IDEスクエア
コラム
第2回 アサド政権崩壊後のトルコにおけるシリア難民──帰還の可能性についての考察
Syrian refugees in Turkey after the collapse of the Assad regime
PDF版ダウンロードページ:https://hdl.handle.net/2344/0002001558
2025年12月
(5,215字)
最大のシリア難民受け入れ国、トルコ
2024年12月のアサド政権崩壊は、シリア紛争(シリア内戦)の展開とその地域的帰結において、画期的な転換点となった。その影響が最も顕著に見られたのは、世界最大規模のシリア難民を受け入れてきたトルコである。シリア紛争が勃発した2011年3月の翌月からシリア難民を受け入れてきたトルコには、最も多い時期で370万人以上の認定難民が存在していた。2025年8月時点でも、認定されたシリア難民が300万人以上1、未認定の難民がおよそ100万人、さらに2023年までに約24万人がトルコ国籍を取得していた2。アサド政権が崩壊して以降、シリアに戻ったシリア人は40万人ほどである。40万人という数字は、かなり多くの人数であることは確かだが、トルコに滞在するシリア人の規模から考えると、予想されたほど多くはない。すなわち、シリア人がトルコに逃れた主要因であったアサド政権が崩壊し、シリア紛争が終結したにもかかわらず、帰還の動きは一部に限られている。
本稿は、なぜアサド政権崩壊後もトルコにおけるシリア難民の帰還が思ったほど進展していないのか、その背景を明らかにすることを目的とする。以下では、まずトルコの難民政策の変遷を整理し、次にアサド政権崩壊後の帰還過程で難民が直面している課題を分析する。最後に、これらの分析を踏まえ、難民帰還をめぐる地域的・国際的な要因を抽出する。
客人から重荷へ?
2011年のシリア紛争勃発以降、トルコの難民政策は「開放」と「制限」の間で大きく揺れ動いてきた。初期段階では、「門戸開放政策」が採用され、シリア人は一時的に保護される「客人」として受け入れられた。多くのトルコ人が隣国シリアで苦境に喘ぐ同じムスリム(イスラーム教徒)に救いの手を差し伸べることを厭わなかった。シリア難民の90%が「一時的な保護」名目での滞在を許可され、そしてその多くはシリア国境に近い難民キャンプに滞在することが一般的であった。トルコ政府のこうした対応は、シリア難民の避難を短期的なものとする前提のうえに成り立っていた。裏を返せば、長期的滞在や社会統合を前提としたトルコ政府の政策設計は十分ではなかった。
しかし、シリア紛争は長期化した。そうした状況下でトルコに流入するシリア難民の数は2019年に至るまで増え続け(図1)、トルコ人はシリア人を「客人」というよりも「重荷」と感じるようになっていった。シリア人の行動も変化した。2010年代半ばには多くのシリア人が難民キャンプから離れ、都市に移り住むようになった。シリア人が難民キャンプを離れた理由として、非正規であったとしても仕事が得られる点、子供の教育などが指摘されている3。
2015年夏から半年間、欧州を混乱の渦に巻き込んだ欧州難民危機の影響も大きい。多くの難民・移民がまず、トルコ経由でギリシャを目指し、その後、陸路でドイツを中心とした他のEU加盟国に渡ろうとした。移民の急激な流入に歯止めをかけるため、2016年3月にEUはトルコとの間で難民協定を締結した4。その共同声明によると主な締結事項5は、トルコ側が対処すべき項目として、①2016年3月20日以降にギリシャに不法入国する移民をいったんすべて受け入れる、②2016年3月18日時点でギリシャに滞留している移民は登録を受け、個々人で庇護申請をギリシャ政府に提出する。そして、その中に含まれるシリア人と同じ人数のトルコに留まるシリア難民をEUが「第三国定住」のかたちで受け入れる。その際、不正な渡航をしなかった人が優先される、③トルコとギリシャ間の国境監視の強化する、ことが合意された。一方、EU側が対処すべき項目として、①トルコ人に対するEU加盟国のヴィザなし渡航の自由化を2016年6月末までに実現するよう努める、②トルコ国内のシリア難民支援として2016年3月末に30億ユーロ、2018年末までに新たに30億ユーロ、合計で60億ユーロ(約7800億円)を支出する、③トルコのEU加盟交渉を加速させる、ことが合意された。
このいわゆる難民協定により、シリア人のトルコ経由でのヨーロッパへの渡航が難しくなった。ただし、図1のようにトルコにおけるシリア人の数は2019年に至るまで増加が続いた。2017年を境にシリアからトルコに流入する難民の数は減少したが、それはトルコで新たに出生したシリア人が多かったことが理由である6。
シリア人の就業についても制度が構築されたが、シリア人の労働環境の改善には至っていない。トルコ政府は2016年1月に、限定的ではあるが、一時的な保護下のシリア難民に対する労働許可を出した(法律第8375条)。雇用は各会社の従業員数の10%までとされ、希望者は就業する6ヵ月前までにはトルコ政府からトルコ人IDの付与を受け、また、住居契約していることが条件とされた。さらに、この制度で正式な雇用を得た場合、その家族は同年11月に制度化された緊急社会セーフティーネットの恩恵を受けられないこととなった7。緊急社会セーフティーネットは、2016年3月の難民協定の一環で、基本的なニーズを満たすことができるよう、欧州委員会人道援助・市民保護総局(ECHO)が、毎月無条件で現金を支給する制度である。3期に分けて2023年7月まで続けられ、約150万人が受給を受けた8。これらの理由からシリア難民の公的な雇用は進まず、デミルジなどの調査では2016年から18年までの新規雇用者数の累計は7万人弱であった9。彼らの調査結果によると、雇用されているシリア人とトルコ人の雇用格差(人口当たりの賃金雇用者数の割合の差)はヨーロッパでの雇用格差ほど大きくはないが、それは多くのシリア人が非正規労働市場に追いやられていることを示唆している10。結果的に、シリア人は都市部の不安定な労働者階層として固定化され、経済・社会的統合は大きく阻害された。
排外主義と不可欠な労働力との狭間で
2020年代に入ると、トルコにおける経済状況の悪化と深刻なインフレ(図2)が再びシリア人を苦境に陥らせた。失業率の上昇(図3)とそうしたなかでも継続されるシリア難民への社会保障政策に対するトルコ人の不満の高まりは排外主義を助長し11、与野党を問わず政治家たちは「帰還」を主要な公約として掲げるようになった。
その最も象徴的な出来事が、2021年8月の反難民政党、勝利党(Zafer Partisi)の設立であった12。勝利党の結党の影響により、他党もシリア難民の問題への対応を余儀なくされた。例えば、エルドアン大統領は2022年5月3日にそれまでのシリア難民をトルコ国内に留める立場を改め、2023年の選挙で勝利した場合、100万人規模の「自発的帰還」を促す計画があると論じた13。一方、最大野党の共和人民党や前述の勝利党などはより即時的かつ強硬な送還を主張した14。そうしたなか、ヒューマン・ライツ・ウォッチや複数の報道機関は、2022年に数百人のシリア難民が強制的に送還されたと報じた15。
もっとも、こうしたシリア人の帰還を促す動きが見られる一方で、シリア人は主に非正規ながら建設、農業、サービス業といった基幹産業に不可欠な低コスト労働力を提供していた16。さらに、2024年までに小売、ホスピタリティ、製造業を中心に1200社を超えるシリア人企業が登録されるなど17、シリア人の経済的定着が顕著となっている。また、トルコ・EU難民協定により、2016年以降、EUとトルコ政府がシリア人の子供たちのトルコ語教育に取り組むようになった。たとえば、「トルコの教育システムへのシリア難民の子供の統合プロジェクト(PIKTES)」を通して、2021年までに約55万人のシリア人の子供がトルコ語教育を、約33万人が内戦や避難に伴うトラウマを克服する精神カウンセリングを受講した18。前述のデミルジ等の調査によると、シリア人のなかでトルコ語を話せる者とそうでない者で経済格差が広がる傾向にあることがわかっており19、トルコ語能力はシリア人がトルコで生活していくために必要不可欠なスキルとなっている。
シリア人対象のトルコ語教育プロジェクトの宣伝
このように、シリア難民はトルコ社会に緩やかに統合されてきたものの、依然として法的制約や社会的排除、排外的言説に直面し続けている。その結果、彼らは祖国への愛着や結びつきと統合されつつあるトルコ社会との関わりの間でゆれる「二重の帰属意識」を持つようになっている。
崩壊後の帰還を困難にしている諸課題
こうしたトルコのシリア人の状況は、2024年末に大きな転機を迎える。それがシリアにおけるアサド政権の崩壊である20。アサド政権の崩壊は、シリア難民の「二重の帰属意識」を大きく揺さぶり、トルコで築いた生活を維持するのか、それとも状況が不安定ながら悲願である祖国への帰還を選ぶのかという厳しい判断を迫ることとなった。
2025年10月まで帰還を選んだ難民の数は、冒頭でも述べたように40万人余りとみられる(図4)。帰還の動機は一様ではない。一部は政権崩壊を「解放」と捉え、郷愁や血縁的結びつきに突き動かされて帰還した。さらにトルコでの住居費負担や排外的暴力から逃れるための現実的対応として帰還を選ぶ場合もあった。しかし、帰還の道のりは決して平坦ではなく、多くのシリア人がトルコにとどまったままである。
図4 2025年のトルコにおけるシリア人の数
(出所)図1に同じ
最大の課題の一つが住宅・財産権の問題である。多くの帰還者は居住可能な家屋を失い、権利証書の喪失や不正売買によって所有権をめぐる深刻な紛争に直面している21。さらに、国家による没収政策や不透明な制度が重なり、法的手続きを通じた権利回復は極めて困難な状況にある。加えて、難民の多くは貧困層であり、破壊された町や都市においてインフラがほぼ存在しない状況のなかで、住宅を再建するための財政的負担は極めて大きい。こうした土地・財産問題は、帰還者の生活再建を阻むだけでなく、社会全体の不安定化を招く要因となっている。
安全保障上のリスクも依然として深刻である。地雷や不発弾が広範に残されており、2025年だけでも数百人の犠牲者が出ている22。特に農村部では除去作業が大幅に遅れており、多くの帰還者が自宅や農地に戻れない状況が続いている。こうした物理的危険は、個人の生活再建を妨げるにとどまらず、地域社会全体の安定を脅かしている。そのため、シリアへの帰還は、帰国するシリア人を再び命の危険にさらす現実を意味している。
さらに、基礎的な生活環境の不足も重大な課題である。医療、教育、水道、電力といった公共サービスは依然として限定的であり23、雇用機会も極めて限られている24。一部の帰還者は小規模な商売や農業に従事して生計を立てているものの、多くは不安定で断片的な収入源に依存せざるを得ない。インフラの復旧の遅れによって、再び避難を余儀なくされる家族も存在し、帰還の持続可能性には大きな疑問が残る。さらに、シリアの地中海沿岸北西部や南部では暴力や虐殺が発生し25、新たな大規模避難の波を生み出している。
このように、シリア難民の祖国への帰還は、制度的支援・復興計画、そして国際的な協力が不可欠な、長期的かつ複雑な政策課題であることが明らかになっている26。
地域的ジレンマとしての難民問題
本稿の分析から明らかになったのは、アサド政権崩壊が大規模なシリア難民の帰還を促進するかに思われたが、実際には緩やかな規模の帰還に留まっている点である。トルコでの長期的滞在による定着、シリアにおける住宅や財産権の問題、財政的困難、治安上のリスク、さらには基礎的インフラの欠如といった深刻な課題が存在していたことが、シリア人に帰還を躊躇させた。すなわち、帰還は、政治的・経済的・社会的条件が複雑に交錯する多層的なプロセスであり、個人の意思だけでは説明しきれない現象である。この複雑な構造が示唆することは、難民問題を一時的な人道危機ではなく、国家の制度的脆弱性や地域秩序の再編に直結する構造的課題として捉える必要性である。トルコでは、排外主義の高まりとシリア難民への経済依存という相反する現実があり、シリアではアフマド・シャラアを中心とする新政権が発足したものの、復興の遅れと制度的限界が帰還を阻んでいる。結果として、トルコ社会への部分的統合と限定的な帰還が並行して進む傾向が強まっている。
結局のところ、シリア難民の帰還はトルコの政治環境、EUの移民統治、そしてシリアの不確実な政治秩序が相互に作用する中で形成される動的なプロセスである。したがって、今後の課題は、避難・帰還・復興を一体的に扱い、地域的・国際的協力の枠組みを再構築することにある。それこそが、ポスト・アサド期の中東における難民問題の継続的解決への第一歩となろう。
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
写真の出典
- 筆者撮影
著者プロフィール
ダルウィッシュ ホサム ジェトロ・アジア経済研究所 新領域研究センター グローバル研究グループ研究員。専門はエジプト政治を中心とする中東・北アフリカの現代政治、地政学、比較政治、国際関係論。ダマスカス大学英語学科卒業後、東京外国語大学大学院で平和構築と紛争予防を学び、2010年に博士号(学術)を取得。中東の政治体制変遷や地政学的課題を多角的に研究。特にエジプトの政治経済と国際関係に焦点を当てた実証的分析を行う。
今井宏平(いまいこうへい)ジェトロ・アジア経済研究所 地域研究センター 中東・南アジア研究グループ 副主任調査研究員。Ph.D. (International Relations). 博士(政治学)。著書に『トルコ100年の歴史を歩く: 首都アンカラでたどる近代国家への道』平凡社(単著、2023)、『戦略的ヘッジングと安全保障の追求:2010年代以降のトルコ外交』有信堂(単著、2023)、『エルドアン時代のトルコ:内政と外交の政治力学』(岩坂将充との共著、2023)、編著に『クルド問題』岩波書店(編著、2022)、『教養としての中東政治』ミネルヴァ書房(編著、2022)などがある。
注
- UNHCR Türkiye website, “Refugees and Asylum Seekers in Türkiye”.
- “Interior minister says some 238,000 Syrians in Turkey have been naturalized”, Turkish Minute, 9 November 2023.
- Gulden Boluk and Sukru Erdem, “Syrian Refugees in Turkey: between Heaven and Hell?”, IEMed Mediterranean Yearbook 2016.
- EUとトルコの欧州難民危機への対応の詳細は以下を参照。今井宏平「トルコ:ヨーロッパ難民危機以降のEUとの関係」岡部みどり編著『世界変動と脱EU/超EU:ポスト・コロナ、米中覇権競争下の国際関係』日本経済評論社、2002年、205-225ページ。
- European Council, “EU-Turkey statement”, 18 March 2016.
- Murat ERDOĞAN, Syrians Barometer, August 2024.トルコでのシリア人の出産の平均人数は年平均約10万と言われている。
- Murat Demirci and Murat Güray Kırdar. 2023, “The Labor Market Integration of Syrian Refugees in Turkey”, World Development, Vol. 162.
- The International Federation of Red Cross and Red Crescent Societies, Emergency Social Safety Net (ESSN) Monthly Report: July 2023.
- 注7と同じ。
- 注7と同じ。
- “Protests and arrests as anti-Syrian riots rock Turkey”, Aljazeera, 2 July 2024.
- 勝利党に関する詳細は以下を参照。今井宏平「選挙の争点として顕在化したシリア難民問題――トルコ人の間で燻る不満」『IDEスクエア』2022年12月。
- “Erdogan Confirms Plan for Voluntary Return of 1 Million Syrian Refugees”, Aawsat, 28 July 2023.
- “Turkey’s Kilicdaroglu promises to kick out refugees post-election”, Aljazeera, 18 May 2023.
- Human Rights Watch website, “Turkey: Hundreds of Refugees Deported to Syria”, 24 October 2022.
- Nicolas Bourcier, “Syrian refugees returning home, a dilemma for Turkey's economy”, Le Monde, 27 December 2024.
- Relief Web, “Syrian-Owned Businesses in Türkiye: Assessment After the 2023 Earthquakes”, 7 March 2025.
- “Turkey-EU project PIKTES for refugees' education grows”, Daily Sabah, 20 January 2022.
- 注7と同じ。
- アサド政権の崩壊に関しては以下を参照。ダルウィッシュ ホサム「岐路に立つシリア─抑圧から希望へ、不確実な未来への歩み」『IDEスクエア』2025年2月。
- Relief Web, “Beyond return: Ensuring sustainable recovery & (re)-integration in Syria (May 2025)”, 15 May 2025.
- Okba Mohammad, “Landmines in Syria kill hundreds of civilians returning home after fall of Assad”, The Guardian,17 March 2025.
- UNDP website, “The Impact of the Conflict in Syria”.
- IOM, “New Report: Challenging Economy and Unemployment Main Obstacles for Syria Returnees”, 14 May 2025.
- “Syrians question results of govt fact-finding mission into Alawite killings”, The New Arab, 23 July 2025.
- UNHCRのヨルダン、レバノン、イラク、エジプトのシリア難民を対象とした世論調査でも、シリアへの帰還の不安要素として、家屋の崩壊(36%)、雇用と生計の不安(28%)、安全の確保(12%)がトップ3となっている(UNHCR, Enhanced Regional Survey on Syrian Refugees’ Perceptions and Intentions on Return to Syria, September 2025.)。
