照。